第二話 小さな未知との遭遇
ベッドから身体を起こすと背中に汗をかいていた。窓から吹き込むあっつい風。
夏くらいエアコンはおやすみタイマーなしの冷風二十五℃で寝たいところだが、経済的都合で我が家はそれを許さない。タイマーが切れると母親が窓を開けに来るシステムになっている。
昨日は、涼介を含むクラスの仲のいい友達と川へ飛び込んだり、蜂を捕まえたりと、スリル満点の遊びに明け暮れていた。
そして今日は涼介と二人で自由研究の題材を探しに裏山に行くことになっている。夏休みの宿題など、最終日にやる気マックス。必然的に毎年そうなるだけなんだけど。
身支度を済ませてリビングに入ると、弟と妹が口をぽかんと開けてソファを占領していた。昔のアニメの再放送を観ているらしい。横で立って眺めているとチャイムが鳴った。
「よー」
プリント付きのシャツに短パンの涼介が、帽子をエロ被りしていた。小学生の鏡だな。
「おー、おはよー」
今日はいつものグループで自由研究の題材探しをする予定だったが、みんな都合が悪くなったらしく、結局涼介と俺の二人だけになった。涼介と二人のときは別段喋ることがなくても、気まずくなったりしない。家にお邪魔しても別々の漫画を一日中読んでいるような関係だ。それだけテキトーでいられるのは、今思うととても貴重な存在のような気がする。
「薄情なやつらだよ、きっと夏休み中にレベル上げまくってんだぜ、あいつら」
「だいじょうぶだよ、レベルが上がったところで負けたりしないよ、おれは」
「おっ、流石はゲーム脳! 言うことが違うね」
「ゲーム脳じゃないって言ってるだろ!」
「お前それ言うと怒るよな」
涼介はにししと笑った。
当時そんな言葉が流行っていて、平均して一日五時間以上をゲームをするやつはクラスのみんなからそう呼ばれていた。ゲームでできた友達も多かったし、あまり気にもしなかったが、そう決め付けられるのは腹が立つ。
ちなみに当時の俺の将来の夢はゲームクリエイターだった。お店でゲームを売ってくれる店員さんが作っているんだとばかり思っていた。ゲーム屋さんとゲームクリエイターが違う職種なんだということに気がついたのは、小学校高学年になってからだ。なんて呑気なやつなんだ。
俺たちは裏山の入り口付近にある木漏れ日の洞窟(勝手に命名)を歩いていた。ここはとても涼しい風が山から吹いてくる。ジブリ映画に片足を入れたような気分になってしまう。
生い茂る木々は、まるで日傘のように夏の日差しから俺たちを守ってくれる。
「さーて、なににする? 海斗」
「んー、虫の観察日記とか?」
「虫かー、カブトムシかクワガタじゃないとやる気でないな」
「なんかレアな虫とかいないかな」
「光るコガネムシとか出てくればな~、盛り上がるのに」
「とりあえず奥まで行ってみよう、もしかしたら幻の生き物がいるかもしれない。そしたら大スクープじゃん! 自由研究どころじゃないよ」
わくわくとしている俺。子供の頃から男子は探索とか冒険が大好物である。
「ほんとにいたらどーするんだよ」
「んー……飼う」
「絶対言うと思ったわ」
涼介はけらけら笑い、俺たちは裏山をどんどん進んでいった。
トンボやセミはもちろんのこと、樹木に擬態しているナナフシや、葉っぱの上で長い触角をぴくぴくさせているカミキリムシを発見した。
「カミキリムシってかっこいいよなあ。カブトムシじゃなくてこいつ観察するか」
「もっと探してみようよ」
カミキリムシがお気に入りの涼介を引っ張って、無造作に張り巡らされた木の根に足を取られそうになりながら山道を進んでいく。
俺たちとは逆に山を下ってくる二人組みの若い男女が、談笑しながらコンビニ袋を茂みに投げ捨てた。おまけに男のほうは吸っていた煙草を吐き捨てる。
「どうした……? 海斗」
「……ううん、なんでもない」
悪いことだとわかっていたけど俺は拾う気にも、注意する気にもならなかった。怒られたら怖いと思っていたのだ。こうして人間がごみを増やしていくせいで、地球に一緒に住んでいる動物や植物や昆虫たちの居場所を奪い取ってるっていうのは学校で習った。
