第二十九話 願いと決意
恭一郎先生の家に到着。リフォームされた真新しいリビングへと足を向かわせる。
リビングへのドアを開くと――そこには懐かしい面々が待っていた。
最初に俺に抱きついてきたのは――涼介だった。
「……馬鹿野郎が……遅かったじゃねえか」
「涼介……」
俺は涼介の背中をぽんと叩く。解放されると目が合った。涼介がなにも言わず腕を上げる。俺も同じように掌を向け――ばちんと思い切り叩き合った。
涼介は口元を緩めてその場を離れた。すると隠れていた美羽がその場で涙を流し始めた。
「うわぁぁ~ん……海斗だあぁ……死んじゃえって言っちゃってごめんなさいぃぃ」
「いつの話だよ、そんなこと気にしてたの、美羽」
美羽は大声で泣き叫んだ。どうやらずっと気にしていたらしい。誰よりも優しい美羽らしい。
突然、ぽむんと柔らかい二つの感触を背中に感じる。
「……海斗。よかった、戻ってきたんだね……ボクっ、ボクは……」
そういえばこいつは女になったんだった。……それにしても胸がでかい。美羽と同じくらいかそれ以上。すっかり女の匂いになってしまった空は俺をしばらく離してくれなかった。
「空。色々あったけど、もう気にするなって」
きっと空は自分自身を責めているはずだ。かつて俺が自分を責めたように。
「俺たちはナチュの陣。どんなことだろうと、責任を負うのはリーダーの俺だ。……どうしても叶えたい夢だったんだろう? なら、いいじゃんか。夢が叶って」
空が椎名に特別な視線を送っていたのは異性間の好意ではなく、憧れみたいなものだったのかもしれない。中学時代に美羽に相談していたというのも合点がいった。空の綺麗な黒髪は女性の象徴みたいなものを感じさせる。
「……ありがとう」
空は大粒の涙を流して俺に礼を言った。
「泣くなよ、男――じゃ……なかったわ」
言い間違えそうになると、笑いが起こった。こうしてみんなで笑い合ったのは久しぶりだ。
俺は椎名を見つめる。昔から変わらない愛らしい癖がついた赤茶のロングヘア。
「……海斗くん……おかえりなさいっ」
「椎名……ただいま」
椎名はお日様の光を浴びたたんぽぽのような笑顔でまなじりから涙を流した。
俺を蘇らせるために一番努力し、俺がこうして生きていられるのも彼女のお陰だ。
「ひゅーひゅー!」
俺と椎名の穏やかな空間を切り裂いたのは涼介だった。
「いやあ、お熱いですなあ、お二人さん!」
涼介は俺の肩をばんばんと叩いてから、そのまま耳打ちしてきた。
「海斗、安心しろ。中学時代俺は椎名と付き合ってたが誓ってもいい。彼女とはなにもなかったぜ。それに多分今だって……」
「今だってなんだよ……」
「お前の未来の嫁さんを前にして俺に言わせる気か? 勘弁しろよ」
「未来の嫁さん……? 一体なに言ってんの? お前ら好き合ってたんじゃ……」
「椎名に変な虫を寄せ付けないためさ。ま、頑張れよ。モテ男っ」
涼介は俺から離れると、椎名をにやにや見つめた。椎名は涼介と目が合うと耳まで紅潮させて、太ももの前でもじもじする。恥じらう姿がこれほど可愛い人もそういないだろう。
「こら君たちは! 一体なにをしているんだああああ!!」
息切れした恭一郎先生が突然リビングに飛び込んできた。
「うっわ、恭一郎せんせだ。気持ち悪っ」
へとへとで汗だくの恭一郎先生がテーブルに突っ伏す。
さっき車の中で会話したときとは別人のようだった。ついに白髪のほうが多くなったらしい。
「言ったじゃないか、再会は簡単に済ませるって! いいかい!? 地球の危機なんだよ! 君たち本当にわかってる!?」
恭一郎先生は狂気じみた表情で、見開いた目を俺たちへ向ける。
しかし俺と目が合うと、途端に瞳を潤ませて眼鏡を外した。
「……ふん。まあ……その、なんだ……海斗くん……おかえりだな」
涙声である。
「な~にが『おかえりだな』だよ。眠れないどうしよう、って一番面倒くさかったの誰だよ」
