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陰陽師学院の日常は!  作者: えすとっぺる
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第玖話~式神

「お尋ねします! 貴方が———貴方様が私めの主人様ですか! 主人様ですね!」


そんな口上とともに、目の前に幼女がでんと立っていた。

あまりの出来事に遥歩も言葉を失う。


「―――あ、えと」


口から言葉にならない音が漏れる。遥歩はしりもちをついたような状態で座り込んでいる。手を動かし、尻を動かして開けた窓からベランダに一歩下がる。それに呼応するように目の前の幼女もまたずいと一にじり寄る。遥歩が一歩、そして幼女も一歩。そんな応酬が幾度か続き、ついに遥歩の背がベランダの手すり壁にぶつかる。


「しまったぁぁ!? 行き止まりかッ!?」


「しまったじゃないですよぅ!? 何故にお逃げになるんですかぁ主人様!! 主人様ですよねぇ!?」


「悪いけど俺には幼女に主人様なんて呼んでもらいたい願望も性癖もないッ!! 他を、他をあたってくれ!!」


「何を言ってるんですか主人様ぁ!?」


叫ぶ幼女をよそに、遥歩は隙を見て立ち上がり、ドアに向かって一気に駆け出す。しかしそれを幼女は見逃さない。


「逃げないでくださぁい!!」


「うわっちょッ!?」


扉に手を掛けようとした遥歩の背に、幼女が飛びつく。その様子はさながらセミのよう。


「ちょ、わ、分かった! 分かったし逃げないからとりあえず離れて!!」



♦︎



「―――で、ちびっ子、君は一体何なの?」


「主人様、そのちびっ子というのはやめてくださいませ! なんだかとてつもなく不名誉な感じがしますです!」


遥歩は怪訝そうな視線を幼女の上から下まで、不躾なまでに視線を走らせる。幼女はそんな彼の視線にどこか恥ずかしげな表情を浮かべながら、呼称に対しての抗議を口にする。


「ああ、はいはい。で、君は一体何な訳?」


「はい! 私めはあなた様の、倉稲遥歩様の式神でございます!」


「―――はい? 式神?」


式神―――平たく言えば陰陽師にとっての使い魔、眷属のようなもの。近代陰陽術においては、式神は大きく二つに分けられる。一つは人形や形代など様々な依り代に術者の呪力をこめた人工式。近現代においては機械工学などの発展とそれに伴う呪術の展開により、人工式はかなり多様化してきている。

もう一つは使役式―――霊体や下級神霊、化生の存在という人間の埒外にいた存在を調伏したり契約を結ぶなどして陰陽師が支配化に収めたもの。怪嘯から発生する「妖怪」のようなものも調伏させれば式神にすることは可能だ。

しかし、現代において確認される「妖怪」は式神として使役するには難が多い。その霊的強度や強すぎる獣性に由来する使役の難しさ、燃費など挙げればきりがない。ゆえに使役式を持つのは陰陽術が歴史の闇の中にあったときでもそれを放棄せずにいた名家などに限られていた。


遥歩はまじまじと目の前の式神幼女を見つめる。人工物的な感じはしないし、誰かの呪力を感じるわけでもない―――ということは、おそらくは使役式。しかしそんな代物が何故倉稲の家に‥‥‥?


「ええ式神です―――あなた様の、式神です」


「なんで俺なんかに式神が―――?」


遥歩の両親は確かに陰陽師だった。しかし、土御門などの名家とは違う。ごく普通の陰陽師を生業としているだけの家だった。そんな家に何故―――


「ええとですねぇ。掻い摘んでお話しますと私めは遥歩様のお家、倉稲家に代々引き継がれ、お仕えしてきた式神なのです。しかし、ある代から引き継ぎが為されなくなり、私めはこの香炉ごと押入れの奥へ奥へと‥‥‥しかし!そんな私めを歩夢さまは引っ張り出して下さったのでぇす! 」


