第拾壱話~式神と少年
説明パートが少し入ります。まあ読み飛ばしても大丈夫です。
今後必要になったらまた示します。
「―――で、なんでいるんだよ。お前」
遥歩は重い上体をなんとか千尋の手を借りて起きあがらせて、憮然とした表情で馨を睨む。馨は苦笑を浮かべながら肩を竦めると、時計を指さす。時間は八時少し前―――そうだ、七時に馨と夕飯を食べに行くという約束だった。つまり時間になっても音沙汰のない遥歩を気にして部屋に来た、ということか。
「部屋を見たら口から血を流して倒れた遥歩と見知らぬ女の子が立っているんだから。いや、さすがに驚くよね、それは」
そう言いながら馨は遥歩の右手を指さす。見てみるとそこにはかすれたようなかすかな赤いしみ。
ああ、そういえば倒れる前に何か喉の奥から込み上げてきたものを手で受け止めた気がする。あれは血だったのか。きっと千尋がふき取ってくれたのだろう。血の跡はもうほとんど残っていない。
「最初に見た瞬間、遥歩が実は見知らぬ幼女にすら刺されるような外道だったのかと思って焦ったけど、まさか式神だったとはねぇ」
「ねえ、お前もう少し幼馴染のコト信じられないもんなの?」
胸倉でもつかんでやろうかと思ったが、思うように立ち上がれない遥歩は唇を尖らせ睨みつけるので精いっぱいだった。馨もそれを分かってかしたり顔で遥歩を煽るように眺める。
「その節は本当にお騒がせしましたです、馨くん。遥歩様、馨くんは倒れていた遥歩様をベッドまで運んでくださったんですぅ」
「お姫様抱っこでネ」
「その付け加えいるか!?」
幼馴染の野郎にお姫様抱っこで抱えられる自分を想像して、遥歩は苦々しげな表情を浮かべる。しかし、確かに考えてみれば、体格的に千尋がベッドまで遥歩を運べるわけもない。
「―――あ、遥歩様。お礼、お礼をしなくては! 親しき中にもなんとやらですよ遥歩様!」
「う‥‥‥すまん、馨。迷惑かけた」
表情を少し渋くしながらも、さすがに幼女の純粋な目で迫られては遥歩も対抗できない。わりかし素直に頭を下げる。しかし、馨は少し唇を尖らせながらベッドまで歩いてきて、遥歩の横に座りながら、人差し指で遥歩の額を軽く小突く。
「―――ッ!? な、なにすんだよ!?」
「いやいや、遥歩さ。千尋ちゃんが言ってたのを聞いてなかった? 『お礼』、だよ? 『すまん』はお礼じゃあないよねえ。義務教育修了者なら言うべき五文字は分かるよね?」
「~~~~ッぅぅぅぅ!?」
馨は外面用さわやかイケメンスマイルで遥歩に笑いかける。その笑顔―――女子であれば九割九分九厘の確率でキュンとさせること請け合いの笑みを打ち込んでくる。思わず遥歩もその笑顔に絶句し赤面する。しかしそれは世の女子のような彼の美貌に中てられたわけではなく、その笑みの裏にある彼の底意地の悪い悪戯ら心が垣間見えたこと、そして彼が求めるものを察したからである。
とはいえ恩があるのも事実。ゆえに遥歩は羞恥に耐え、顔が裡に火を宿すかのように熱くなるのを感じながら、なんとか伝えるべき言葉を口に出す。
「―――あ、ありがとう。感謝してる」
「よろしい♪ うん、詫びの言葉なんかよりこっちの方が人は嬉しいモノさ。これ僕の持論ね」
「―――知ってる」
「知ってるなら最初から頼むよ」と言いながら馨はベッドから立ち上がって、部屋のキッチンの方へと歩いていく。そして冷蔵庫の中を漁ると、コンビニのビニール袋を取り出す。その中から馨はおにぎりを取り出して遥歩にむけて放り投げる。遥歩はそれを受取ろうと腕を上げるも、思うように力が入らず、額におにぎりが激突する。
「―――て」
「うん、やっぱり疲れてるな。これ食べて飲んでさっさと寝るんだな」
