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陰陽師学院の日常は!  作者: えすとっぺる
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第伍話〜襲撃【前編】

それは降って湧いた災害のようなものだった。

予想もつかず、因果もなく、なす術もない。


『入学おめでとう、そしてようこそ美しくも恐ろしく、血みどろの呪術の世界へ!!』


教室に響き渡る大音声。その音波は割れたガラスを震わせ、それだけで窓ガラスの端が再び砕ける。


「うわぁぁぁああああ!!??」


窓ガラスを砕いて侵入したナニカ、それを見た瞬間生徒たちは叫び声を上げて一気にドアへと殺到する。しかし、


「あ、開かない!?」


「どうして!?なんでよぉ!?」


「嘘でしょ、悪い冗談でしょ!?」


ドアは開かない。高校生男子が数人がかりで何とか引き開けようとするが歯が立たない。まるで元々それは扉などではなく壁だったかのように。


「で、電話だ……職員室!警察でもいい!」


「ダメ!繋がらない!!」


『ふふっ、沙桜の先生方はなかなか腕が立つからねえ。木偶程度では如何ともし難い。特に九鬼のじいさまともう一人はね……まあ、私ほどではないがね』


得意げに笑う化物とは対照的に、驚きと恐怖、絶望が広がり恐慌状態に陥る教室。

その中で、遥歩と馨は辛うじて冷静さを保っていた。しかしその胸の内は、他の生徒たちと同じく、恐怖と、焦燥感で掻き毟られている。


「こいつは……」


「総長のはた迷惑な歓迎パート2、とかじゃなさそうだね。明らかに声違うし」


そう、目の前の化け物の声は明らかにあの豪放磊落、脂の乗った九鬼総長の声ではない。

どこかハスキーな、それでいて口調に妖艶と退廃を宿した女性の声。そんなものが目の前の化物から流れ出てくるのだ。


3メートルはあろうかという長身、それに真っ黒な法衣と袈裟を纏った姿。

そしてその身長に申し分のないほどの体格を備えていながら袖や裾から覗く手足はまるで鴉のそれのように細く、それでいて尖った鉤爪が黒く輝く。

何より目を引くのは顔面に相当するであろう位置に据えられた翁の能面。浮かんだ柔らかな笑みは、その体躯とはあまりにミスマッチで、逆に底知れない恐ろしさを感じさせられる。


恐慌状態となった教室の様子を宙空から眺めながら化物は翁の面を鉤爪で軽く掻く。


『ありゃりゃ。参ったね、こりゃ』


さも、「この反応は予想外」とでも言いたげな仕草で肩を竦めるソレは、背に生えた黒々とした翼を大きく広げる。

そして次の瞬間、一際大きく羽ばたきする。


「———ッ!!」


吹き荒ぶ風。もはやそれは並みの台風などとは比較にならず、衝撃波と言い換えても遜色のないほどの威力を帯びていた。


その翼撃に窓ガラスは更に砕け散り、重苦しい教卓が吹き飛ぶ。


『あー、諸君?静粛に、静粛に頼むよ。私まだ君たちに祝辞しか述べられていないのだけど?』


小さくため息を吐きながら、化物は空中で何かに腰掛けるようにして足を組む。


『全く……今時の少年少女は随分と闘争心が無いのだなぁ……私の頃ならこんな木偶人形くらいになら4、5人は後先考えず食らいついてくる連中がいたものだが……』


呆れたようにしながら、どこか忌々しげに化物はぼやく。


『おっと、老害諸兄のような口振りになってしまったな。うん、脱線はここまでにしておこう。さぁ、此処からが本題だ』


しんと静まった教室。しかしそれは皆が落ち着いたというわけではまるでない。皆恐怖に怯え、それでいて声を上げる気力すらも奪われているのだ。

開かない扉、恐ろしい膂力。陰陽師の世界に飛び込んだばかりの実戦すらしたことのない、つい数日前まで中学生だった少年少女にはあまりにも酷なシチュエーション。

誰もが沈黙せざるを得ない。


そんな中、一人化物だけが不似合いに愉しげに、朗々と語り出す。


『まずは自己紹介だ。私の名はスドウ、スドウアイだ。知っている者はいるかな?』


「え……」


「スドウ……ってあの首藤藍!?」


「嘘でしょ……!?なんでこんな所にッ!?」


化物が、いや正確には化物を操る術者か、名を告げた瞬間、曲がりなりにも静まっていた教室に再び恐怖の声が吹き荒れる。


「首藤……藍ッ!」


恐らく彼女の名を知らぬものはこの国にはほとんどいないだろう。いるとすればニュースを一切見ない俗世から必要以上に離れきった人間か、或いはニュースを理解できない幼児くらいのものだ。


