欲望 ③
ゴテを抱きかかえるように座っているパラムの首筋には、フェリドの持つ槍の先が突き立てられていた。
「何をしているのかって聞いているんだけど?」
突然の事に言葉を失ったパラムに対し、フェルドが話を続ける。
「たしか『サキュバスの口づけ』だったか、それを受けた男はその後廃人になるってやつ‥‥。それをそいつにやったのか?」
パラムはいつの間にか後ろに立っていたフェルドに驚きつつ、肌に槍を突き立てられている事に対し緊張が走る。
警告や脅しを通り越し既に実行しているからだ。
「フェ、フェルドさんですかその声は、私ですよパラムです。どうもお久しぶりでしたね」
震えそうになる声をどうにか抑え込み絞り出す。
「どうもお久しぶり、それで? 何をしているのか聞きたいんだけど」
パラムの名を聞いてもフェルドは槍を引っ込める事は無く、そのままの状態で首筋に突き立てていた。
「それは‥‥サキュバスの匂いを感じて来てみれば、ゴテ君がサキュバスに襲われていたのでそれを助けようと━━」
「それはそこに転がっている死体と血濡れの簪を見ればわかる。俺が聞きたいのは何で意識のないそいつに『サキュバスの口づけを』したのかだ」
巷では聖女などと言われているパラムだが、吸性に関しては国から定められた条件がある、それは相手の同意を得た上での事。
命を奪う行為に当たる為、パラムの吸性にはそういった条件が付けられていた。パラムのいる店に来る者は生命を吸われると言う事を知った上えで客として来ており、その事を容認しているとして考えられるが、今のこの状況は容認とは程遠い状況となっている。
完全に無意識の状態のゴテに対し吸性行為を行っていたからだ。
確かに本人に確認なく吸性を行った。この国で吸性行為を行えるのはパラム以外にはいない、その為パラム一人の為の吸性を処罰する法律は無いが、パラムがこの国にいる為の条件というものがある。そこに触れていたのはパラムも当然知っている。だからそれをフェルドに見られてしまった故に内心焦っていた。
「ゴテ君に黙って吸性したのは悪いと思っています! で、でも『口づけ』には他のサキュバスを寄せ付けない効果もあるので、ゴテ君はもうサキュバスに襲われる事もないと!━━」
「だからと言って吸性をする必要は無いだろう」
フェルドは冷たい声でぴしゃりとパラムの声を遮る。しかしパラムもフェルドが本気だと気づいているので必死になる。
「ゴテ君は特別な匂いを発しています! それはサキュバスだったら必ず惹かれてしまう特殊な匂いです! これからだって何度襲われるかもしれません! 今回はその前に止めることが出来ましたけど、次は間に合わないということだってあります!!」
『サキュバスの口づけ』とは本来は気に入った性を持つ男を長い間楽しむために、サキュバスが行う行為でもある。一度に性を奪うのとは違い、飴をなめるように徐々に長い間その味を楽しむためのものとされている。
それと同時に『サキュバスの口づけ』には他のサキュバスに対し、この餌は自分の物だと知らしめるための行為でもあるとされている。
口づけを受けた男性に対し、他のサキュバスは一切手を出せなくなってしまう。
当然ながらその事は槍を突き立てているフェルドも知っており。
「‥‥ふむ」
頷き、フェルドからの殺気が薄れていく。
助かった‥‥。
パラムはそう思った。実際首筋からは槍が離れて行き、フェルドはもうパラムに対しての敵意を持っていないように感じた。だから気が緩み━━
「はぁ‥‥フェルドさんも分かってくれたようですね、ゴテ君は本当に美味しそ━━良い匂いがしますから、この先も狙われたでしょう、でも大丈夫ですもう他のサキュバスに狙われる事もありません。
もしよろしかったらフェルドさんもどうでしょう? フェルドさんなら特別に奉仕させていただきますが?」
「要らねえよ、気持ち悪い」