「なっ……なにを言うか! 涼介くんだって夜中に何度も起きて柄にもなく夜空を観に行ったのを私は知っているぞ、きっとクサイ台詞の一つや二つ、月に向かって語っていたんだろ?」
「語ってねーよ! 考えてただけだ! ふざけんな!」
恭一郎先生と涼介が大人げなく口論を繰り広げる。俺は呆れつつもいつの間にか昔のような関係に戻ったみんなが嬉しくて、表情から笑みが溢れた。
「はあ……男ってなんでこんなに照れ屋なのかしらね。素直に会えて嬉しいでいいのにね」
ため息をつく美羽。その横でにこにこ笑顔の唯香さんが俺たちを眺めて言った。
「全員集合……ですねっ」
「みんな……久しぶり。また会えて俺嬉しいよ。…………ナチュの陣、再始動だ!」
きっと、今まで生きてきた中で一番いい笑顔で笑った。
――世界を救うのはちょっとばかり遅らせても神様も許してくれるだろう。俺はみんなの笑った顔を目に焼きつけた。
* * *
リムジンで俺たちはかつてキャンプをした『ハゲ親父の頭』を目指した。
「願える回数はあと一回だけ。それで暴れ回っているカオスナチュを無力化することが今回の目的だ。ただし、ナチュに危害を加える願いは叶えられない可能性が高い。だから穏便に無力化する方向で考えてみてほしい」
「……そもそもなんでナチュが二匹になっちゃったんです?」
俺の疑問には助手席の唯香さんが答えてくれた。
「……海斗くんがこの世からいなくなってしまったことで、宇宙の理が崩れたんです。『宇宙樹』もちょっとしたパニックになってしまったんですね。ナチュが長期間眠っていることにも懐疑的だったようです。そこで『宇宙樹』は次の願いがなされたとき、ナチュが分裂するように仕組んだみたいです。しかも一年というリミットをつけて。それを過ぎたとき、地球はカオスナチュの状態で地球の存亡を決めてしまったと思います」
「俺が……宇宙に影響を与える?」
「言ったでしょう? あなたたちは特別な存在。一人でも欠けてしまったら、それだけでこの宇宙の理は崩れてしまうんです。そんなあなたたちに、この地球は託されたんですよ」
「……チャンスは泣いても笑っても一回きりだ。これで地球の有無が決まってしまうだろう」
カーナビから町の被害が俺たちの目に届いた。“ETCA”も苦戦している様子だった。
「あとは頼んだぞ、君たちは地球の未来を守るために宇宙より選ばれた五人の救世主だ」
恭一郎先生が後ろを振り返って親指を立てる。
「まるでハリウッド映画の登場人物みたいだな」
涼介は子供のような表情でにやりとした。
「あんたってどこまでもお気楽なやつよね。緊張とかしないのかしら」
「なーにが緊張だよ、全世界の命が俺たちにかかってるんだろ、なのに移動中に睫毛いじくってるお前も相当どーかしてんだろ」
「だ、だって、テレビとかに映ったらどーすんのよ! そこは気合い入れないと」
「あー、バカだこいつ。知ってたけど」
「ま、まあ二人とも……」と椎名。
「ほっときなよ、下手なテレビより面白い」
空が呟く。
これから地球を救いに行くとは思えない俺たちを眺めていた唯香さんが助手席から一言。
「私たち七人が出会ったのは本当に奇跡……。でも、きっと必然だったんです」
俺たちは揃って顔を傾げたが、唯香さんはくすりと微笑んだ。
「っつーことで……頼むぜ、リーダー!」
涼介が俺の背中を力いっぱい叩き、笑った。みんなもお互いの表情を確かめうなずく。
俺はそれに応えるような形で言った。
「任せろ!」
天頂に到着すると、そこには町で暴れるカオスナチュと同等サイズの白と瑠璃色を帯びたナチュがいた。とても穏やかな表情で、集まってきた俺たちをじっと見つめて、啼き声を上げた。
「きっと海斗くんに久しぶりに会えて嬉しいんですよ」と唯香さん。
「……なんだよお前、俺のこと食い殺した癖に。わかってんのかね」
「みゅう~」
