ユーテロの揺籠#8
光理が『方舟』に到着した時には、既にフェアレータは相も変わらずといった様子でカウンターの席に座り珈琲を口に運んでいた。丁寧に撫で付けた白髪頭に、一目で分かる高級感のあるオートクチュールのスーツ。夏のどんな暑い日でもネクタイは絶対に外さないのがフェアレータのポリシーだ。そんな暑苦しい格好をしていても本人は至って涼しげな顔をしており、汗一つかいていない。
光理は駅前で祥子と別れた。広幡亜衣の話の後は、何となくお互いに気まずい空気が続き、文化祭の話も余り進まなかった。帰り際に次に会う日を約束すると、祥子からは「次はお互い笑顔で会おう」と気遣われてしまった。あの話を聞いてからは、ずっと暗い表情をしていたのは光理自身も反省している。本当に辛いのは、祥子の筈だったのだから。その後は。真っ直ぐ『方舟』に帰る気が起きず、その辺をぶらぶらとしていた。『方舟』に到着したのは、約束の時間の五分前だった。
フェアレータは光理の方へ振り返ると、
「遅かったね、光理。マナーとして、約束の十分前に戻って来るべきだと思うがね」
と、開口一番皮肉を投げられる。
「おかえり、光理くん」
フェアレータとは真逆で司はマイペースだ。
光理はフェアレータを無視し、司に「ただいま帰りました」と挨拶をすると、そのままカウンターの中へと入る。
「ほう、随分と機嫌が悪いな。若しかして『都築祥子』に振られたのかな?」
その名を聞き、光理は鋭い目付きでフェアレータを睨み付ける。
フェアレータは呆れたように溜息を付くと、傍らに置いてある鞄の中から書類を取り出し、それをテーブルの上に数枚ずつずらして並べ始めた。
光理はそれを手に取り、一枚一枚捲っていく。
それらは経歴書のようだ。顔写真と個人情報と簡単な経歴がつらつらと記載されている。
その中には、都築祥子の名前があった。
顎を掌に乗せ、フェアレータは光理に視線を返す。
「勘違いされては困るよ。今回は『偶然』にも、『操作』の一貫で君と彼女に出くわしたに過ぎない。君と私とで交わした誓約で、君のプライベートが保証される事は知っているだろう?」
「俺がアンタを信用していない事も知っているだろ?」
光理は極めて冷静に返答する。一方、フェアレータは感心するように頷く。
「ああ。それでいい。私と君とはビジネス上のパートナーだ。個人的感情で信用されても困るからね」
「それで、どうして都築さんを含めて星宮女子校の生徒を調べているんだ?」
光理が目を通した中の全員が星宮女子高校の生徒だった。それも三年生全員だ。
「言わずとも分かるだろう。此方で調査した情報によれば、私達が追っている『犯人』はこの学校の制服を着ており、校章は三年生のものを身に付けていた。------流石に顔は何かで隠していたようだがね・・・・態々カモフラージュという事もあるまいよ。ここまで言えば、どんなに鈍い君でも、彼女達の中に、『ミニステルアリス』に取り憑かれた『殺人鬼』がいると分かるだろう?」
フェアレータはそう告げると、次に別の書類を光理の前に差し出す。
それは一般には公開される事のない警察内の重要書類だった。事件に関する概要と関連する写真が添付されている。その写真には殺された被害者の様子がまざまざと映されていた。その無惨な姿に、光理は思わず目を背けたくなる。
「君にも分かり易く説明してあげよう。何しろ時間がないからね。被害者は七名。共通点は三つ-----女性、殺害方法、そして、『経験』だ」
フェアレータに促されるように、光理はもう一度書類と写真に目を通し直す。
確かに、全員が十代後半から二十代前半の女性だ。経歴はそれぞれ、学生から会社員、芸能人から風俗嬢まで様々な面々が並ぶ。しかし、経歴の中には特に共通点は見当たらない。光理は書類から写真の方に目を移す。写真の中の被害者達には大きな共通点があった。全員が『腹に洞のような穴を開けられ死んでいる』のだ。その穴はまるで精密な機械に空けられたように綺麗な円を描いている。『人間』にはとても出来ない所業だ。加えて、被害者達は全員、まるで天に許しを乞うように上を向き、目を白目に剥き、口を大きく開き、苦しみの表情を浮かべ、絶命している。
死ぬ間際まで何か見ていたような・・・それにしても、経験っていうのは一体何だ?
