41 ホーリードゥームの野望
ホーリードゥームは血の海に沈む聖女に「ふん」と鼻息を投げかけたあと、廊下を歩きだす。
その表情は静かな森の湖畔のように穏やかであったが、内心は自殺の名所と呼ばれそうな海のように荒れていた。
――ぐっ……! あのクソババアを大人しくさせるための材料を、ここにきて失うだなんて……!
それから小一時間後、ホーリードゥームはその『クソババア』の部屋を訪ねる。
「……聖機卿様、ホーリードゥームでございます。お呼びでしょうか?」
クソババアこと聖機卿の老女は、出番を控えたベテラン女優のように、ドレッサーの前でメイクを直していた。
振り向きもせず、鏡越しにチラ見するだけ。
「やっと来ましたか、ホーリードゥームさん。
なぜ呼び出されたかはもうわかっていますよね?」
「はい、先日の精婚式での失態ですよね?」
「その通りです。勇者様の精婚式を台無しにするだなんて、聖女としてあるまじき行為です」
「お言葉ですが聖機卿様、あれは無能のユニバスが……」
「お黙りなさい。言い訳など聞きたくありません。
どんな理由だったとしても、精婚式が失敗した場合、その式を取り仕切っていた聖女の責任になるのです。
そんなことは常識のはずでしょう?
それともあなたは聖女から一気に大聖教にまで昇り詰めたものだから、常識がないのかしら?」
「いえ、そんなことは……」
「そうとしか思えませんねぇ。あなたの常識のなさは、なによりもそのローブが物語っています。
聖皇母様のものよりも目立つローブを着るだなんて……。
あなたは次期聖皇としてもっとも有力な人物とされていますが、気が早すぎるのではないですか?」
ホーリードゥームはわずかに血の残る拳を握りしめていた。
そして呪詛のように、心の中で何度もつぶやく。
――このクソババアっ……! なんの力もないくせに、偉そうにしやがって……!
グーで殴ってやろうかっ……!
でもいま殴ったら、私の聖皇の道が、パーにっ……!
聖女には、7段階の階級が存在する。
『準聖女・準聖母』
聖堂で働く、ようは下っ端のこと
『正聖女・正聖母』
通常の規模の聖堂や、精霊院の管理者の地位
世間的には『準聖女・準聖母』とひっくるめて『聖女・聖母』と呼ばれている
『大聖女・大聖母』
規模の大きい大聖堂や、大精霊院の管理者の地位
『聖教司女・聖教司母』
地域の聖堂をとりまとめる地位
『大聖教女・大聖教母』
国内の聖堂をとりまとめる役割
ホーリードゥームは現在、この立場である
『聖機卿』
聖皇の顧問役
異なる世界で例えると、『枢機卿』に相当する
『聖皇女・聖皇母』
聖堂における最高権力者
異なる世界で例えると、『教皇』に相当する
そして各役職には、『聖女』と『聖母』、2種類のカテゴリが存在しているのだが、それは能力の差によって区分される。
乙女のような愛で浄め、邪を退けるのは『聖女』。
母のような愛で包み、傷を癒すのは『聖母』。
ようは、攻撃タイプか回復タイプかの違いである。
両者には、表向きには地位の差は存在していない。
しかし聖女のトップである『皇女』がどちらのタイプかによって、暗黙のヒエラルキーができあがる。
現在のトップは『聖皇母』なので、いまは『聖母』のほうが『聖女』よりも上となっていた。
ちなみにではあるが、『聖機卿』には聖女と聖母の区分が存在しない。
これは顧問役という特殊な役職上、聖女や聖母にゆかりの深い王族などが就いているからである。
ようは、ただの天下り先であった。
ホーリードゥームはその、なんの能力もないクソババアこと、聖機卿にイビられていたのだ。
クソババアはお局様のように、時には姑のように、ホーリードゥームをネチネチと責め続ける。
「それで、有能なホーリードゥームさんのことですから、精婚式の失態を埋め合わせる活躍をなさっているんでしょうね?
でなければ私の所にノコノコと顔を出せるわけがありませんものねぇ」
「ぐっ……! そ、それが、まだ……!」
実はホーリードゥームは、『泉の大聖堂』の躍進を手土産にするつもりでいた。
しかし直前になって、勇者の像がへんな男の像に敗れたと知らされ、手土産はパァになっていたのだ。
ホーリードゥームは、いまさらながらに怒りがこみあげてくるのを感じていた。
――ぐぐっ……! へんな男っていうのは、いったい何者なの……!?
っていうか、報告に『へんな男』ってありえないでしょ……!?
普通、もっと調べて報告するもんでしょうがっ……!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ホーリードゥームはたっぷり数時間ものあいだ、クソババアにイビられ続けた。
彼女は聖機卿の執務室を出るや否や、廊下を歩いていた部下ボッコの首根っこを掴んで、人気の無い所に引っ張り込んだ。
「ひっ……!? ひぎいいっ!?
もうぶたないで! ぶたないでくださいぃぃ! ホーリードゥーム様ぁ!」
顔じゅうを『HOLY』のアザだらけにされたボッコは、すっかり萎縮している。
部下をサンドバッグにしていくぶん気が晴れた彼女は、ボッコに命じた。
「ボッコ、すぐに『泉の大聖堂』を管理する大聖女に、毒を送るのです。
『泉の精霊院』の泉にその毒を入れれば、精霊院の泉からは精霊がいなくなって、大聖堂に移ることでしょう」
「それが、泉の大聖堂はもう跡形もなくメチャクチャになって、管理していた大聖女も行方不明になってしまったのです!」
「なんですって!? せっかくこの私が目をかけてやったというのに……!」
ホーリードゥームは勇者パーティにいた聖女である。
魔王討伐の際に『泉の精霊院』に立ち寄り、そのときはまだ精霊院に所属していた中年の聖女に目を付けた。
ホーリードゥームは中年聖女に毒を手渡し、こうささやきかけたのだ。
「私たちパーティがこの精霊院を去った後、泉にこの毒を入れるのです。
泉の精霊は、1匹残らずいなくなることでしょう。
あなたは他の聖女たちを引きつれて、この近くに新しい大聖堂を建てるのです。
そうすれば聖母をひとり失墜させることができるうえに、あなたは大聖女になれるのです。
万年ヒラ聖女だったあなたには、夢のような話でしょう?」
「で……でも、ホーリードゥーム様! 私には、大聖堂を建てるようなお金は……!」
「その点なら大丈夫、いいパトロンを紹介してあげましょう。
精霊院に所属している、他の聖女たちの身体も利用するのです。
『これは、ホーリードゥーム様の導きである』と
そう言えば、聖女たちはきっとあなたの言うことを聞いてくれます。
あとは聖母ひとりだけになれば、この泉の精霊院は自然消滅することでしょう。
なにもかもが、私たちのものになるのです。
泉の水は滋養強壮の効果がありますから、歓楽街を作れば大儲けできるでしょう。
その献金があれば、私は聖皇女となれ、あなたもさらに出世できるのですよ……!」