第七話 チクセン
「――まじかよ……見たかった! くっそ」
「どうして青岬くん一人のときになったんだろう……ナチュどうして?」
椎名が顎に指を当ててうーむと考えながら、俺の背中に手を伸ばす。
「まあいいわ! 一回進化したんだから次また見れるわよ、きっと。それより早くその“チクセン”ってとこに行きましょう! あたし行ったことないから早く行きたいの!」
『地区セン』とは地区センターの略称で、図書館で本を借りたり、オセロや囲碁などの盤上遊戯や、体育館が常備されていてバスケや卓球など楽しめる。老若男女問わず利用できる施設だ。体育館は特に人気で、予約がいっぱいだと待たされたりした思い出があった。
「わあ、ここが地区センなのね!」俺の家から自転車で十分ほどのところにそれはあった。
「……なんか普通ね。つまんないわ」
「お前は地区センに一体どんなハッピーなものを期待してたんだ」と涼介。
「まあ黄桜は初めて来たんだしさ」
「あの……わたしも……初めて……なんです」
言うのが恥ずかしかったのか、椎名は耳を染めてゆっくりと手を上げる。可愛い。
俺たちは地区センの自動ドアを通った。早々に見えるのは緑色の掲示板だった。地域の行事情報やボランティア活動、うちの学校イベントの張り紙などが貼られていた。
俺たちは受付を済ませるとロビーへと向かった。ロビーにはベンチとソファが用意されていて、大抵そこには携帯ゲームや、レンタルしたオセロや囲碁で暇つぶしをする子供たちがいる。一時期とある囲碁漫画が小学生を中心にブームになって、子供たちでいっぱいだった。作中の登場人物がするように、人差し指と中指で碁石を挟むプロ棋士っぽい打ち方が流行ったのだ。
「体育館でなにすんの?」
俺は前を歩く涼介に質問した。
「バスケしよーぜ、バスケ」
「えーバスケー? 4人でどーやってすんのよ」
「テキトーに二対二でいいじゃん」
陽気な表情で涼介がそう美羽に返事した。その後ろで椎名は表情を曇らせている。
「バスケかあ……」
「赤城さんスポーツあんまり得意じゃなかったね、確か」
「そうなの……運動音痴……でも、みんなとなら楽しく思えるかもだし、わたしガンバル!」
椎名は両手をぎゅっと握って元気いっぱいのガッツポーズ。
「……うん、がんばれ!」
俺は精一杯の勇気で椎名の肩を叩いて体育館へ向かった。
体育館前で受付をしてボールを貸してもらう。予約は他に入ってないらしい。
「やった。誰もいない! コート占領!」
ドリブルをしながら涼介が体育館に入る。
しかし――体育館には既に先客がいた。藍染空を筆頭としたこの前の三人組だった。涼介を明らかに敵視している。涼介は芝居がかった口調で三人組に突っかかっていく。
「あれえー? お前たち体育館の予約してないでしょ」
「してない。だからなに」と空が長い髪で表情を隠しながらそう言った。
「おれたちはちゃんと受付でこの体育館使っていい権利を得た。お前ら不正入場者はお断り」
涼介の相手を挑発するような台詞に空が眉をひそめる。
「ちょっと緑谷、やばいよあいつ藍染じゃん。あんま関わんないほうが……」
美羽が緊張した表情で涼介に告げる。藍染を含んだ3人組はいわゆる不良グループで、中校生に喧嘩をふっかけたとか、校舎裏で煙草吸ってるとか、そんな噂が一人歩きするほどだ。
「大したことねーよ、こいつらどーせ集団で弱虫から金を巻き上げて喜んでるようなやつらだぜ、お前は引っ込んでろ。俺が話しつけてやる」
「そんなことはしてない。勝手に決めつけるな」
空が明らかに不機嫌な表情を浮かべた。
「ちょっと! 青岬あんたなんとかしなさいよ! 親友でしょ」
