エルフも社会性と高度な知性を有する限りでは人間である。
殴られて。初めて役に立つんだよ。
前書き
大森林には、エルフが暮らしている。大陸中の常識である。では、エルフとは何か。――この問いに答えることのできる人間は少ない。なぜなら、エルフを直接見たことのある人間は限られるからである。
得意げに、エルフのことを語る人間もいる。だが、彼らのほとんどが誤った知識や偏った知識しか持たない。曰く、エルフは清廉潔白で嘘を嫌うだとか。森の恵みをわずかに享受し、清く貧しい暮らしぶりの中にいるだとか。炎の魔術を得意とした、褐色の肌の持ち主だとか。
これらの情報はもちろんながら実態を的確に表したものではない。エルフは、大森林の中で。人間同様に、共同体しゃかいを作って暮らしていた。
さて、もう少しだけ、エルフという種族の話をしよう。
彼らは、森の中で暮らしていたが、人間のように境界をはっきりはさせない。人間なら森で暮らそうと考えたならば「木を切り倒して」「ひらけた場所をつくり」「外敵対策をする」。自分たちが暮らす場所とその外側を意図的に区分することで人間は安定した生活を得る。そういう意味で人間は「境界を作る」。森を排除することで森で暮らすことが可能になる、と換言できる。
エルフは、木を切り倒すことはほとんどしない。彼らは木の上で生活をするからだ。木の間に橋を架け、木をくりぬいて家にする。森林の上に無数のエルフが暮らし、森の果実や木の実を食べる。肉を食らう必要がないため、鳥や小動物とも共存が可能である。彼らは森を支配する。――もっとも、巨大で頑丈な木々が生い茂る大森林でしかそうした生活は不可能だ。
長々とエルフの話ばかりで疲れただろうか。これで最後にして、本題に入っていこう。エルフの森が燃えるということは、大森林が燃えるということ。燃えてしまえば終わり。故に彼らは炎を忌み嫌う。――しかし、エルフの村は燃えてしまった。エルフの社会は離散してしまったのだ。
そのきっかけは随分古くまでさかのぼれる。あらゆることが原因だったし、原因ではなかったといえる。複雑な問題なのだ。
でも、そうだな。ひとりの少女がきっかけだった。その少女の話をすれば、大まかな経緯は分かるように思える。
エルフの少女、アンネメナス。彼女がその原因であったといえる。
エルフたちは、妖精と契約する。風の妖精。水の妖精。土の妖精。三種の妖精のどれかと契約することで、その属性の魔法を操ることができるようになる。
百と二十の年月を重ね成人として認められれば、私も妖精と契約することができるのだ。あと半年ほどか。正直、あまり興味はない。
私は干した林檎を口に放り込み、咀嚼する。味が濃厚になり、酸味も幾分かマシだ。食味のない林檎は大森林では不人気な果実だが、干し林檎だけは人気がある。安くて美味いからである。
くちゃくちゃと林檎を噛みながら、弓の手入れをする。エルフ同士の争いや、人間の侵入者と争うためのものである。矢をつがえて、弓をキリキリと引き絞り。狙い撃つ。こんなことはエルフならば十歳でできることだが。
私がそうしていると、隣に同い年のエルフが座り込んでこちらをのぞき込んできた。ローザティアだ。
「へたくそなくせに、弓の手入れなんてしてるの?」
開口一番ひどい言いぐさだった。いつものことだと軽く流す。
「へたくそだからさ。道具にはしっかりこだわらないとな」
「そういうのを無駄な努力だって言うの。やめたら?」
無駄な努力、か。口を歪めて笑う。
「じゃあアンタの努力は有意義なのかい?」
ローザティアの容姿を横目でちらと覗き見る。白く透明な肌。さらりとした長い金髪。よく表れたつややかな肌。美しい容姿をしている。――右頬に走る傷以外は。
意味が分からない、と首を傾げたローザティアに言葉をダメ押ししてやる。
「手入れされた髪の毛も、化粧の術も。醜く走る頬の傷の前では等しく無意味なんじゃないのかい? ――不細工なんだ、器量にこだわった方がいいんじゃないか?」
