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ナチュライル  作者: 織星伊吹
二章 西暦二〇〇六年 七月

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第二十六話 二十一グラムの魂


 恭一郎先生の家をノックする。しかし誰も出てこない。


「留守かしら」


「……開いてるね」


「恭一郎せんせー? 唯香おねーちゃんー、いないのー?」


 美羽が歩を進めながら、部屋の中で二人の名を呼ぶ。いつも恭一郎先生が使っていた旧型パソコンは起動しっぱなしだし、デスクに置かれているアイスコーヒーも飲みかけに見える。


「ん?」


 そのとき――俺はどこか遠くで――歪な音を聞いた。


「美羽、黙って」


「なん――」


 美羽の口を無理矢理塞ぎ、耳に神経を集中させる。


「地下……?」


 とても嫌な予感がした。誰かが俺に語りかけている気がする。――その場を離れろと。


 突然――大きな破壊音がして、家全体が大きく振動する。


 視界が真紅に染まり、顔面に熱気を感じた。なにが起きたのか目を懲らしてみると、火の竜巻が家の天井を突き破り天まで昇っていった。赤と緑を混合させた地獄のような焔が家に引火する。俺はナチュの仕業であることをすぐに連想した。


「な、なに……一体っ、なんなの……」


 ぺたんと尻餅をつく美羽に俺は「逃げろ」と告げて、たったいま出来上がった大穴へ瞬時に駆け寄った。


 ――黒いなにかがこちらに向かって飛んでくる。


 視界の端で動いた“それ”を決死の動体視力でなんとか捉えるが、通り過ぎて上空へと飛んでいく。――俺は瞬時に手を伸ばし、その朱色の尾を掴むことに成功した。


「海斗っ!!」


 美羽がはるか下方から俺を呼んでいる。


「ナチュ……どうした、なんでこんなに大きくなってんだよ」


 ナチュの尾を握りしめて、向かい風に逆らいよじ登っていく。ナチュの躰は十メートルほどになっていて、ファンタジー作品に登場するようなドラゴンの翼が生えていた。


 おそらく、誰かがナチュに願いを叶えてもらったのだ。一喜一憂する暇もない。だが今はこれからどうするか、が先決だ。


 ナチュは上昇を終え、町の方へ向かって雲を切り裂く。


「お前も反抗期ってわけだな。あとで親孝行してくれるのを期待してるよ」


 大きな翼で空を縦横無尽に飛び回る。旋回するたび俺は生きた心地がしなかった。


 ナチュはビルが建ち並ぶ町を発見すると、滑空しながら低空飛行のために翼を小さくさせる。


 色彩町の中でもレジャー街であり、ビルやショップが建ち並ぶスクランブル交差点のど真ん中に地響きを轟かせながらナチュは舞い降りた。


「なにかしらあれ」

「映画の撮影? すっげードラゴンだ」


 周囲に人が集まってくる。手にはケータイが握られていて次々に激写される。俺はナチュの首付近に立ち、周囲の人々に呼びかけた。


「映画の撮影じゃない! すぐにこの場を離れろ! できる限り遠くへ逃げるんだ!」


 こんなに声を張り上げているのに、周りのざわめきが俺の叫びをかき消した。

 俺の必死の訴えも虚しくナチュは、先ほどの螺旋状の火焔で、なにもない道路を真っ黒に焼き焦がした。


「な、なんだ! これCGじゃないぞ! 本物だ!」


 男性の叫び声が一瞬にして危機的状況を周囲へ広げた。


「ナチュ! やめろっ!」


「がうぁ!」


 ナチュは道路やビルに赤緑の焔を吐き続ける。辺りは炎に包まれたが、幸い人には当たっていない。


 ――次の瞬間、俺は突然宙に投げ出された。どうやら尻尾で叩きつけられたらしい。アーチを描きながら高層ビルの窓ガラスに叩きつけられ、ぶち破る。


 慌てふためく街の悲鳴を聞きながら――俺はそのまま意識を失った。

 俺は、まどろみの中で小さかった頃のナチュと遊んでいた。


 ――ナチュ。


 ――みゅう?


 ――お前をこんな風にさせてごめんよ。でも大丈夫、絶対に元に戻してあげるからね。


 ――みゅ! ナチュは嬉しそうに小さなヒレでアシカのようにぱちぱちと拍手をした。


 ――おい海斗ー、ナチューなにしてんだよ、早く行こうぜー。


 ――みんな待ってるよ、海斗くん、ナチュ。


 ――ほんと、海斗はチンタラいっつも遅いんだから、さっさとナチュ持ってきなさいよ!


