社会から離れた存在は、社会に守られることは無い。
世界樹というものは。山と呼ぶには小さく、樹木とするには大きすぎた。でっかい傘のように枝を広げた樹木の下で。私とコブは二人きりで座っていた。否。二人きりではないのだろう。見えなければ存在しないのと同じだが。
「話をしようか、朋友」
「仲良くなった覚えはないな」
「つれないな、アンネメナス」
くつくつと笑いながら、私の態度を水に流して話を続ける。炎の妖精のくせに水に流すとはこれいかに。
「さて、お前の妹は私の奴隷にまんまと嘘を吹き込まれたわけだが」
「……奴隷契約も、三氏会と手を組んでいたのも事実なわけだが」
「それもそうだが、あの取引は完全に私に有利な条件なのだよ。あいつが善意で契約を望んだわけではない――聞いておくか?」
「仕方ない、好きに話せ」
私が誰かに語ることは少ないな、とふと思った。今まで、様々な連中から話を聞いた。リアティティ、提督、妹、三氏会の連中。そしてコブ。だが、私が語り聞かせたものなど一つもない。あるとすれば詩だろうが、あれは私が語り掛けているわけではあるまい。私を通して、詩の作者が皆に語っているのである。
閑話休題。コブの話を聞く。
「まず、この状況――朋友たる灰の氏族が弾圧・差別され、三氏会が利権を貪る樹上社会において最も利益を得ているのは誰だ?」
「私だな」
「つまらん軽口はよせ」
あながち間違いでもないつもりなのだが。茶々を入れられると妖精も腹が立つらしい。参考になる。
「この樹上社会において最も利益を得ているのはな、私だよ私。朋友が落ちぶれ、同胞ようせいは私に力のすべてを捧げた。私の力はこの大森林の中で最も強大なものだ。挙句恋焦がれた延長を持つ実体――體からだまで手に入ったのだから、私以上に利得を貪る者はあるまい、そう思わんか? 朋友」
「肉体がそこまで欲しいか? 魂の牢獄だぞ」
「永遠に精神体のみで世界をさまよう退屈さが貴様にわかってたまるか。肉体はいずれ朽ちるが、世界に色彩を与えてくれる。動きも、香りも、全てが肉体の所与するところだ。その意味が分からない貴様如きが、どうして生まれながらに肉をもつ」
「そりゃ、生まれたからだろ」
くだらない質問だ。なぜ生きているか、なぜ肉体を持っているかなんて。考えたところで何になる。
「私は我慢ならんのだ。貴様が、エルフが、当然のように肉を持っていることが。当たり前のように生きていることが」
「でも、多くの妖精が限りある生を求めて契約するわけだろ。お前はそれにとどまらず契約者の身体を奪ったわけだ」
「それの何が悪い? 有限性のある感覚を永遠に味わいたいのだ、私は。凡百の妖精のようにただ死にたいからといって契約するわけではない」
妖精は契約をするとき、契約者と本来生死を共にする。故に強い魔法を肉を持つ身で扱えるようになるのだ。その契約からこいつが脱することができたのは、いったいいかなるわけなのか。
「フフフ、我が契約者――愚かな朋友はな、私と同様にとんでもなく強欲で粗雑でバカで……だが、面白いやつだったのだよ」
心を読んだかのようにそう呟くと、コブは遥か昔に終わった語りを、ぽつりぽつりと吐き出し始めた。
テティアメナスは、私を初めて見出したエルフだった。彼女は良く笑い、よく泣く少女だった。そして、口癖のように私に語った。
「灰色の氏族は、樹上で君臨している。でも、それっておかしな話だと思わないか。四つの氏族はそれぞれに役割を持っている。皆対等であるべきだ」
その言葉は、テティアメナスが真摯に社会と向き合っているからこそ出てくる発言だと思った。私はその在り方が美しいと思った。
そして、しばらくするとテティアメナスは私と契約することになった。私はもちろん賛成した。こいつと、こんな理想を語るやつと一緒に生きる世界は、きっと何よりも綺麗だと思った。あとの事など、見たくもない。だが、テティアメナスはそうは思わなかったらしい。