美羽が肘を突き立て俺の背中を小突く。涼介と空が睨み合いながら距離を縮める。俺がやれやれと介入しようとしたとき――か弱いながら搾り出しただろう声が体育館に響いた。
「け、けんかは……よくないよっ!」
椎名が、涼介と空の間で両手を握りしめていた。
「…………あ、赤城?」と涼介が呆気に取られる。
「けんかしちゃったら……もう戻れないかもしれないよ? はなれちゃったら……もう会えなくなっちゃうかもしれないんだよ? 緑谷くん……それでも、いいの?」
強い意志を内に秘めた真っ直ぐな茶色い瞳は涼介の瞳を見つめていた。
「誰……?この人……」
空は特に表情も変えずじろりと椎名を確認すると、涼介に尋ねた。
「こいつは――」と涼介が言葉を続けようとしたとき、俺が二人の間に入った。
「はい、涼介も藍染も。もう終わり。おしまいおしまい」
「海斗……でもよ」
「涼介……あとはおれに任せて。秘策があるんだ、秘策が」
俺は呆気にとられた表情の涼介の肩を叩くと、空に向き直った。
「藍染、わるかったよ。涼介はこの前のこともあって頭に血が上っちゃったんだと思う、おれが代わりにあやまるよ、ごめん」
「別に……気にしてない……」
「でもおれたちも体育館は使いたいんだ。今の時間帯に予約を入れてるのはおれたちだよ。受付の人に言ったらきっとおれたちがここを使わせてもらうことになると思うよ」
「……だからなんなの? 脅してんの?」
空は鬱陶しそうな表情で振り返ると、綺麗な瞳で俺を睨みつけた。改めて見ると俺より頭ひとつは背が高い。顔も美少年といった感じで、体つきもスリムだ。
「だからさ、俺と藍染のチームで勝負をしよう! バスケで」
藍染は驚いた表情をしたが、やがて笑った。きっと面白いと思ってもらえたのだろう。
「こっちは女子もいるから四対三ね。五分間でどっちがいっぱい点取れるか勝負! 負けた方が大人しく体育館から出て行く。どう?」
「いいよ、それで受ける……でもこっち三人ともバスケの朝練勢だけど……」
「構わないよ、それで。じゃあ五分後に始めよう」
空は呆気に取られた表情で俺を見てから、踵を返した。
* * *
――体育館をかけた試合開始五分前。コートの端でウォーミングアップ中。
「いや~海斗はほんとすごいわ。あんな冷静さ、おれにはない」
「なんで受付の人に言わなかったのよ。そうすれば穏便にあいつらを追い出せたじゃない!」
美羽が至極当然のことのように俺に問い詰める。
「ここであいつら追い出して反感勝って出待ちされて問題でも起こったら、意味ないじゃん」
「間違いなく起こるね」
涼介は首を縦に振った。
「なに自慢げに言ってるのよ、バカ! 緑谷が黙ってればそれですべて解決したのに!」
「おれたちもここでバスケできれば本望でしょ、二対二より人数増えたし、きっと楽しいよ」
「なにをのんきなことをっ……」
美羽は手をわなわなとさせて俺を睨みつける。
「まあまあ、平和にやってこうよ。争いはよくないって……ね、赤城さんもがんばろ?」
「ぁ、うんっ……足手まといにならないように……わたしがんばるね」
さっきの椎名の強い瞳に、俺の心は動かされた。なあなあで問題を和らげたって根本的な解決にはならない。きっとまた違うところで涼介と空が鉢合わせたら同じことが起こる。それはきっと椎名が望むことではない。先ほどと同じ顔をさせてしまうだろう。
だから一緒に同じスポーツでもすれば、今よりきっと仲良くなれると俺は踏んだのだ。試合中、体の接触で喧嘩にでも発展してしまったらそれはそれで問題だが、朝錬だけは真面目にやってるというのは聞いたことがあった。スポーツマンシップを持ち合わせているとはずだ。
「それで……勝算は?」
涼介がストレッチしながらそんなことを聞いてきた。
「ないよそんなもの。なんでおれがそんなこと考えなきゃいけないのさ」