「この――ッ、アンネメナス!」
「そう怒るなよ。お前が始めた喧嘩だぜ。売り言葉に買い言葉ってやつだ」
そう言って肩をすくめると、眉を吊り上げながらこちらを睨みつけて。一言だけ言い放った。
「言霊は売買できるもんじゃないから」
だったら、自分の発言には気を付けてほしいものだ。矢があれば射殺していた。もっとも、私の腕では当たらないが。当たらないことと射ないことは違う。どれくらい違うか――林檎と梨くらい違うだろう。
根性が腐ったやつと根無し草くらい違う、と言い換えてもいいかもしれない。とにかく、違うのだから。
弓の手入れを終えて、立ち上がる。私をちらと見ては、気まずそうによその方を向くのは年老いたエルフばかり。若いエルフは、私を侮蔑のこもった眼で見る。先ほどのローザティアもそう。私をバカにして、嘲り嗤う。
生まれてからずっとそうなら、私の性格もゆがんでしまったのも仕方がないと言えないだろうか。根性が腐ったやつなのだ、私は。
飯でも食おうと立ち上がると、ちょんちょんと肩をつつかれる。振り向いた先にいるのは、銀色の短い髪の女性、リアティティだった。
リアティティは村の先生を務めていて、私もその教え子の一人だ。私が教えられたときは彼女は新任の教師で、若く不慣れな様子だったことをいまだに覚えている。あれからずいぶん経つが、若々しく私と並んでも同い年のようである。エルフは八十年やちょっとじゃそこまで老いないが、ここまで若い人も珍しいだろう。
「アンネメナス。ローザティアの傷をバカにしたな」
怒ったような口調で、こちらを睨むリアティティ相手に肩をすくめると、肩を思い切り掴まれた。
「あの傷がどういう経緯でできたか、他でもないお前は知ってるだろう。どうしてバカにした」
鋭い言葉を向けられる。私は内心バクバクする心臓をよそに、何でもないように答えた。
「ローザティアに原因があるとは思いませんか?」
「知らん。聞いてなかったからな。だが、お前はあの傷のことを馬鹿にしちゃいけないんだ」
「どうしてですか」
「ローザティアが何を言ったかは知らない。だが、あの傷はそもそも――」
「先生。あの傷が私についていて、ローザティアがそれを笑ったなら。先生は同じように怒るんですか」
言葉を遮って放たれた私の質問に、リアティティは真面目な顔で答えた。
「もしもの話には答えられません」
私は、力を抜いて息をついた。相手にしてもしょうがない。反省したふり。それで解決だ。
「わかりました。今度ローザティアにあったときに謝ります」
「初めからそう言えばいいんだ。くだらない屁理屈を言うんじゃない……ほら、行くぞ」
「行くってどこに?」
「飯。おごってやるよ。どうせ金ないだろ」
リアティティは、私の肩をぽんぽんと叩いてから先を行く。私はそれについていった。いつもの安い大衆食堂だ。大してうまいわけでもないのに繁盛している理由は、一つしかない。交通の便が良く、安いから。
リアティティは席に着くと、店員に慣れた口調で注文した。
「酒と適当につまみを頼む。ほら、アンネメナスも頼むといい」
「……じゃ、酒と漬物盛り合わせで」
エルフは調理に火を使わない。たいていの料理が発酵と乾燥である。生のまま盛り合わせることもあるが。……ひどく口に合わないものが多い。生まれてからおいしいと思ったことのあるものは、人間から奪った干乾びた肉くらいだ。こっそり食べたのがばれて、何度も殴られたことを覚えている。
肉も出せない飯屋が繁盛するわけもない。出された酒を一思いに飲みほして、文句を言う。
「人間みたいにたらふく肉が食べたい」
「エルフは肉を食べない。知らんのか」
「どうして食べないんですかね? 病みつきになるから?」
「違う。食べる必要がないからだ」
滔滔と私に語るリアティティの口調は、説教をしていたかつてのそれと全く一緒だった。
