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ワルツを踊れ  作者: 脱獄王
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ユーテロの揺籠#9

 星宮女子高等学校には、世間一般でいうところの夏休みが存在しない。

 一学期の終業式の三日後には、前期の夏期講習が始まり、八月の前半は通常の授業と変らない日々が続く。授業は午前中だけとはいえ、寧ろ、体育や家庭科等の机に向かう以外の勉強が無い分随分と質が悪い。午前中は授業、午後は復習と次の日の予習。お盆休みが唯一の休みといえる休みだ。全寮制という事もあり、この時期は実家でゆっくりと過ごすという生徒が殆どだ。そして、束の間の休みが過ぎると、八月の後半からは後期の夏期講習が始まる。実質それが二学期の始まりのようなものなのだから酷な話だ。

 しかしながら、これは世間一般の意見に過ぎない。当の生徒達は当然のようにそのスケジュールに従い、けろっとした顔で勉強をこなしていく。光理からすれば、頭を両手で抱えたくなる程の憂鬱な日々にしか見えない。光理自身は決して勉強する事自体は嫌いではないが、ここまで徹底されると嫌気が差してしまう。

 星宮女子高等学校が全国有数の進学校で、且つ家柄の立派なお嬢様ばかりが集まっているからというのも大きな要因かもしれない。彼女達の多くは幼少の頃から数々の習い事に通い、それこそ分刻みのスケジュールを送っている。休みが無いのが日常なのだ。

 生徒の親からはこの講習が推奨されているからというのもまた驚きだ。生徒達の母親にOBが多いのは有名な話ではあるが、同じ体験を子にさせるというのは、それが意味のあるものだと認識しているからだろう。自分が体験した経験は良い経験だから、自分の子供も同じように感じ、同じように思ってくれるだろうという錯覚にも似た妄想だ。光理の父親も同じような思想を持つ人間で、光理自身もそれに苦しめられてきた。どうしても抵抗感が湧いてしまうのは、父親に対する反骨心からなのかしれない。

 星宮女子高等学校の校舎から徒歩五分の場所に寮は建てられている。寮と言えば如何にも木造建ての〇〇荘のようなものを連想されるだろうが、星宮女子寮はそんなほんわかしたイメージから程遠い。傍から見れば、高級タワーマンションと何ら外見は変わらないからだ。麻布や赤坂に建っているものと遜色ない佇まいは、星宮女子の伝統と威光をまざまざと見せつけている。然も、それが三棟も並立するように建てられているのだから、一般的な寮とはまるで扱いが違う。

 一学年の生徒数は一五〇名。

 三学年の総生徒数は四五〇名。

 一棟毎に一年生、二年生、三年生と分けられており、三年生が卒業するとその棟に一年生が入るというサイクルが確立されている。

 凄いのは外見だけではない。エントランスを入るにはセキュリティカードが必要で、二十四時間体制で警備員も見回っている。エントランス内に入ると上場企業かと見間違うくらいの巨大なエレベーターホールがあり、そのホールに併設するようにお洒落なカフェテリアが広がっている。勿論、カフェテリアに入るにもセキュリティカードは必須だ。生徒達は朝昼晩、この場所で決まった時間に食事を取るのを義務付けられている。時間に遅れた場合は、食事抜きの罰則が課せられる。就寝時間までは余暇として利用するのも可能で、生徒の利用用途としては比較的自由を許されている場所でもある。寮監の目が常に光っているのを除けば、の話であるが。

 光理は夏期講習開始日から三年生の寮に調理師として配属された。調理場で作業をしている人達は業務委託のおばさんばかりで、はっきりいうと光理はかなり浮いていた。男が光理しかいないというのもあるが、最も目立つのは若さかもしれない。警備員や用務員の男性という男性のほとんどは初老をゆうに越えたものばかりだ。加えて、その誰もが敬虔なカトリック教徒で、早朝には必ず敷地内の教会で祈りを捧げている。生徒達も同様に朝晩の祈りの時間が義務化されている。光理にはそのような習慣は一切ない。そういった意味でも、光理はこの場にとって異質であり、一人だけ異常な存在なのかもしれない。業務委託のおばさんと一部の警備員だけが、光理と同じ身の上なのだ。

 しかし、光理が不満に思っているのはその点ではない。今回の仕事はあくまでも潜入捜査だ。決して目立たず日常に溶け込み、非日常としての仕事をこなさなければならない。仕事をこなすという意味では、昼時の生徒達がごった返したカフェテリアで、黙々とランチメニューを作り続けている光理は、まさにきっちりと仕事をこなしている。但し、それは表向きでの話だ。

 なーにが潜入捜査だってんだよ!滅茶苦茶目立ってんじゃねぇかよ!!