「なぁ、コブ。お前は、妖精たちは、死ぬために契約するんだろう? 逆にしないか。お前にはさ、私が生きた後の世界を見せてやりたいんだ。理想をかなえた世界はさぁ。ずっとずっときれいだと思うから。ずっとずっと見ていてくれないか?」
賛成した。そうかもしれないと思った。テティアメナスのような人間であふれる樹上を、見たかったから。私たちは必至に契約の方法を考えた。テティアメナスは私を肉体それ自身と直接的につなぐ契約によって私を殺さずに生かした。結果としてテティアメナスの肉体は妖精の永遠なる精神によって老いることは無くなった。
テティアが先導して起こした大反乱によって、灰色の朋友と我が同胞は樹上から追放された。朋友は残ったが、市民としての在り方を許されなくなった。テティアメナスはすべてが対等な世界を作りたかったのに、と泣いた。そして、その後に自殺してしまった。精神そのものを抹消する呪法での自殺だった。一言私に謝罪して死んでいった。
私は、生きる目的を失った。テティアメナスのように美しい精神を持つものはいないし、私は美しいものに先立たれて淋しかった。きれいな世界なんてありはしない。ならば。好きなままに生きて、好きなように世界を支配しよう。きれいじゃないやつの言うことなんて、聞くもんか。
世界樹にとどまり、信仰おそれを失い弱った同胞に語り聞かせてやった。肉体を持つ私となら、契約ができる。私が力を持ちそれを使う限り、炎の妖精は最強の幻想種だと。ほとんどの同胞が奴隷になった。歯向かったものは殺した。私は最強の妖精となって、三氏会と交渉した。
それから。何年何百年たっただろう。力を手に入れ、好きなようにふるまってみたものの。何一つ楽しくなどなかった。
テティアメナスのようにきれいな理想を吐くエルフは樹上にも地上にも存在しない。奴隷をあちこちにやって情報を集めさせたが、無駄足だった。リアティティという存在は、灰色を三氏会に入れようと画策していたが、彼女は理想を求めているわけではないように思えた。むしろ、何かを恐れているような雰囲気だった。ローザティアという存在は、灰色に同情的だったが、他方で構造を何とか変革させようという意識を持たなかった。理想はなく、ただ同情的だった。三氏会が子供のエルフを人間に販売しているところを目撃してしまったので、燃やした。
だが、一人だけ。異常な奴がいた。テティアメナスの理想を語るときの目を持ったエルフがいた。現実に唾を吐き、美しい世界を夢見ていた時のテティアメナスの目をした少女。アンネメナス。この少女は、汚い世界を見つめながら、きらきらと目を輝かせていたのだ。
「――というわけでだな、アンネメナス。お前にはいったい何が見えている? 何をどう見れば、盲人のお前が、どうして世界を美しいと思えるんだ? 気になって仕方がない。私はな、お前の體が欲しいぞ。アンネメナス」
「さっき私に語った『自分が利益貪ってます』アピールは何だったんだ……死にたいなら死ねよ」
私が吐き出した言葉に、げらげらと笑い始めるコブ。
「それもそうだな、どうして死なないんだろうな、私は。どうしてだと思う?」
「知るかよ」
「それはな、そうだな……お前のように退屈しないやつを待ち望んでいたからだよ! いや、長かった、実に長かったぞ小娘! お前の體をいただいて、再び美しい世界を見てやるのだ!」
「なんなんだよ美しい世界って……」
理想も現実も知ったことじゃない。私はただ目の前に広がる世界と理不尽な暴力と不遇な自身の能力を前にどうにもならないことを悟って適当に生きてきただけの、落ちこぼれエルフだ。世界をきれいだなんて、思わない。世界は世界だ。飯がまずくて人が私にやさしくない。それだけ。それだけの世界を、こいつに見せるのか?