首藤藍。

呪術界における最暗部とすら語られる彼女は強力な陰陽師だ。

この沙桜学院を首席で卒業しておきながら、彼女は国家に仕え、国民に仕えることをせず、ただ自らの求める愉悦のためにその術を行使する呪術犯罪者に成り下がった女。


その才能は陰陽師としてだけでなく、組織を束ねるモノとしても発揮され現在は日本における最大級の呪術犯罪結社S.D.O.M.A.を率いる首領でもある。

故に彼女を最悪の呪術犯罪者と評す向きもある。

真実今の日本において知名度・危険度が並び立つもののいない悪党だ。


そんな人物が、人形越しとは言え目の前に現れたのだ。この怯乱も致し方ないだろう。

ざわめく教室、脅える生徒たち。その様を眺めながら首藤は満足げな声を漏らす。


『うん、これ以上の自己紹介は無用のようだね。結構、結構だね。将来の敵をしっかりと認識しているのはよいことだ』


化物、いや恐らくコレは首藤の式神なのだろう。ソレは腰に据え付けられた大太刀をぬらりと抜き、教室の床に思い切り突き立てる。

その瞬間、再びにわかに悲鳴が巻き起こる。しかしもはや首藤はそれを気に留めることなく話を続ける。


『さて、今日こうしてこの教室にお邪魔したのは、何を隠そう此処にあの土御門の次期当主がいるそうじゃあないか。これは是非とも会っておかなくてはと思ってねぇ。こうしてまかり越したわけだ』


そういうと首藤の式神は恭しくお辞儀をして見せる。慇懃無礼とはこういうことかと遥歩は思う。絶対的実力に裏打ちされた侮り。腹立たしくともそうやすやすと覆せるとは思えない。


『まあ、私たちなりの「ご挨拶」をしたいのでね、是非とも名乗り出てほしいわけなのだがどうだろう?出て来てくれるかな?』


変わらずしんと静まり返る教室。だが、その空気感はこれまでの恐怖に満ちたそれではない。疑心暗鬼に苛まれた針の筵のような雰囲気が教室に満ち満ちている。


「土御門がいるのか?」


「誰だよ」


「誰でもいいから早く名乗り出てよ。そうすれば」


そんな声なき声が聞こえて来る気がする。


土御門。平安時代の伝説的陰陽師、安倍晴明の血を引く一族。現在はかつての鳴りを潜めてはいるが、それでも尚日本呪術界において隠然たる影響力と知名度、そして確かな実力を誇る血族。

その次期当主といえば、同世代の中では群を抜いた力の持ち主、ということになるだろう。


しかしそれでも、所詮は数日前まで中学生だった子どもだ。自分たちと同じように。


「土御門なんだろ……だったら」


「早くしてよ……怖いよ」


「誰なんだよ……早く行けよ」


透明な空気に溶けていたような言葉は次第に鼓膜を揺らす形となってざわざわと響き出す。

名乗り出ればどうなるかなど分かっていながら。


そんな様子を首藤の式神は退屈8割、不満2割のような表情で見つめていた。能面でその表情は変わるはずがないというのに、何故か感じられるその感情は、滲み出る霊力故か、或いは遥歩自身がそう思っている故か。


ごうと耳の奥で血流が早まっていくような感覚を覚える。いつのまにか、噛み砕かんばかりに奥歯を噛みしめ、目の端は吊り上がる。

怒り?苛立ち?なんだろう。

とにかく目の前の存在が気に入らない。さも生殺与奪の権を握ったかのようなあの余裕が?人の心の隙間を無作法に掻き回すその性根が?