 内心で毒突きながら、光理は巨大な中華鍋を豪快に振るう。

 あーあもう、すげー見られてる・・・・・

 芳しい香りと野菜を炒めるリズミカルな音。

 テンポ良く料理を作っている新人の若い金髪の調理師。

 これが目立たないわけはない。

 なにせ、調理場は生徒達から丸見えなのだ。構造上仕方のない部分もあるが、ひそひそと何かを話しながら見られるというのは、こそばゆいというか、余り気分が良いものではない。

 基本的に朝昼晩とメニューは決められており、生徒達はカフェテリアの外にある看板を見て自分の好きなメニューを選ぶ。メニューは基本的に五~八種類あり、和食から洋食、中華まで品揃えは豊富だ。メニューを決め順番に並んでいき、カウンターで注文すると僅か一分で料理が出てくる。そういう構造だから、昼時の調理場は戦場だ。朝と夜も同様だから、中々の重労働でもある。

 光理は中華担当に任命され、男というのもあり、巨大な中華鍋を使った炒め物を任されている。今日の中華メニューは八宝菜だ。光理自身は本物の中華鍋を使用するのは初めてだったが、元々料理は妹の為によくしていた経験もある。それほど苦戦はしなかった。『方舟』は洋食メニューの調理がメインであるから、こういった経験は貴重かもしれないと思いつつ、光理は鍋を振るい続ける。幸いな事に、一連の事件を鑑みれば犯人が動くのは深夜帯だ。白昼堂々と事に及ぶ可能性は低い。今は、一料理人として鍋を振るう事に専念するしかない。

「八宝菜上がりました!」

 皿に素早く盛りつけ光理は声を上げる。その声に反応するように、生徒の視線が光理に集中する。その視線に気付いていない振りをして光理は再び鍋を握る。

 まるで珍獣扱いだ・・・

 それから三十分の間、光理はただ只管調理に没頭した。


 昼休みも一時間を過ぎれば、平和な時間を取り戻す。光理も大方の皿洗いを終え一息入れているところだった。おばさん達からは初対面では余り良い顔をされなかった。何せ、金髪のいかにもな不良青年がやって来たのだから仕方がない。だが、働き振りで見る目は変ったらしい。すっかり雑談の輪にも入っている。というか、強制的に輪に入れられ、話題の中心になっている。根掘り葉掘りと言わんばかりに質問攻めに合い、光理は辟易するばかりだった。今は光理の恋愛事情の話でおばさん達の妄想が膨らでいるところだ。


「光理くん!!」


 聞き覚えのある声に振り返ると、カウンター越しに祥子が小さく手を振っていた。光理は小さくお辞儀をし、彼女へ近付いていく。背後からおばさん達のひそひそ声が聞こえるが、それは敢えて無視する。

「ほんとにいたんだね」

 祥子は少しだけ意地悪そうに微笑む。

「昨日きちんと連絡したじゃないですか。今日からここで働くことになったって」

 光理は事前に祥子へこの件を連絡していた。勿論、潜入捜査だというのは隠している。此処にはあくまでも知り合いの紹介で一時的な応援という形で来ているという体になっている。

「まあ・・そうだけどさ。実際、自分の知っている空間に光理くんが居るのは凄く不思議だなって思って。それに、今までは週一回しか会えかったけど、今日からは毎日会えるじゃない?」

 祥子は少し首を傾げ上目遣いであざとさを演出する。効果は覿面のようで、光理は少し照れ臭そうに頬を掻いている。

「そうですね。俺もそう言って貰えて嬉しいです」

「ふふ・・素直でよろしい」

 満更でも無い光理の様子に、祥子はここぞとばかりに攻めてみる。

「でもさ、ほんとにびっくりだよね。ついこの前連絡先を交換したと思ったら、光理くんがウチの学校で働くっていうんだもん。なんか『運命』的なもの感じちゃうな」

 運命。

 光理は祥子の意図とは『異なった』意味で、それを感じていた。それは、力を持つ者同士が引き合うという因縁めいたものだ。今回の事件の裏に存在する『ミニステルアリス』との歪な繋がりだ。

 『フェルヌス』と呼ばれる現世の写し鏡のような世界に住む『ミニステルアリス』。人と似た姿をしているが、人は異なる理で生きる存在。『世界機関』は数百年の間、『ミニステルアリス』と闘い続けてきた。その闘争の只中に光理も既に飛び込み、既に何度も戦闘を繰り返している。『ミニステルアリス』は力は一人一人が特殊な力を持っている。光理は、今回の事件に関して、最初に対峙した『彼女』を思い出さずにはいられなかった。

 これは君の仕業なのか・・・・『アルカ』?