「正直、自分が見てる世界をきれいだと思ったことは無いな。私の体を使っても無駄だぜ」
「そうやって、美を我がものだけにしようと……しているわけではないな……まぁ良い、見てみればいい話だからな。体を明け渡せ! アンネメナス」
「やなこった」
「じゃ、じゃあ私と契約しよう。体に住まわせてくれるだけでいい」
「まだ未成年なんだ」
「ちくしょう律儀にルール守りやがる」
コブはそんな私との会話に笑いながら、水筒から水を飲んだ。それは私のだ。
「……肩に空いた穴、まだ治療してなかったな。ふさいでやる」
手をかざすと、傷は見る見るうちにふさがった。さすが。
「お見事にございまする」
「喧嘩売ってるのかおまえ。……じゃあさ、あれ頼める? 詩の朗読。お前の語りはどの語り部より見事だった。惜しむらくは聞きたいところをいつまでたっても歌ってくれないところだ」
「そりゃ、何言ってたか知らねぇし」
「そこだけが難点だよな……妖精が見えなくなるのは考え物だ。いや私は見える……かな? 見えるよな?」
「知らねぇって。見えないんじゃないの?」
私はそう言うと、コブは困ったように唸る。
「別に、お前を殺してから肉体を奪えばいいんだけど、それだと死体だから腐るんだよな……精神的な機能を維持しつつ体を盗めればいいんだけど」
物騒なことを言いやがる。魂の殺人を企んでいる。防人さんこいつです。だめだ、こいつ三氏会とつながってる。防人役に立たない。
「とやかく考えても仕方ないか。とりあえず歌ってくれよ。大英雄が草木の呪いを受ける話とか、割と好きなんだけど」
「弓、弦がダメになってる。演奏はできない」
「私の弓を使いなよ。テティアメナスもそれなりの語り部だった……というか、当時は一般教養だったんだよね」
弓を渡されてしまっては歌うしかあるまい。リアティティからの仕事も、コブからの要求も。流されて流されるままな気がする。本当の私はどこにいるのやら。
流されている私こそ本当の私だろう。くだらない問答は辞めて、弦を爪弾く。ぽろん、とこぼれるように鳴った。
「――妖精コブに語り聞かせることに一つ。かの大英雄が、砂漠より帰還したときのことである」
「そこから始めるのは遅すぎるだろ。砂漠越えの前から話せ」
「……締まらないな」
私がしまったことなど、一度もない。いや、やってしまったことならいくつもあるな。しかし、お望みとあらば。歌うことくらいはやぶさかではない。
別に、契約も嫌じゃないんだけど。コブの目的を考えると、やっぱりうなずけない。後悔はしてほしくないのだ。
詩を歌い終わると、コブはご機嫌な様子で手を打って大笑いした。
「いや、見事見事。いかにして空気感を醸すかを伝統的な手法を守りながらよく心得た、素晴らしい歌だった」
「いい音楽とは何か、アンタには分かるみたいだな」
正直、私にはわからない。音楽の善し悪しを理解できるエルフはいない。エルフにとって歌というものは妖精に捧げる以外の価値を持たないのだ。
「どうだ、アンネメナス。その歌に免じて契約を許してやる。内容はそうだな……」
「あくまで私のうちに住むだけ、死んだら肉体と一緒に朽ちる。それを守るなら契約してやる」
「バカ言え。あくまで私が主でお前が従だ。黙ってしたが……え?」
突然、コブの胸元からにゅるっと槍が飛び出た。ちっぽけな心臓を、槍が貫いたのだ。私も反応できない。間抜けな顔で、間抜けな声が出ただけ。
葉衣を脱ぎ捨てて、正体を現したのはクソガキだった。
「――へへ、お姉さんと妹さんを殺そうとしたって、そうはいかんぜ」
葉衣は正体を隠し、暗殺を可能とする。確かにクソガキに預けておいた。だが、しかし、どうやって?