 ――早く……行こう、海斗、ナチュ。


 ――うん。みんな待ってて、もうちょっと……もうちょっとだから……。



「……夢……か」


 俺は額から乾いた血をなぞって割れた窓からの景色を見下ろす。黒い煙が辺りに立ち上っていて、街の声はまったく聞こえなくなっていた。


「うっ……お、折れてるかな、これ。痛ってえ」


 少し動くだけで泣き叫ぶように痛い。


「でも……止めなくちゃ、ナチュは俺が……」


 なんとか身体を起こしてビルを出ると、ミラーガラスに映ったボロボロの自分が映った。


「……いい顔してんじゃん、俺」


 宇宙の中で俺は塵も同然だ。狭い世界の中で、俺はさらに小さな殻に閉じ籠もっていた。本当に馬鹿だった。後悔していい、そこから立ち直れば人間はきっとやり直せるときがくる。


 俺はナチュを探した。高層ビルがいくつかなぎ倒されていた。砕け散ったコンクリートやあちこちから立ち上る黒煙などを見ていると、世界の終焉を連想してしまう。でもここをなんとかするよりも元凶を止める必要がある。


「探したぞ……ナチュ」


 ナチュは凶暴性に満ちあふれた禍々しい眼で俺を睨み付ける。――瞬間、噛みつこうと首が迫ってくる――俺は間一髪でそれを避けた。あの口だとぱくりと簡単に食べられてしまう。


「お、おい……マジで笑えないぞ。……ナチュ」


 正直冷や汗が止まらない。しかし今はナチュと向き合わなければ。


 俺は、変わり果てたナチュを見上げる。もうあの小さな頭を撫でてやることも、長い首を擦りつけてくることも、アシカのようにヒレでぱちぱちと可愛く拍手をすることもない。


 目の前のギラギラと厳つい黄色の眼光は、俺を敵として認識しているだけだった。


「ナチュ……ごめんな」


「……がう」


 ナチュは俺の頬から流れ落ちた涙に興味を持ったのか、不思議そうにしている。


 俺はナチュの表情の変化にある可能性を考えた。もしかすると……。

 そう思いを巡らせたとき、空を切る駆動音が聞こえてきた。


 ――戦闘機だった。


 明らかに自衛隊のそれであり、このままではナチュが射殺されてしまう可能性がある。


 もしそうなれば、この惑星そのものが消滅し、すべてが終わってしまう。

 俺はナチュを背に庇って、両手を広げた。


「やめろ!!」


 ――別方向から車の音が聞こえる。停まったのは見覚えのあるオンボロのバンだった。


「……海斗くんっ!」


 一番に声を上げたのは椎名で、目を真っ赤にさせて車から飛び出してきた。


「ちょっと海斗! あんたなにやってんの! 早くこっちに来なさい!」


 美羽も目を腫らしていて、泣き叫びながら俺に命令してくる。


 その隣には拳を握りしめた涼介がいた。まっすぐに俺を見つめてから、


「海斗! ……早くこっち来いよ馬鹿野郎!! お前なにしてんだ」


 久しぶりに名前を呼ばれた。


「……海斗。本当にごめん……すべてボクのせいだ」


 艶やかな長い髪が風で乱れる。美しい“女性”が、長い睫毛を瞬かせる。


「……空、あとでしっかり理由教えてもらうよ」


「ああ、海斗くん、そんなにまでなって……」


 唯香さんが涙声でそう言った。


「海斗くん! さあ早くこっちへ!」


 最後に運転席から出てきたのは恭一郎先生だ。緊迫した表情で、俺に呼びかける。

 しばらく上空で様子を眺めていた戦闘機は、追加された数機の戦闘機やヘリコプターと共に航空機関砲と対空ミサイルを連続で発射させた。


「うがあああ!」


 痛々しい啼き声を響かせて、ナチュの体の色が赤黒く変色する。一瞬ぷくっと膨らんだと思ったら、口から灼熱の焔を息吹き、ヘリコプター数台をあっと言う間に爆発させた。

 まるで地獄絵図だ。


 俺はナチュの陣にもう一度視線を向けた。

 小学六年生の夏を思い出す。本当に楽しかった。お前らと出会えた俺は幸せ者だ。


 みんなが泣き顔で俺のほうへ一斉に走り出す。俺は背後のナチュを見上げた。

 既に俺に敵意はないらしい。しかし、駆けてくるみんなをナチュは敵と認識した。


 ……みんな、俺の大好きな仲間だ。

 この仲間たちのためなら、俺はなんだってできる。もちろんナチュも大切な仲間の一人だ。


 俺は、ナチュの陣のリーダーとして、やるべきことをしなくちゃいけない。

 考えるよりも先に身体が動いていた。不思議と、躊躇や不安はなかった。


 俺の視界いっぱいに――赤みを帯びたナチュの口内が映る。四方に広がるノコギリのような牙が銀色に光る。俺は数瞬のうちに喰い千切られることになるだろう。


 俺は大好きなみんなのほうを向き直って――笑った。


「後は頼んだぞ! みんな!」



 そして俺は絶命した――。



 ――――長かった過去の映像はようやく終了したらしい。


 瞬きもなしにずっと見入っていたが、なぜ喉が渇かないのか、腹が減らないのか、その理由がやっとわかった。目の前の映像が小学六年生の俺を再び投影し始める。

 俺はなんでこんなことを忘れていたのだろうか……。


 ……そう。俺は、既に死んでいた。


 あれから、どれくらいの時間が経っただろう。……わからない。俺の周りにはどこまでも真っ暗な謎の空間と、さっきの映像が浮かび上がっているだけで、他にはなにもない。


 ……というか、頭もなければ、身体もなかった。俺の意識だけがこの空間にぼんやりとあって、自由奔放に浮遊しているのだ。


 ここが死後の世界というやつなのだろうか。それにしたって身体くらいは用意してくれたっていいだろう。死んだ当時のものでいいから。


 俺は――この真っ暗闇の空間の中で、永遠と繰り返される映像を観ることしかできないのだ。二十一グラムの魂だけが、そこには存在していた。




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