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エルフの森が燃えた。  作者: 久瀬クレア
前章 エルフの森が燃えた。
6/17

調停に納得いかない場合、共同体から離脱することとなる。

 筆を執り、丁寧に文章を綴っていく。するべき仕事をするだけ。ただそれだけ。私はそれを先にせねばならない。明日にでもやろうと思っていたが。妹が死にに行くのを見過ごすわけにはいかない。だから必死に文章を書き続ける。一心不乱。クソガキが喚き散らす声も、今はもう聞こえない。

 エルフの筆記具は紙と筆。竹の持ち手部分と上質な鹿の毛で作ったものに、ちょっとしたまじないをかけたものだ。インクは――かつて同胞が作った炭だ。大量の貯蔵があるらしいが。炎の大妖精に作らせているのもあるだろう。どれだけ炎から逃れたくても、文明を作る以上熱がいる。そのことをこそこそと隠しておくから。膨らんだいびつさが、暴発する。


 妹はその一発。はじけ飛んだものの一つだ。


 灰色と言うだけで、何人もの人間が死んで来たか。灰色の髪を持つというだけで、どれほどの屈辱に耐えてきたか。

 蓄えられた憎悪は、憤怒は。いずれ行き場を失えば。それが最良だったが。力を手に入れたそれらは、指向性を持って飛んでいく。どこへ飛んでいくか。己の破滅へと飛んでいく。

 地下を牛耳る提督は、与えられたわずかな力を誇示した。あの力さえあれば、恨みを晴らせると豪語した。

 病に苦しんだ妹は、炎の妖精の演説に耳を貸した。あの力さえあれば、憎しみもこれまでだと笑った。

 違う。そんなものは間違っている。それを知っているのは、私だけか? そんなはずはない。あの子たちが憎悪を向けるべきなのは、三氏会じゃない。樹上じゃない。社会じゃない。

 でも、それは。きっと正しい判断じゃないかもしれないから。私は、筆をおいた。


「クソガキ。これ以上ついてきたら死ぬぞ」

「お姉さん、なにを――」

「妹を助けに行く。三氏会の意思決定議会は毎日日没と同時に始まる。妹はそれを狙うはずだ」


 リアティティの家に報告書を置いてから、私もそちらに向かう。日没に間に合うかどうかは、かなり微妙なラインだ。

 クソガキをちらりと見る。クソガキは、笑っていった。


「いいよ。死なばもろともさ」

「私のこと、おいてった癖に」

「それを言われると困るな」

「大いに困れ、盗人が」


 袋に入れていた、食べかけの桃を投げてよこす。こいつは飯食ってなかった気がしたから。恵んでやった。


「なんだこれ。ぐじゅぐじゅしてて気持ち悪い」


 クソガキは投げ捨てた。人の慈悲を何だと思ってやがる。皮肉気に口を歪めた。


「ここからは、休憩なしだ。んじゃ、行くか」


 頑張りなさいよ、と声が聞こえた。うるさい。頑張っても無駄だ。……自分のことに限っては。あるいは、他人のことに関しても。

 たった一人の家族のために、無駄かもしれないと思いながらあがくのは。悪いことだろうか。根性が腐っているだろうか。

 答えは多分。イエスなのだろう。



 リアティティは私の近くに暮らしている。教師なので豪邸を構えることもできるはずだが、彼女はあえてそうしない。安い食堂でまずい飯を食い、人と暮らす。そうして彼女は積み上げてきたのだ、信頼を。

 私がそばにいるのも彼女の評価を際立たせる。灰色にも優しく接する彼女は、公平な人間として極めて高い評価を得ていた。彼女はきっと私が殴られまくったことを掴んでいる。市場にでているはずだ。私への誤解を解くために。あれでなかなか彼女は雄弁だ。かくして私への誤解は解け。報告書により三氏会は弾劾され。