「昔から―――でも‥‥‥だとしたら‥‥‥」


思わず遥歩は考え込む。

目を閉じた瞬間、ずきりと何かが痛む。ああ、耳の奥で雨の音が聞こえる。稲光が瞼の裏に。鉄の匂いが。いや、いや、いや―――これは幻だ。脳の錯覚だ。

でも、もしも‥‥‥あの時彼女がいたならば。

そう思うと握りしめた拳が痛む。


「―――遥歩様?」


「―――いや、なんでもない。悪い話を続けてくれ、ちびっ子」


「あのぉ、ですからぁ‥‥‥ちびっ子はおやめくださいですぅ」


「ん、ああ‥‥‥悪い。じゃあ、なんて呼べばいいのさ?」


脳裏にこびりついた残響のような光景を振り払うように、遥歩は頭を横に振ってから式神幼女に問いかける。確かに延々とちびっ子と呼ぶのはあまりよくない。というかいっそ彼女の言葉が正しいとしたら、遥歩自身より圧倒的に年上である可能性もあるのだから。


遥歩の問いかけに、式神幼女はびくりと反応し、そして少し黙ってから、表情を緩めて答える。


「そう、ですね―――ええ、では『千尋(ちひろ)』、と。私めのことはそうおよびください。遥歩様」



♦︎



「千尋は‥‥‥使役式ってことでいいのかな」


「そうですねぇ‥‥‥まあ、使役式ではあるのですが、その中でも千尋めは『護法』と呼ばれるモノに分類されますです」


『護法』―――使役式の中でも特に護衛としての役割が強いモノとされている。使役式はその存在の強大さ、維持するための術者の霊力消費を抑えるために、基本的にその都度召喚を行うものだが、護法は常に術者のそばに霊体化して控えることで召喚までのタイムロスや、不意打ちへの対応などに優れたものだそうだ。そしてそれゆえに―――


「ええそれゆえにです! 私たちは常に主人との呪力のパスを通して呪力を少しずつ頂きますので、特別な工程を踏むことなく簡単に現界が出来るのが私めら護法の強みなのでぇす! これにより、主人の突然のピンチにシュバッとズバッと対処できるのでぇす!」


「―――ってことは、俺今呪力を少しずつ抜かれてるの? ちび、千尋に?」


ちびっ子、と言いかけ千尋の目がえらく悲しそうになったので、慌てて遥歩はしっかりとその名を呼んでやる。すると千尋は嬉しそうな笑顔をその小さな顔いっぱいに浮かべてうなずく。


「んー、でもあんまりそんな実感はないんだけど?」


遥歩は目を閉じ全身の呪力の流れに注意を払う。しかし身体を流れる呪力には特に揺らぎなどは感じられない。


「ええ? そんなはずはないんですけどぉ‥‥‥」


そう言って千尋はぺたぺたと遥歩の頬や胸や腕や腹を触る。そして次の瞬間、赤みを帯びていた頬が蒼白に転じる。


「ぱ、パスが‥‥‥パスが切れてますですぅ~~!?」


「―――え?」


「ほ、本来血族に仕える護法は、術者の血の因子で子々孫々と契約関係が持続するのですが……」


「ですが———?」


「おそ、らく……余りに長い間使役(つか)われて無かったので……遥歩様の中の因子が……千尋のことをお忘れにぃぃ〜〜ッ!!」


そう言って千尋はうなだれるようにその場に崩れ落ちる。まだ事態を察しきれていない遥歩だが、彼女の反応を見るにこれがかなり不味いことだというのは分かる。


「それは‥‥‥繋がっていないとどうなるんだ?」


「千尋めが消えますです‥‥‥おそらく今夜中にでもぉ」


うなだれたまま千尋は消え入りそうな声を漏らす。うつむいたその顔はまるで世界の終わりを迎えたかのような―――いや、消滅の危機にさらされた彼女にとってはまさに世界の終わりにも等しい状況だ。肩を抱き、震える彼女は先ほどまでと打って変わって弱弱しく、そして哀れだった。


