欲望 ①
「お前は欲とか無いのか?」
いつも酢の物をくれる酢の物おじさんに言われてしまった。
とうとう言われたかという感じである。
こっちの世界に来る前にもよく言われた言葉である。
「働いてここで飯食って、それで家帰るだけじゃねえか。飯もいつも同じものを食ってるし、着ている服だってほとんど一緒だし、歓楽街にも足を運ばねぇ。お前はそれで楽しいのか?」
いつものようにこの組合併設の酒場に居たおじさんは、いつもの通りに酢の物を奢ってくれたが、その後しばらくずっと自分の方を見ていたので、何かあったのかなとは思っていたが‥‥。
「え、えぇ‥‥まあ‥‥」
同じものを食べているのは、それが一番美味しいからであって。
ほとんど似たような服装というか、まったく一緒のデザインの服を6着ほど持っているだけなんです。家と職場の往復だけなんでこれでいいんです。
歓楽街は‥‥体毛関係で行きたいと思えないんです。『脱毛』という言葉が世の中に広まったら行きたいと思ってます。
「そんな無気力じゃこの世の中やっていけねぇぞ、息抜きも必要だし楽しみだって必要だ。‥‥ほら! 酒くらいは覚えておけ」
酢の物おじさんは自分のテーブルに ドン! と一本の酒瓶を出して来た。
ニブレダホンマツの西に位置する鉱山都市ズイーア、鉱山でも有名な都市だが、その他工業も盛んにおこなわれており、酒造でも有名な所である。
そのズイーアの名が付いた酒瓶をずいっと自分の前に出してきて。
「今日はこれを飲んで寝ろ」
と言うと酢の物おじさんは席を立って組合から出て行った。
自分がこの席に着いてから酢の物おじさんは、いつも道りに酢の物を奢ってくれ、その後もチラチラとこちらを見ていた事から、多分出すタイミングを伺っていたと思われる。
暫くおじさんの事を見てないと思っていたが、どうやらズイーアに仕事に行っていたようだった。それでこれはお土産だろう。
お土産を出すきっかけとして、自分に対して『欲が無い』と言ったのだろうが、自分からしたら結構それは心にきます。
『無欲の気力なし』なんてここに来る前も言われていたので‥‥。
そりゃあ他の同級生たちがかっこいい車とか乗っている時、一人だけ軽トラとか。みんなオシャレしている時、自分だけ母親が買って来てくれた服を着てたし、なんなら高校時代に勝ってもらった服をずっと着ていたし‥‥。
そんなのを周りの人が見たら『欲が無い』とか思われるのも当然だと思う。
酢の物おじさんが組合から出ると、入れ替えのようにエマ君が組合に入って来た。どうやら一人の様で、組合に入って来るなりキョロキョロと誰かを探している様子だった。
そして自分の事を確認すると。
「ゴテさん居たんですね」
そのまま自分の隣の椅子に腰を下ろす。
「どうしたんですか? その酒」
「お土産だって」
「へぇ~、誰からです? 親しい人です?」
「いつも酢の物を奢ってくれる人なんだけど、お前は欲が無いし楽しみ方も知らないだろうみたいな言い分で、酒でも覚えろって感じでくれたんだよ」
「ゴテさん無欲ですもんね」
エマ君にもそう思われていたようだ。やっぱり世間の考えではそうですか‥‥。
「ところでなんですが、ゴテさんフェルドを見かけませんでしたか? ここ2日程姿を見て無いし、家にもいなかったんですよね」
エマ君はフェルドさんの事が気になっている様子、いつも一緒にいるし、互いに戦友とか言ってるしとても仲がよろしいようで。
フェルドさんがいる場所とか知らないのだが、心当たりが少々あり‥‥。
「フェルドさんの居場所とかは知らないけど、でもこの前ボールカワに行かなきゃいけないとか言ってた気がするけど」
「ボールカワ? 何をするのかは聞いてます?」
「全然。それだけしか聞いてないよ」
「そう‥‥ですか、ボールカワに‥‥」
エマ君は難しい顔で考えていたが、不意に。
「ところでゴテさん話は変わりますが、冬の間はどうするつもりですか?」
「雪もあるし、春くらいまでは仕事は止めておこうと思う」
なんでもこの国の冬は当然ながら雪が降るらしく、そうなるとドブ掃除も雪のせいで出来なくなってしまう。欲が無いおかげか、特に浪費などもせずお金を貯めて来られたので、一冬ぐらいは余裕で持つ。
他の冒険者たちも冬の間は休む者が多いと聞いているので、自分も冬の間は家で引きこもっていようと思っていたのだが‥‥。
「だったら地下の下水道の掃除とかどうですか? 天候とか関係無しに仕事が出来ますよ」
「下水道なんてあったんだ?」
