52 国家規模の精霊たらし
ティフォンは泡の壁を、ぷぉんぷぉん叩きながら叫ぶ。
「そんな!? ユニバスくんが好きな精霊って、イズミちゃんだったの!?
わたしのことはどう思ってるの!?」
俺は当然のように答える。
「ティフォンも大好きだよ」と。
「「へっ」」
ティフォンとイズミは同時に、虚を突かれたような声をあげる。
それは彼女たちだけでなく、司会者や精霊王の影武者、観客たちも同じであった。
その中で、ティフォンは真っ先に我に返ると、
「じゃ、じゃあ、わたしとも精婚して! わたしもユニバスくんと契りたい!
いいでしょ、ねっ!?」
「それは素敵な考えですね!」とイズミも賛同。
俺はこの際だから、言っておくことにする。
司会者から魔導マイクを借りて、この国全体に聞こえるように声を大にする。
『俺は、どの精霊とも精婚する気はないっ!
なぜなら、精霊が大好きだからだっ!!』
「ええっ!? 意味わかんないよ!?」とティフォン。
「そうです! 大好きなら、契りを交わしても……!」とイズミ。
『いいや、好きだからこそ契らないんだ!
だって、精婚ってのは精霊が、人間に永遠の隷属を誓うための儀式だろう!?
そんなので精霊を束縛するだなんて、俺はごめんだ!』
「わたしは別にいいけど」とティフォン。
「はい、束縛されたいです」とイズミ。
『人間は、精霊のことを都合のいい奴隷だと思ってる!
しかも精霊も、人間の奴隷だと思ってる!』
「「違うの!?」」とハモる精霊姫たち。
『そんな価値観が当たり前なのはおかしいんだ!
だって精霊は生きてるんだぞ!? 感情を持ってるんだぞ!?
泣いて、笑って、悩んで、考えて……! 誰かを好きになったり、嫌いになったりする!
そこに、人間となんの違いがある!? なんの身分の差がある!?』
俺は人前ではどもって、まともに話ができない。
でも今はずっと貯め込んできた感情が、声となってあふれて止まらない。
大きな声を出し慣れていないものだから、俺は声はすっかり枯れていた。
魔道マイクがあるのだから、叫ぶ必要なんてない。
でも俺は、叫ぶのをやめられなかった。
『俺は、人間たちがなんと言おうと、キミたち精霊がなんと言おうと、この考えは変えるつもりはない!
ティフォンとイズミは、俺にとって大切な、パートナーなんだ!
ここにいるみんなは、俺にとってかけがえのない、家族なんだっ!
だから、精婚なんかしない……!
人間と精霊が対等な立場で結ばれる儀式でなければ、俺は嫌なんだっ!』
俺は肩で息をしながら、ティフォンとイズミを見る。
『ティフォン、イズミ! だから俺は、キミたちとは精婚できない……!
でも、約束する! キミたちと契ってもいいと思える、新しい制度を作れるように、精一杯、努力すること……!』
「ゆっ……ユニバスさまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
……どっ、ぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!!!!
海を割るほどの大歓声の後、津波が押し寄せ、俺は飲み込まれてしまう。
呼吸はできていたが、まるで海に力いっぱい抱きしめられているような、不思議な息苦しさが止まらない。
「がぼがぼががぼがぼっ! ゆにう゛あすぐんっ! ゆにう゛ぁすぐぅぅぅぅーーーーーーーーーん!!」
顔の穴という穴から泡を吹き出しながら、ティフォンが飛んで来る。
俺の腕にひしっと抱きつく。
見ると、反対側の腕にはイズミがいて、俺の服の袖を遠慮がちにつまんでいる。
俺たちは陽が沈んでもなお、いつまでもいつまでも海に抱かれていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
次の日、俺とティフォンは、コンコントワレの入口である、滝の門にいた。
精霊の王の影武者をはじめとする、お偉いさんたちが総出で見送ってくれた。
トランスの身体からは焼印が消えていて、それどころか新品同様にピカピカになっている。
精霊王の影武者が俺に言った。
「魔導馬の焼印は消しておきました。
それだけでなく、失われていた水の精霊の力も再注入してあります」
「ありがとうございます」と俺は頭を下げる。
「これから、どちらに行かれるのですか?」
「はい、次は火の精霊の国に行ってみたいと思います」
隣にいたティフォンが「ええーっ!? 火の精霊の国ぃ!?」と嫌そうな声をあげる。
「しょうがないだろ、ティフォン。トランスを元通りにするためには、どうしても行かなくちゃならないんだから。
嫌なら、ここで帰ってもいいんだぞ?」
「ぶーっ、いじわる!」とそっぽを向くティフォン。
精霊王の影武者は穏やかな笑顔で話を続ける。
「今、ワースワンプの港には多くの戦艦が集まっています。
ユニバス様がこのまま出発されたら、きっと追跡されるでしょう。
ですので、私たちが注意を引きたいと思います。
そのスキに、海を渡って他国へと逃れると良いでしょう」
「なにからなにまですいません」と俺はまた頭を下げた。
「かまいませんよ。そのかわり、ひとつお願いがあります」
「なんでしょうか?」
「もしユニバス様が納得できる、精霊との契りの制度ができあがったら、この私とも契っていただけますか?」
精霊王の影武者は、とんでもないイケメン。
切れ長の瞳で見つめられると、俺は不覚にもドキッとしてしまう。
「も……もちろん」
「それはよかった。ユニバス様に仕え……いや、パートナーになれる日を、楽しみにしています」
つむじが見えるほどに頭を下げる精霊王。そして大臣や騎士たち。
俺は「もう少し彼らと話をしたかったかも」、なんて後ろ髪を引かれながらも、トランスの御者席に乗り込もうとする。
しかしそこに、とんでもない先客がいた。
御者席の長椅子に、ちょこんと正座して、三つ指をついていたのは……。
水の精霊姫、イズミっ……!
彼女は夫の帰宅を出迎える新妻のような、はにかみ笑顔を浮かべていた。
「わたくしもユニバス様の旅に、ごいっしょさせてください……!
不束者ですが、どうかよろしくお願いいたします……!」