 リアティティはこの社会の王になる。一人で(あるいは数名の協力者と)社会秩序を築き上げ、樹上の統治を盤石なものとする。


「最初から、この絵が見えていたのか。先生」


 そうだったなら大した策士だ。笑うしかない。ただ一つだけ、聞いてみたいことがある。リアティティの描く盤石な社会に、灰色は含まれるかどうか。

 灰色が含まれるなら、それはそれで問題だ。含まれないなら、以前と変わらない。彼女は、そのあたりを理解できているのだろうか。


 考えている間に、リアティティの家に着いた。素朴な家。水がめと、いくばくかの食料と、弓と大量の書物。いかにも教師である。丁寧な字で「外出中。御用の方は要件をこちらにお書きください」なんて立札と木の板があるので、「約束通り金をよこせ。アンネメナス」と白墨チョークで書きつけ、小窓から報告書を放り投げておいた。


「これでよし!」

「いや、杜撰な仕事だなぁ……」

「急ぎの用事があるんだから仕方がない――。ちょっと待て。先生にはもう一つ用事があったんだった」


 家の扉を蹴り破って、クローゼットを空ける。あった。木の葉でできた上着にそでを通す。


「泥棒……?」

「お前に言われたかねぇな、クソガキ。これがないと三氏会の連中に見つかっちまうからな」


 着心地の悪いそれは、リアティティの秘密道具の一つ。姿隠しの葉衣はごろも)。風の魔力を宿した大樹の落ち葉で作られており、音や気配の一切を断つ。これさえあれば、妹が戦う三氏会の連中の隙をついて、妹を助けて脱出できるはず。多分。戦って助けるとか。そんな無理はしない。


 日没まで、あと三十分。

 走れば、何とか間に合うだろうか。知るか。やれるだけやってみよう。



 ――木の上で、対峙する四人を見る。クソガキを抱えつつ全力で走ってきたため、正直吐きそうだ。水筒から一気に水を飲む。


「クソッ、間に合わんかったか……」


 クソガキを抱えていなければ間に合った。と責任転嫁したいところだが、クソガキは風の妖精に謝り倒して手を貸してくれたので結果は変わらなかった。むしろ、最善でこれだったというしかない。

 妹は大きな声で三氏会の老人三人を糾弾した。


「水の妖精と契約したエルフは、炎の妖精の魔法を唯一防ぐことができた。でも、水魔法は攻撃手段に乏しくただ『負けない』ことに留まった。風の妖精と契ったエルフは、炎の魔法よりも攻撃的だったものの、相性が悪く灰色の氏族に服従した。炎の妖精に打ち克つことができる唯一の氏族は、土の妖精と契約した白髪の氏族だった。それも、樹上で暮らすうちにそのことを忘れてしまった。――もともと、四つの氏族が協力して暮らしていればこんなことにはならなかった。灰色だけが悪いんじゃない。それなのに、責任を押し付けてのうのうと生きている。私は、こんな世の中。滅んじゃえって思うよ」


 話が長くて、半分以上聞き流していた。黙り込んでいた老人たちのうち。白髪のじじい――私と話をしたやつだ。彼が、口を開いた。


「偉そうにモノを言うな。灰色の幼子。のうのうと生きている、と言ったが。人は皆それぞれの苦悩を抱えて生きている。自分たちだけが辛いなどと思いあがった物言いはよすのだな」

「論点をずらすな、老害。貴様らが『不当に』苦難を私たちにもたらしているという話をしているんだ」

「不当? 不当だというのか? では貴様らがかつて三つの氏族を奴隷のように扱った過去は正しかったとでも?」

「論点をずらすな。これで二度目だ。灰色の氏族が不当だったことは今貴様らがしていることが正しいことを意味しない。わかっているはずだ。お姉ちゃんが仕事に就くこともできずにへらへら笑うしかない腑抜けになったのも、私の病を治すことができなかったのも。長く続いた社会よのなかのゆがみじゃないか」