「はい、初代フグラーシェマ王が衛生管理は大切だ。ってことで町を作る前には必ず大がかりな下水工事をするんです。このグンサーの地下にも結構な下水道がありますよ」
「へぇ~だったらその仕事は取り合いになるんじゃないの? 他の冒険者たちだって━━」
「それは問題ないです、ゴテさんしか出来ないと思いますから」
「あっ、なるほど」
ドブ掃除と同じで、下水にもこの世界の人達には耐えがたい成分が含まれているのだろう。
「本当なら、この国で死刑に相当する無期懲役囚の仕事なんですが、そういった囚人は王都とかデカい所に引っ張られてしまうので、こっちまでは回ってこないんですよ━━」
この国には死刑制度が無い。その為最高刑が無期懲役となる、しかし無期懲役には2種類あり、死刑に相当する者には無期懲役。そして本来の無期懲役に当る罪を犯した者には懲役200年とか500年とか判決が下る。
どちらにしろ生きてシャバには戻れないのだが、後者は一応だが長生きすれば出所する事が出来るが(不可能だが)、前者の無期懲役は一生外に出る事は出来ない。
その本当の無期懲役の者達が下水道の掃除に当たる事になっているという。
「━━それに、無期懲役囚は使い捨てですからね、どんどん数が減って行ってて、今じゃや囚人が足りないってくらいですから」
『足りない』『使い捨て』『数が減って』と言うのには何となくは予想が付くが‥‥。
「エマ君エマ君、それってさあ‥‥死ぬって事?」
「ええ、大体の囚人はひと月からふた月ぐらいで、発狂して死ぬらしいです。一応臭いを遮断する防護服とか着ているんですけど、それでも無理みたいで、下水道の中で死ぬのも結構いるらしいですよ」
「じゃあさあ、このグンサーの下水道にも‥‥」
「骨くらいは残っているんじゃないですか?」
そんなお化け屋敷みたいなところに行けと?。
お化け嫌いなんですが。
「なんでゴテさんがする事といったら、骨があったら取りあえず回収するのと、下水本体に破損個所があるかの確認、それと流れが滞っているなら突いて原因を取り除くって感じですか? 今まで下水には何の問題も無かったので、実際には骨があったら回収するくらいですかね、後は目視で確認です。どうします? やりますか?」
「仕事があるっていうならやるけれども‥‥」
人骨とか勘弁してほしいけど。
「なら申請しておいてください、防護服の準備もあるし」
「防護服とかは要らないんじゃないかな? 特にドブ掃除でも自分は平気だったし」
防護服と言ったらなんとなくもっさりした感じのイメージがあるけど、そんなのを着てたら動きにくそうで嫌だしね。
「着ていった方がいいですよ、下水だから不衛生だし、めっちゃくさいし臭いとか染みつきますよ」
「じゃあ着て行こう」
へんな病気とかに掛かったら嫌だしね。
食事をしながらエマ君との会話も楽しみ、さてそろそろ仕事に行こうかという事になった。
「そろそろ仕事に向かうよ」
「え? 終わったんじゃないんですか?」
「これからなんだ。というのも、一昨日からドブを入れておくタルが無くてね」
いつもであれば、ドブで中身が一杯になった樽を特定の場所に持って行くと、そこに新しい樽が置いてあり、それを入れ替える‥‥という事になっている。
中身が一杯になった樽は、他の人がどこかに持って行って処理をしているのだが。その作業が遅れているらしく、というのも、今まではドブ掃除をする人がほぼいなかったのでそれで足りてはいたが、自分が次々と持ってくるものだから、捨てに行くのが追い付かなくなっているのだった。
今日の昼過ぎには新しい樽が来るという事だったので、午前中はゆっくりしていただけだった。
どうやら自分は働き過ぎのようだ。
ゴテさんが行くなら自分もそろそろ戻ります。とエマ君も冒険者組合から出る。
外に出ると太陽は真上にあるが、夏が過ぎ秋に入っているので汗もかく事も無く、過ごしやすい気温になっている。
これから寒い冬が来ると思うと、鬱陶しくて仕方がない、雪かきとか面倒です。
ふと‥‥目の前の建物の屋根を見ると、そこには一羽のカラスが。
「カラス‥‥」
何となく口にした所‥‥。
「からす?」
それを聞いていたのかエマ君が聞き直してくる
「からすって何ですか?」
『カラスって何ですか?』と聞かれるとは思わなかった。
「カラスはカラスでしょう、ほらあの屋根の上に」
指を指して教えて上げるが。
「どこです?」
「ほら、あそこの屋根の上だよ」
「え? どこ?」