フェアレータは光理の考え込む様子を一瞥すると、
「どうやら、私が説明しなくとも、それなりの情報は得られたようだね?」
「余計なお世話だっての」
口を尖らせる光理に対して、
「外からでは分からないが、被害者達の内蔵はミキサーにかけられた肉や野菜のように内蔵を液体状にされていたそうだ。とてもではないが、人間技ではあるまいよ」
と付け加えると、フェアレータはもう一枚書類を光理の前に差し出した。それは、何らかの名前のリストだった。日付が古い順から新しい順に並べられており、その隣には名前が記載されている。更にその隣に記載されている情報に、光理は思わず目を見開いた。
「彼女達は全員、とある医院で人工妊娠中絶を経験している」
光理にとっては、本当にただの偶然なのか疑いたくなるほどの情報だった。そのリストを手に取り、光理は目を皿にして目を通していく。被害者達はここ三ヶ月の間で中絶している者達だった。犯人はまるでその被害者達に的を絞るように犯行に及んでいる。先程目を通した書類で最初に殺害された会社員の名前と中絶した者のリストの先頭に記載されている名前が完全に一致している。犯人は確実に、このリストにある者をターゲットとして絞ってきていると見て間違い無い。
「この件は、『世界機関』が抑えているマスコミにも流れていない秘匿情報だ。警察内で知っている人間も極一部に限られている。早々に解決しなければ被害は広がるばかりだ。今回の依頼は、この殺人犯を調査し、捕縛、若しくは殺害する事だよ」
先程まで戯けていた表情とは真逆の真に迫るフェアレータは、光理に現実を突き付ける。
確保が難しい場合は殺人も許可すると言っているのだ。
それはいつもの依頼内容でもある。だが、何度同じ事を告げられても、光理の心は酷く軋むように悲鳴を上げる。人を殺す経験はそう何度も体験したいものではない。しかし、世界の秩序を担う『世界機関』のメンバーとして逃げるわけにはいかない。それがどんなに血塗られた道であっても、光理は前に進むしかない。
「・・・俺はどうすればいい?」
光理の回答に、フェアレータは小さく笑みを浮かべると、
「君には星宮女子高校に潜入捜査をして犯人を特定して貰う」
今度は別の書類と身分証のようなものを光理に差し出した。
「明日から君は星宮女子高校の寮で調理師として働いて貰うよ。既に許可は取ってあるから心配はない。君の調理師免許証は『偽造』済みだ。そちらの身分証は学校内の使用するカードキーだから、呉々も無くさないようにしてくれ給え」
伝えるべき事を一方的に話すと、フェアレータは席を立つ。
「もうお帰りですか?」
司が尋ねると、
「私も多忙の身でね。次はシアトルに飛ばねばならない。後の事は君に任せる」
「はい。承知しました」
フェアレータは後ろ手に手を振ると店を出て行った。
光理は其方には目もくれず、渡された書類に熱心に目を通している。司はその様子を見て奥歯を噛み締めた。
「今回は断っても良かったんだよ?知らない人間を疑うのと、知っている人間を疑うのは訳が違う」
司は心配そうに光理の肩に手を置く。光理の体は小さく震えていた。しかし、それを振り払うように、光理は顔を上げ、真っ直ぐ司を見据える。
「それでも・・今回は俺がやらなきゃならない気がしたんです。--------もしも、都築さんが犯人だったら、俺は戦えなくなるって思ってるんですよね?」
捜査の対象に向ける目は平等でなければならない。
決して私見を入れてはいけない。
少しでも私情が残れば、澄んだ水が一滴の墨を零されたように滲んでいく。
「・・・・それが分かっているなら、僕はもう何も言わないよ。-------それに、光理くんは次の標的に目星を付けているようだしね」
光理は小さく頷く。
「・・・・流石、『世界機関』が調べているだけあります。欲しい情報が既に手元にあるのは大きいですよ」
光理は再び書類に目を向ける。
犯人は几帳面な性格なのか、被害者が中絶した日と殺害する日を三日間で見定めている。つまり、犯人は被害者が中絶した三日後に殺人を決行している。対象者は同じ病院に通っている人間だ。彼女達を何故狙うかは未だ不明であるが、犯人のパターンを読めれば予測は立て易い。
光理はリストの中に見付けていた。
広幡亜衣という名前を。




