社会における問題のほとんどは、人間関係に起因する。
ガキを家に連れてくると、妹は興味津々でその子のことを見ていた。ボコボコにされて目を開かないが、ちょっとしたら意識を取り戻すだろう。
「この子、どうしたの? 私より年下だねぇ。学校は行ってないのかな」
「今日は休みだ。仕事の関係でこいつに用があってな……」
妹は近い年代の人間と接する機会が限られている。学校に行くことも病弱故にあまりできずに卒業できてしまった(要領がいいらしく、あっさり試験に合格したのだ)。それゆえか薄汚いクソガキでも話してみたいと思うらしい。
「てか、お姉ちゃんが仕事ぉ? 嘘ついてもダメだよ」
「生憎、嘘じゃねぇんだ。おかげでお前も病院に通えることになった。先生が紹介状を書いてくれるはずだ」
「あー、先生の小間使いか。それならお姉ちゃんにもできそうだね」
「うるせぇ」
私にもってなんだ私にもって。まるで私が何もできないみたいに言いやがって。事実かもしれないが。まだ何もしてないのにできないかどうかなんてわからねぇだろ。
妹の額を指ではじく。いたいなぁ、と頬を膨らませているのを見て留飲を下げた。そんなことをしていると、クソガキが意識を取り戻した。
「……ここは?」
「樹上だ」
「お姉さんは?」
「アンネメナス。地上への伝手が必要でな。盗人のお前の身柄を引き受けることになった」
「――樹上の人間が地上に? 何の用で?」
「……」
妹をちらと見る。聞かせていいものか、一瞬迷ったが。別に構いやしないだろう。あえて聞かせて反応を見るのも手だ。
「樹上のエルフが焼け死んだ。私はその調査をすることになったわけだが、地上の関与を調べておこうと思ってな」
「なるほど。また俺たちを犯人扱いってか?」
「まぁそうとも言える。あんたらから犯人が出なければ必然的に灰色髪ってことになるしな。こっちも死活問題なんだよ」
「……どのみち身内なんじゃないの? 地上にだってあんたの氏族連中はしこたまいるぜ」
「そうかもな。――ほれ」
林檎を渡してやる。これっぽちのために死ぬほど殴られたのだし、やらないとかわいそうだ。
「これは」
「買ったんだよ。私が。地上への手引き、お願いできるか?」
「……ああ。お姉さん、案外いいやつだな」
「お前、名前は?」
クソガキに尋ねると、彼は林檎をほおばりながら答えた。
「バルトプロメア。よろしくな、お姉さん」
「名前で呼べ、クソガキ」
「……あんたもな」
おたがい育ちが悪いからだろうか。このクソガキとは馬が合いそうだ。クソガキが林檎の芯までしゃぶっている。とことん意地汚い。地上暮らしなら根は深そうだ。根が深いだけあって根性は腐ってないらしい。
盗人の根性が腐ってないならだれの根性が腐っているのだ。私だ。バルトプロメアの根性は私には関係ない。私は誰とも関係なく、腐り切っているらしい。
「じゃ、とっとと行くか」
私の仕事にも関係ない。
「お姉ちゃんさ、私にも用事がありそうだね」
「そのうちな」
妹が犯人である可能性から目をそらすことに、根性は関係ない。単に度胸がないだけだ。妹は契約していない。していないなら、焼き殺すことなどできない。
頑張りなさいよ、と誰かが囁く。余計なお世話だ。
地上は陰気なところだ。風の妖精の力を借りれば安全に下りられる、と笑うクソガキに私は妖精に嫌われている、と告げるときょとんとした顔でこちらを見てからにやりと笑った。
「灰色髪でもなかなかいないぜ、そこまで嫌われてるのは」
「うるせぇ」
「妖精から好かれるコツを教えてやろうか、お姉さん」
「聞くだけ聞いてやる」
「背筋を伸ばして歩くことだな」
けらけらと笑うクソガキを見てため息をつく。人をからかうのはあまりよくない。私が猫背であることは関係ない。殴られるのに怯えて体を縮めるのが癖になれば誰だって背筋はひん曲がる。根性みたいに。懐かしい記憶に目を細める。
「となると、地上に降りるために紐か何かが必要だな。死にたくないなら」
「なんだ、そういう理屈ならあまり降りるのに苦労はしないな。先に行け」