「いいか、不要なことをするべきじゃない。必要なことを粛々とするべきなんだ。そうすれば、自分に見合った生活ができる。そうは思わんか」
「根性が腐ってるやつがするべきことって何だと思いますか」
咄嗟に出た言葉に、しまったと思う。説教が長くなる。ただでさえまずい飯がまずくなる。後悔先に立たず。
リアティティは、胡桃を口に放り込んで、言い放った。
「叩かれることだ」
「は?」
「根性が腐ってる奴は、棍棒で叩かれるべきだ」
案外簡潔な言葉で終わったリアティティに、抗議した。
「それ、何もしてないじゃないですか」
「なんだと」
「根性が腐ってる奴は、叩かれてしまいじゃないですか。何をしたって言うんですか」
「そうだな……人の役に立ったんじゃないか」
「叩かれると、人の役に立つんですか」
「それが、必要なことだって話だな」
リアティティはぽろりとそう零すと、でかい声で酒のおかわりを要求した。私もそれに倣ってでかい声で「麦酒をよこせ! 人間のとこから来た、上等な奴だぞ!」というと、店員に怒鳴られたのだった。
「うるせぇぞ!」
「うるさいとは何だ、客に向って」
「どうせ金払いはリアティティだろうが、ボケ」
それを言われるとせつなくなってしまう。金が無いのは私のせいじゃない。仕事が無いのが悪いのだから。
口の悪い輩だ。腹が立って、小さな声で文句を言うのだった。
「言霊は売買できないんだぞ、気をつけろ」
「そうでもないらしいぞ、知ってるか? アンネメナス。人の世界の裁判では、司法取引ってのがあるらしい」
「しほーとりひき?」
「ああ、罪人が罪を認めれば、減刑されるらしい。金銭ではないが、言霊の売り買いといえるんじゃないかな」
「嘘つきばかりだな、まったく!」
私がそう叫ぶと、皆が奇妙な目でこちらを見た。まるで、お前が一番の嘘つきじゃないかと言いたげに。
肩をすくめて、漬物を口に放り込んだ。さして旨くない。よくこんなものに金が払えるな、とリアティティを見る。彼女は首をかしげながら酒を呷った。
そして、ためらいがちに口を開く。
「で、どうだ……その、妹の調子は」
「何も変わりありませんよ。上向くわけでもなく、下向くわけでもなく」
「そうか……お前もお姉ちゃんなんだし、いつまでもノラついてるわけにもいかないだろう?」
本題はこれか。仕事もせずにふらふらしている私への小言が言いたかったらしい。だが、私をはたらかせてくれるところなどどこにもない。
「だったら、先生が雇ってくださいな。小間使いくらいならできるんじゃないですかね」
「……どうしても仕事が見つからなければ、考えてやる」
断られると思っていってみたが。リアティティの小言を聞きながら仕事をするなんて御免だ。
最後の漬物を口に放り込んで、言ってやる。
「棍棒で人を叩くような奴も、十分根性が腐ってるんじゃないですかね」
一瞬首を傾げ、ああそのことかといいたげな顔をしてから。リアティティは言った。
「愛の鞭ってやつ」
「棍棒じゃないか」
棍棒は鞭ではない。それくらい知っている程度には、私は無知ではない。私の不満げな顔を見て、リアティティはため息をついた。
「屁理屈ばかりだな、お前は」
納得いかない。
家に帰る。家といっても朽ちた大樹の空き家で、見た目も中身もボロボロだ。眠りについている妹を起こさないように床に寝そべった。
妹――シャリアメナスは病である。治療法はあるが、私たちを見てくれる病院はほとんどないし、見てくれる病院は治療できない小さな診療所なのである。
……私たちが人からバカにされたり胡散臭い目で見られたりするのには訳がある。リアティティは私たちを心配してよく様子を見てくれるが、彼女も偏見から逃れえないということはよくわかる。単純な理由。私たちが灰色の髪の毛をしているから。それだけ。それだけだが、エルフの社会では重要なことなのだ。
