49 水の精霊王
俺とティフォンは水の精霊の国、『コンコントワレ』へと入国する。
コンコントワレは深い霧に覆われているので、外海からは中が見えない。
そのため神秘的というか、不気味な感じすらあるのだが、霧の中に入ると夢のような光景が広がる。
雲光る空には、星降るような雨の雫がキラキラと舞い散り、70色ものカラフルな虹が幾重にもかかる。
水龍や水鳥が群れ飛び、クジラの潮吹きのような間欠泉があちことで噴き上がっていた。
俺の隣に座っていたティフォンも、思わず御者席から身を乗り出している。
「うわーっ!? すごいすごい、すっごーい!」
「精霊の国はどこも絶景だが、水の精霊の国はどこよりも美しいんだ」
「ほんと! まるで水の天国みたい!」
俺たちの乗った馬車は、天からかかるヴェールのような巨大な滝の前に出る。
ティフォンは手をひさしのようにして見上げていた。
「すっごーい! こんな大きな滝、初めて見た!」
「この滝はコンコントワレの門なんだ、この滝を抜けると城下町がある。中はもっとすごいぞ」
「ほんとに!? うわぁ、楽しみーっ!」
ティフォンは『わくわく』と顔に書いてありそうなほどに大興奮。
待ちきれない様子で身体を上下に揺さぶっていたが、いつまで待っても門は開かない
以前この国に来たときは、すぐにこの滝が開いて中に入れてくれたのに……。
俺のなかに暗雲のような不安がたちこめる。
まさか、ここに来て門前払い?
やっぱり勇者がいないと精霊の国には入れないのか……?
なんて思っていたら、壁のような滝を通り抜けるようにして、騎士のような武装集団が現れた。
その先頭に立っていた人物を見るなり、俺とティフォンは同時に息を呑む。
「せ……精霊王っ!?」
水色の長い髪をなびかせた精悍なる顔つきの男。
会ったのはだいぶ昔だが、王の証である氷の鎧を身に着けているので間違いない。
俺とティフォンは御者席を飛び降りる。
ふたりして膝を折ろうとしていたら、
……ずざっ!
なんと精霊王と騎士団のほうが先に、俺たちにひれ伏した。
度肝を抜かれる俺に向かって、王は低い視線のまま言う。
「お待ちしておりました、ユニバス様」
「王よ、これはいったい……?」
「まず先に、お礼を言わせてください。
魔王を退けてくださり、ありがとうございます。
道中の活躍は、聞きしに及んでおります。
ユニバス様はすでに、この国いちばんの英雄。
そのまま門をくぐっては大変なことになりますので、こうしてお迎えにあがったのです」
俺はトランスの焼印を消すのを手伝ってほしくて、このコンコントワレを訪ねた。
精霊王に会うつもりなんて全くなく、むしろ会えるわけがない、それどころか俺のことなんて、もう覚えてないだろうと思っていた。
でもまさか王が自らが出迎えてくれて、しかも英雄として俺を崇めてくるだなんて思いも寄らなかった。
俺はまだ半信半疑だったが、王の口から、さらに信じられない言葉が放たれる。
「精霊王がお待ちです。『精霊王の間』にご案内いたします」
「えっ? 精霊王って、あなたのことでは……?」
「その件につきましては、精霊王から直接お話があるかと思います。どうぞこちらへ」
精霊王は、うやうやしく俺たちを滝壺に案内する。
滝壺は底が見えず、まるで地の底まで繋がっているかのようだった。
「この滝に向かって飛び込んでください。そうすれば『精霊王の間』へとたどり着きます。
少し怖いかもしれませんがご安心を。水の精霊たちによって守られていますので」
「うっひゃ~高そぉ~! お尻がムズムズするぅ~!」
お尻をふりふりしながら、崖っぷちを覗いては引っ込み、引っ込んでは覗くを繰り返しているティフォン。
精霊王は冷たい声で言った。
「ティフォン殿は、『精霊王の間』にはご案内できません。どうぞ我々といっしょに来てください」
「ええっ、ユニバスくんと離ればなれになるってこと!? そんなのイヤっ!
だいいち、人間のユニバスくんがオッケーで、精霊のわたしがダメだなんておかしいよ!」
「『精霊王の間』へは、正統なる『水の王族』以外は立ち入ることは許されないのです。
ティフォン殿のお住まいの『ウインウィーン』でも同じ掟でしょう」
「うっ……! そう言われると、そうだけど……!」
「おわかりいただけましたね? では、我々といっしょに。
ユニバス様が精霊王とお話されている間、この国をご案内しますので」
精霊王から噛んで含めるように言われ、しぶしぶ納得するティフォン。
俺は彼女にひとときの別れを告げると、滝壺めがけてダイブした。
流れ落ちる滝に触れた途端、俺の身体は滝と一体化するように吸い込まれる。
中に入っても呼吸ができ、落ちる速さはゆっくりになった。
まるで魔導昇降機に乗っているかのようだった。
魔導昇降機は上下移動だけだが、滝はまるでチューブのようになっていて、真横にも移動する。
真横になると、一気に加速。
天の川の中を飛んでいるかのように、光の粒子の群れがものすごいスピードで過ぎ去っていく。
気付くと、深海に投げ出されていた。
俺の身体は巨大な泡に包まれ、暗い海の中をぷかぷかと漂う。
一瞬不安になったが、泡はたしかなる意思を持って、ある方角に進んでいた。
しばらくして浮上し、俺は気付く。
コンコトワレは島国だと思っていたのだが、巨大な浮島であることを。
しかしその認識は、すぐに訂正させられた。
なんと島の端には、海に蓋ができそうなほどの大きなヒレのようなものがあって、それは神の翼のようにゆったりと上下している。
そして俺を包む泡は島の先端を通り過ぎ、その正体を俺に知らしめた。
そこにあったのは、巨人の顔。
それも、年輪のように深くシワが刻まれた、好々爺の顔。
そう。
水の精霊の国『コンコントワレ』は、海に浮かぶ巨大な島亀だったのだ……!