私が不敵に笑うとクソガキはこてんと首を傾げ、お姉さんがそういうならいいけどよと言って下へとゆっくり降りていった。爽やかな風がひゅぅと吹いた。その砂交じりの風が顔面に吹く。質の悪い悪戯だ。良い悪戯があるのかは知らんが。
妖精は昔からこうなのだ。私が弓を引けば風は必ず明後日の方向に矢を運ぶ。雨が降れば私だけは土砂降りで。土いじりは樹上では誰もしないがどうせろくな目に遭わないことくらいわかる。私の邪魔をしてけらけら嗤う声もたまに聞こえる。
「――死ぬか」
そう口にして、飛び降りる。私の命なんてどうでもいい。リアティティもそう思ったから私を鉄砲玉のように使ったのだろう。妹からもバカにされる。私と違って優しいとか灰色のくせにいいやつと言われる妹からも、だ。しかも彼女は炎の妖精と仲がいいらしい。要するに、だ。
望まれていない何者わたしが生きる理由なんてこの世界には一つもない。
皮肉気に口を歪めると、それにこたえるように突風が吹き荒れた。
顔面から着地した私を見て、クソガキは笑った。
「とことん嫌われてるみたいだな」
「……おかげさまで」
あふれる鼻血を止めるつもりも起きず、だらだら流しながら答える。風の中にとどまる時間が長い投身自殺なら必ず邪魔されると踏んでいた。邪魔されなくても死ぬなら死ぬで構わなかった。リアティティなら私がいなくても真実にたどり着く力を持っているだろう。
地上に降りるのは初めてだ。木々の葉に日光は遮られ、どこかじめじめとしている。エルフたちが座り込んでおり、その眼は異様にぎらついていた。飢えている。それは分かる。食事に飢えている。それだけじゃない。日光に飢えている。木々の間を歩く日々に飢えている。何もかもが不足した目だ。私とクソガキを見ているわけではない。関心も持っていないらしい。
「一応、お姉さんを灰色のところに送り届けりゃいいかい?」
「そうだな。ま、それでいいけど」
「……提案なんだけど、俺を助手にしないか?」
「は?」
「金目当てとかそんなんじゃねぇよ。あんたといると退屈しなさそうだ」
そう言ってクソガキは笑う。好きにしろというと、また笑った。能天気そうでうらやましい。私も自分の人生を悲観したことは無い。お互い様のすっからかんだ。何も持たないと身軽に笑えるものだ。蹴ればさぞかしでかい音が鳴るだろう。それの何が悪い。薄味の人生をのっぺりと生きるだけだ。
鼻血はいつの間にか止まっていた。
「私も人手は欲しいからな。いざという時は手伝ってくれよ」
「保証はしかねます」
真面目ぶってクソガキはそういった。どいつもこいつも小賢しい。地上も樹上も変わらない。
光の少ない地上を歩く。その途中でクソガキは人間から聞いた話をぺらぺらと教えてくれた。こぶを取る話だった。
「で、鬼どもはじいさんの舞いを見て言うんだな。大事なこぶをあずかっておく。返してほしくば再びここに来るのだってな」
「へぇ。大事なもんなら取りにいかないとな」
「……こぶはじいさんにとっては不要なもんなんだよ」
「じゃぁ勘違いしてますよって教えてやらねぇと」
「お姉さんさぁ、茶化すのは辞めろよ。好都合だと見たじいさんはそのまま行かなかったんだよ」
「ひでぇ。鬼も楽しみにしてたろうに」
「茶化すなって言ってるだろ。――続けるぞ」
結局他のじいさんがこぶを押し付けられたらしい。人間の話は理解しがたい。鬼たちとの約束はどうなったんだ。理不尽な話だ。
「あんた、根性が腐ってるな。一々うるせぇぜ」
「お前は林檎じゃないみたいだな」
「はぁ?」
盗人から言われるようじゃ世話がない。棍棒で叩かれるのは結局私のようだ。鬼が舞いを見て喜んだのも。じいさんと約束をしたのも。嘘じゃないと思うわけだが。鬼ともう一人のじいさんに同情するのは悪いことかしら。まぁいいか。じいさんからすればこぶがなくなって大満足。それでいいのだ。
「なかなか面白い話だな。気に入った」
「散々文句を言ってそれかよ。ホントいい加減だな、お姉さんは」
気に入ったからこそ文句を言うのだが。それを口にしても不快な表情をするだけだろうから思うことにとどめる。
かっこつけるときの決め台詞にしようと思う。