「それは―――また結びなおすことはできないのか?」


「できない、ことはないです‥‥‥でも、一度途切れた契約を結びなおすとなれば、それは新たに契約を結ぶと同じ事。新たに契約を結ぼうとすれば莫大な呪力が必要に‥‥‥遥歩様のご年齢を考えると場合によっては命の危機も‥‥‥」


「―――ん、じゃあそれでいこう」


「ええ、お体、お命に関わることですから熟慮されるのは―――なんです?」


「だから再契約(それ)をやろうって。俺よくやり方が分からないから、教えてくれ」


「―――ッ!?」


遥歩の返答に思わず千尋の表情が固まる。絶句、そんな言葉がふさわしいほどに開いた口からは、何の言葉も、音すら漏れ出てこない。そして次の瞬間にはあり得ないものをみたかのような目つきに変わり、わなわなと震えだす。


「あ、あなたは―――遥歩様は人の、千尋めの話を聞いていなかったのですか!?」


「いや、聞いてたけど―――どうしたのさ」


「き、聞いていたのなら何故―――どうしてそんな即決を‥‥‥ッ!? 死んじゃうかもしれないんですよ!? 千尋にぜぇんぶ呪力を取られて―――なのに!」


「———だとしても、だ」


遥歩は静かに、そして穏やかに、千尋の頭に右手を置いて語りかける。暖かく、柔らかく、そして小さな感触が手に伝う。


「たまたま実家から持ち込まれた段ボールの中に、たまたま入っていた香炉。その中にたまたま君がいて、たまたま君と———千尋と出会えた。こういうのを世間では運命だとか、奇跡だとか言うんじゃないか?」


「———ッ」


訥々と遥歩の口から紡がれる言葉。起伏少なく、母親が寝物語を読み聞かせるような穏やかさを纏って。

千尋はそれを俯いたまま聞いていた。


「俺はそういう運命論だとかはあまり信じない性質(タチ)だけど、こういう出逢いは大事にするべきだと思う。それに———」


「それに?」


千尋はそこで顔を上げる。遥歩の顔を見上げるその瞳は不安と困惑とが満ち満ちている。それを見て、遥歩は目を細めると、どこか照れ臭そうに、しかし晴れやかな笑顔で応える。


「今にも泣きそうな女の子が目の前にいるんだ———それを、助けないなんてカッコ悪い、だろ?……なーんて」


「———!」


らしからぬセリフ———でも心の底から思ったことをしっかりとぶちまけたのだ。


「ふ、ふふ———あは、あははは」


「わ、笑うなよぉ!? なんかおかしなこと言ったか!?」


「い、いえいえ……でも遥歩様、お顔が真っ赤で……ふふっ」


「〜〜〜ッ!?」


今更ながらに自分の顔が熱く——まるで血が沸き立っているかのように——なっているのに気づく。

思わず恥ずかしさに顔を腕で覆う。

そんな主人をくすくすと笑う千尋を、遥歩は少し恨めしげに、わざとらしく睨んで見せる。そして気づいた、彼女の頬を伝うものを。


「———ごめんなさい、ごめんなさい遥歩様。ありがとうございます、遥歩様」


「千尋———」


「———伏して願い奉りまする。倉稲遥歩様、私め———護法式神・千尋をば貴方様にお仕えさせていただくこと。貴方様の剣となり、盾となること。我が忠誠をお受けいただくことをお許しくださいますよう———切に、切にお願い申し上げまする」


跪き、遥歩にこうべを垂れる千尋。

遥歩は立ち上がりそれに応える。こういう時になんと言えば良いのか、そもそもこれまでの日常生活で誰かを侍らせること、ましてや忠誠を誓われることなどありはしない。

しかし、彼女の前に立った時、彼女の宣誓に応えるための言葉は湧くように現れた。

これが、倉稲の血に帯びる「因子」とやらの所為なのか、或いは彼女の言葉がただ遥歩を突き動かしたのかは分からない。しかし———


「———応えよう。君は我が盾、我が剣。そして我が友、我が家族だ。どうか俺を支え、守ってほしい」


「———御下命のままに、遥歩様」


月明かり差し込む部屋の中、主従の契りは結ばれた。

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