他にも、人間が暮らしを便利にするために大きなビルを建てたりすることが、結果的に緑を減らして多くの生き物の暮らす場所を奪っているってことも。
誰かが捨てたごみを拾ったところで意味はあるのだろうか。違う人がごみを捨てたらまた誰かがそれを拾わなくちゃいけない。コンビニ袋一つで地球がどうにかなるなんて思えない、と当時の俺は決め付ける。
食物連鎖ピラミッドの頂点が人間じゃなかったら、この地球はもっとナチュラルなものだったんじゃないか。環境を汚染することは悪いことだ、と言った先生は最近大きな家を建てたばかりだった。それは人間が生きていく上で本当に必要なこと? 蟻や鳥は自然を破壊することなく天然の家を造り上げているのに? と考えつつも俺は屋根のある家に住みたいし、電気の通った冷蔵庫で冷えた麦茶が飲みたい。最新のテレビゲームだってしたいし、ちゃんと学校にも通いたい。人間はわがままな生き物なのかな、アニメやゲームの悪者みたいだ。と小さいながらそんな事を考えていた気がする。
「おい海斗ー、川だ! ちょっと遊んで行こうぜ」
木漏れ日の下、アーチ型の石橋で涼介が俺に手を振る。石橋には緑色の苔がそこら中に生えていて、草やつるがこびり付いている。橋の下で流れる川が辺りの温度を幾度か下げている。石を打ち付ける水の音がこれまた心地いい。
「うひょー、やべえ!」
涼介は靴下ごと脱ぎ捨て、川の中心で瞼を閉じて両手を広げた。
「ああ、神よ……われにひとときの休息を与えたまえ……アーメン」
「なにやってんだよ……ん? あれなんだろ」
一人遊びを始めた涼介に呆れた俺は、視界の端で煌めいた妙な一筋の光に気が付いた。
「涼介! なんかあっちにある!」
「あー? 今ミサの途中なんだから黙っててくれよ。神よ……アーメン、ああアーメンよ」
俺は天に祈りを捧げる裸足の短パン小僧を置いて光のほうに歩み寄っていく。石橋を渡り、未踏の山道を歩き、小道を見つけた。
光はより一層輝きを増していく。虹のオーロラのような不思議な輝き。
小道の終わりには木の枝が入り混じってできた天然の鳥かごのようなものが見える。大人が二人も入ったなら、かなり窮屈な程の広さだ。
背を向けた少女の影が見えた。しかし、眩しくてよく見えない。
「だ、だれ……!?」
聞き覚えのある声だった。とても可愛い声。早鐘を打つ胸を押さえ、眩い光に目を細める。
そこにいたのは、驚いた表情で地面に座る赤城椎名だった。
「赤城……さん」
「青岬くん……」
俺はこのとき目の前の美少女の名前を生まれて初めて呼んだ。あまり喋ったことはないからだ。しかし、一度呼んでしまった名はそうは変えられない。さんづけコース直行だ。
「な、なにしてんの、こんなところで」
明らかな戸惑いを見せる俺。
「えっと……家族でピクニックに……来てて」
椎名はなぜか顔をぽうっと赤くすると俺から視線を背ける。なんて可愛いのだろう。
「そ、そっか……」
「うん……」
「…………へへ」
――会話終了。と同時に虹のオーロラは消えてなくなった。
このときの俺は椎名と喋るのが苦手だった。女子みんなにこういう態度を取ってるわけではないのだが。それはおいとくとしてなぜ最後に笑った。涼介にキモっ、と言われそうだ。
俺はふと椎名がなにかを抱えていることに気づいた。
「……それなに?」
「これ? えっとね、さっき拾ったの……卵?」
持っている椎名自身が疑問系だった。たった今拾ったってことだろう。俺はふう、っと深呼吸すると椎名に向かって足を進めた。
「卵……ちょっと見せて」
「う、うん」
椎名に近づくことも緊張したが、それより好奇心が勝った。一体なんの卵なのか。
大体ラグビーボールくらいの大きさでじんわり虹色に光っている。卵自体は碧色をしていてとても不思議な雰囲気だ。まるでアニメやマンガに出てきそうな。
「持ってもいい?」
「はい」
椎名は素直に卵を渡してくれた。持ってみると結構軽い。揺らしてみても特に音はしない。心なしかほんのり温かい気もする。……これは椎名の体温?
