第四話 秘密基地での邂逅
「本当に青岬くんのおかげだよ、ありがとう」
椎名が満足した表情でぺこりと頭を下げてきた。
「ぜんぜんいいって。それに、あんまりほめられると照れる」
「おれがあのわがまま女と争ってるってときに、お前そんなことをしてたのか!」
プール上がりの少し濡れた髪で俺たちはそのまま秘密基地へ向かう約束だった。
「ねえ、なんかついて来てない?」
「……ちっ、あいつか」
「黄桜さん……?」
俺たちから十数メートル離れたところを私服の美羽がつけている。短めのホットパンツにカットソー、シンプルでありつつもお洒落な出で立ちの少女だ。
俺たちが歩みを止めると、美羽は近くの木に姿を隠す、隙間からは小ぶりなお尻が見えている。頭隠して尻隠さず。
「……どーすんだ、海斗。あいつきっとついて来るぞ」
「んー……じゃあもう仲間に入れようか、おれ声かけてく――げっは」
涼介が俺のフードシャツを掴んだ。ぐえっ。
「や、やめとけ……もしかしたらおれらの秘密基地をぶっ壊すのが目的かもしれないぞ」
「はは、そんなわけないだろ~」
「そうだよ緑谷くん、黄桜さんは元気でとってもいい子だよ」
「いや、あいつは昔おれの筆箱に牛乳ぶっかけたし、給食のときは常に俺がおかわりしようとするものに手を出すし、音楽の授業ちゃんと歌いなさいよね! とかうるさいし、とにかく色々やばいやつなんだよ!」
牛乳のときは躓いちゃって涼介にかけないようにしたら筆箱にかかっちゃっただけだし、おかわりの横取りについても涼介ともっと接点を作りたかっただけだと思うし、音楽の授業はお前が真面目に歌わないから注意しただけだろう。……と俺は言わないでおくことにした。
「……まー、じゃあちょっと様子見てみよう」と俺は提案する。
「ちょっとって、最後までついてきたら秘密基地の場所がバレちゃうぞ、いいのかよそれで」
「まーまー、そのときはおれに秘策があるからまかせといてよ」
涼介は面白いくらいに顔を歪め不満をあげながらも承諾した。思えば幼い頃から俺のわがままを結構聞いてもらっている。涼介はあまり自分から意見を通すタイプではなく、悪く言えばテキトーで人任せだが、俺の提案をしっかりサポートしてくれるのは昔から変わらない。
* * *
秘密基地に到着。樹木の下で俺たちのツリーハウスを見上げる。
美羽もしっかりついて来たようで、秘密基地を見上げてあんぐりと口を開けたままだ。
「……ちょっと、なによこれ」
「……ここはおれたちの秘密基地だよ」
「つーかなんでついて来てんだよ、黄桜」
涼介の反応が気にくわないのか、美羽が不満そうに椎名のほうを向く。
「おれたちって……赤城さんも?」
「……うん。そうだよ」俺は素直な返事を返した。
せっかく整った顔立ちなのに、さっきよりも表情をぶすっとさせて、美羽は唇を尖らせる。
「……――ってもいいわよ」
小さな声でぶつぶつと美羽は頬を赤くして言った。このときはそんな言葉はなかったが、後に言う『ツンデレ』と言うやつだ。『萌え』要素の一つ。ツンツンデレデレ。
「はー? なんて言ったんだ? 聞こえなかったぞ」涼介、挑発モードに入る。
「あ、あたしを仲間に入れてもいいわよ! ……って言ってんのよ」
「海斗、なんでこいつは上からなんだ?」
涼介は呆れた表情で俺に質問する。
「いや、おれに聞かないでよ」
「早くしなさいよ……あたしを仲間に入れなさいよ!」
――黄桜美羽が半ば強制的に仲間になりたそうにこちらを見ている。仲間にしますか? というウィンドウが俺には浮かんだ。
「いや別にいいよ」
涼介が迷惑そうに片手をしっしと振ったとき、椎名が前に飛び出した。
「ほんとー? 黄桜さんも一緒に仲間になってくれたらわたし嬉しいな。同じ女の子だし」
椎名がもし動物だったら子犬のように尻尾を振って美羽にくっついていくのが目に浮かぶ。
俺は最初からそのつもりだったが、椎名がいれば涼介でも選択肢は、『はい』を選ぶだろう。
「おれは初めからそのつもりだったよ黄桜。おいでよ、おれたちの秘密基地に」
「えー! なんだよ海斗、まじかよ、秘策ってこれのこと?」