何度も指を指して教えて上げるが、エマ君には見つけられないようだ。
と、そこに‥‥。
「なーに見てんの?」
エマ君のパーティの仲間であり、婚約者の一人でもあるセッコちゃん。他の二人の婚約者とは少しばかり背が小さくスレンダーな女の子で、主にパーティの斥候を担当している。
そのセッコちゃんが自分達二人を見つけ、やって来た。
「セッコあれ見えるか?」
「どこどこ?」
「あの屋根の上に何か見えるか?」
「屋根の上‥‥‥‥何にもないけど?」
二人とも見えないと言うが自分には確かに見えている、そうなると自分もちょっとムキになり。
「ほらセッコちゅんあそこだよ、あの屋根の上」
「どこ? あの屋根でしょ?」
「そっちじゃないよ、あっちだって」
「あっち?」
「あっ! セッコ分かったぞあの飛び出てる奴だろ、そうですよねゴテさん?」
「それ違うよ、ただ飛び出てるだけだよ」
あっちこっちそっちどっちと3人で言い続け、終いには‥‥。
「ゴテさん、一体何が見えているんですか?‥‥」
どうやら自分にしか見えてないようだ‥‥、確かに自分には見えているのだが‥‥錯覚か?。
仕事のし過ぎで疲れているのだろうか? 今日はもう帰ろうか?
「というかゴテさんカラスって何ですか?」
カラスをご存知ではない?
「カラスだよカラスあの黒い鳥の」
「鳥なんですね?」
エマ君そこからなの?。
「見た事無い‥‥とか? 沖縄でもいたよね?」
「見た事無いですね、沖縄でもないです。そもそも外にいる鳥なんてこっちに来るまで見た事無いですから。生存している鳥なんて保護されている個体だけですからね」
500年後の地球は環境がかなり悪くなっているとは聞いていたが、鳥が飛べない程悪くなっているとは‥‥。
逆にゴミを漁られる心配はないのかな?。
ただそこでエマ君が。
「えっ‥‥?」
少しだけ何かを考えた末。
「今、黒い鳥って言いました?」
「うんカラスだからね、自分にはまだあの屋根に黒い鳥が止まっているのが見えるけど」
するとエマ君は隣にいたセッコちゃんと目を合わせた後、自分の方に振り返り。
「ゴテさん、この世界には黒い鳥など存在しません。ただ時折何かしらの原因かは知りませんが、黒い鳥が見えるという報告あるそうです。そしてその後‥‥必ずと言っていいほど魔王軍の侵略があります。
どうやら魔王軍は何かしらの力を使い黒い鳥を生み出し、それを偵察に使っているようなのです。あの屋根の右端にその黒い鳥が見えるんですよね?」
「うん、まだ止まっているけど」
「そうですか、セッコあそこだ狙えるか?」
「やってみる」
セッコちゃんはナイフのような物を取り出し、自分が指定した場所に向けてそれを投げた。
『シュッ』と風を切るように投げたナイフは、指示した場所に向かって一直線に向かい、そしてその黒い鳥に直撃した。
ナイフに弾かれるように飛ばされた黒い鳥は、当たった瞬間羽が飛び散りそして霧のようにその姿を消した。
「見えたか!」
「うん、確かに見えた!」
どうやらナイフが当たった事でその姿が見えたらしく、二人はその事を確認すると。
「魔王軍の標的はこのグンサーだ、俺は父上に報告して王都にも使いを飛ばす。セッコ悪いが他の━━」
エマ君がそうセッコちゃんに言いかけた時。
「あっ、ここに居た! 疾風のお二方! スカ―ガでサキュバス出現の報告がありました。そして多数の魔物も出現しサキュバスを囲んでいるようです。今すぐそちらに向かってもらえないでしょうか?」
冒険者組合の受付の女性が駆けつけて来て、エマ君にそう伝える。
「チッ、うう゛ん! こんな時に!。他にもパーティはいるでしょう、そっちに振ってくれ!」
いつもは優しいエマ君だったがこの時ばかりは、イライラしているようだった。
「今連絡が付くのは『疾風』だけです、もう既に2人程犠牲になっています」
「サキュバスに囲いが付いているのか‥‥クソッ! 仕方ない、分かったその仕事を受ける。だが代わりに届けて欲しいものがある」
そう言うとエマ君は組合の中に入って行く。
何か大変な事が起きている様だが、何となく自分もエマ君の後を付いて組合の中に入っていく。
エマ君は受け付けて紙とペンを借りると、それに何かを書き始め、懐から印のような物を取り出すと、それで栓をする。
「これをすぐにニブレダホンマツの公爵に届けて欲しい」
それを受け取った組合の受付の女性は少し目を見開き。
「分かりましたすぐに」
そう言って奥の部屋に入って行った。
うん、終わったみたいだし、自分は仕事に行こうか?