「ここに落ちてたの?」
「うん、地面に埋まってて頭を出してたの、こう……ぴょこって、うさぎさんみたいに」
「へー……」
え、なに今の。可愛すぎでしょ。え? 反則でしょ、うさぎさんとか可愛い。ああもういい加減にしてほしい。いやまて落ち着け。俺はできる限りシリアスな顔で話を続けた。
「どうしてこれ光ってるんだろう……なんの卵なんだろうね」
「ね、不思議だよね、おっきな鳥さんとか?」
「ちっちゃい恐竜とか産まれてきそう」
「恐竜!? すごい!」
椎名は顔をぱあっと明るくさせて、ぴょんぴょん飛び跳ねた。
こんなに楽しそうな椎名を見るのは初めてだった。実を言うと、俺は椎名の中身をなにも知らない。なにが好きで、なにが嫌いなのか。そんなんで告白とかしちゃうんだから小学生怖い。
「恐竜、好きなの?」
「うん! ちっちゃいときとかよくお兄ちゃんと一緒に図鑑を見てたよ」
「お兄ちゃんいたんだ。おれも兄弟いるよ、弟と妹」
「へ~、じゃあ青岬くんは長男? すごいなあ、でもおにいちゃんっぽいかも」
天使の微笑でくすくす笑う彼女を見ると、小学生ながらもうどうにかなってしまいそうだったが、なんとか抑制し、俺はもう一度腕の中の卵を確認する。
俺も小学校の休み時間や図書館を利用する授業のとき、よく勉強ほったらかしで図鑑を見ていた。著者が空想で描いたのか知らないが、恐竜の卵が載っているページもあった。腕の中のこれとはだいぶ違っている。
「――おーい、海斗~! どこ行ったんだよ~、ミサは無事に終わったぞー」
涼介が俺を捜し歩いているらしい。言っておくがお前のあれはミサじゃない。おふざけだ。
「涼介だ」と俺が呟く。
「緑谷くんも来てるの?」
「うん、自由研究の題材を探しにきたんだよ」
「へー……二人って本当に仲がいいんだね」
椎名はぽけーっと俺のことを見つめる。いつも一緒にいるといえば、いるかもしれない。でも、このときはもう少し二人っきりで喋っていたかったな、と俺は思っていた。
「涼介ー、こっちだよ」
「あー? なんでこんなところにいるんだよ――って赤城じゃん」
涼介は目を見開いてそう言った。その後俺をチラッと見て、椎名にすぐ目線を戻す。
「あ、緑谷くん。こんにちは」
「こんにちはって……まじめだな、相変わらず。で? こんなところでなにを――っておおっ、海斗! なんだそのでかい卵は!」
涼介はさっきの五倍くらい驚いた表情で、俺の元へ駆け寄ってくる。
「拾ったんだって…………赤城……さんが」
「ふ~ん、それにしてもでっかいな……。なんか光ってるし、こんなの見たことねーよ」
「うん、今ちょうどなんの卵だろうって話してたところだよ」
「青岬くんがね、恐竜の卵だって!」
椎名が嬉々の表情で我がことのように息を弾ませる。
「恐竜の卵!? んなアホな、今のこの現代に恐竜がいたらノーベル化学賞ものだぜ」
涼介は声を張りあげてから呆れた表情で手をぷらぷらとさせる。たとえ恐竜の卵だったとしてもノーベル化学賞にはならない気がするが。
「でもなにかの卵なのは間違いないよ、温かいし重いもん。赤城さん、この卵どうする?」
俺は発見者である椎名の意見を訊くことにした。
「んー……えっとね、産みたい!」
まるで自分が身篭った子供を産むみたいな発言。ええと、違いますよね? 赤城さん。
涼介はふふんと楽しそうな顔で卵を抱える俺のことを見つめている。
「なんだよ」
つい睨みがちに涼介に問う。
「もう決めてんだろ? お前の考えを聞かせてくれよ」
「え? 青岬くんなにか考えてくれてるの!」
椎名が尻尾を振る子犬のような顔で俺に近づいてきた。……ちょっと甘い匂いがする。
「赤城さん時間だいじょうぶ? ちょっとついてきてほしいとこがあるんだ」
