19 カレキットの村へ
19 カレキットの村へ
カレキットの村までは荒野が広がっていて、遠方には、さきほど先発した人夫たちの馬車が見えた。
御者席でトランスを駆っていると、隣に座っていたティフォンは服の襟をパタパタさせながら喘ぐ。
「ふー、あっつい。ねえユニバスくん、カレキットまではどのくらいなの?」
「そうだなぁ、普通の馬車だと2時間くらいだが、トランスなら15分ってところじゃないか?」
そう話しているうちに、トランスは人夫たちの馬車の背中を捉えていた。
荷台の人夫たちは、ギョッと振り返る。
「見ろよ、あれ! さっきの小僧じゃないか!?」
「ホントだ! あのガキ、馬車なんて持ってたのか!? 生意気だ!」
「いや、置いてかれたのがよっぽど悔しかったんだ! きっと借り物にちげぇねぇ!」
「しかし、すげえスピードじゃねぇか!?」
「おい、御者! もっと飛ばせ! あんなガキに現場に先に着かれてたまるかっ!」
「ムチャ言わないでください! これでもめいっぱい飛ばしてるんです!」
そうこうしている間に、俺たちの馬車と人夫たちの馬車は並んだ。
人夫たちはますます慌てた。
「クソがっ、このままじゃ抜かれちまうぞ!」
「おいみんな! こうなったら俺たちで『漕ぐ』んだ! 俺たちの力が加われば、あんなヒョロいガキと魔導馬なんてブチ抜きよ!」
「よぉし、やってやる!」
人夫たちはなにを思ったのか、荷台にあったツルハシを手に取る。
そして野太いかけ声とともに、馬車の荷台から地面にツルハシを突き立てはじめた。
その様子を見ていたティフォンとイズミは、珍しい動物の奇行でも目撃したかのように、目を丸くした。
「うわぁ、あの人夫さんたち、なにやってるの!?」
「こ、怖いです!」
「ああやって船みたいに漕ぐことで、馬車のスピードを付けてるんだよ」
「それって、効果があるの?」
「もちろん、全く無いわけじゃないよ。でも、今やる意味は全くないな」
請け負ったクエストが目的地までの早期到達ならまだしも、現地への移動を急ぐ意味は特にない。
彼らはトランスに抜かれるのが嫌で、意地になってるだけだった。
「に……人間の殿方がお考えになっていることは、本当にわかりません……」
「そうだよねぇ! こんなにカンカン照りのなかを、あんな風に暴れたりしたら、汗びっしょりになっちゃうよ!」
ティフォンの言うとおり、照りつける太陽に肌を焼かれ、男たちの薄汚れた肌に汗が浮かぶ。
ティフォンが「うわぁ、見てるだけで暑苦しい」と言っていたので、俺は御者席にあるレバーを倒す。
すると、背後にある馬車の屋根が伸びてきて、御者席の頭上を覆うひさしとなった。
「うわぁ、馬車にこんな仕掛けがあるだなんて知らなかった!」
「直射日光が無くなるだけで、だいぶ違うだろ?」
「うんっ! まるで木陰の中にいるみたいに気持ちいい!」
木漏れ日を眺めるように、ひさしを見上げるティフォン。
ふとイズミがなにかを思い立ち、俺の胸元に両手を差し出してきた。
「よろしければ、こちらをどうぞ」
イズミがそう言うなり、彼女の両手から水がこんこんと湧き出してくる。
ティフォンは「うわぁ、お水だーっ!」と、さっそくイズミの両手に顔を突っ込んでいた。
「ぷはぁーっ! 冷たくておいしーっ! ユニバスくんも飲もうよ!」
「うん、そうさせてもらうよ」
俺がそう言った途端、イズミは緊張気味に身を固くした。
「は、はいっ。お……お口に合うかわかりませんが、ど、どうぞ……」
まるでお酌をするどころか、盃すらも傾けて飲ませてくれるように、俺の口元に両手を持ってくるイズミ。
白い指先に両手にそっと唇を近づけると、彼女はピクンと肩を震わせた。
こくん、と喉を鳴らしてひと口飲むと、乾いた身体にうるおいが広がる。
イズミの身体から出た水は、たまらなくうまかった。
例えるなら、登山の果てに山頂の石清水で水を潤したかのような……。
いくら金を積んでも決して手に入らない、あのうまさ。
「ありがとう、イズミ。もっと飲ませてもらってもいいかな?」
顔を上げてお礼を言うと、イズミは頭から湯気が見えそうなくらい真っ赤になってうつむいていた。
手はすっかり震え、あふれる水がばしゃばしゃと激しく波打っている。
「はっ……ははっ、はひっ! わ、わたくしの身体にあるものはすべて、ユニバス様のものです!
