商店街にて
「もうすぐ御義母さんの七回忌だわね」
静子はうちわで顔をあおぎながら夫の義雄にいった。
義雄をネクタイをしめながら、
「来週の土曜日だったな。早いもんだな」
といった。
「そうね。ところで、今夜は遅くなるのかしら」
と静子は夫にたずねた。義雄は、まっすぐ帰るよと云いながら、スーツに袖を通した。
静子は夫を送り出すと、一通り家事をすませた。それから、買い物に行く準備を始めた。
いつも静子は買い物に自転車で隣町のスーパーまで出かけていった。
歩いていける範囲には商店街もあったが、六年前に隣町に郊外型の大きなスーパーができてからは、もっぱらそこで買い物するのが静子の日課だった。
その日、静子は買い物の途中お金を引き出しに郵便局に寄った。自転車を郵便局横の自転車置き場に止めると、静子は郵便局のキャッシュコーナーへと向かった。
運悪くその日はATMの調子が悪いらしく、機械に差し込んだキャッシュカードが何度も戻ってきた。係りの者を呼び調べてもらったら、カードの磁気がおかしいということらしい。
静子には良く分からなかったが、新しくキャッシュカードを作り直す必要があるとのこと、
再作成には20分程度かかるとの話であった。
静子は「ついてないわねえ」とつぶやき、待合コーナーの席に腰を下ろすと手近に置いてあった雑誌を読み始めた。
手に取った雑誌には子供服の特集記事が組まれていた。色とりどりの小さな服が写真で可愛く載っていた。
静子は小さくため息をついた。結婚して10年が経つが、静子と義雄の間に子供はいなかった。最初は亡くなった姑と3人暮らしで、子供を作るのを何となく遠慮していたた。
姑は亡くなる前に、しきりに孫の顔を見たがっていた。
それでもなぜか二人に子供は授かることはなかった。
その姑も亡くなってから早や七年が過ぎていた。
静子には、この一〇年間は平凡で何もない結婚生活だと思った。
やがて、係りの者が戻ってきて、静子に新しいキャッシュカードを手渡した。静子は必要な分のお金を降ろした。
郵便局を出て、駐輪場に戻ってみると静子の自転車が消えてなくなっていた。
周りを見渡したがどこにもなかった。
盗まれた。
買ってから六年になる自転車だった。
他人には盗む価値のあるような自転車には思えなかった。
他にもきれいな自転車が何事も無かったかのように無口に並んでいた。
しかし、静子にとっては大事な自転車だった。買い物には欠かせない足だった。隣町のスーパーまで歩けばゆうに30分はかかった。この炎天下の中30分も歩く元気は静子にはなかった。
静子は、重い気持ちを抱えたまま、スーパーとは反対方向の道を歩き出した。
とぼとぼと歩いていると、地元の商店街が見えてきた。商店街は屋根付きのアーケードがついていて、昼というのに薄暗くぼんやりと口をあけて数少ない客が来るのを待っていた。
暗い口の中では、ところどころ櫛の歯が欠けたように店がたたまれてシャッターがおりていた。
静子は商店街で買い物をしようと歩いてきたが、入り口に立ってみるとより憂鬱な気分になり、足が踏み出せなかった。静子は少し先にあるコンビニへ行くことに決めた。
「何だ。今日もコンビニ弁当か」
義雄はうんざりした様子で食卓に並べられたお弁当を見て、いった。
「仕方ないじゃないの。自転車が盗まれちゃったんだから。そんなにいうのならお昼のお買い物は、車で乗せていってくださいな」
静子は反発するようにいった。
義雄は、眉間にしわをよせて
「仕事中だろう。抜けてくるわけにいかないよ」
とつっぱねた。
「あら、以前御義母様がいらした時は、お昼は家で食べてらしたじゃないの。少し早めに戻ってきてお買い物につきあって下さればそれで良いのですよ」
静子はお茶を入れながら、いった。
「商店街なら歩いて行ける範囲じゃないか。昔の話というのなら、お前だって母がいた時はよく一緒に商店街で買い物してたじゃないか」
「あなたは最近あそこの商店街にいったことないでしょう。今じゃ誰もあんなところにいったりしないわ。それにだいいち暗くて不気味なんですもの」
そういえば義雄はここ数年地元の商店街にいったことはなかった。休日も妻は、スーパーだ、ショッピングセンターだといって、車で遠出させられていたことを義雄は思い起こした。
六年前に隣町にスーパーができてからは、妻は自転車で一人で買い物に出かけていた。
その頃からか義雄も商店街に行くことはほとんどなかった。
「よし、じゃあ今度の休日に二人で商店街にいってみようか」義雄は妻に提案した。
静子は暫く黙っていたが、
「さっ、ご飯にしましょう」
とだけいった。
静子と義雄は、だまって弁当を食べ始めた
何日かして、静子はひとりで地元の商店街に行くことを決した。
何年ぶりだろう、商店街で買い物をするのは。お姑さんが亡くなってから十年。
それ以来この商店街にはいっていない。
久しぶりに歩いてみると、薄気味悪いと思っていた気持ちはなくなり、懐かしい気分になった。それだけにかつては開いていた店の多くが、シャッターを下ろして閉まっている光景は胸にぐっとくるものがあった。
それでも店を閉じずにがんばっているところもあった。代替わりをしている店もあった。
まだ現役でがんばっている豆腐屋のじいさんもいた。なんだかとても懐かしい。
「よう久しぶり。元気かい」
と声をかけられた。
とても嬉しい気持ちになった。
代替わりをした店では若大将が、
「こんにちは、鈴木様」
と声をかけてきた。
静子は「あらっ」と声を出した。
隣町のスーパーで魚屋をしているのと同じ若い男がそこには立っていた。
「うちは、元々こちらが本店だったのですけど、今じゃあちらのスーパーで商売をさせて頂いております」
といって若大将はぺこりと頭を下げた。
「店はぼろいですけど、中味は新鮮ですよ」
といって、かれいやさんまなどの魚を見せてくれた。
その日、静子は商店街を端からはしまで回った。お姑さんと買い物をして歩いた頃を思い出しながら。いくつもの懐かしい顔に会った。帰りに商店街でもらったくじを持って、広場のくじ引き会場へ立ち寄った。
当たった!なんと2等賞。自転車だった。静子は満面に笑みを浮かべて当たった自転車に乗ってもう一度商店街の中を端から端まで、子供みたいにはしゃいで走った。
自転車の買い物かごには、商店街で買ったお惣菜やお菓子でいっぱいになっていた。