 私は抱きかかえているクソガキの方を見てそっと囁く。


「今私の悪口言わなかったか?」

「お姉さん、断片でしか話を聞いてないじゃん」

「不毛な話だからな。どうでもいい」


 正しいとか正しくないとか。今自分がしていることについて考えるべきだというなら。私の大事でかわいい妹よ。病人の時から病人のくせに健気だった私の妹よ。

 お前が今三氏会に対して行おうとしている暴力的な解決だって。きっと不正なんじゃないか。


「それで、我らが正しくないからどうするのだ? 殴るのか? 殺すのか? 平和的な解決はできないのか?」

「……これは義挙だ。私が成人になったら相性の悪い妖精と契約させられて、防人になるしかなくなる。そうなれば、灰色の劣等生として世界に埋もれてしまう。そうなる前に。いつまでたっても反省を見せずに卑怯な差別を扇動する貴様らをここで殺す」

「……姉の方はもう少し頭が切れたが」


 白い髪の老人は、手をかざした。ここからは殺し合いになるのだろうが。魔力が見えない私からすれば。何が起こるかも、何が起きているのかもわからない。

 困った。割って入ったときに超高密度の魔力放出などがなされていたら私は即死だ。タイミングを逃した。このまま、戦いが始まってしまう。戦いを始めたら。死ぬ。死ぬ。死ぬ。妹は、確実に死ぬ。


「――クソガキ、これ持っといてくれ」

「お姉さん、なにを」




 死ぬのは。私一人で十分だ。木の枝から、飛び降りた。思ったよりも高い。着地の準備を整えつつ、一気に落ちていく。

 風を切り、ぐんぐんと迫る四人の手前で、ごろごろと転がる。着地は失敗。


「お、お姉ちゃん!?」

「ほう、こいつが例の――」

「いったいどこから」


 どいつもこいつも好き放題言っている。私も好きに言ってやる。


「――こぶを返すぜ」


 やはり、英雄のセリフとしては意味が分からないらしい。誰もかれもが首を傾げた。

 しかし、それでも。なぜか。運命は転がり始めたらしい。


「よくもまぁ、私の名を言い当てることができたな。めしいの少女、アンネメナス」


 木の祠から現れたのは、肌が褐色のエルフ。髪は灰色。目は赤く輝いている。こんなエルフは、同胞は見たことがない。


「なッ、貴様は出てくるなと言うておいただろう!?」

「いうことを聞かせたかったなら魔法的な契約をするべきだったな、老害」


 くつくつと機嫌よさげに笑う。皺はないが、雰囲気は完全に年寄りだ。この女、何者だ。


「コブ。私の名をよくぞ言い当てたな。返すぜ、ってのはよくわからんが……とにかく、調べつくしたのだろう。さすがと言うほかない。気に入ったぞ」


 気に入られても、何もできない。あと勘違いだし。こいつは私があってきたあらゆる存在の中で一番バカだ。


「その名前……あなたが炎の妖精王」


 妹がそう呟く。疑問でいっぱいだ。ちょっと待ってくれ、情報が氾濫している。


「まてまて、妖精ってこんなに大きいのか!? それに、私に見える妖精って、一体全体どういうことだ」

「おいおい、私の事調べている割に大事な情報は抜けてるな」


 誤解したままのバカの突っ込みが虚しく響く。妹まで呆れたような目だ。


「こんなに大きいわけないでしょ。炎の大妖精コブは、かつて契約していた灰色の氏族の長。テティアメナスの遺体と強く結びつくことによって肉体を受けたの」

「えっとつまり?」

「妖精が死体に宿っているの!」

「じゃあ死んでないのでは?」

「確かにそうかもしれんな」


要領を得ない話だ。魔力も妖精も。私にとっては縁のない話なのだから。


「まぁ、盲人に語り聞かせたところで世界の色は分かるまい。だがな、それでもな盲人の少女よ。お前を私は気に入った。私とともに来るがいい。まぁお前に決定権はないがな、がはは」