「なぁ、ぎりぎりの危機を助けに来た英雄が開口一番言うべきことってなんだと思う」
「藪から棒だなお姉さん。そうだな、助けに来たぜ、とかでいいんじゃない?」
「こぶを返すぜ、ってのはどうだ?」
「――わけわかんねぇ。こぶを持ってたんならアンタ鬼じゃんか」
「鬼みたいに強い英雄ってのは?」
「妖精に嫌われてる奴が英雄になれるかよ」
正論が刺さる。別に英雄になりたいわけではないが。こうも否定されるといたたまれない。ちょっと思いついただけの話でここまでみそくそに言われる謂れはないだろう。それもこれも、私が――。
「ついたぜ。地上の中でも下の下の下、灰色髪の連中の住処だ。もはや地上ですらないな、これは。地下の連中だ」
私の目の前には、地下へと続く長い長い階段があった。目の前のはやせ衰えた老人が門番かなにかのように座っていた。
「ひどい言いぐさだな、バルトプロメア。樹上に赴いたと聞いたが」
「あー、ちょっと失敗してな。今は樹上の野暮用に付き合ってるんだ」
「結構なことだ。――随分と身なりのいい灰色髪だな。地上へようこそ」
「そりゃどうも、地上の旦那」
私を以てして身なりがいいと形容するとは、よほど地上はろくでもないらしい。樹上の繁栄とは雲泥の差。否。樹上の繁栄はこの連中によって支えられている。
どれだけ三氏会が隠そうとも、地上からとれる石や鉄、人間たちとの交易をおこなうのは地上の連中だ。人間から「真のエルフ」を隠すために、彼らは人柱となった。それがリアティティの語る歴史の裏側だった。彼女は私にそうした裏事情をぺらぺらと話した。口が緩すぎないかというと、彼女は平然と「お前に何ができるんだ」と一笑に付した。今思えば彼女の小間使いとして教育されていたのかもしれない。
それはさておき。今は私の仕事をせねばなるまい。
「単刀直入に言う。樹上で起きた焼死事件について調べていてな。一応アンタらにも話は聞いておきたいと思ったんだ」
「筋の通らねぇ話だ。樹上の事件なら樹上の灰色髪が犯人だろうに」
「炎の妖精と堂々契約できるやつは樹上にはいねぇよ。私は手がかりを調べたいだけ」
「あのなぁ、樹上のことなんて俺が知ってるわけはないだろうに。……まぁいい。頭……提督って名乗ってるんだったな。提督に遭えば色々分かるんじゃねぇか。入れ」
地上の連中に何ができると思っているわけでもない。私の中では犯人は三氏会と妹の二択に近い。それに地上の連中が一枚かんでいる可能性を考えただけ。たまたまクソガキが私の前に現れたから利用しただけ。
だが、地下に隠れ家を持つこいつらは案外キナ臭い。ローザティアが死んだことに関わっているかはさておき、樹上を揺るがすような陰謀を胸中に隠しているのではないだろうか。
老人の案内についていく。地下は想定以上に広く、文献で読んだアリの巣に近い構造だった。いくつもの部屋に分かれ、大量の灰色髪が行きかう。こちらをちらちらと窺う様子には強い敵意というものがなく、かえって居心地が悪いような気がした。
「樹上のエルフは皆が皆私に冷たいからな。こうも好意的な目で見られるとかえって照れるな」
私がそう言うと、老人もクソガキも苦笑いする。
「別に誰も好意的な目では見てないだろ」
「ああ。みんなアンタのことを好奇の目で見てるだけだ」
「好奇ってことは好きってことじゃないのか」
「全然別では?」
なるほど。まぁ別に構わない。もっと「根性腐りの灰色が!」って目でも気にしないんだがな。……ま、個々のやつらは灰色だからそんな目は向けられないか。根性の問題は各人の気質によるが。
老人が一つの部屋(地下のくせに、扉までついている)の前で立ち止まるとこちらを振り返っていった。
「さて、ついたぜ。提督の部屋だ」
「てか、提督ってなんなん」
「俺らをまとめる人だ」
「三氏会みたいなもんか」
「一人だがな」
一人で集団を統率するのか。そんな方法が長続きするようには思えない。リアティティの話では集団における意思決定は複数人で利益調停することで行われなければならないということだった記憶がある。これは確か……学校で習ったのか。
それはさておいて。提督とやらに見えようではないか。
