39 『精霊たらし』最大の奇跡で、水の精霊の国へ
俺が歩いて海を渡ると言った途端、ティフォンの目が点のようになった。
「なにを言っているの? ユニバスくん?
あ……もしかして、水の精霊さんの力を借りて、海の上を歩くとか?」
「うん、半分正解だが、半分ハズレだ。
まあ、実際にやってみたほうが早いだろう」
俺は言いながらしゃがみこみ、屈伸運動を始める。
ティフォンの目は点のままだ。
「なにやってるの? ユニバスくん?」
「身体をほぐしてるんだ。これからやることは、ちょっとばかり大仕事だからな。
ちょっと手伝ってくれるか?」
「うん、いいけど……」
俺は腑に落ちないティフォンと、組になってストレッチをした。
地面に足を投げ出して座り、背中を押してもらったり、両手を繋いでひっぱりあったり。
そのうちティフォンは楽しくなってきたのか、自分もストレッチしてほしいと言いだした。
それはやぶさかではなかったが、いまの彼女は肌も露わな踊り子の格好。
そんなのでストレッチをするものだから、いちいちものすごいビジュアルになってしまった。
伏せたときは胸がたゆんと紡錘形に垂れ下がり、反らしたときは荒波のようにたぷたぷ波打つ。
「そうそう、わたし、こんなこともできるんだよ!」と、バレエダンサーのように片脚を真上に上げたときは、トライアングルゾーンが丸見えになり、思わず目を反らしてしまった。
「ねえすごいでしょ、ユニバスくん! むぅ、ちゃんと見てってば!」
「わかったわかった、わかったから足を降ろせ。ストレッチはもうこのくらいでいいだろう」
俺は準備運動を中断して、いよいよ技の準備に入る。
『精霊たらし』のスキルのなかでも、最大級に属する『大技』だ。
「ティフォン、これからすることは声量も重要なんだ。
俺のあとに続いて、海に向かって同じことを叫んでくれるか?」
「うん! わたし、おっきな声を出すのも得意だよ!」
ティフォンは喜び勇んで波打ち際にある岩の上にピョンと飛び乗る。
「準備オッケーだよ!」と合図を送る彼女にあわせ、俺は両手をバッと広げて海に向けた。
「海の精霊たちよっ!」と第一声を放つと、「海の精霊さんたちーっ!」と風鳴りのような声が続く。
波が割れる音に負けないように、俺は腹から声を出す。
「俺たちはキミたちの祖国、コンコントワレへの道を望むものである!」
「わたしたちはあなたたちの国、コンコントワレに行きたいの!」
「俺たちは決してキミたちに仇なすことはない! 種族は違えど、心はキミたちとともにある!」
「わたしたちはキミたちと仲良くしたいの! 属性は違っても、同じ精霊だから!」
「もし俺たちを受け入れてくれるのであれば、この海を割り、その道を示してほしいっ!」
「もし私たちと仲良くしてくれるんだったら、この海を割り……わ……割るっ!?
海を割るだなんてそんなこと、いくらなんでもできるわけが……!」
唖然とした様子で俺のほうに振り返るティフォン、しかしその動きが、ピタリと硬直する。
……ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
と背後より響く、海鳴りの音を聞いたからだ。
「ま……まさか、まさかっ……!?」
震えながら視線を戻した彼女が、目にしたものは……。
俺たちのいる桟橋から、まっすぐな道のようにコンコントワレへと伸びる、白い波。
それはまるで、表面が青いケーキにナイフを落とし、中のクリームが少しだけあふれたような光景だった。
言葉にするとただそれだけなのに、ティフォンは耳がぱたぱた上下するほどに震えていた。
「まままっ、まさか、まさかっ、本当にっ……!?」
その、まさかであった……!
……どごわっ……しゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!!
次の瞬間、白い波を皮切りに海が真っ二つに割れ、陸つづきの道が目の前に広がった。
「どひゃぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
ティフォンは豆バズーカをくらった鳩のような表情でひっくり返る。
岩から転げ落ち、後ろでんぐり返しの途中みたいな、あられもない体勢になっていた。
「大丈夫か、ティフォン」
「ふっ……ふひぃぃぃ……! だ、大丈夫じゃ、ないよぉっ……!」
助け起こされたティフォンは、ほっぺたを何度もつねりながら、割れた海を見ていた。
「ま……まさか海の上を歩くんじゃなくて、海を割っちゃうだなんて……」
「驚くのはそのくらいにして、早く行こう。
海を割るのは水の精霊たちにとって、かなり力を使うことなんだ」
「そうなの? だったらこんな大変なことをせずに、橋を掛けるか船を渡せばいいのに」
「キミもお姫様なら知ってるだろう。精霊の国々は人間の立ち入りを一切認めていない。
だから橋なんてないし、船で近づこうとすれば沈められてしまうんだ」
「そういえば、ウインウイーンもパパ……精霊王に認められないと、人間は入れないようになってる。
ってことはユニバスくん、水の精霊王に認められてるってこと!?」
「認められてるっていうか、ここに来るのは二度目だから、顔を覚えててくれてたんだろう。
門前払いされたらどうしようかと思ってたけど、また受け入れてもらえてよかった。
さぁ、おしゃべりはこのくらいにして、そろそろ行こう」
「う……うんっ! わたし、水の精霊さんの国に入るの、初めてなの!」
俺とティフォンはトランスの馬車に乗り込むと、桟橋を降り、水のない海へと歩を進める。
ゆらゆらと揺れる水の壁の狭間に、ティフォンはさっそく大興奮。
「うわっうわっうわっうわっ!? うわぁぁぁぁぁーーーーーーーーっ!?!?
すごい! すごすぎるよ、ユニバスくんっ!
見て! カラフルなお魚がいっぱい泳いでるよ! かわいいっ! きれーっ!!」
水の精霊の国はまだ入口だというのに、風の精霊のお姫様は、おのぼりさんみたいにキョロキョロが止まらなかった。