かつて、エルフは四種の妖精と契約することができた。土、風、水に加えて。炎の妖精と契約していた。炎の妖精の力はエルフとの相性が悪く、契約する者は少なかった。しかし、炎と強い親和性を持つ灰色の髪をもつ氏族がいた。彼らは、炎の力で森を支配した。炭を焼き、燃料として、繁栄した帝国を大森林に築き上げたのだった。
しかし、過ぎた力は身を亡ぼすだけ。大森林のすべてを薪とせんばかりの繁栄に他の三氏族が立ち上がり、灰色の氏族は追いやられ、炎の妖精は灰色の氏族を見捨てて逃げ去った。灰色の氏族は以後弱い妖精としか契約できず、小ばかにされるようになった。
知るかよ、と言いたい。昔の話と私は関係ない。妹もそうだ。だが、彼らは言う。年老いた、かつてを知るエルフは「歴史から逃げるな。それはお前が背負うべき傷だ」と。かつてを知らないエルフは「歴史は関係ない。お前個人がダメな奴なのだ」と。私は分からない。誰を燃やしたこともない。炭ってなんだ。罪ってなんだ。棍棒ってなんだ。愛の鞭ってなんだ。
「結局、愛の鞭だってわかんねぇよ」
「お姉ちゃん、帰ってたんだ」
妹が体を起こしてこちらを見ていた。私も座って妹と向き合う。
「起こしちゃったな、悪い」
「気にしないでいいよ」
「じゃあ気にしないよ」
シャリアメナスは私の軽口にふっと笑う。この子は、健気である。病人のくせに。病と精神は関係がない……わけではないが、一日中家から出ることもできない割に性格は優しい。私とはえらい違いだ。
母は随分前に死んだし、父は生まれてから見たこともない。身寄りがない中お互いをしるべとして生きてきた。姉妹の絆は深いのである。
私の根性が腐っていることと、妹が健気で優しいことは関係なく。私が棍棒で叩かれても、妹が愛の鞭で叩いてきたとしても。私たちはずっと仲良しでありたいなと思う。妹が私のことを嫌いでなければ、だが。
「どうしたの、お姉ちゃん。間抜けな顔して」
「ひょっとしてシャリアメナスは私のことが嫌いか~?」
「変なこと言い出した……お姉ちゃんっていっつもおかしいよね」
「そんなことはない」
私は極めてまともで普通である。
「そんなことあるよ」
「……じゃあもしシャリアメナスが外に出て、『アンネメナスはまともです』って言う人と会ったらその認識は改めなよ」
私の言葉に、妹はまじめくさった顔で答えるのだった。
「もしもの話には答えられません」
「どいつもこいつもそればっかだ」
こんなのをどこで覚えてくるんだか。屁理屈はどっちだと言いたい気分だ。あんなのでよく教師が務まるな。妹まで変なことを言い出してしまった。
妹を教育したのもリアティティだった。このみょうちくりんな言い回しはあの女によるものだろう。
私が勝手に腹を立てていると。
「そういえば、お姉ちゃんはもうすぐ妖精と契約するんでしょ」
妹が、思い出したように口を開いた。私は苦虫をかみつぶしたような顔をしただろう。それはそうだ。弱っちい木っ端妖精と契約して何をするんだ。当たらない弓矢で何ができるんだ。
妹は私の様子を気にも留めずに言葉を並べる。
「炎の妖精と契約しなよ」
「……はぁ? お前、勉強しただろ。炎の妖精は灰色の氏族を見捨ててどこかに去った。その居場所は誰一人として――」
「知ってるよ。妖精が帰る場所なんて一つしかない。大森林の最奥、世界樹と呼ばれる全地において最も巨大な木。お姉ちゃんも、知ってるでしょ」
「なんだそれ。聞いたこともないけど」
「夢の中で話さないの?」
「誰とだよ」
「炎の妖精と」
「……さあな。そもそもそんな連中と何を話すんだよ」
妹は病に侵されて変な夢を見るようになってしまったらしい。明日にでも病院に連れて行かなければなるまい。
「炎の妖精は言っていたよ。復讐したいって。大森林から盟友を一掃し、我らを閉じ込めた連中に死をもたらすんだって」
妹がそう語った翌日、ローザティアの焼死体が発見された。焼け爛れた顔に、右頬の傷がわずかに確認された。