 そして、妹を指さして言った。


「バカな方は死ね」


 刹那。指先から何かが放たれる寸前に。とっさに妹に覆いかぶさる。背中にすさまじい熱を感じた。熱い。


「お、お姉ちゃ……」


 背中に攻撃をされたわけではなかった。肩口に穴が開いていた。感覚なんてとことんあてにならない。小さく舌打ちをする。


「おっと、邪魔をするな」

「するだろう、妹は元気になって外を走り回ることもしたことがないんだからな」


 それくらいの経験はさせてやりたいと思うのは。おかしなことだろうか。


「シャリアメナス。お前は、妖精と仲がいいか?」

「えっ、うん……炎以外とだって、それなりには」

「そっか。じゃあ、大丈夫そうだな」


 普段、当たり前に忘れていること。そして、子供の頃は私以外は経験していること。それが、地上への落下である。

 遊びの中で当たり前に、エルフは樹上から落ちていく。橋を架けても、手すりをつけても。事故は避けがたい。しかし、エルフは死なない。妖精が助けてくれるから。――きっと、今回の事でも助けてくれるだろう。


「シャリアメナス。地下の提督に助けを求めろ。役に立つ連中には思えないけど、きっとそれなりに助けてくれるはずだ」


 それだけ言って、妹を蹴り飛ばした。


「さて、わざわざ追っていく暇はないぜ。私がお前たちに立ちはだかるからな」


 恰好をつけてにやりと言うが。勝算はゼロ。足止めはできて五分が関の山だ。


「考えたな、盲人。逃げ場ってものは案外どこにでもあるものだな」

「さぁ。私にはないな」


 徒手空拳を構えるが。いつどこで魔法が飛んでくるかもわからない状況で勝てるはずもなく。私はタコ殴りにされて意識を失った。



 妹は生きているだろうか。私は生きているのだろうか。クソガキは、何もしなかった。あいつは私の何を手伝っているつもりなのだ。何が助手なのだ。

 地上をずるずると引きずられながら、目を覚ました。私を引きずっているのはコブだった。


「……どこに連れていくつもりだ」

「炎の妖精が住まう原初の地。世界樹だ」

「私にとってはただのくそでかい木だな」

「そうでもないかもしれんぞ……せっかくだ、ここらで少しだけ休もう」


 私の足を放すと、コブは木の根っこに腰かけてにやにやと笑った。


「お前、歌を知っていたな」

「…‥?」

「先日、歌っていたろ? 中々悪くなかった」

「聞いていたのか、いったいどこで?」

「奴隷の情報は私にも伝わる」


 その言葉にはっとした。くだらない気付きだが、してやられた。妹をだましていたか、あの妖精は。


「本当に、ひでぇ奴だなお前は。性根が腐ってやがる」


 私の謗りを聞いても、コブは肩を震わせて笑うだけだった。


「ふふふ、なんとでも言うがいい。私には私の目的がある。お前にはお前の目的が……あるのか?」

「さあな」

「ないのなら、お前はとっくに根無し草だ」


 その言葉に、反論したかったが。何も思いつかなかった。私の性根は腐っている。それでも、性根それ自体は残っていると思っていた。思いたかった。だがしかし。どうやら私には、そんなものもないのかもしれない。


「でも、私に目的はきっとある」

「なんなんだ、それは」

「わからない」

「ならないんじゃないのか? 世界も見えず、目的もない。この世に存在する意義もない。お前みたいなやつに、何ができるんだ」


 そんなこと知らない。邪悪な顔で馬鹿にされても。呆れた顔で説教されても。何も見えない。頑張りなさいよ。うるせえ。


「頑張れば、人くらいは殺せるんじゃないかな」

「……あっそ。できれば見ものだな。つくづく不気味だな、お前は」


 不気味ってなんだ。私からすれば妖精とかいう目に見えない謎めいた存在の方がよほど恐ろしい。見えない存在に、何度も何度も驚かされて。めちゃくちゃ迷惑してるのに。それなのに、コブのふざけた態度を見ていても。


「小さなころから、アンタと話してみたかったなぁ……」


 妖精という存在へのあこがれは、不思議と消えることは無かった。

 コブは呆れた顔をしている。


「変なことを言うエルフもいるもんだな、全く」


 変なことなものか。妖精が見えていれば、ここまで根性が腐ることもなかったはずだ。多分。


 




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