「なんか解決したみたいだから自分は仕事に行くよ」
そう言って組合を出ようとしたのだが‥‥。
「待った待った待った! 待ってくださいゴテさん。今日は用心の為に仕事をせず帰った方がいいです。隣町のスカ―ガにサキュバスが出たんですから念のために」
「えっ? サキュバスでしょ? パラムさんみたいな人がいるって事でしょ? だったら別に━━」
「違いますってゴテさん、俺前に言いましたよね? サキュバスの事を」
エマ君は言ったらしいが、自分は聞いてない。エマ君が言ったっていうのなら本当だろう。多分自分は話が長そうだと思って聞き流していたに違いない。
「えーっと、ごめん覚えてない」
「もう‥‥ゴテさん」
ちょっとエマ君に呆れられたようだが。
「いいですかサキュバスって言うのはですね━━」
歓楽街の女王ともいえるパラムさんが、サキュバスと呼ばれているのは知っているが、本当のサキュバスというのは、パラムさんのような人では無く、おぞましい姿で動物なのか人なのか分からないような容姿を持つ化物。
それは魔族に属するのか、それとも魔物の範囲に入るのかは今でも分かっていない。
男の性を吸い糧を得るその存在は、『見たら最後』命を奪われると言われている。
サキュバスの持つ能力『魅了』により、見た物を意識不明にしたうえでその性、つまり生であり『命』を奪う存在である。
男として生まれたからには、サキュバスの魅了には絶対に逆らえない、その場で意識不明にさせられてしまう。
だが女にはその魅了が聞かない為、サキュバス対策の為に女の冒険者を入れたい、と願うパーティーも多い。
サキュバス自体は力が弱く、刃物を持っていれば子供でも倒せるが、男では魅了がある為になすすべがない。その場で意識不明にさせられ死亡したのならまだいい方で、中には生きたまま性を吸われる生餌にされるものもいるらしい。
『サキュバスの口づけ』と呼ばれている行為で、サキュバスに不幸にも気に入られた者はその口づけを受け、意識があるまま数カ月にも渡り性を搾取される。
意識がありながらも、そのおぞましい姿に自身を貪られた者は、幸運にも助かったとしても心に大きな傷後を残し、その後の生活に大きな支障をきたす。
「━━という事です」
「へー怖いね」
イマイチ分かってないがそう答えておく。
「だから今日は帰った方がいいです。隣町に出たという事ですけど、サキュバスは結構頻繁に移動するので、いずれ運が悪かったらココに来るかもしれません」
◆◇
『だから家にいて下さい』
とエマ君には言われたが、居るのって隣町でしょう? 大丈夫でしょう。
忙しそうなエマ君と別れてから、自分は樽が空いたかどうか確認に向かった。取りあえず空になった樽だけでも回収しておこう、次の仕事の準備ですね。言われた通りに家に帰ろうと思うが、樽の回収位はいいだろう、と言う事で回収に行ったのだが。
「おうドブ攫い、悪いが樽はまだ空いてないんだ。お前が仕事をしてくれるのはありがたいんだが、流石にペースが速すぎる。もう少しゆっくり仕事をしてもいいんだからな」
なんでも捨てに行った人がまだ帰ってきていないらしい。
「お前があんまりにも頑張ってくれるから新しく人入れて、新品の樽も新調したんだけど追いついてないんだ。もう少しすればこっちのペースも上がるからちょっとだけ待っててくれ」
新品の樽を作ってくれていたのか‥‥もう出来てるのかな?
「その新品の樽ってありますか?」
「もう出来てるらしいが、忙しくて取りに行くやつがいなくてな」
「じゃあ自分が取りに行きます」
「いいのか? 悪いな、でもそうしてもらうとこっちも助かる。注文した工房なんだがな、グンサーからちょっとだけ離れた━━」
◆◇
台車を転がし、樽を取りに行くだけだった。
グンサーから少し離れた場所、30分くらい離れた人道りが少ない郊外。
そこにある工房から樽を回収するだけだったのに‥‥。
自分は見てしまった、視界の端にいたそれを。
どす黒いうようよと動いている物体を‥‥。
そして悟った。
あぁ‥‥これがサキュバスか‥‥
目の前が真っ白になり、そこで自分の意識は途絶え━━




