51 水の精霊姫イズミ
水の精霊王はなんだか物騒な誓いを立てていたが、ともかく俺のことを気に入ってくれたようだった。
そして俺に興味を持ったのか、いろんなことを聞いてくる。
最初は、『相克関係にある地の精霊と、火の精霊をどう思うか』などのグローバルなことから始まって、『娘のことをどう思うか』などのプライベートなこと。
最後は『好きなドレスの色は?』とか『彼女にしてほしい髪型は?』などと、精霊王とは思えない俗っぽい話題になっていく。
ここまで来ると、俺はもうすっかり精霊王と打ち解けていて、まさにじいちゃんに接する孫のような気分になっていた。
俺は、その裏に隠された精霊王の意図に、まるで気付いていなかったんだ。
年寄りひとりで海に浮いていて寂しいのだろうと思い、話に付き合っていたのだが……。。
やがて周囲の海がオレンジ色に染まり、俺は日が傾いているのに気付く。
「だいぶ長話をしちまったな。そろそろ行くとするよ」
『おお、そうじゃのう……!
もう準備もすっかり整ったようじゃから、行くといい……!
みな、ワシのように首を長くして待っておるぞ……!』
『準備』という言葉に少しだけ引っかかったが、俺は精霊王に別れを告げ、泡に包まれてフワフワと移動。
泡は来た道を戻るわけではなく、今度は島亀のお腹のあたりに移動。
天井に開いていた大きな穴に、スポッと吸い込まれていった。
しばらく暗闇の中を登っていくと、だんだん空が明るくなっていく。
七色の光が降り注ぎはじめた途端、急に泡のスピードが上がる。
俺は胃がひっくり返るような上昇感を感じていたが、気付くと空に打ち上げられていた。
……ぶしゅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!
「う、うわっ、なんだこりゃっ!?」
クジラの潮吹きの上にいるかのように、弾む身体。
急に開けた視界のまわりは野外ステージのようになっていて、ステージの周囲には水の精霊たちがぎっしりと詰めかけていた。
空には虹が飛び交い、水龍や水鳥が舞い踊る。
次々と打ち上げ花火があがり、泡でできた大輪の花を咲かせていた。
俺の姿を見た途端、観衆の水の精霊たちは大歓声をあげる。
そして、ステージの司会者の音頭にあわせて、
『ユニバス様! イズミ様っ! ご精婚、おめでとうございまーーーーーーーーーーーーーっす!!!!』
俺はなにがなんだかわからなかったが、クジラの潮吹きがおさまり、ステージの上に降りて事と次第を理解する。
ステージの上には、そよそよと流れるウエディングドレスに身を包んだ、水の精霊姫『イズミ』が……!
恥ずかしがり屋のイズミは、丸眼鏡の顔を伏せたまま、はにかんだ上目遣いを向けてくる。
「お……お待ちしておりました、ユニバス様……! 不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします……!」
礼儀正しいイズミは、その場にぺたんと座り込むと、三つ指をついて深々と俺に頭を下げた。
「えっ……えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
俺の叫びは、俺以上に甲高く、ひっくり返るほどの声で上書きされる。
声の方角を見ると、来賓席らしきところにティフォンがいた。
地味ながらもかわいいドレス姿で、いかにも花嫁の友人といった風情。
しかし本人は寝耳を沈められたような仰天顔だった。
「ちょ、イズミちゃんの精婚相手って、ユニバスくんだったの!?
てっきり、別の人かと思ったのに……!
そんなのダメっ! そんなのダメぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
暴れることは想定済だったのか、ティフォンが来賓席より飛び出すより早く、近衛兵の手によって泡に閉じ込められていた。
ティフォンはフワフワ浮きながら、泡の中で、回し車のハムスターのようにゴロゴロと暴れている。
「お静かに、ティフォン殿。その泡は内側からは決して破れません」と、影武者の精霊王にたしなめられている。
そして気付くと俺は、泡のタキシードに着替えさせられていた。
精婚式の決まりに則って、靴だけは作業靴のまま。
大きな貝に乗った人魚たちの歌声と生演奏によって、結婚式とかでよく流れるBGMが響き渡る。
司会者らしき水の精霊が、ヒトデのついた魔導マイクを片手に叫んだ。
『それでは水の精霊姫、イズミ様っ! この世界を救いし偉大なる英雄、ユニバス様に跪き、永遠の忠誠を誓うのです!
そうすれば水の精霊たちは、ユニバス様の寵愛を与えられ、末永く発展できることでしょう』
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
割れんばかりの大歓声。
花嫁姿のイズミはしずしずと俺のそばまでやってきて、かがみ込む。
精婚式における、『忠誠の誓い』。
それは人間の靴に、口づけをすること……!
そんな屈辱的な行為は人間だって躊躇するもの。
しかも、俺の油にまみれた作業靴なんて、ハラペコの犬でも舐めたがらないだろう。
しかしイズミは獲物を狙うイノシシのように、まっしぐらに俺の作業靴に向かう。
俺はとっさに飛び退いて、誓いのキスを阻止した。
……ごんっ!
イズミは勢いあまって、ステージにしたたかに額を打ち付けてしまう。
「ええっ……!?」
と愕然とする声が、周囲から漏れた。
長い沈黙のあと、イズミはゆっくりと顔をあげる。
赤く腫れた額に、浮かぶタンコブ。
すだれのように垂れた前髪は、悲しみに沈む深い海の色をしている。
ずれた眼鏡の向こうには、荒波のようにうるうると潤む青い瞳があった。
「ゆ……ユニバス様は……わたくしのことが、お嫌いなのですか……?」
俺は即座に首を振る。
「いや、好きだよ。大好きだ」
「そっ……そんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
と、俺とイズミの間に、ティフォンの悲鳴が割り込んできた。