どれも確かに気に入らない。だが、それ以上に、


「———落ち着け」


不意に頭蓋を揺すぶるような小さな衝撃が額を走る。


「ふぁ!?」


デコピン一発。その細い指に似合わぬ重みを持った一撃が馨から炸裂。


「な、何すんだよ!?」


潜めた声で馨の胸ぐらを掴まん勢いで抗議する遥歩。しかし馨は薄らと笑いながら遥歩の鼻の頭に指を突きつける。


「怖い顔してるよ、遥歩」


「———っ!」


思わず自分の手でぺたぺたと顔を触る。強張った表情筋。じんと痛いほどに食いしばられた奥歯。眉間に寄ったシワ。全て感じる。


「落ち着いた?」


「———おう……ありがと」


「わお、素直。驚きだ」


皮肉げな笑みを浮かべながら馨はそう揶揄う。

鬱陶しさも感じるが、それでもこうして引き戻してくれることに、遺憾ながら感謝の念を禁じ得ない。


また、悪い癖が出た。

どうにも直らない、直せない癖。

きっと宿願を果たすまでは直らないとどこかで分かっている。その時まで誰かがそばにいて、諫めてくれる保証などありはしないのに。


『むぅ、出ないか……流石に退屈だ。それに急ごしらえの結界ではそう長くも保たないな。何より私は多忙の身だ、これ以上時間を取る気もないし……』


そこまで言うと首藤はクスリと笑う。

その声を聞いた瞬間遥歩の———いやきっとこの教室にいるほぼ全員も同じだったろう———背中を薄寒いものが駆け上がる。

ただの一音、その中に人を恐怖させるもの、その込め方を首藤は理解している。


『……一人ずつ、首でも刎ねていこうか?』


邪悪な愉悦を声に乗せ、首藤は笑う。

一音、一音、一言一句に強烈な悪意と禍々しい呪詛が凝縮されたような言葉遣い。

言霊とはこういうものかと理解する。

帯びた圧力が教室を押しつぶし、遥歩の臓器の中で暴れ狂い、それを食い破るような言葉。

その圧倒的な威圧の前にもはや誰もが言葉も、立つ力すら奪われた。さらなる恐慌、混沌が訪れなかったのは不幸中の幸いか。下手をすれば生徒の内で魔女狩りでも始まりかねない。


何かないか、使える武器は。

何かないか、相手の弱点は。

何かないか、打開できる策は。

何かないか、自分に出来ることは。


雷に打たれたように遥歩は、何かを思い立つ。

弾かれたように鞄の中を弄る彼を見て、馨は何かを察したように、彼の一歩前に進み出て、その身体が首藤の式神から見えないようにして立つ。


「さんきゅ」


小さく礼を言う遥歩に馨は小さく不敵に笑うことで応じる。

スクールバッグの中をプリントやノート、筆記用具にミネラルウォーターのペットボトルを掻き分ける。

その先にあるのはプラスチック製の底板。

指先で触れると無機質な冷たさが伝わる。

遥歩はその上に指を無心で走らせる。その軌跡は五芒の星と縁を描いたと思えば、まるで文字のようなうねりを描く。

そして小さく遥歩は呟く。


「———急急如律令」


一方その頃、首藤の式神は倒れた教卓の上に悠然と腰掛けながら、女子が髪の先を弄るように翁の面の髭をいじくり回していた。


『うん。そろそろ本当に飽きてきたなぁ。そろそろ有言実行、と洒落込もうか』


そういうと式神は太刀を掴んだ巨腕を振り上げ、目の前にへたり込んだ1人の女子学生に狙いをつける。


「い、いや……お願い……助けて……私まだ……」


『私はまだ、なんだい? 学生だから、とでも言うのならお笑い種だね。君たちはこの呪術の世界に足を踏み入れたんだ。陰陽師として我々や怪嘯、妖どもと戦うと知りながら。その時点で、こうなることは覚悟すべきだったんだよ」


「———!」


その瞬間、彼女の瞳から生気が、光りが失われる。心を折り砕かれ、絶望の前に膝をついた人間の瞳。


『さあ、栄えある土御門の後嗣のための最初の生贄だ。良き断末魔でそいつを炙り出しておくれ』


「———そこまで、だ。首藤サン」


不意に響く声。振り下ろした刃が少女の首筋に届く寸前で止まる。

ゆらりと式神はその翁の面を声の主の方へと向ける。そして喉の奥で転がるような笑い声を響かせながら語りかける。


『おや、君が土御門の後嗣かい?』


「残念ながら、俺はそんな大層な苗字でもなければ、品のいいお坊ちゃんお嬢さんでもないよ。それとも俺の名乗りを御所望かなァ!」


『ぷっ……はははッ! 結構、結構だとも。勇敢なる少年、いやそれとも蛮勇かな? 私の前に飛び出してくるとは随分な自信、あるいは慢心があるようだ。だが、それだけでは私が名を覚えるには足りないな』


「へぇ、じゃあ名前だけでも覚えて帰ってもらわなきゃあな!」


そう言って遥歩は背中に隠した左手を高く掲げる。


『———呪符か。でもたったそれだけでどうするのかな? 此の木偶人形もそれだけで壊れるほど脆くはないよ?』


遥歩が掴んでいるのは1枚の呪符。鞄の底に隠したとっておきたいとっておき。もしもの時の懐刀。

だが、それだけでは目の前の化物は止められない。相手は最高峰の呪術犯罪者、金縛りも身体強化も、小手先の術も、首藤の式神を機能停止させるには至らない。


「そうかもな、でもこれならどうだ? ———馨ッ!」


「はいはいッ!」


式神の視界の外、そこから放り投げられたのは遥歩の鞄の中のペットボトル。

遥歩はそれを開いた右手で難なく掴み、片手でその蓋を開ける。

そしてその中身を呪符に注ぎ落とす。


『まさか———変生ッ!?』


「そうまさか! そのまさかだともさ首藤藍ッ! お前の侮り嘲った『蛮勇』、最上の席で御覧じろ!」

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