クトゥルフ神話の歴史(超はしょったやつ
I
1914年、米国北東部に住む一人の青年がアマチュア出版協会連合(UAPA:United Amateur Press Association)に参加しました。彼の名はハワード・フィリップス・ラヴクラフト。後に世界中に知られるようになる恐怖作家も、この時はまだ無名の若者でした。
ラヴクラフトはここで知り合ったアマチュア小説家たちの文章添削を買って出ます。ラヴクラフトの添削は文章の構成からアイディアにまで及ぶ至れり尽くせりのもので、ここで広がった交友関係が後に大きな資産になるのでした。
1923年、米国で流行っていた安価な娯楽小説雑誌に新たなタイトルが加わります。ウィアード・テイルズというこの新雑誌は、版元の社長が趣味に任せた怪奇・幻想小説の専門誌でした。ここにラヴクラフトの作品が掲載されます。もちろん高級な文学とは当時は思われておらず、原稿料も安いものでしたが、お金にあまり興味が無かったラヴクラフトは気にしませんでした。ウィアード・テイルズには、文章添削を通じて盟友となったクラーク・アシュトン・スミス、ロバート・E・ハワードらの作品も続々掲載されて行きます。中でもロバートの「英雄コナン」シリーズは人気を博し、当時の大衆誌の例に漏れず経営が不安定だったウィアード・テイルズも少しばかり原稿料をはずめるようになります。
この頃、後に「クトゥルフ神話」として知られるようになるシェアードワールドの原型が作られます。ラヴクラフトの作品を中心に、架空の地名や魔導書の名前などが貸し借りされる、ちょっとしたお遊びのようなものがその始まりでした。
II
1920年代のアメリカは、第一次世界大戦とスペイン風邪のダメージをいち早く立て直し、「狂騒の'20年代(Roaring Twenties)」と呼ばれることになる好景気に突入していました。我らがパルプマガジンもこの時代に新顔が相次いで創刊され、人気を博します。景気が良い割に安価な粗悪紙を使った雑誌が売れるというのも奇妙に思えますが、紙質による価格差が問題にならなくなったのはさらに後、1950年代も後半になってからのことでした。閑話休題、日本の出版物ではこの時代より前、明治時代には既にかなり良質の洋紙が普通に使われていたのですが、米国ではなぜか結構粗い紙が平気で本になります。筆者が'90年代に購入したペーパーバックは、その頃はもう日本ではかなり珍しくなっていた「ザラ紙」相当の紙質で、手触りがちょっと懐かしかったのを覚えています。
さて、'20年代のウィアード・テイルズはラヴクラフトやR.E.ハワード、フランク・ベルナップ・ロングら以前からの仲間たちに加え、既に実績のあった怪奇作家シーベリー・クイン、新人ではオーガスト・ダーレスや後にSFのスターになるエドモンド・ハミルトンなどを執筆陣に擁し、快進撃を続けます。中でもクインの怪奇探偵ジュール・ド・グランダンシリーズとR.E.ハワードの英雄コナンシリーズは大人気となりました。この執筆陣から、若干17歳で作家デビューしたダーレスを含む新たな仲間がラヴクラフトのサークルに加わり、のちのクトゥルフ神話世界観の重要な要素を次々に発表して行きます。
III
1929年、アメリカには大恐慌が訪れます。過熱した好景気は全て吹っ飛び、失業者はオフィスから路上へ、値崩れは株から農産物へ、倒産は海を越えて共産圏を除く世界中へ広がりました。
誰もが貧困にあえぐ中、元から安価が強みだったパルプマガジンは手堅くビジネスを進めました。この頃、高級誌と違って入稿と同時に原稿料が支払われるパルプマガジンは、文筆業の人々にとってありがたい収入源だったという説もあります。
1930年代のウィアード・テイルズは、文章だけではなく絵でも新たな才能を発掘しました。妖艶な美女の表紙絵で知られるマーガレット・ブランデイジとヴァージル・フィンレイ、恐ろしい怪物の描写で前人未踏の領域を拓いたハネス・ボク等の起用により、売り上げは好調でした。
しかし、1936年にR.E.ハワードが、37年にはラヴクラフトが相次いで亡くなります。雑誌は売れていましたが、怪奇・幻想の世界をリードした二人を失って、執筆陣は悲嘆に暮れました。
IV
1939年、ラヴクラフトの親友だったオーガスト・ダーレスが立ち上がります。同じくラヴクラフト・サークルのメンバーで詩人として活躍していたドナルド・ワンドレイと協力し、怪奇・幻想文学専門の出版社、アーカムハウスを設立したのです。
ここからクトゥルフ神話の歴史が始まったと言って良いでしょう。ラヴクラフトの遺した作品群の他、サークルメンバーらが引用しあった地名や神の名などが続々と神話の世界に組み込まれて行きます。クラーク・アシュトン・スミスの超古代大陸ヒューペルボレイア、フランク・ベルナップ・ロングが描く恐怖小説家ハワードの「宇宙的恐怖」、ダーレスの描く旧支配者と旧神の果てしない闘争、R.E.ハワードが遺した「無名祭祀書」、ナコト写本、セラエノ断章、etc.……。
アーカムハウス社は現在(2022年01月)も、ウィスコンシン州ソークシティの一角で営業しています。残念ながら英語圏で書かれた作品が中心のようで、日に日に浸食拡大を続けるクトゥルフ神話の世界も、日本での分は日本の会社に任せているようです。
(終