37 『精霊たらし』は、心まで若返らせる
ワースワンプの国王は『泉の精霊院』で泉の精霊たちに元気を分け与えてもらう。
飲むと滋養強壮になるという泉の水をお土産にもらい、精霊院をあとにする。
国王の肌つやは増していたが、ワースワンプ王都に向かう馬車の中での表情はさえなかった。
光のない瞳で窓の外を見やりながら、溜息をひとつ。
――ワシもそろそろ、潮時なのかもしれんなぁ。
国王はまだまだ若いつもりでいた。
アウトドアが好きなので、以前は渓流下りやモンスター狩りなどを趣味にしていたのだが、ケガをしてから王妃から禁止を言いわたされた。
その名残がバーベキューで、若い家臣や貴族の令嬢たちと屋外で、肉や釣った魚を焼いて食べるのを何よりもの楽しみにしていたのだが……。
そこで若者たちはダンスを踊るようになって、その動きに全くついていけないことに気付かされた。
そもそも若者たちが喜ぶ音楽というのはただの騒音にしか聴こえず、国王にはなにが良いのかさっぱり理解できなかった。
その事実が、国王の気持ちをさらに重くさせる。
――今日はこれから王妃とともに、城下町で行なわれるダンス大会の特別審査員か……。
大会の最中、ずっとわかっているようなフリをしなければいけないのは、なんとも苦痛だ……。
国王ほどの人物であるならば本来、合わせる必要などない。
特別審査員としてトンチンカンなコメントをしても、面と向かって批難できる者はいないからだ。
しかし若者文化を分かってないオヤジのような目で見られるのだけは、国王にとっては耐えがたい屈辱であった。
――少しは若さを取り戻せるかと思って、『泉の精霊院』に寄ったはいいが……。
取り戻せたのは身体の若さだけ……心だけは以前と変わらぬままだ……。
このワシの心を、以前のように若返らせる手立てはないものか……。
精霊ですら無理である以上、やはり無い物ねだりでしかないのか……。
そうひとりごちる国王。
すでに心は沈みきっているかに思えたのだが、不思議と高揚していることに気付く。
その理由はすぐにわかった。
耳の端を掠めるように、かすかに響くサウンド。
「こ……この曲はっ……!?」
国王は馬車の窓を開けて身を乗り出す。
すると、懐かしい風が頬を撫でた。
「ま……間違いないっ! この曲はっ……!」
馬車はアースワンプの王都に確実に近づいていたが、国王は叫んだ。
「も……もっと馬車を飛ばすのだ! 早くっ! 早くっ!」
全速で飛び込んだ王都、そこはダンス大会の決勝を控え、街のそこかしこで音楽が流れていた。
それ自体は毎年あるので珍しい光景ではない。
しかし今年は決定的にあるものが違っていた。
いつもは街角で踊っているのは若者だけだったのに、今年は年寄りやオヤジたちも一緒になって踊っていたのだ。
「い……いったい、なにが起こったというのだ!?」
驚愕に目を剥く国王。
しかしその理由は、彼の身体がいちばん良く理解していた。
なぜならば肩は小刻みに揺れ、足はステップを踏みはじめている。
ウズウズする身体のまま、馬車は一方通行の大通りを走り、ダンス大会の決勝会場である広場へと向かう。
そこで国王は、ありえない光景を目撃した。
「えっ……えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
なんと広場の中央にあるステージの上は、彼の妻である王妃のひとり舞台。
往年のステップを見せつけるかのように、スカートをなびかせ踊っていたのだ。
観客の若者たちもそのステップをマネをするように踊り狂っている。
王家の馬車が近づいているのに気付いた王妃は、ハツラツとした笑顔で手招きする。
「ああっ、あなた、お戻りになったのね! こちらにいらして!」
国王は戸惑うままにステージにあがり、王妃と手を取り合う。
「あなた、この曲、覚えているでしょう?」
「あ……ああ、当然だ。ワシらが若い頃に大流行した曲だ。
ワシとお前が知り合うきっかけになって、夜通しで踊ったものだ。
いやはや、なんとも懐かしい。
まさかこの曲を再び聴けるようになるとは、驚きだ……!」
「そう! 私もだいぶ昔にダンスは止めたんだけど、この曲を聴いたら懐かしくなっちゃって!
つい、みんなの前で踊ってしまったわ!」
ニコッと笑う王妃の顔。
歳をとってからは穏やかな微笑みだけだったのに、少女がするような全力の笑顔を見たのは久しぶりのことだった。
それだけで、国王の心はありし日に戻る。
「よぉし、お嬢さん、僕といっしょに朝まで踊りましょう!」
「ええ、喜んで!」
国王と王妃の往年のステップは衰えていなかった。
染みつくほどに繰り返した足運びを、身体は覚えていたのだ。
「うおおおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
観衆はさらに熱狂の渦に包まれる。
男も女も、子供も若者もオヤジも年寄りも、手を取り合って踊り始めた。
国王はさっきまでの憂鬱はどこへやら、すっかり上機嫌。
爽やかな汗を流しながら、王妃に言った。
「まるでこの王都全体が、ワシらの若いころに戻ったかのようだ、なあ!」
「あなた、まわりをご覧になって! いたる所に『蓄音箱』が置いてあるでしょう!?
いまこの街で『蓄音箱』がブームになってて、古い『蓄音箱』を直して使っているそうよ!」
「なるほど、そういうことだったのか! でも、なぜ今になって?」
「ほら、あの看板! ダンス大会の予選で優勝した子たちのイラストよ!
あの看板に描かれている子たちが、大会で『蓄音箱』を使ったのがきっかけになったんですって!」
王妃の指さす先を見た国王。
もはや驚きを通り越して、渇いた笑いしか出てこなかった。
「……は……ははっ。は……はっはっは……。
ま……またしても、またしてもユニバスか……。
あの者はいったい何なんだ……いったい、何者だというのだ……」