でっ、ですから、おおっ、お好きなだけ、お召し上がりくださいませ!」
イズミはなぜか慌てふためいていて、とんでもないことを口走った。
「あっ、あの! あのあのあのっ!
もしよろしければ、これからはわたくしの足を踏んでくださいませ!
そうすれば、ユニバス様のお手間を取らせることなく、それを合図にお水をお出しさせていただきますので……!」
「魔導ウォータークーラーじゃあるまいし、そんなことはしないよ」
「実を申しますと、ユニバス様専用のウォータークーラーになるのが夢だったのでございます!」
イズミは真面目な顔で力説してくるので、俺は反応に困った。
ふと「うええっ!?」とティフォンの悲鳴が割り込んでくる。
見ると、併走していた馬車の荷台にいた人夫たちが全身汗だくになり、俺たちをうらめしそうに見ていた。
彼らは心底うらやましそうに、口を揃える。
「い……いいなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
人夫たちの馬車は屋根が無いので直射日光を浴びまくり、しかも漕いでいるせいで汗だくになっていた。
彼らは地獄で釜ゆでにされているかのような表情で、なにやらブツブツ言っている。
「ぐっ……ぐぐぐぐっ……! なんなんだよっ、アイツ……!」
「馬車に屋根があるうえに、あんなかわいい子から水を飲ませてもらうだなんて……!」
「こっちの馬車に比べたら、天国みてぇじゃねぇか……!」
ティフォンはまるで口直しでもするみたいに、俺の顔をまじまじと見つめていた。
「やっぱりユニバスくんがいちばんの心のオアシスだよ。あ、そうだ。せっかくだから風を送ってあげるね」
ティフォンがキス顔をつくり、フーッと息を吹きかけると、一陣の風が起こる。
それは、この蒸し暑いなかでは生温かい風なのだが、イズミの身体を通り過ぎるとひんやりと冷たい風になった。
「おお、すごい、まるで魔導冷房装置の風みたいに涼しい」
ティフォンとイズミはニッコリ笑う。
「えへへ、いいでしょー! 精女の教室が暑いときに、わたしとイズミちゃんでよくこれをやってたんだ!」
「いかがですか? ユニバス様」
「ああ、とっても気持ちがいいよ、ありがとう、ふたりとも」
「わーい、ほめられちゃった!」とぴとっと寄り添うティフォン。
「あ……ありがとうございます!」おずおずと、俺の服の袖をつまむイズミ。
ふたりの美少女にくっつかれたのが、トドメになってしまった。
「ちっ……ちくしょぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
「俺たちがこんな目に遭ってるってのに、なんでヒョロイ若造があんないい目に!?」
「アイツは無能のユニバスで、勇者パーティにいるときにさんざんやらかして、精霊たちから嫌われてるんじゃなかったのかよ!?」
「なんであんなかわいい精霊ふたりに、モテモテなんだっ……!?」
「俺の両隣には、気持ち悪い男しかいねえってのに!」
「おい、そりゃこっちのセリフだ! 汗で張り付いて気持ち悪いんだよ! あっち行け!」
「てめぇ、押すなよ! このっ!」
「やるかっ、テメェ!」
とうとう人夫たちは馬車の中でケンカを始めてしまう。
御者にいた男が叫んだ。
「ああっ!? う、後ろで暴れないで! そんなに暴れたりしたらバランスが……! ああーっ!?」
……どがっ、しゃぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーんっ!!
とうとう馬車は横転してしまい、乗っていた人夫たちは荒野に投げ出されてしまう。
ティフォンは御者席から身を乗り出し、後ろを振り返って人夫たちを見ていた。
「あの人たち、これから働きに行くっていうのに忙しいねぇ。
あの調子じゃ、村に着くまでにヘトヘトになっちゃうんじゃない?」
「そんなことより停まるぞ、彼らを助けないと」
「ええっ!? 助ける必要なんてないよ! だってあの人たち、さんざんユニバスくんのことをからかってたじゃない!」
「いや、でも……」
ティフォンは俺たちの馬車を牽引している魔導馬、トランスに話題を振った。
「トランスくんもそう思うよね!? もしそう思うんだったら停まらずに、走り続けていいよ!」
するとトランスはぐんっ、とスピードをあげる。
「ほらぁ、トランスくんも停まらなくていいって言ってるじゃない! イズミちゃんはどう思う?」
「わ、わたくしですか? わたくしはあの殿方様たちは……すこし怖い、です……」
「ほらほら! これで3対1! 多数決で、助けなくていいって決まりましたーっ!」
パチパチ手を叩き、無邪気に喜ぶティフォン。
「やれやれ、キミは本当に『人間きびし』だな……」