06 精霊姫との晩餐
06 精霊姫との晩餐
俺とイズミの少し早い夕食は、数百の瞳に囲まれた状態で行なわれた。
そしてイズミは焼き魚をひと口食べた途端、四つ足でガックリとうなだれる。
「どうした、口に合わなかったか?」
「い……いえ……おいしすぎるのでございます……!
これこそまさに、わたくしが花嫁修業として目指していた、完璧なるお味……!
わたくしはこのようなお料理を、ユニバス様に召し上がっていただきたくて、修行に励んでいたのでございます……!
それなのに、そのお料理をユニバス様にごちそうしていただくなんて……!
わたくしのあまりのふがいなさに、打ちひしがれていたのでございます……!」
そして生魚の切り身の料理を見るのは初めてだったようだ。
「あの、ユニバス様? こちらのお料理は、まだお作りになられている途中なのでしょうか?」
「いや、それで完成だ。東の国の料理で、『サシミ』っていう調理法だ。
本当は『ショーユ』っていう調味料をかけて食べるんだが、今はないから塩だ。
でも塩でもけっこういけるとおもうから、食べてみてくれ」
イズミは半信半疑のようだったが、俺に勧められて断るわけにはいかないと、そっとサシミをつまみあげる。
グロテスクなものでも見るかのように、ゴクリと喉を鳴らしたあと、ままよとばかりにパクリとひと口。
そしてまたしても、ガックリと四つ足でうなだれでいた。
「どうした、今度こそ口に合わなかったか?」
「い……いえ……あ……あまりにも、おいしすぎるのでございます……!
まさか生のままでいただくお魚様が、これほどまでの美味だったなんて……!
身はぷりぷりとしていて、楽しい歯ごたえに、さわやかなのどごし……!
わたくしは生まれてからずっと、お魚様を頂いておりました……!
それなのに、サシミを知らなかっただなんて……!
わたくしは……わたくしはっ……!」
そのとき俺は立ち上がって、新たなる料理を作っていた。
イズミはざざっと滑り込むようにして、俺の足にすがりついてくる。
「ユニバス様、わたくしを足蹴にしてください……!
『この役立たず!』と、罵りながら……!」
「なんでそんなことを」
「精婚した殿方のお役に立てない場合は、足蹴にされても当然なのでございます!
我が国にお越しになった勇者様もそうおっしゃっておられましたし、我が国の王家に伝わる『精霊姫の心得』にも、そう定められているのでございます!」
イズミは懐からサッと冊子のようなものを取り出す。
青色の表紙には『精霊姫の心得(水)』というタイトルがあった。
この冊子、似たようなのを前にも見たことがある。
イドオンの村で一泊したとき、『よとぎ』をしたがったティフォンが持っていた。
なんにしても、俺はイズミを無能だと思ったことはないし、足蹴にするつもりもなかった。
「俺はなにがあっても絶対に、精霊に暴力を振るったりしない。
たとえ勇者がそうであったとしても、精霊の王家に伝わる伝統でも関係ない。
それにイズミは役立たずなんかじゃない。俺にとってはすごく嬉しいことをしてくれた」
「う……嬉しい? わたくしはなにもしておりません!
ユニバス様のお料理を頂いただけです! これではただの『ごくつぶし』でございます!」
「そんなことはないさ。俺が作った料理でイズミが笑顔になってくれるのなら、俺にとってはなによりもの喜びだ。
それにイズミは言ってくれただろう? 俺のために花嫁修業をしてたって。
その気持ちだけで、俺は世界一の幸せ者のような気分になれるんだ。
ありがとうな、イズミ」
ちいさな海原のような瞳をうるうるさせ、俺を見上げるイズミ。
そのいじらしい頭に、そっと手を置いた。
清水のようにサラサラの髪を撫でてやると、イズミは温泉に浸かったときのような、とろけきった表情になる。
「ふわぁ……! ゆっ……ユニバスさまぁ……!」
しかしその幸せそうな表情は、一瞬にして終わりを告げる。
イズミは突風を受けたコアラのように、ひしっと俺の足にしがみついてきた。
「ユニバス様はどうしてこんなにも、わたくしを幸せで満たしてくださるのですか……!?
わたくしはもはや、ユニバス様の虜となってしまいました……!
もはやユニバス様なしでは、生きてはいけません!
わたくしはこの命すらも捧げさせていただきます!
ですからお願いです! わたくしを一生、下僕としておそばに置いてください!
もしユニバス様に捨てられてしまったなら、わたくしは悲しみのあまり、海の泡と消えてしまいます……!」
俺は薄々感づいてはいたが、今ハッキリと確信した。
イズミはティフォンに比べ、だいぶネガティブな性格だと。
とうとうイズミの瞳からは、真珠のような涙がぽろぽろとあふれだす。
それは比喩ではなく、彼女の涙が大粒のパールとなって、パラパラと床に散らばっていく。
それまで言葉を失っていた島民たちが「おおっ……!?」とざわめいた。
「見ろ! あの精霊の娘の涙が、真珠になったぞ!?」
「真珠の涙!? まさかあの娘……いや、あのお方は、水の精霊姫のイズミ様っ!?」
「イズミ様がなんでこんな所におられるんだ!? しかも、無能と呼ばれたユニバスと……!?」
「イズミ様はたしか、勇者ブレイバン様の精婚を断ったんだろう!?
勇者様は捨てたのに、ユニバスにはあんなに泣きすがるだなんて……!」
「お……俺たちはもしかして、とんでもないお方に、失礼を働いてるんじゃ……!?」
イズミの一世一代の告白で、俺に対する島民の風当たりが変わりつつある。
ここはひとつ、一発バシッと決めて……。
「いたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
俺の決意は、突風のような絶叫にかき消される。
ハッと振り返ると、そこには猛然と迫り来るティフォンがいた。
なんと、この近海に住まうといわれている海の巨大生物たちを、手下のように引きつれて……!