「むう‥‥‥」
「ありがとうございます馨くん! 遥歩様、しっかり食べてしっかり寝ましょうです!」
傍らでニコニコしながら促す千尋に、遥歩は笑顔の圧を感じつつおにぎりを頬張る。身体をめぐる呪力に気を向けてみる。だいぶ流れは薄くしか感じ取れないが、倒れる前に感じた乱れはもうない。呪力の流れ自体は安定してきているのだから、あとはしっかりと体を休めれば呪力も回復するだろう。
おにぎりを頬張りながら遥歩はぼんやりとシャツの下のペンダントに触れる。革紐をなぞり、そしてトップのヒスイの勾玉に触れる。何時から身に付けていたのかもう分からない、遥歩にとってのお守り。
倒れていた間、熱でも出ていたのだろうか。肌に触れていたであろう透明な輝きを誇る翠の勾玉が熱い。
「食べ終わったら早く寝てよ?」
「む、何か言い方が冷たくない? 人を厄介者みたいに」
「そんなフラフラ状態で起きてて本当に体調でも崩したらその方が面倒くさいだろ? だから早く寝る。千尋ちゃんにも心配かけちゃうしさ」
「む~~‥‥‥」
少し頭がぼんやりしているからか、遥歩は柄にもなく子供っぽくほほを膨らませてみせる。馨はやれやれという風に肩を竦めて見せると、つかつかと遥歩の目の前まで歩み寄り、ぽーんと彼の両肩を押してみせる。
「―――わ」
「おやすみ遥歩。しっかり身体を休めなよ? さ、『良き夢を』―――」
そういうと馨は遥歩の瞼に手を置き、そっと閉じさせる。ひんやりとした馨の手の感触が瞼を通じて、眼に、そしてその奥まで染み渡る。そして馨の声が鼓膜を震わせ脳裏に伝わるのと同時に遥歩の意識を微睡みの淵へと誘うのだった。
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「―――最後の言葉は、『コトダマ』ですか?」
「―――! 良く分かったね。さすが使役式」
遥歩が寝付いた後、彼の目元から手を離した馨に千尋は問いかける。それに少し驚いたような表情を浮かべながらも馨は相好を崩して、へにゃっとした笑顔で答える。
そして馨は横たわった遥歩の隣にぽすんと座り込むと、千尋のことをじっと見つめる。
目の上くらいに切りそろえられた前髪と、腰のあたりまで伸ばした髪は、踏みしめるのをためらわれる新雪の様な清廉さを帯びている。身に付けているのは、神主の祭服と巫女装束を合わせたような和装―――たしか『水干』というのだったか―――それを幼女の体に合うように可愛らしくアレンジをしたようなデザイン。彼女の様は昔の幼くあどけない優果を思い起こさせる。
そう、こんな幼く、愛らしく見えたとしても彼女は使役式だ。一つの家、血族に脈々と仕えてきた霊的存在だ。当然馨の使う小手先の術など簡単に見破られてしまう。
肉体や精神の老いや成長が人間や科学の埒外である霊的存在に対してこういうことを考えるのは無意味かもしれないが、目の前の存在は自分とは比べ物にならないほどの時間を積み重ね、歴史の重みすら帯びた存在だ。馨や遥歩、彼らの師匠である義堂陣、今朝異様なまでの存在感と熱量を放った学院の総長・九鬼譲治ですら彼女の重ねた時を考えれば子供の様なものなのかもしれない。
「すごいですねぇ馨くんは。その歳でコトダマをちゃんと使えるとは」
「小手先だけだよ。肉体とか精神が乱れてる相手じゃないと通じない。遥歩にだって使えたのはこれが初めてさ」
遥歩が眠りにつく直前、馨は最後に発した言葉にほんの少しだけ呪力を込めた。馨の行った術は本当に初歩の初歩だが、これを発展させていった陰陽術の一分野を『言霊』という。基本の形は言葉を発すにつけて呪力をそれに載せて、相手の精神を通して行動を制限したり、あるいは高位になれば対知性体だけでなく自然や現象にすら作用し操れるというものだ。