「お姉さんの血をたどってここまで来たんだ。こいつ、なかなか油断しなかったから危なかったぜ」
得意げに笑うクソガキを見て。血を口からがぼがぼと吐き散らすコブを見て、咄嗟に抱き起す。
「おい、さっさと契約するしかねぇぞ、お前。私の条件で契約するしか選択肢はない。美しいものを見るんだろ、さっさとイエスって言えよ。なぁ、おい」
「――おい、お姉さん、なにを」
「うるせぇ、クソガキは黙ってろ!」
「……悪くない。悪くない。そうだな、仕方がねぇ……その契約条件で、乗ってやるよ」
「よしッ、それでこそだ! 我が名はアンネメナス。炎の大妖精、コブとそれなりに命運を共にしよう。――わが身に宿れ、契約は成立する」
刹那。私とコブの間に真っ赤な光が走り、そして、私は。
「……なるほどな、これが魔力か。これが妖精か」
――妖精が、魔力が見えるようになった。空をふよふよ浮かんでいる幼い男女。そして、万物からにじみ出る無限の生命力。これが、魔力か。
「……お姉さん、契約したのか」
クソガキが、後ずさりながら震えた声で呟いた。私は軽く応じる。
「まぁ」
「どうして、あんな奴と」
わかり切ったことを尋ねやがって。一蹴する。
「そりゃ、こいつしかいなかったからな」
「なにが」
「――私と話せる妖精が。こいつを置いて他にはいない。チャンスはコブだけだったんだよ」
私にとって初めての妖精。唯一の契約可能性。憧れていたものと契約する好機を作ってくれたクソガキには、感謝するしかない。
かくして私は。こぶを取り返した。そして、炎の妖精の怒号にさらされることとなったのだった。
「朋友! 今すぐに裏切り者を焼き殺しに行こう!」
「朋友! 我らからすべてを奪った連中を焼き尽くそう!」
「朋友! 未だに主との契約は有効だ、我らに力を与えてくれ!」
復讐を果たせと叫ぶ炎の妖精の絶叫に苦笑する。案外エルフと変わらんな。殺意も悪意も憎悪も山盛りだ。私にとっては見慣れた風景。少し違うのは、その黒い感情は私には向けられていないということか。
ぎこちなく笑いながら、熱狂を手で制する。
「まぁ逸るな」
魔力らしきものが私の中にも流れている。その感覚に集中し、腕に魔力を通していく。ちりちりと肌に熱が籠っていく様子。そして、やがて、私の肌から黒煙がもうもうと噴出した。
「なるほどな」
私がそうひとりごちると、炎の妖精は大歓声を上げた。
「殺そう! 殺そう! 殺そう! 殺そう!」
クソガキが、私を見て「予言の……」とかなんとか呟いている。
「いったん黙ってくれ、朋友」
しんと静まった。
「君たちは分かっていると思うが、コブが弱ったせいもあって私が半ば君らとの契約を引き継いでしまった。だが、これは君たちが望んだことではないだろう。契約を解除したいものは、直ちに解約しよう」
誰一人として、声を挙げなかった。
「加えて、私との契約はやや弱い。だから、力を与えることができるのは半分までが限界だろう。さっきよくわかった」
皆が、一様にうなずいた。こいつらは、私との契約をきっと自力で千切ることができる。命の炎が極端に弱まった主人との奴隷契約を、弱まったまま引き継いだのだから。力を持った主人に従う奴隷契約は、主人が力を失えばないも同然だ。だが、連中は私とつながることで形式的には「エルフと契約」できている。要するに、炎の妖精が行使する魔法はすべて防人と同格の威力を誇るということ。
私との契約で力を保ったまま復讐をできるのだ。こいつらは契約を保つだろう。私が奴らの意に沿う限りは。だが。
「私がまず森に行く。その三時間後に来るといい。君たちの復讐が成功するように、ちょっとした露払いをしておく――健闘を祈る。あ、あとこいつは殺すなよ。大事な私の助手だからな」
生まれて初めて、生まれてきた意味が分かった気がする。私は、たぶんこの時のために生まれてきたのだろう。きっとこの進軍を止めることはできないから。私の故郷に、終わりが近づいている。