「まあまあそんな事言わず、フェルドさんも魅力的な男性ですし、私以外でも無料でいいからお相手をしたいという女の子も沢山います。私が嫌だというのなら他の子を紹介しても━━」
「要らない」
━━緩んだがために、余計な事を言ってしまった。
「そうですかぁ? でもフェルドさん前から思っていましたが、どうしてそんなに女性を拒むのです? もしかしたら『過去に女性に酷い目』にあったのでしょうか?━━」
その言葉を言った瞬間、パラムの首に強い衝撃が加わる。いや、正確には衝撃ではない。
明らかにそれは先の尖った刃物だった。
一度槍を引いたフェルドは、再びパラムの首に槍を突き立てていた。それは先ほど突きたてたよりも更に深く槍先が食い込んでいた。
「ッ!! フェ、フェルドさん何を‥‥!」
「気持ち悪いと言っているだろが! てめえらみたいな性欲丸出しの女を見てると吐き気がするんだよ! このサキュバスが!」
突きたてられた首からは先ほどとは違い、明らかに『痛み』が伝わって来た。
「き、気に障ったのなら謝ります! どうか許してください! で、でも私は魔物ではありませんただの無抵抗な人間の女性です。そこにいるサキュバスとは違います! どうか槍を収めてください!」
「何百年も生きている奴が人を名乗るか!?」
「どうか、どうかお許しを!」
パラムに許されたのはただ許しを請うだけだった。どうしてフェルドはこうも怒りを出しているのか、実際の所はパラムにも分からない。
ただフェルドは過去に女性との何かしらのトラブルがあったのだろう。そうでなければこれほどまでにパラムに怒りを出したりはしないだろう。
実のところはこの二人は今回が初めての出会いでは無い、以前一度二人とも会っていた。
それはフェルドがグンサーに現れて暫く経った頃の事だった。
パラムはその日、今まで嗅いだことのない良い匂いを感じていた。甘いような、それでいて味わい深いような‥‥『食べてみたい』と思わせるような匂いであった。実際食せば天上の味わいだろう。
その匂いの主は大体の見当がついていた。それは最近冒険者として活躍している一人の男だった。そしてパラムは匂いにつられ実際に会いに行ったことがある、それがフェルドだった。
だがフェルドが開口一番放った言葉が『気持ち悪い、失せろ』だった。
パラムが何をした訳ではなく最初から険悪な雰囲気になってしまう。
パラムからしたらもしよかったら一夜を共にと思っていたが、フェルドは完全な拒絶だった。フェルドは極度の女嫌いとしてその後冒険者組合でも知られるようになり、その事はパラムの耳にも届いていた。
そして今回2度目の再会も最悪なものだった。槍を突きたてる者と突きたてられる者、もしかしたら突きたてられているパラムは、言葉の選択をこれ以上間違えば命が無いのかもしれない、パラムに出来るのはただひたすら震え、許しを請うだけしか出来なかった。
か細い声で震えながら許しを請うパラムに、徐々に怒りが収まって来たのかフェルドは『チッ』と軽く舌打ちし突きたてていた槍を引き抜き、そして横たわっていたゴテを担ぎ上げると。
「こいつは俺が連れて行く、文句は無いな?」
パラムに向けられた言葉だが、パラムに言えることは。
「は、はい‥‥」
と言うしかない。
フェルドはゴテを担いだまま立ち去ろうとするがその時、パシャッ! と水のような物をパラムに掛けて行った。
◆◇
フェルドがゴテを連れて去って行っても、パラムは恐怖でその場から暫くは動けなかった。フェルドが去り際に掛けていった水のせいで、妖艶な魅力を引き出している髪と衣服はびしょ濡れになっていた。
ようやく体の震えが止まり「助かった‥‥」という言葉がパラムの口からこぼれる。
本当にフェルドはパラムを殺そうとしたのかは分からない。
ただその殺意はパラム自身が既に忘れていたと思っていた、遠い昔拷問を受けていた時の感情を思い出させてしまい、その身を震わせる。
しかしいくら自分の事が嫌いだからと言っても、最後に水を掛けていく事は無いだろうと心の中でパラムは思う。
