第五話 デパートの想い出
ある日美羽が言い始めた。「この部屋可愛くない」と。
椎名と遊ぶ前は俺と涼介の秘密基地だったのだから、可愛いかったら問題な気もするのだが。というわけで、俺たちは居心地のよい空間を作るべく、町を少し離れたデパートに向かうことになった。
自転車のペダルを漕ぐ俺たち。短い前髪を乱暴に風が掻き乱す。
「言いだしっぺの癖に遅いじゃん、おい黄桜、追い抜いてみろよ」
「な、なんですって! 今に追い抜いてやるわ、待ってなさいよ!」
涼介と美羽が真横を通り過ぎる。生え際をぺたっと濡らして、二人は俺たちを置いて行った。
「二人とも楽しそうだねー、仲良しさん」
同じ速度でペダルを漕ぐ椎名が笑う。さらさらのロングヘアが風に靡いている。
「なんだかんだ言いながら仲いいよね、あの二人」
「ふふ」
「どうしたの?」
「ううん、……最近毎日が楽しいの。みんなと遊べて、今までの夏休みで一番楽しい!」
「そっか……おれも! 今年が一番楽しい!」
自分と一緒にいることが楽しいと言われたような気がして、俺は心底喜んだ。
「みゅう~」
俺のナップサックからナチュが長い首をにゅいっと伸ばす。
「あっ、こらナチュ出てきたら駄目だよ」
「ナチュもきっと外の景色が見たいんだよ。ね、そうだよね」
「みゅう」
「ま……いっか」
はいともいいえとも取れるそんな鳴き声で、ナチュは俺の横に顔を摺り寄せてきた。
出会った日から俺たち四人は代わり番こでナチュを自宅へと連れて帰り、各自世話をした。
ナチュはとても人懐っこい性格で、それがとても可愛く思えた。草食なのか、肉は食べずに野菜などを好んで食べる。ちなみに、親にはぬいぐるみでなんとか押し通した。
ナチュを中心に俺たち四人は誰にも言えない秘密を共有し、友情を育んでいった。
小学校高学年の仲良しグループと言えば、男女別に遊ぶのが当時の常識だったが、俺たちはその常識にとらわれず、毎日楽しんでいた。
「おーい、海斗、赤城も早くしろよー遅せーぞー!」
「ごめんごめん、っていうかお前らが早すぎるんだよ」
……このくらいの頃は自転車があればどこまででも行けると思ってた。きっと、見えている世界が狭かったんだ。少しだけ――懐かしい。
俺たちは無料の駐輪場に自転車を止め、早々にデパートへ向かった。透明の自動ドアが開く。中はひんやり冷気と音楽が響くオアシスだった。
「うおっ~! 生き返るぅ」涼介が額の汗を袖で拭い、「あぁー涼しい」と美羽が服をぱたぱたと扇いだ。椎名はあまり元気がないのか、疲れた顔で店内を見渡していた。
「だいじょうぶ? 具合悪い?」
「あ、……だいじょうぶだよ。ちょっと疲れただけ。涼しいねデパート。ナチュは涼しい?」
「みゅう」
ナチュもご満悦らしく、愛くるしい笑みを椎名に向けた。
「…………ちょっと休憩しよう、みんな」
「休憩? なんで」
ガツガツ店内を進む涼介が聞き返してくる。
「みんないっぱい汗かいたでしょ、水分補給は大事って先生いつも言ってたよ」
「……青岬ってなんか凄い真面目なときあるよね、いつもはナマケモノみたいにしてるのに」
「まあいいから。みんな座っててよ、おれ飲み物買ってくる。なにがいい?」
「お!? 海斗のおごりかよ、悪いなあ」
「調子のんな。しっかりお金はもらう、はいさっさと出して百二十円」
「ケチー」
涼介は口をひん曲げて自分のマジックテープ財布から小銭を取り出す。
美羽は五円札を突き出してきたが、俺は彼女から小銭を出させた。
椎名の順番。椎名は――俺の服の袖を引っ張って耳元でこう囁いた。
「青岬くん……ありがとう、やっぱり優しいね」
俺にしか聞こえない声で……。頬を赤く染めて……そう言った。椎名が。
飛び出そうになる胸を押さえて、俺は逃げるように自動販売機へと向かった。
……やっぱりってなんだろう。赤城になにかしたっけ……。俺はそんなことを考えていた。
入り口付近のソファで一休みした後、俺たちはエアコンが効いたデパートを歩き回った。美羽はクッションやお洒落なラグ、可愛いカーテンを取りつけたいと、ブロックシールが所狭しと貼られたプロフィール帳を手に張り切っていた。椎名もその熱気に感化されたように美羽の後をついて歩く。だが、どうも俺には無理をしているように見えた。