「だいじょうぶ!」
「じゃ、行きますか」
わかってるぜ相棒。みたいな表情の涼介は、ポケットに手を突っ込んで先頭を進んだ。親友をちょっと格好いいと思ってしまった俺である。
「わあ~! なにこれすごーい!」
椎名は目をきらきらさせて、その場で飛び跳ねる。
「ここはおれたちの秘密基地だよ」
「こうやって来るのも久しぶりだなー、今年の夏は初めてだよな、そーいえば」
「秘密基地! すっごーい」
椎名がはしゃぎ回っている樹木の上にはツリーハウスが見える。
葉っぱのカーテンが被さりうまい具合に緑に溶け込んでいて、遠くからは一見普通の樹木にしか見えない。幹を中心に柵付きの螺旋階段が打ちつけられていて、それを上ると秘密基地に行ける。
「おれの父さんと涼介の父さんが作ってくれたんだ、昔」
「おれたちだって製作メンバーだぜ。この穴場を発見したのだっておれたちじゃん!」
「へ~、いいなあ……面白そうだなあ」
椎名は指を咥えて俺の事をチラっと見てくる。どきっとします、それ。
「ねえ、入ってもいい?」
「もちろん! そのために来たんだから」
「レッツラゴー!」と涼介。
俺たちは古くなった螺旋階段を上がっていく。地上から七メートルほど高くなったところで枝の上に張った板に足を乗せる。柵があるとはいえ、なかなかの高さだ。
「怖くない? だいじょうぶ?」
「うん、平気!」
椎名は余裕の表情で柵に触れ地上を見下ろしていた。結構アクティブな子なのかもしれない。
「んじゃ、いくぞ? じゃじゃーん!」
涼介が勢いよく木で作られた扉を押し開けた。埃が辺り一面に舞う。
「けほ、けほっ……さすがに放置してたから汚い」俺は咳き込みながら言った。
「お掃除しないとね!」椎名がやる気に満ちている。流石は女の子だ。
三人で秘密基地に入る。5畳分くらいの広さの部屋の中は汚れた二人がけのソファが一台と、涼介と二人で遊んだ玩具が転がっている。部屋の中心にはちゃぶ台があり、その上に落書きノートや画用紙、筆記用具が散乱していた。
綺麗な木目の壁には長方形に切り取られた窓がある。硝子はないため、つっかえ棒で窓のふたを開けたり閉めたりできるようになっている。
窓の横には梯子がかけてあって、二畳くらいの二階に上ることも可能だ。
「わー、すごいなあ」椎名は部屋全体を見渡して窓から首を出す。
窓からの景色は絶景で、俺もよく頭を空っぽにして森を見下ろしていたな、と思い出す。
「そいで? どーすんだ」
涼介が腕を組みながらぼすんと埃まみれのソファに座った。
「うん。……おれたち三人で卵をここに隠して育てよう!」
高鳴る胸が収まらない。新作のゲームを親に買ってもらったときよりもわくわくしていた。
椎名は瞳を輝かせ栗色のロングヘアを宙に靡かせた。にこっと笑う笑顔を見ていると、好奇心の塊のような子だな、と俺は思った。クラスでまじめに授業を受けているときや、仲のいい友達に混じって笑っている椎名とは別人のようで。……でも、俺はこっちの椎名のほうが可愛いと思った。叶わなかった恋だが、よく笑う椎名をより一層好きになっていく自分がいた。
「これはおれたち三人の秘密ね、今日はここに隠して、明日また集まろう!」
「よしきた! なにが産まれるかな~。楽しみだな、海斗」
「わたしもとってもどきどきする!」
ぼんやり虹色に輝く碧色の卵。小学生の俺たちは不思議な卵と秘密を手に入れて、とにかく気分が高揚していた。床に落ちていたタオルケットで卵を包んでちゃぶ台の下に隠す。
親と一緒にピクニックに来ていたことを忘れていた椎名は、慌てながら「また明日ね!」と元気よく手を振って俺たちと別れた。
――この日手に入れた不思議な卵が、俺たちの運命を大きく変えることになる。