そんなこと知らないよ、と言いたげな表情でナチュは眼を細めて俺にすり寄る。
ナチュの眼と俺の身体がほぼ同じサイズだ。もう途轍もなくデカい。昔のように頭を撫でることはできそうにないな、と思いながら俺は頬を緩めた。
「さあ、時間がない。始めよう」
そう切り出したのは恭一郎先生だ。もう感傷にひたるのは止めたらしく、手を叩きながら俺たちを一カ所に集める。願う役割はリーダーである俺に一任された。内容に関しては『町で暴れているカオスナチュを鎮め、こちらのコスモスナチュと合体させ一匹に戻す』というもの。イメージは、“カオスナチュ”と“コスモスナチュ”対極的な属性を持った二つの存在を中和させ、初期状態である“ニュートラルナチュ”に戻すこと。これで地球滅亡は防げるだろう。
「じゃあ……やるよ、みんな」
俺は視線を浴びながらナチュに手を触れて願った――。
――しかし……。なにもおこらなかった! 大昔のRPGのテキスト文章が脳裏を過ぎる。
「おい海斗なにやってんだ、ちゃんとやったのかよ」
「やったよ! めっちゃ考えたよ」
「おまえの想像力がヘボいんじゃね、ちょっとどいてみ」
しかし、やっぱりなにもおきない。
「……なぜなにも起こらない!? 今まで私たちがやってきたことは一体なんだったんだ……」
一人膝を折って地面に嘆き崩れる恭一郎先生。
「……おかしいですね……ちょっと待ってください」
唯香さんがナチュに近づき頬に触れた。すると辺りが青白い光に包まれた。
ふと視界に入った椎名が顔面蒼白になっていた。
「既に……七回分の願いが叶い終わってる……ナチュは進化の最終形態まで到達してます」
唯香さんが驚いた表情で後ずさりする。
「ごめんなさい……きっと、それは私のせいです」
そう言ってその場に泣き崩れたのは椎名だ。
「椎名?」
なぜ椎名が泣くことがあるのか。
今まで叶えてきた願いを数えても六回分のはずだ。なにかが漏れている? それとも誰か知らぬ間に願い叶えていたということか? ……だが、今そんなことはどうでもいい。
俺は泣き崩れる椎名に手を差し伸べ、言った。
「……戦おう」
その言葉に周囲はぽかんとする。涼介が質問してきた。
「戦う? なに言ってんだよ海斗」
「涼介も小さい頃見たでしょ、怪獣映画。あれを俺たちがやるんだ」
俺は椎名を立ち上がらせて、ナチュの頬に手を添えた。
「――いける? ナチュ」
「みゅーう!」
躰を青白く輝かせ、ナチュは俺の意図汲み取るように返事をした。
「海斗ちょっと待てって。怪獣映画って……二匹のナチュを戦わせるってことか? どっちにせよナチュを殺しちまったら、地球は終わりなんだぞ、わかってんのかよ」
涼介が苛立ちながら突っかかってくる。そんな涼介を招く。
「涼介……ちょっと来てみ」
「なんだよ……」
涼介は手のひらをナチュにつけ、俺を見てにっと唇の端を上げた。
「まったく、このクソゲーム脳が。でも俺はお前について行くぜ。今までも、これからもだ」
「ゲームの脳って言うなって言ってんだろ」
涼介と俺は笑って手のひらを叩き合った。
「……ボクは自分の人生が変わるほどの願いを叶えさせてもらった。この中の誰よりもナチュの陣に借りがある。……だから」
俺や涼介と同じく空は青白い光を放つナチュに触れた。
「……なんだってするさ」ニヒルな笑みを浮かべながら言う。
「まったくもう! しょうがないわねっ、あたしがいないと盛り上がんないんだから!」
美羽はずかずかとこちらに歩み、俺たちと同じようにナチュに触れた。
「相変わらずうるせえやつだなー、帰ってもいいよ別に」隣の涼介が呆れた表情をする。
「はぁ!? なっ、なによ! あたしがいないと実は寂しいくせに!」
美羽はぷくっと頬を膨らませて涙目で涼介に訴えかける。
「いや、全然……」
「なっ、そんなの嘘よっ!」
「いや……別に……なんかごめん。ほんとに。マジで」
「……へっ」