言霊―――言葉に宿る霊的な力や精神に作用する力などを用いた呪術にして技術であり、信仰。第二次大戦期に開発・体系化された現代陰陽術においては、その根源を三大要素―――「響」、「意」、「理」に整理して定型化していった。
「響」は読んで字のごとく言葉の響き―――すなわち音の力に立脚した要素だ。音は原始の時代においての獣や邪悪なモノを払う楽器など、世界中で様々な形で見受けられる。
源氏物語「夕顔」には不穏な空気を感じた光源氏が随身に命じて弓の弦を打ち鳴らさせ、声を出させて魔除けをしたとの記述もある。現代陰陽術ではそういった音の呪的要素に着目するのが「響」だ。
「意」は言葉の意味、そしてそれらが辿ってきた歴史的文脈や、祖先伝来の一言一言に宿された思い、言葉自体に積み重ねられた印象など、そういった人の精神の内的領域にあるその言葉独自の概念に立脚したもののことを指す。
人類―――主に現代陰陽術の言霊で用いられるのは日本語なので日本語話者に限られるが―――の集合的無意識を基盤としたもの、と解釈する学者もいる。
「理」は言葉の連続体―――すなわち文―――の流れを利用するものだ。整然と並べられた根拠から導かれる論理の帰結、「響」や「意」を意識した言葉選びや、紡ぎだす言葉の並べ方などを用いて行う感情の起伏の誘導などに着目したものが「理」である。
「理」は非常に心理学的要素との親和性が高いとされ、例えば悪徳セールスマンのテクニックとして有名な「フット・イン・ザ・ドア」のように人の「一貫性」を利用したものなどは、まさに「理」の領域につま先を踏み込んだような技術である。
そして今回馨が用いたのは「響」と「理」のミックス。直前までの文脈の中に呪力をわずかに気づかれないほどに練り込み、無意識レベルで精神・肉体を睡眠への方向性に向かわせる、これは「理」の応用だ。そして最後の一言で少し強めの呪力を乗せて声音に工夫―――「響」の応用―――を加えることでとどめを刺したのだ。
「―――どんな呪をおかけになったんです?」
「そう、だなあ―――遥歩はさ、悪夢を見がちでね。今日もいろいろと忙しかったし、『せめていい夢を』と思ってね」
そう言うと、馨は少し照れくさそうにはにかむ。それがどれほど珍しいことなのか、千尋はまだ知らない。遥歩が起きていたらあるいは、少なからず驚きを分かりやすくその顔に示しただろう。そんな彼の笑みに、千尋はクスリと笑って口を開く。
「馨くんは、優しいのですね。とっても」
「―――!? そ、そんなことないんじゃない? さっきまでずっと揶揄ってたし‥‥‥」
「きっとそれは遥歩様が目を覚まされたことへの安堵の裏返し。そしてその安堵は遥歩様のことを大切に思ってくださっている、そんな優しさの裏返し。千尋めにはそう見えましたが?」
「~~~ッ!」
馨は今度こそ照れくさそうを通り越して、絵に描いたように顔を真っ赤にする。いつもの余裕綽々の馨からは想像もつかない。こんな彼の姿を見た日には、遥歩は息をするのも忘れるほどに驚き絶句するのではないだろうか。
自分でもその異常に気付いたのか、馨はコンビニの袋からノンシュガーの炭酸水のペットボトルを取り出して、その冷たさで顔と頭を冷やそうとでもいうのか、ボトルの蓋を外して一気に中身を流し込む。
「―――ッ!? ゲホッ!? ゲホッゲホッ、お゛え゛っ‥‥‥!? けほ、けほ‥‥‥はあ、はあ、ミスった‥‥‥」
「だ、大丈夫ですかぁ馨くん! お、お水! お水を持ってこなくては!」
「あ、へ、へーきへーき。へっちゃらだよ‥‥‥」
