人間関係の問題は、利害関係か感情的なもの。あるいは、どちらでもある。
前回までのあらすじ。地上に何の手掛かりもなかった私は、樹上へと帰ることにした。のだが。
上を見上げる。太くて高い木が天高くそびえている。
「どうやって上るんだ、これ」
「……お姉さん、ホントに妖精と仲悪いんだな」
「仕方ねぇだろ」
「ま、お姉さんがそれでいいなら別にいいけどさ。俺が上からひもを垂らすよ。それであがりな」
めちゃくちゃ不安定。正直怖いが、それ以外に解決策がないようだし仕方がない。私はうなずいた。
何事もなく樹上についた。散々不安定だのなんだのと思ったが案外余裕だった。こういう時。ついつい恥ずかしいと形容してしまいがちだが。どちらかというと「きまりが悪い」だと思う。
「きまりが悪いな」
「お姉さん、私と出会ってからきまりが良かったことなんて一度もなかったぜ」
「うるせぇ」
「顔面から落ちてくるし」
「……うるせぇ」
「妹さんにはバカにされてるし」
「好き放題いいなさる」
「それに――」
「それ以上は言うな」
私は声を鋭く尖らせて言葉を放。クソガキは黙った。へらへらと笑っている。私は、完全になめられているらしい。こちらからもなめまわしてやろうか。畜生。
それはさておき。今日はもう疲れた。この一日で地上へ降りて、樹上に帰ってきたわけで。もうあたりもだんだんと暗くなりつつあった。
クソガキのおかけで地上への伝手は手に入ったし。次に情報を集めるべきなのは妹と本命である三氏会の連中だが。
妹はいつでも何とでもなるが。三氏会の連中が簡単に尻尾を出すとも思えない。小さく舌打ちをしつつ、干した林檎を口に放り込んだ。
「お姉さんだけいいもの食べてる……」
「いいものでもなんでもねぇよ。欲しいなら食うか?」
リアティティから奢られた飯を袋の中に蓄えているのだ。たいていは日持ちする干した果実だ。こういうあさましいことをするとリアティティは顔をしかめるが、育ちが悪いのは彼女もご存じの通り、ということだ。かびが生えたらさすがに捨てる……捨てないな。平気だ。そんなことで腹を壊したこともない。私自身の根が腐っているからその程度気にする必要が無いのである。
クソガキにも少し分けてやると、無邪気に食らいついている。ありがとうとかなんとか言っている。ちゃんちゃらおかしな話である。
明日には便所の中で神様に謝ることになるのに。根性が通ったやつにかび付きの林檎は毒だ。
「それはさておき、三氏会への潜入を考えないと」
ぽそりとつぶやく。そろそろ家が見えてくるころだ。
地上に無断で行くことは当然ながら法規に違反する。樹上に無断で来る地上の人間もしかり。このクソガキは盗人だしばりばりの犯罪者なのだ。私はリアティティの許可を得たと主張すればどうにかなる……多分。
家の前に行くと、リアティティが立っていた。真っ青な顔で、こちらを見ている。
「こんばんは、先生。言っておきますが今朝言われた仕事をすぐにこなすなんて器用な真似は私にはできませ――」
私の言い訳じみた挨拶を彼女は遮る。
「違う」
「違うって、なにが違うんです?」
私の問いかけに、声を震わせながら彼女は言った。
「また、被害者が出た。二人目の焼死体だ」
「は?」
「三氏会は、今回も捜査をしないらしい」
「……また未成年、とかですか?」
「違う。防人だ」
防人とは、エルフの戦士のことである。妖精との契約を済ませ戦闘の適性を認められたものが防人となる。防人でも特に優秀であると認められた人間が教師となるのだが、その話は今関係ない。
防人が被害者で三氏会がまたも捜査をしない。本来ならば絶対にありえないこと。事故などで済まされるわけもないことだ。
「さすがに、三氏会が事件にかかわっているとみていいだろう」
「あ、先生も気づいてたんですね」
「あほたれ。食堂で三氏会の悪口なぞいえるか」
リアティティは私を軽く小突いた。
しかし、妙な話である。三氏会が自らの利権やら何かのために同胞を焼く時点で相当まずいが、これ自体は正直支配者の闇、みたいな。いかにもありそうな話だし、一人を焼くくらいならさもありなんという話なのだ。
しかし、どれだけ馬鹿でもこう立て続けに人を焼き殺して「捜査しません」なんていえばみんながみんな三氏会への信頼を失うのではないだろうか。というか、失うだろう。
炎の妖精か、樹液の魔力かは知らない。三氏会が地上と同じ発想を持っている可能性は考えられる。だが、こうも明らかだとかえって恐ろしいところがある。