 突然じっと考え込む光理。祥子は取り繕うように、

「そんな難しい顔しないでよ!言葉の綾というか・・・ただの喩えだから」

 と、弁明した。

 祥子は勘違いをしていた。あからさまな表現に祥子の『意図』を感じ取られたのではないか、と。

 ちょっと焦り過ぎちゃった・・でも、私の気持ちバレてないよね?

「確かに・・・俺もちょっと不思議な縁を感じてます」

 光理は我に返ると、素直に心の内を吐露していた。『アルカ』との存在が光理の人生を狂わせた。それは悪意にも似た縁だ。

 光理と祥子はいつの間にかお互いに見詰め合っていた。不思議と重力に引かれ合うように目と目が重なってしまったのだ。祥子は突然の急展開に動揺を隠せない。

 これってもしかして・・・・光理くんも私のこと・・・

 祥子は心臓の音が高まり、身体が熱くなるのを感じた。心の準備など無意味だと心が訴えるように、祥子に声高に告げるのだ。ここが最大のチャンスだ、と。


「へぇー。こんな間近で祥子のラブコメが見られるなんてねぇ」


 祥子はその声に警戒するミーアキャットのように振り返った。そこには、如何にもお嬢様らしい気品を感じる女性が立っていた。

「遙・・何でここにいんのよ!?」

 素っ頓狂な声を上げる祥子に対して、遙と呼ばれた女性は、

「なによ、その間抜け面は?私はただ食器を返しに来ただけなんですけど」

 と、何事も無かったかのように光理に食事を済ませた食器を手渡す。

「私は二条遥(にじょうはるか)。祥子とは幼稚舎からの腐れ縁なの。よろしくね」

 遙は光理に向かい握手を求める。

「はっ・・はい!よろしくお願いします」

 条件反射で光理も彼女の手を握る。祥子は遙の『意図』に気付きのしのしと近付くと、遙の手を光理の手から『ごく自然』に離し、少し離れた位置まで遥を連れて行く。光理はそれを不思議そうに眺めているので、祥子は小声で遥に物申す事にした。

「ちょっとどういうつもりよ!?」

「どうも何も、ただ自己紹介しただけでしょ」

 遥は『態と』きょとんと首を傾げてみる。

「握手は必要ないでしょ!!私だって未だ握ったことないのに!!!」

「そんなの知らないわよ。握手は世界共通の挨拶でしょ?私はなーんにもおかしなことしてないよ」

 祥子は子犬のようにふるふると小刻みに振るわせている。遥はその様子をニヤニヤと眺めながら心の内で、先ずは満足と頷く。

 揶揄うのここまでにしますか。これ以上は可哀想だからね。

 遥は祥子の耳元に顔を近付けると、

「私が恋のキューピッドになってあげようか?」

 と、意味深な提案をする。

 祥子はその発言に驚いたように、

「ほんとに!?」

 と、喰い気味に声を上げる。遥はその反応に微笑むと、祥子の耳元から顔を離し腕組みをする。

「親友の初恋だもん。応援するのは当然でしょ?」

 しかし、祥子は正気に戻り冷静に考える。今まで遥に何をされてきたか、と。

「意地悪しないって約束できる?」

「今回は・・・ね」

 祥子は少しだけ考えた後、その表現に納得すると、

「・・・・分かった。じゃあ、お願いする」

 遥は胸を張りとんと胸を叩く。

「どんと任せなさい!必ず成就させてみせるから!」

「信用してあげるんだから頼むからね!」

 祥子と遥はお互いに言い合った後、なぜか笑いが込み上げてきて、すっかり声を上げて笑ってしまった。

 祥子は少しだけ意地悪な親友の不器用な優しさが大好きだ。

 今でこそ祥子は周囲から信頼され、生徒会長を務めるくらいに成長したが、子供の時分は事ある毎に遥に揶揄われ、よく騙され遊ばれていた。祥子の素直で真っ直ぐな性格は幼少の頃から変らず、今もそれが彼女の長所でもあり、遥が意地悪なし甲斐がある部分でもある。祥子は遥にとって、本当に可愛らしい親友なのだ。一方、遥は子供の時分から聡く大人びた考えを持っていた。だからこそ祥子は恰好の揶揄いの的だったのかもしれない。だが、遥は決して祥子を傷付けるような悪さは一度もしてはいない。どんな時でも、最後には祥子が笑顔になるよう導くのだ。

 だからこそ、今も関係は続いている。遥の意地悪な行動は照れ隠しだと祥子は知っている。

 遥の優しさは見え難い。明るく振るまって誰にでも好かれるけれど、何処かで必ず線を引いている。それは、きっと私にしか分からないから。だから、私は遥と親友でいたいと思う。

 光理は少しだけ遠目に、二人が笑い合っているのを見て改めて心の中で決意を固めた。

 絶対に犯人を掴まえてみせる、と。

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