「青岬くんありがとう!」椎名がご褒美をもらった子犬のように駆け寄ってくる。かわいい。
俺たちは美羽を連れて樹木の螺旋階段を上った。俺は美羽に開けてみなよ、と扉を譲る。
涼介は相変わらず不満そうな顔で美羽を睨んでいたが、睨まれる彼女はきっと涼介と同じグループに入れたのがとても嬉しいのだろう、心なしか微笑んでいるように見える。
「――え! な、なにこれ…………」
笑顔だった美羽が、血相を変えて叫ぶ。
「どうしたの?」なにをそんなに驚いているのか。俺は美羽の横で部屋の中を確認する。
――そこには、赤ん坊のように頼りない足取で、タオルケットが部屋中を歩き回っていた。
目を疑う。タオルケットがずり落ちて中から見たこともない生き物が出てきた。
「なんだ…………こいつ」
俺は瞬きを忘れ、秘密基地に入った。
俺の気配を感じたのか生き物はちゃぶ台の下に姿を隠し、長めの首を隙間から覗かせる。
「みゅう?」
クエスチョンマークがついた鳴き声にも驚いたが、犬や猫のように顔面に表情があった。
「み、みんな……来てみろ、は、早く!」
「なんだよ海斗まで……ってうわあ! なんだこいつ!」
「す、すごい! 青岬くんが言ってたとおり……本当に恐竜が産まれちゃった!」
涼介が足下を指差す。
「……海斗、卵割れてる」
改めてちゃぶ台の下に隠れた生き物をもう一度よく見てみる。
卵と同じ碧色の体躯をしていて、大きさは産まれる前の卵より一回り小さい。手はヒレのようになっていて、それで地面を歩いていたようだ。椎名の言ったとおり、パッと見は恐竜だ。プレシオサウルスの赤ちゃんと言えばしっくりくる。少し大きめの頭からは植物らしきものが生えていて、それがこの生き物の不思議な雰囲気をさらに際立たせている。
「こいつ……ネッシーの生まれ変わりかな!?」
涼介が嬉々とした表情で興奮する。
「わかんない……でも似てるね。首長いし」
「はわぁ……恐竜だあ~……」
椎名は目を輝かせて、小さなネッシーを見つめる。
「ちょっと! なにがなんだかわかんないけどあたしもちゃんと仲間に入れなさいよ!」
部屋の外で尻餅を付いて固まっていた美羽がどかどかと部屋に突入してきた。
「なんだよ、今大変なことになってるんだよ、部外者のお前はさっさと帰れよ」
「なっ! あ、あたしだってもう仲間だもん! やだ! 絶対帰らないから! いーっだ」
「涼介、黄桜はもうおれたちの仲間だよ。こいつのことも見ちゃったし、仲良くしなよ」
「ちっ……」
「……フンっ」
今にも口喧嘩が始まりそうだった涼介と美羽の間に入り、俺は事の顛末を簡潔に説明した。椎名が裏山で拾った卵を三人で育てていたこと。今日来てみたらその卵が割れていて、この生き物がいたということ。
「ふうん……ってほんと映画みたいな話ね」
いつの間にか美羽は秘密基地でくつろぎ始めた。 ちゃぶ台に片肘をつけてお茶も出さないの? とか言い出しそうだ。
「にしてもマジで凄いな。まさか恐竜が出てくるとは思わなかった。海斗、お前は予言者か」
俺はノストラダムスのような大予言をかますつもりも、ジョン・タイターのように未来から来たわけでもない。しかし実際現実味のない出来事が起こっている。
「名前を決めよう……」
俺は唐突にそう口にした。
「海斗、お前マジで飼うつもりなのか」
「マジ」
「わああ、名前かあ~……ふふ、あなたはなにがいい?」
「みゅう?」
椎名はネッシーくん(仮)に楽しそうに訊いている。
「じゃさじゃさ! みんなでその子の名前をノートに書いて見せ合いっこしましょうよ! 一番いいと思った名前にするの」
美羽はうきうきした声で、ちゃぶ台に置いてあるノートを勝手に破り手渡してきた。表紙には『3年1組 じゆうちょう 青さき海と』と乱雑な字が油性ペンで書かれているのだが。
「その前にまずそいつをちゃぶ台から出そう」
俺はしゃがみ込んでちゃぶ台の下に隠れているネッシー君(仮)の姿を確認すると、両手で脇を掴み、引き出す。とても不思議な感触だった。表面はぷにぷにしているが、奥は硬い肉で覆われている。そしてほんのり温かい。温かさから哺乳類のような印象を感じたが、毛は一切生えてない。それっぽいものといえば頭に生えた植物だ。