「アンネメナス。少し危険な仕事になると思う。だが、この調査。続けてくれるか?」
「先生。水臭いじゃないですか。死なばもろともですよ」
私がそう言うと、リアティティは感激したように抱き着いてほおずりしてきた。
「お前、しばらく見ないうちに立派になったなぁ!」
「毎日顔合わせてるじゃないですか、もう」
死なばもろとも。そんなわけもない。死ぬのは私だけ。断れば妹が死ぬ。受ければ私が死ぬかもしれない。前者の選択肢はあり得ない。
死ぬのは私で十分である。リアティティも、妹も死ぬ必要はない。こぶを取られるのは私一人でよいのだ。取られたならそれはそれでありがたいんだったか。
「踊りの練習でもしますかね」
「――アホは踊るのが好きだって言うな」
リアティティは相変わらず手厳しい。愛の鞭なのだろうか。
家に入ると、妹が眠っていた。机の上には処方されたであろう薬の小瓶。ちゃんと病院には連れて行ってくれたらしい。
安心してため息を漏らす。
「妹さんは妖精に好かれてるんだな」
ポツリと漏らしたクソガキに言葉に振り替える。
「――分かるのか?」
「いや、誰だって分かるだろ。妖精が妹さんを守るようにこっちを見てるじゃん」
「……そうか」
そんなもの知らない。――妖精は私を避けて隠れているんじゃないか、とずっとずっと小さいころに泣きじゃくった記憶がある。幼い日の愚かな私。今も元気に愚かなのだが。
「私に、妖精は見えない。声も聞こえない」
「え?」
エルフならば誰しもが容易にできること。妖精との対話が、私にはできないのである。それが、嫌われる理由。
三年後に、契約する。それまでに妖精が見えなければ。私は何と契約することになるのか。得体のしれない何かと契約することへの嫌悪を常に持っている。
座り込んで、持ち歩いている弓の手入れをすることにした。クソガキも、呆然と突っ立って黙りこくっている。そして、私の弓の奇妙な点に気づいた。
「お姉さんの弓。弦が四本ついてる。使えるの?」
「弦が一本でも使えないからな。少しいじったんだよ」
「戦士の誇りをいじった……」
知ったことじゃない。エルフの誇りも、妖精も。私にとっては取るに足らない些末なもので。灰色であることに罪悪感を持ち続けなければならない立場で、誇るものなどあるわけもない。
代わりに、弦をはじけばぽろん、と音が鳴った。
「この音。悪くないだろう」
私がそう言うと、クソガキは頭をひねった。
「わかんねぇ」
わからない、か。それもそうか。
「音の善し悪しってそもそもなんなんだ……?」
私も含め、この森にはバカしかいないのだから。
「バカに音楽は分からんな。――妖精に語り聞かせることに一つ。古い古い昔話をしよう」
弦をかき鳴らしながら、言葉に調子をつけて口を開く。語り続ければ三日はかかる物語。エルフに伝えられた昔話。特定の人にしか許されない、弓の改造の持つ本当の意味。
今日はその一節だけ、久々に語ってみようか。
「お姉さん、語り部ができたんだ」
感心するようなクソガキの声がする。それほどすごいことでもないだろう。誰にでもやろうと思えばできること。詩の朗読くらいはできるはずだ。弓の方はしらん。
大森林にいた、妖精の王とエルフが結んだ友誼。それから、すべてが始まったとされる――。
――歌い終わると、クソガキも思わずと言った風に拍手していた。
「お姉さん、それを仕事にすればよかったのに」
私は鼻で笑い飛ばす。
「妖精に語り聞かせる物語を、妖精が見えない女が歌うのか? あんまり寝ぼけたこと言ってんじゃねぇぞ。――ほら、さっさと寝ろ。明日も早いんだからな」
妹が病院に行く前に、「夢で聞いた話」を調べたい。そう思いつつ、私は目を瞑った。
翌日。目を覚ます。妹はくぅくぅと寝息を立てて眠っていた。早く起きすぎたらしい。伸びをして、水がめから水を汲んで一杯飲む。水の妖精と契約したエルフは水汲みの仕事をするのが一般的だ。泉や木の水分を妖精に取り出してもらい、それを売る。必要不可欠な仕事で、主に金髪の氏族がそれを担当する。
「――ふぅ」
水を飲めば、多少頭もさえるようになる。寝ぼけて靄がかかった世界が晴れていく。なんとなく、そんな気がする。
「私って、何なんだろうなぁ」
生活に水も風も、土だって不要なはずがない。――エルフは火を捨てて仙人じみた暮らしを始めた。でも、火が全く不要なはずがない。熱も光も。私たちには必要ではないか。
その具現たる妖精に嫌われている。それはいったいどういうわけか。私なんて、いらないんじゃないか?