「……なんか赤城元気なくない?」
涼介が頭に手をやりながらそう言う。俺は空返事をした。
デパート内の地図を確認すると、俺たちは暮らしのフロアに向かった。生活インテリアなどが置いてある場所である。
「――うーん……どっちが可愛いかな……緑谷どっちがいいと思う?」
「え? なんでおれにきくの」
「え!? いいじゃないそんなのっ、きいてみただけよ」
「よくわかんないけど、お前が気に入ったのでいいんじゃない?」
涼介はあくびをしながら答えると、美羽は購入もしてないクッションに顔を埋めた。
……ここで、俺はとある視線に気がついた。少年が、指を咥えて俺の背中に注目している。
「ままー、あのぬいぐるみほしい」
母親らしい人物が少年の指先に注目する。
「まぁ、ずいぶんよくできた人形なのね~」
「みゅう」
ナチュは少年に挨拶でもするように言う。
お母様が驚いた猫のように目を見開く。そこで、俺の背後から椎名が顔をひょっこり。
「みゃおおー。ふふふ、正解はわたしだよ~」
「お姉ちゃんの声だったのね、あー驚いた。ほら行くわよ、あんなのどこにでもあるわ」
椎名の機転の利いた対応によって、ナチュの秘密は守られた。
「ありがとう。危なかった……変な汗かいちゃったよ」
「ううん、みんなの秘密だもん。……あっ」
素敵なものを見つけた妖精のように、椎名は目を輝かせてすっ飛んで行った。
「わー、かわいい」玩具コーナーで椎名がぬいぐるみに次々話しかけ始めた。
背中のナチュは商品を自分の仲間とでも思ったのか、不思議そうな顔で眺めていた。
「わたし、ねこちゃん飼ってたんだ」
椎名は垂れ耳の猫を胸に抱いてぎゅっと抱きしめた。
「へえー……名前は?」
「…………みゅうちゃん」
俺は言葉を出せずにいた。ナチュの名前を命名するとき、椎名はその名前を口にしたからだ。
「この前死んじゃったの……きっと寿命だったんだと思う……でももう受け止めたの。大好きだったみゅうちゃんは死んじゃったけど、だいじょうぶ。みんなと仲良くなれて……ナチュとも出会えて……今こんなに楽しいもん」
椎名はだんだん涙で湿ったような声になる。彼女は瞼から小さな雫をこぼす。
「夏休みに入る前、お父さんとお母さんとデパートに来たときね、二人喧嘩をしちゃったの。話の内容はよくわからなかったけど、わたしの将来をどうするかって話だった。お父さんはお医者さんだから、わたしのこともお医者さんにさせたいみたいなんだけど、お母さんがそれに反対してたの。この子の将来を勝手に決めないでって。それから二人はあんまり話さなくなっちゃったし、最近お父さんはおうちに帰ってこない……。お兄ちゃんも元気なくなっちゃって中学校行かなくなっちゃうし、大好きだったみゅうちゃんもいなくなっちゃった……」
椎名は好奇心旺盛な子だ。新しいことや知らないことに目を輝かせて喜ぶ姿がよく似合う。きっとお母さんはそんな娘の原石のような可能性を、旦那さんの一方的な思いで決められたくなかったんだろう。俺がもし父親なら彼女のやりたいことをやらせたいと思う。
「大事な人が……わたしからどんどん離れて行っちゃう…………嫌だよそんなの」
「みゅうー」
ナチュが濡れた椎名の頬を短い舌でぺろぺろ舐める。
「あはは、ナチュありがとう。慰めてくれるの?」
ナチュはもぞもぞとナップサックから抜け出して椎名に飛びついた。
「きゃ、ナチュったら~……ふふふ。ありがとー」
椎名は飛び込んできたナチュを優しく抱きしめた。
「青岬くんは…………どっかに行っちゃわないでね……」
意味深な椎名の言葉に、かける言葉を見つけられない。
「おい海斗~、なにしてんだよ――ってナチュ出てるじゃん! 隠せ隠せ」
「この際ナチュにぬいぐるみのマネできるように教え込む必要があるかもしれないわね」
俺たちは、美羽が厳選したインテリアグッズをなけなしの小遣いで割り勘購入し、マッサージチェアで遊んだり、ゲームコーナーで新作のプロモーションビデオを観賞したりした。
帰り道、椎名は笑顔を取り戻していたが、俺は彼女のことで頭がいっぱいだった。