「提督、失礼します。樹上からの客人です」
こんこんと扉をノックしてから老人は声をかける。扉を隔てて、元気そうな女性の声が聞こえてきた。
「ほう、樹上から! いよいよ我らも無視できんようになったか! 気づいてしまったか! 髪の色を聞こうではないか! いや答えるな当てて見せる……金髪だな、それも大氏族と見た!」
「いえ、同胞です」
「……はぁ、入れろ」
やり取りを聞いて思う。顔を合わせる前からがっかりされた。中々ない経験に笑ってしまう。
「ま、入れや客人」
「……おう」
扉を蹴り開ける。中には仰々しい机に椅子が置いてある。酋長のような服を着て偉そうに座る少女の前には、「ていとく」と書いてある札が置いてあった。
「樹上からはるばるご苦労。私の名前はクリスレイメナス。提督と呼んでも構わんが。君の名前を聞かせてくれるかな?」
「アンネメナス。樹上の教師リアティティの依頼で調べることがあってな。地上に赴いたわけだ」
「ほう、樹上の教師! 君はそんな立場の人間と関係があるのか」
「あー、アンタが期待するような関係じゃない。単なる小間使いだよ」
それを聞いて、クリスレイメナスはふぅとため息をついた。
「まぁ、そう簡単にいかないよなぁ。というか、今樹上にことが露見するのはまずい」
「きこえなーい。私は何も知りません」
「はいはい。ったく、樹上の情けない同胞を見せつけられて嫌になる」
失礼な。地下でふんぞり返ってる同胞もそれ相応に滑稽だろうに。私が睨むと、クリスレイメナスは頬杖をついてこちらに尋ねる。
「どうでもいいや。要件は?」
「先日、樹上で焼死体が発見された。この件について、知っていることは無いか?」
「――樹上で朋友と契約はできんか。まぁ、お前は単純に嫌われてるようだし地上でも契約は結べそうにないが」
「……アンタも契約しているようには見えないが」
話を変えたくて口を開くと、クリスレイメナスはにやりと笑った。やや人を小ばかにする笑いだ。
「もはや妖精と契約して操る古の魔術魔法だけなど愚の骨頂。これからは魔力を操る体系魔術の時代よ」
「たいけーまじゅつ?」
聞いてしまったが最後。提督様はくそ程長い話を始めた。
「妖精の契約には弱点が二つある。一つは契約する妖精の強さによって使うことができる魔法の出力が制限される。一つは契約する妖精の属性しか使うことができない。古風な魔法だ。契約するために百十年もの月日がかかるのも考え物だな。私ならあと五十年は待たねばならん……。ともかく、魔法を使うのに乗り越えるべきハードルが多すぎる。そのくせ使い勝手はよろしくない。それを解決する術を人間から学んだのだよ」
長い。あくびをかみ殺しながら提督様を見る。彼女は得意げに小さな色付きの硝子瓶を見せつけた。内側には琥珀色の液体が入っている。
「これは大森林の樹齢三百年の木々から抽出した樹液だ。強力な魔力で満たされている、劇物だな。――この樹液を、特殊な魔道具にはめ込む……装填するって言いかたを人間どもは使っていた」
魔道具も得意げに見せびらかしてくる。これは……人間の侵入者が持っていた弩に近い形状だ。少し違うことは、弦が無いことくらいだろうか。
「魔法銃、と私は呼んでいる。人間の持つ鳥銃マスケットの形を模しつつ小型化した、専用の魔法礼装だ。これに樹液の魔力を満たせば、あらゆる属性の魔法を使うことができる。術式の指定は難しいが……攻撃魔法はお手の物だな」
いずれ他の魔道具も樹液で動かせるようになる、と笑う。全身を魔道具で固めれば。樹上の防人だちも怖くない。らしい。
「このこと、樹上の教師に伝えてもいいぞ。我らは弱くない。もう貴様らとも対等になれるのだとな」
正直、どうでもいい。私が求めていたものはここにはない。こんなくだらないコンプレックスを引きずる連中が、樹上で殺人に関与しているとは思えなかった。――というか、事が露見するのはまずいって言ってなかったか。とことん適当な提督だ。
提督様の小さな小さな野望は。所詮は地上の発想だ。
樹上の防人の頂点には、ちんけな小細工を弄したところで勝てるはずもないのだが。