必要なものが不要なものを嫌うのは、ひどく道理に合っている。根性が腐っている。環境のせい。灰色の髪の色のせい。それだけか? ひょっとすると、私はもっともっと根深いところで。とんでもない勘違いをしているんじゃないか――。
「考えても無駄だな」
頭を振って思考を追い払う。根が腐っている人間に根深い何か、なんてあるはずもないだろうに。
飲み切ったはずの杯を見ると、水で満たされていた。妖精のいたずらだ。見えもしない存在は、時折嫌がらせで存在を主張する。
今回のは、嫌がらせになっていない。くすりと笑って水を飲もうとした瞬間。水が一気にあふれ出した。
「んぐ……ッ!?」
慌てて杯を放り捨てる。顔面はずぶぬれ。髪もぐっしょりだ。
「お姉ちゃん、朝からうるさいよ……水がめに頭でも突っ込んだの?」
呑気なことを言いながら起き上がる妹。くそ。こぶを取ってやろうか。
「突っ込むかよ。水の妖精にやられた……多分」
「ふぅん」
「そんなことより」
妹に、妖精の話について聞かなければならない。
「そんなことより?」
「お前の言う『夢の話』と。ローザティアが焼け死んだ話について、知っていることをすべて話せ」
妹のために金を稼ぐ私が。妹を雇い主に突き出すことになるかもしれないというのは、甚くままならない話である。
妹はそれを聞くと、落胆したような顔で呟いた。
「つまらない話だなぁ。私が妖精と契約して殺したとして。お姉ちゃん、どうするわけ?」
「どうもしない。どうかするのはリアティティだ」
「なるほどねぇ、嘘っぱちじゃん。それはどうもしてるんだよ」
「シャリアメナス」
「なに?」
「聞かれたことに答えればいいんだよ」
苛立ちを隠さずにそう言うと、妹はなにやら文句を言いたげな様子である。しかし、ぽつりぽつりと言葉をこぼし始めた。
「――夢の中で、妖精が話しかけてきたのは、学校に通ってた頃からだから。だいたい、三十年前かなぁ……。朋友が疎んじられ、我々は追いやられた。許されることじゃないって、散々愚痴を並べてさ。うるさいなぁって散々文句言ったんだけど。つれないなぁ朋友なんてにやにやしてさ。……ほんと、困ったやつなんだよね」
文句を言いながらも、その顔にはうっすらと笑みが浮かんでいた。まんざらでもないのだろう。きっと、素敵な素敵な関係を築き上げているのだろう。私の知らない関係だ。
「妖精の名前は……いえないけど。あの子、私に助けを求めてたんだ。夢の中に妖精が現れる、なんて話はよくあるけどね。辛いとか、助けてとか。そんなことを言う子は一人も聞いたことが無くて。だから、気になったんだけど。――追いやられた妖精が、世界樹でどんな暮らしをしているか。知ってさ。怖くてびっくりしちゃったな」
追いやられたものの生活。よく知っているつもりだ。棍棒で殴られる。そして初めて役に立つ。あるいは、こぶをつけられる。
「炎の妖精はね、契約する朋友を失って、全ての妖精の故郷でも肩身の狭い思いをする。はずだったんだけどね、炎の大妖精は考え付いたんだ。他の妖精から炎の妖精がバカにされないように。『炎の妖精』という種への畏れを保つために。――自分以外のすべての炎の妖精を自分の奴隷にしたの」
絶句する。集団のために、その集団のほぼすべてを犠牲にするなんてことが。あり得るのか。
「でもね、炎の妖精たちはそれでもいいと思ってたんだ。自分たちの存在証明が精神的な要因に依存することはよく知っていたから。力のために、炎の大妖精に自己存在そのものを委託する魔法的な奴隷契約を結ぶことを決めた。炎の大妖精は最強の妖精としての力を手に入れ、他の妖精すべてをしのぐ力を手に入れた」
灰色は力を失い、土を食む生活の中にいるが。炎の妖精はそうでもないらしい。
「でもね、秩序は少しづつ狂い始めたんだ。炎の大妖精は、朋友たる灰色の氏族を差し置いて、三氏会と接触を始めた。多くの妖精が反対したかったけれども、無駄だった。ほとんどの妖精たちは絶対服従を強いられていたから。……決して、叛逆は許されないから。それで、三氏会は炎の妖精の力を借りて、何を考えているか。私のところへと来た子は、偶々契約から離れる機会を得た子なんだけどね。三氏会の言っていることを許せなくなったんだって」
まさか、妹から三氏会に連なる情報を得ることができるとは。ごくりとつばを飲み込む。
「三氏会はね、炎の妖精の力を借りるふりをして。彼らそのものを消し飛ばしてしまうつもりらしいんだ。最早灰色も、その復権の鍵になりえる大妖精も。不要だって。大妖精が騙されているのが見ていて辛いって。だからさ、お姉ちゃん。――私からも。炎の妖精を、助けてあげて」
思わずため息を吐きたくなる話だ。同胞を奴隷にする要請を助けないといけないのか。しかし。これを断ったときに、妹にこれを言った妖精が何をするかわからない。私に選択肢はない。こぶを取られた気分だ。必ず、こぶを返してもらわなければなるまい。