「不思議な生き物だなあ……」
「みゅうー」
くりんとした可愛らしい瞳が、愛くるしくぱちぱちとしている。俺の顔を見ると、長い首を伸ばしてきた。結構人懐っこいのかもしれない。俺たちがとても気になっているようだった。
「ちょっと! 青岬ずるいわよ、あたしも触りたい!」
「まてまて、次はおれだろ、団員ナンバー2なんだからっ」
団員番号など存在しないはずだが。俺は二人を無視し、じっとこちらを見つめてくる椎名に手渡した。
「わあ、かわいい……」
椎名は可愛らしく微笑むと、ネッシーくん(仮)を胸にぎゅっと抱き寄せた。羨ましい。
その後美羽、涼介と順番に抱っこし、不思議生物をちゃぶ台に乗せ――命名会議が始まった。
一番手、美羽。命名『よもぎもち』
「なんだこのヘンな名前、食うの?」
涼介が呆れた表情で言う。
「うるさいわね可愛いじゃない、よもぎもち。ねー、あなたもそれがいいわよねー? あだ名はねー、よもちゃんかもっちーかしら。ねね、どっちがいい?」
「……」ネッシーくん(仮)見事までに無反応。
二番手、涼介。命名『ディレクターズ・カット』
「あんたこそなによそれ、映画の宣伝じゃないんだから」
「かっこいいじゃん、こう特別ですよ! みたいなさ」
「なにが特別なの?」と俺。
「……深い意味はない」
「呼びにくいかなあ……」
最後に椎名がぼやいた。
三番手、椎名。命名『みゅうちゃん』
鳴き声そのまんまである。
「みゅうちゃんはみゅうちゃんだもんねえ~……」
「普通ね……」と美羽がつぶやいたのが印象的だった。
四番手、俺。命名『プレシオンイグニトス』
「お前がつけそうな名前すぎて笑うな、これ。てゆーか昔一緒にオリジナルモンスター考えたときそんな名前のやついなかった?」
覚えてやがるとは……変なところで記憶力がいいなこいつは。と俺は改めて思う。
「由来は?」と美羽がまっすぐにこちらを見つめて尋ねる。
「え……由来? んー……か、かっこいいから……」
「それじゃ緑谷とおんなじじゃん!」
「男の子ってかっこいいのが好きだよね、ふふふ。おもしろい」
椎名は口もとを押さえて笑う。
四人の命名が出揃ったところで、この中でネッシーくん(仮)の名前が決まろうとしている。
「……いや、ないだろ。ディレクターズ・カットがダメならもうぜんぶダメだろ」
どこから出てくるんだその自信は。よくわからないがとにかく駄目らしく、涼介はもう駄目だこりゃ、おしまいだ。あーあ俺のディレクターズ・カットがぁ……と床に寝そべった。
「よもぎもちが駄目だと、赤城さんのがマシだけど、普通過ぎてつまんないのよね」
「へ? ……つ、つまんない……」
椎名がガーンと、ショックを受けている。ああ、なでなでしてあげたい。
俺は考えた。みんなの意見である可愛さ、格好良さ、呼びやすさ、全てを兼ね揃えた名前……それにすっかり忘れていたが、こいつ自身に合う名前じゃないといけないのは当たり前だ。……俺たちとこの生き物は夏に出会ったんだ――。俺の中に一つの名前が浮かび上がる。
「ひらめいた!」
俺は勇ましくノートの切れ端にペンを走らせる。あっ……すっごい書きにくい。
「おお! マジか海斗」
五番手、俺。命名『ナチュ』……因みに姿勢が悪かったせいで字はめちゃくちゃ汚い。
「…………」
渾身の命名だったはずだが……? 周囲の反応はない。表情を固まらせている。
「聞いてもいい?」と美羽が挙手する。
「なんて書いてあるのか全然読めないんだけど。十千ュ?」
「ナチュだよ。こう、夏ってなんかかっこいいじゃん。だからそれをかわいくアレンジしてみた。どう、呼びやすいでしょ」
静まり返る場の雰囲気。
「ナツでナチュか……確かにこの顔見てるとこいつはナチュっぽい気もしてきたな」
「なんかすっごいダサいけど……まあ、悪くないんじゃない」
「ナチュ~! ナチュ~!」
「じゃあ、ナチュで決まり!」
「みゅう!」
俺たちは不思議な卵から産まれた謎の生命体を『ナチュ』と名づけることにした。
ナチュも喜んでくれている気がした。名づけ親になれたことが、俺はとても嬉しかった。




