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兄への懺悔


病院の廊下を走る。

速く、速く、速く!






「あれ?直くん?」


そこには兄貴が…



…いた。


「過労だって…。」


「キヨさんに聞いたの?ごめん迷惑かけたね。」


「倒れたって…。」


「あはは。ちょっとふらっとなっただけで大したことじゃないよ。只、ちょっと大事を取って少し入院しないといけないみたいで。直くんに迷惑かけるね。ごめんね。」


「大丈夫じゃないだろ…。」


なんとか声を絞り出す。


ずっと気づいてたのに。兄貴が寝食を削って働いてた事を。気づいてたのに…


「貴ちゃんの事お願いしていい?朝起こして、着替えさせて…」


「兄貴もっと自分の事大切にしてよ。」


兄貴はこんな時も自分じゃない、〝家族〟だ。


「こんな働き方してたら…死ぬって…。」


目の前が涙で霞む。


俺は自分が本当に情けない。高校卒業したら働くって言っておきながら…


いざ本当にそうなるかもしれないと思うと…


もし今、兄貴が亡くなったら俺が兄貴の代わりをしないといけない。働いて、貴将を養って、キヨさんにお給料支払って、家のことも、何もかも―。


…恐い。恐くてたまらない。


今、俺は16歳で兄貴が両親を亡くした年より3年早いけど、3年後でもきっと同じだ。


兄貴はどれだけのものを一人で背負って来たのか…


19歳の兄貴が大学を辞めて、小学生と幼稚園の弟二人を養ってお金のこと、家のこと全部兄貴が一人でやってきた。ずっと自分の事を後回しで…。


「俺、兄貴に長生きしてほしい…」


兄貴を支えたいって気持ちは変わらない。兄貴からしたら力になるほどではないだろうけど。


「直…、直くんは優しいね。」


「…。」


「こんなに優しい子に育ってくれて…直はお兄ちゃんの誇りだよ。」


兄貴は本当にいつも俺を愛おしそうに見る。


「…。」


「大きくなって…、、それでも泣き顔は赤ちゃんの時のまんまだな…」


「…泣いてないし。」


目に涙が溜まっているのは分かる。だけど絶対泣くもんか。


「なんで?お兄ちゃんのために泣いてくれてるんじゃないの?」


兄貴の口調はいつも穏やかで優しい。


「兄貴が男が泣くときは権力に負けたときだけだって…」


「あはは。お兄ちゃんそんなこと言ったの?」


兄貴は覚えていなかったようだ。


「お父さんとお母さんの葬儀でも泣いてなかった。」


俺の記憶の中にある兄貴は両親の葬儀の時も泣かずに背筋を伸ばして弔問客の一人一人に頭を下げていた。



その横顔はとても凛々しくて、遠い世界の人に思えた。



「俺が兄貴から大学を取った…」


急に当時が鮮明にフラッシュバックする。


俺と兄貴と貴を除いて親戚達だけで話をしている。

父の弟の叔父が俺を、父の妹の叔母が貴将を引き取る事で話が纏まりかけていた。

只でさえ両親が急にいなくなったのに、貴将とも離れ離れで帰る家さえ変わろうとしている。


未来に恐怖しかなかった。怖くて怖くて、悲しくて…


兄貴に縋ったんだ、俺が。


〝…お兄ちゃん、俺達これからどうなるの?〟


兄貴の手を握りしめて震えながら泣いていた。兄貴は初七日が終わればイギリスに戻る予定だった。


それなのに…


兄貴がしゃがんで、俺と貴を抱きしめながら言った。

〝直、貴。二人は何にも心配することないよ。心配しないでいい。…お兄ちゃんが何とかするから――〟


――俺が兄貴の人生を狂わせたんだ。


あの後、兄貴は親族の間に割って入って頭を下げた。

〝大学を辞めて日本に戻ります。僕が大学を辞めて働きますので、直之と貴将を僕に養育させて下さい。〟


その後の事はどうなったか分からない。

遺体の損傷が激しかったらしく、子供だった俺と貴将は両親に会わせて貰えなかった。骨だけになった両親を前に喉がカラカラに乾いて、声が出なくて…


「兄貴、ごめん。」


もう一度、詫びる。

俺があんな事言わなければ、兄貴はイギリスに戻ってた。

そして大学で経営学を学んで立派になって帰って、会社を継いだはずだ。


「どうして直くんが謝るんだよ。お兄ちゃんは感謝してるのに。人生は選択と決断の連続だから。…直くんがいたからお兄ちゃんは道を踏みはずす事なく最善の選択が出来たんだよ。」


「…。」


「直と貴のいる日本に帰って来て良かった…。二人の側に入れて良かった。…ありがとう、直くん。」


兄貴が俺を眩しそうに見て、微笑む。


「直くんの事だから、大学行かないとか考えてたんだろ?」


兄貴は何でもお見通しなようだ。


「もし、直くんがお兄ちゃんに悪いと思ってるなら、ちゃんと大学に行って?お兄ちゃんは直と貴を大学まで卒業させるのが夢なんだ。お兄ちゃんの夢を叶えてよ。」


「そんなこと…」


兄貴の事だ、死に物狂いで学費を作る事だろう。それじゃあ俺は行けない。


「お金の事は心配しないでいいから。確かにここ最近気を張ってたけど、直くんのおかげでまた一つ決断出来た。来年あたりと思ってたけど今なんだなって。」


「…何か企んでるの?」


「会長から叩き込まれたからね。〝経営とは〟」


そう言って遠くを見据える兄貴は、俺の知らない顔をしていた。


会長とは亡き祖父の事だ。母の父。俺が産まれる前に亡くなったので会った事はない。


「なるべく、叔父さんと穏便に済ませる時期を狙ってたんだよ。」


そう、現社長は叔父だ。


…お父さんの弟。


つまり三井の一族では無い。祖父が作って大きくした会社だ。そしてその一人娘の母の婿養子の父。だから、あとを継ぐのは兄貴であるはずなんだ。


「だから、直くんは何にも心配しないでいいから。」


―――ああ、昔と一緒だ。


兄貴はいつも俺の手の届かない所にいる。一生追いつけない。偉大な兄だ。


「学生は学生らしく勉強して、遊んで、そしてお兄ちゃんに卒業証書見せてよ。直が大学卒業したってお父さんとお母さんに報告したいんだ。」


兄貴には敵わない。

俺はいつも兄貴という大きな器に守られている。


――悔しいけど。

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