「はー!? だってお前あたかも任せとけみたいな顔だったじゃん! つーか秘策があるって言ってたし、あれは少年マンガの心理戦的なノリじゃなかったのかよ!」
「ちがうわ! 単純にこいつなら勝負に乗ってくれるかな~、とかそんなこと考えてたよ!」
「なんでバスケにした! あいつら多分めっちゃうまいぞ」
「きっと好きだろうから乗ってくれると思って。それに勝ち負けより、楽しむのが大事だよ」
「かは、そうだ……お前はそういうやつだった。聞いたおれがバカだったよ……」
涼介は半ば諦めた表情でストレッチを続けた。……お前が空と仲良くなればそれでよしだ。
「ナチュ、お前もそう思うだろ?」
俺は隅に寄せているナップサックから頭だけ見せているナチュの頭を撫でた。
「ちょっとだけここでじーっとしててね」
すると忠犬のようにナチュは動かなくなった。美羽の訓練の賜物だった。
俺は女子陣に目を向けた。美羽が膝を立てて、体育座りをする椎名の髪に触れている。
「あんたって髪の毛きれいねえ……ムカつくくらいきれいだわ」
美羽が口でヘアゴムを咥えながら椎名の髪を手グシで揃える。
「えへへ……ほめられちゃった、うれしいなあ」
まるで椎名の周りにお花畑でも広がっているように見える。ぽわぽわとした太陽の光を浴びるたんぽぽのような笑顔を辺りに振り撒いている。
「……いつもニコニコしてていいわね。なんか悩みの一つでもないわけ?」
「んー……うーん。どうかな、えへへ」
椎名はにこっと笑って手をぎゅっと強く握った。
「まーた笑ってるし。別にいいんだけどさ……はい、できた。きつくない? へーき?」
「黄桜さんありがとう! わたしお友達に髪の毛むすんでもらったの初めてかも!」
「そうなの? あと、女子に苗字で呼ばれるの気持ち悪いの。あたしのことは名前でいいよ」
「えー、ほんとー? じゃあわたしのことも名前で呼んでもらってもいい? 美羽さん」
「いや待ちなさいよ! そこで“さん”付ける? 普通呼び捨てかちゃんづけでしょーが!」
「あっ……そうかも。じゃあ美羽ちゃん! ふふ、美羽ちゃん! えへへ……」
「な、なによっ……ちょーし狂うわね…………し、椎名」
まるで仲良しの姉妹のようにも見えてきた。もちろん椎名が妹。俺はぼーっと二人の会話劇を覗いていると、やがて気がついた美羽が顔を真っ赤にさせて襲い掛かってきた。
椎名はちょっと長めのポニーテール、毛先がぴょんと跳ねていて、それがいいアクセントになっている。美羽も肩までのミディアムヘアを椎名と同じように後ろで結んでいた。
「お、臨戦態勢ですか」
「二人ともやる気十分だね」
男子陣が女子陣をよいしょする。似合っているよ、なんてことは恥ずかしくて言えないのだ。
「二人ともルールわかる?」
「ちょっとバカにしないでくれる!? これでもわたし全国に行ったことがあるのよ!」
「はあっ? 全国!?」
涼介がでかい声で反応する。
「夢の中でね!」
美羽は自信満々にそんなことを言う。「ああ、そうかい」と涼介が呆れた。
「椎名は?」
俺はポニーテール姿の椎名に声をかける。
「わたし、ガンバル!」長い毛束を揺らしながらそう言うだけだった。
不安が絶えない男女混合チームが今ここに結成されたのだった。
「よーし行くわよ! 勝つぞー! おー!」
「「ぉ、おー」」
急に張り切りだした仕切り屋が手を手を上げる。遅れて覇気のない声が伸びる。
「ちょっとあんたらやる気あるの? ちゃんと合わせなさいよ」
なんの前ぶりもなく突然始まった掛け声にどう合わせろと言うのか。
「目標は3ー1であたしたちの勝利よ!」
きっと美羽はバスケの加点方法を勘違いしている。このとき、俺の不安が途端に加速した。