何とか呼吸を落ち着かせると馨はベッドに仰向け倒れ込む。彼の頭が寝ている遥歩の太ももにあたると、遥歩は「いて‥‥‥」とだけ寝言のように漏らして動かない。
「―――千尋ちゃん、さ」
「なんですか、馨くん」
白くのっぺりとした壁紙の張り付いた天井を見つめながら、遥歩の寝息をききながら、馨は千尋に話しかける。呪力は乗っていない、それでも聞く者を惹きつけ、気持ちを彼の言葉に集中するよう仕向けるかのような言葉は、彼の言霊の呪術への研鑽の副産物だろうか。千尋も少し居住まいをただして彼の方を向き直る。
「こいつは―――遥歩はさ、色んなモノを背負ってて、それでいてその上に色んなモノを背負おうとするんだ」
ぽつりぽつりと馨は言葉を紡ぐ。それはまるで暗く静謐な鍾乳洞の中で、つらら石から一滴、一滴と落ちていく雫が石床にぶつかり弾けていくかのようだ。愚痴るように、誰にともなく嘲るように馨は言葉を続ける。
「いらんことまで背負って、いらないことで傷ついて、なのにまたそれを何度も何度も繰り返してさ。本当に馬鹿みたいに、見ていられないくらいに真っすぐでさ。信じられないよね、今どき。そんなの流行らないっての‥‥‥」
「でも、そういう遥歩様の在り方を、馨くんは大事にしてくれているんですよね」
「―――ッ!」
馨は思わず飛び上がるように上体を起こす。
―――なんで? 馨の目は千尋にそう問うていた。千尋は小さく笑いながら答える。
「だって、馨くんが遥歩様を揶揄われたりするときは、どこか宝石を―――貴く、価値のあるモノを見ている人のような目をしていますからぁ」
「そう―――そう、か」
どこか奇妙な気分で馨は遥歩の寝顔を見つめる。自分はこの幼馴染のことをそんな風な目で見ていたのだろうか。
「見透かすのは好きだけど、やっぱり見透かされるのは苦手だ‥‥‥千尋ちゃん、ちょっと意地悪だね、うん。うわ、なんかすごい恥ずかしくなってきたから帰るよ」
「え、あ! その、ごめんなさいぃ。ご機嫌を損ねてしまいましたかぁ‥‥‥?」
馨が少し唇を尖らせて、すねたような表情を浮かべてみせると、千尋はそれまでの穏やかな表情を崩して慌てだす。そんな彼女の変化に苦笑を漏らしながら馨は立ち上がる。
「冗談、でもそろそろ僕も部屋に帰って寝るよ。明日から授業だからね」
「そう、でしたねぇ‥‥‥では、馨くん。おやすみなさい、良い夢を」
「ありがとう、千尋ちゃん」
そういって馨は立ち上がり部屋を後にしようとする。ドアノブに手を掛けた瞬間、馨は振り返って千尋を見つめる。
「―――?」
「遥歩、よろしくね。さっきも言ったけどすぐ無茶するから。大変だと思うけど、手助けしてあげてね」
静かに、馨は言葉を紡ぐ。千尋はそれに満面の笑みで答える。
「もちろんでございます。千尋めは遥歩様の式神ですから」
今回もいくつかのサイトを参考にさせていただきました。この場にてお礼申し上げます。
◯Wikipedia「言霊」、最終閲覧日 : 2020/3/18
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/言霊
◯人形工房天祥「魔除としての弓と太刀」最終閲覧日同上
https://koubou-tensho.com/2016/03/mayoke/
◯NARUHIKO’s Airport「フット・イン・ザ・ドアとドア・イン・ザ・フェイス【心理学マーケティング術】」最終閲覧日同上
https://naruhiko1111.com/712.html
また忙しくなるので、休憩がてらにちょこちょこ執筆してあげていきたいと思います。
それでは!