美羽が意表を突かれた表情で変な声を出した。美羽は純粋だから、涼介の冗談を本気で受け取ったのだろう。とりあえずフォローすることにした。
「いい加減にしなよ涼介。美羽泣きそうじゃんか」
「だってこいつからかうのおもしれーんだもん」
「…………バカぁ!!」
美羽のビンタが涼介の頬に炸裂するのは至極当然のことだった。
「……」
俺は涙目の椎名を見た。あんなに弱い女の子だったのに、もう大人の女性だ。彼女が俺の命をこの世に再び戻してくれた。誰も考えもしなかった死者蘇生を、科学的根拠と、凄まじい想像力を駆使してやってのけた。きっと歴史書に残るくらい偉大な人物であるはずだ。
だが……泣きべそをかいている女の子は、俺にとっての初恋の人で、今も好きな人だ。
「椎名……本当に……ありがとう」
「……へ? い、いや……その、私いつも海斗くんに助けられてばっかりだし……それに」
「私のせいだって? なにに負い目を感じてるか知らないけど、いいよもう全部忘れて。俺は椎名に感謝してんだから、受け取っておいてよ」
「……海斗くん」
椎名は余計に瞳を滲ませながら鼻を啜った。
「ハンカチ、使う? って持ってないし。“あっちの俺”は持ってたのに」
椎名は俺の呑気な姿を見て涙を拭う。えへへと照れ笑いを浮かべ、目を合わせてきた。
綺麗な紅色の瞳に俺が映し出され、宝石みたいに煌めいた。
――ああ、なんて綺麗な目をしているんだろう。
長い時間見つめ合っていたせいか、俺たちは少し顔を赤くさせて視線を反らし合った。
「なんか中学生みたいな恋の熱視線が今この場に」
おどける涼介をバカ、と美羽が叩く。
「椎名……今って彼氏とかいなかったよね、確か」
俺たちを見つめながら空がぼそっと呟いた。
「ぅ、うん……はい。いない……です……けどっ」
椎名は長い髪を耳にかけながら、なぜか敬語で答える。
「……だってさ」
空がわざわざそんなことを俺に報告してくる。なんのつもりだお前は。
「おいおい、空にここまでさせるのかよ海斗きゅんはー」
「は? なんだよっ」
俺は顔をより紅潮させながら、気がつかないふりを押し通す。
「お前もめんどくさいやつだよな。ま、頑張れや」
「うっさい」
吐き捨てる俺の頭を涼介は馬鹿にするように乱暴に撫でまわす。
椎名はぽつねんと俺と涼介に視線を向けたまま固まっていた。
「はあ……二人とも苦労するわね、これは……」
美羽が呆れて呟く。俺と椎名はどこか気まずい気持ちのまま、目を合わせることができなかった。
「……こら君たち! 青春恋愛もいいが早く地球を救ってくれよ!」
やっとの思いで話に割り込めた恭一郎先生が叫んだ。
俺たち五人はナチュの元に集まり手を添えた。すると、ナチュが碧い光の粒を放ち始めた。
――俺たち五人は少しずつ地面から離れ、宙に浮かび上がっていた。
「うおおお! なんかすげええええ」
涼介が大声で騒ぐ。
「これは……一体」
恭一郎先生が唖然とした表情で俺たちを見上げる。
「ナチュにこんな力があるなんて……」
唯香さんも驚きの表情を隠せないようだった。
「ひゃああああ~んっ、怖いいいいい!! なによこれえええ」
美羽がタイトなミニスカートを押さえながら泣き叫ぶ。
「大丈夫。なんか透明の壁がある」
空がなにもないはずの空間に手を伸ばした。
「難しく考えすぎていたんだよ、俺たちは。地球を救う願いを叶えてもらうだなんて、そんなのナチュにしてもらうことじゃない。……だから俺はナチュに聞いてみたんだ、俺たちと一緒に戦ってくれるか? って。ナチュは仲間として――それに応えてくれた」
「みんなお願いします! 地球を救ってください!」
「頼んだぞ、ナチュの陣!」
小さくなった恭一郎先生と唯香さんを見下ろし、俺は目で合図をした。
最終的に到着したのはナチュの頭の上だった。
地球の命運をかけた、宇宙との決戦もついに最終章だ――。