しかも娼婦である女の体に傷までつけて行くなんて‥‥。
そう思って刺された首の後ろを恐る恐る指で触ってみる。
「痛っ‥‥」
触った瞬間首に痛みが伝わる。その傷口を触った指を見たが。
「血が出てない‥‥?」
何度触ってみても血は出てはいなかった。掛けられた水で流れてしまったのか?。
パラムはその後、自分の居場所であるグンサー唯一の4階建ての建物に戻り傷の確認をしたが、確かに確認をした時にはまだ傷が残っていた。だが、夕刻にもう一度確認した所、その傷後はもう既に無かった‥‥。
二日後、パラムの元に事の発端であった人物、ゴテが尋ねて来る。
「ゴ、ゴテ君今日はどうしたのかな? わざわざ会いに来てくれるなんて」
あの時、無理やり『サキュバスの口づけ』をしてしまった事に後ろめたいことがあったので、パラムは少し居心地が悪い感じがしていた。それでなくとも、もしかしたら同意なしに口づけをしてしまった事をフェルドから聞かされたのかもしれない。
どちらにしろ今のパラムにとっては良い気分ではなかった。
そしてゴテの口から出た言葉は。
「実はフェルドさんから聞いたんですが━━」
フェルドという名にパラムの体はピクリと反応する、やはり聞いていたのかと‥‥。
「パラムさんがサキュバスから自分の事を助けてくれたって聞いたので、今日はそのお礼に」
「‥‥‥えっ?」
ゴテの口からはそれ以上の言葉が続かなかった為、パラムは思わず声を出してしまう。
「そ、それだけ?」
「はい、助けてくれたのはパラムさんですよね?」
「え? え、えぇ‥‥」
「それでこれつまらないものですが、というかパラムさん甘いものとか苦手だったりしますか?」
そう言ってゴテは包んできた布の中から箱を一つ取り出した。
混乱するパラム、多分自分はゴテから非難されるだろうと思っていたのだが。
「ゴ、ゴテ君、フェルドさんからはその‥‥なんて聞いたの?」
「フェルドさんからですか? 自分がサキュバスに襲われて、それを助けてくれたのがパラムさんだって聞きました」
「それだけ‥‥?」
「はい」
「‥‥‥」
予想外の事だった。てっきりフェルドは自分の事を嫌っているので、『サキュバスの口づけ』の事もゴテに言っていると思っていたのに‥‥。
「フェルドさん‥‥貴方はいったい何を考えて‥‥」
ポロリと心に思った言葉が漏れる。
「はい? どうしましたか、フェルドさんに何かあるんだったら自分が伝えましょうか?」
「え! あ! いいの、違うの!」
パラムはフェルドが一体何を考えているのか、よく分からなくなっていた。
◆◇
パラムさんに助けてくれたお礼が言えてよかった。最初なんだか戸惑っていた感じがしたけど最後にはいつものパラムさんに戻っていた。お礼の甘いものも喜んでくれたし‥‥。
とはいえ、今回は本当に自分でも危なかったと後で実感する事になった。サキュバスらしき生き物を見た瞬間意識が遠くなったのは、今になって少し寒気がしてくる。もしあの時パラムさんが助けてくれなかったら自分はもうこの世にはいないと思うとぞっとする。
自分はまだ死にたくは無いしもっと生きていたい、やり残した事だってあるしやりたいことだってある。
自分の場合どうしてもそのやりたい事が後回しになりがちであり、「まあ、後でいいか」という考えになってしまう。
そうならない為にも、少しは欲を出して行った方がいいのかもしれない。そうしないと後々後悔しそいうだ。今回の事も危うくそうなりそうだったし‥‥。
でも、自分にはもうかなえられない欲もある、それはもう二度と叶う事の無い欲望であり、この世界に来る前の日本での事‥‥。
どうして自分はあの時行動に移さなかったのだろうか? 目に見える場所にあったのに出来たはずなのに手を伸ばさずにいたあの時、あの瞬間‥‥。
今になって酷い後悔として心に残る。
その後悔が、心の声が言葉として漏れてしまった。
「‥‥飲んでみたかったな、タピオカミルクティー‥‥」




