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ワルツを踊れ  作者: 脱獄王
3/20

ユーテロの揺籠#3

 怒濤のランチタイムが終了したのは、午後二時を半分過ぎた頃だった。

 一〇〇食限定のオムライスランチはあっという間に完売した。いつもの2倍のペースで減っていたのは、夏休みならではと言っても良いだろう。

 接客を担当している光理も漸く一息付いた所で、遅い昼食を二階で手早く平らげた。皿を持って一階に降りてくると、店内も落ち着きを取り戻していた。相変わらず客席は満員であるが、それでもランチの激戦に比べれば凪いだ海のようだ。

 ランチタイムが過ぎ、午後三時から七時まではケーキセットのみの販売となる。ケーキも完売すれば、後のメニューは珈琲だ。これは、司の材料へのこだわりと一日の労働力が示す限界なのだ。これ以上の量を増やすとなると、質が落ちてしまうので、決まった量しか作らない。光理も仕込みなどは手伝っているが、フランスで修行した司の腕には遠く及ばない。味を完全に再現出来るのは随分と先の話だろう。

 ランチタイム後は、店先に『只今満員』の看板を置き、出来るだけ店内で寛いでいるお客様を邪魔する事をしないのが、司の経営方針だ。その看板を見て諦める客は多いが、それでも待つ客も多い。暗黙の了解と云ってもいいが、大概の客は一時間もしない内に店内を後にする。噂によれば、常連の客が決めたルールらしい。司を独り占めにしない為の苦肉の策と言っても良い。

 午後三時から四時までの一時間は、司が休憩を取る時間と決まっている。その間、店番を任されるのは光理であるが、司目当ての客はこの時間に店に寄り付かなくなる。悲しい話であるが、ファンは司の休憩時間も熟知しているのだ。店内はこの一時間のみ一日の中で最も静けさを取り戻す。光理としては複雑な気分ではあるが、この時間が一番好きでもある。

 疎らな客と珈琲の香り。

 ジャズのリズム。

 そして、自分が店を任せているという実感。

 その全てに満たされた空間が自分のものとなるのだ。

 が、一点だけ光理が気に入らない事がある。シルバーのスプーンを磨いている静寂を馬の嘶きで切り裂く人物が現れる時間だからだ。


「こんちは~」


 雰囲気もへったくれも無い開口一番元気な挨拶が店内に響き渡る。ジャズの演奏者もその元気の威力に指先が狂ってしまう事だろう。この時間帯の客は殆どが常連で、勿論その元気娘を知っている人達からすれば、ある意味日常茶飯事なのだから始末が悪い。それを知らない客からすれば、ただのマナー違反でしかないのだから。

 彼女はそのまま元気を振り撒きつつ、何時もの席へとどっしりと座り込む。その席は、光理が作業しているカウンターの真正面だ。

「ひかり、いつものちょーだい♪」

 座り込んで開口一番がまた不貞不貞しい。よく知っている人間とはいえ、客は客だ。光理は作業を止めると、

「かしこまりました」

 と、御座形な接客でケーキセットの準備に取り掛かる。

「よしよし。良きにはからい給えよ」

 うんうんと頷き満足にしている少しだけ小柄な少女。

 彼女の名は、正木鈴香(まさきすずか)。ありながら全国優勝を果たした猛者でもある。決して身長は高くはないが、技の威力とキレは並の男性選手では相手にならない。小学生の頃は光理も随分と泣かされたのは、今でも苦い思い出だ。

 光理は慣れた手付きで珈琲をカップへと注いでいく。その香りは芳しく鼻孔を優しくくすぐる。ケーキを出す前に珈琲を先に客に出すのが、この店のルールだ。決してケーキと同時には出さない。珈琲の味を味わってからというのが、司のこだわりなのだ。司は自分の脚で見付け、自分の納得した珈琲豆しか使用しない。故に、味は一級品で、光理も司から手解きを受ける内に、『珈琲の美味しい淹れ方』を学んだ。だからこそ、この時間帯を任されているという面もある。

「本日の珈琲です」

 光理はソーサーに載せたカップを鈴香の正面へと置いた。ほんわりとした湯気と共に、芳ばしい珈琲の香りが舞い上がる。鈴香は満足気に小さく伸びをすると、

「今日も良い香りだね」

「ありがとうございます」

 鈴香はソーサーの上に添えられた角砂糖二つを指先で嬉しそうにころころと転がすと、珈琲の中にゆっくりと入れていく。

「ちゃんと覚えてるんだね。私がミルク無しの砂糖二つが一番好きだって」

 珈琲を一口飲むと、指先でカップの縁を遊ぶように撫でる。

「それは、毎週土日に来てくれてる『常連さん』ですから。店員としてこれくらいは当然です」

 光理は話しながら、鈴香の前に本日のケーキを置く。そのケーキを見て、鈴香は悪戯な笑みを浮かべると、

「じゃあ、三種類ある本日のケーキから、ミルフィーユを選んだのも、私が『常連さん』だからなのかな?」

 フォークを手に取り、それを光理に向ける。光理は手に持ったシルバーのフォークに目を遣ると、

「お客様が好きな洋菓子は、上から苺のショートケーキ、ミルフィーユ、チーズケーキ。和菓子は、上から餡蜜、銅鑼焼き、みたらし団子です。嫌いなのは、ケーキの上に乗ったミントと抹茶系。幼馴染ですから、これくらいは把握しています。付き合いも随分と長くなりましたからね」

 店員らしく丁寧語を使用しながらも、どこか無愛想に応える。だが、迷い無く答えてみせる。その一〇〇点満点の回答に、鈴香はふふんと鼻を鳴らし頬を緩める。

「そうだよね~。『幼馴染』なんだから分かっちゃうよねぇ〜♪」

 如何にも態とらしく、まるで『誰かに聞かせる』ように声を漏らす。光理は怪訝そうな顔をしながら、

「何か嬉しい事でも?」

「べつに〜。こっちの話だから気にしないで」

 鈴香は態とらしく伸びをすると、ちらりと斜め後ろの席の人物を一瞥する。そこには、学校帰りなのか、制服を来た女性が座っていた。鈴香が光理に話し掛けている間に入店した、最近常連になりつつあるお客様だ。どうやらメニューを眺めているらしい。メニューといっても、精々どのケーキを選ぶかという選択肢しか無いが、熱心に選んでいるのだろう。


「おや、鈴香ちゃん。いらっしゃい」


 光理が振り返ると、司が休憩から戻って来たようだ。鈴香は「こんちはー」と上機嫌で司に向かい小さく手を振る。司は光理の横に立つと、

「今日は部活の帰りかい?」

 と、鈴香に尋ねる。

「はい。そうです。夏の大会が近いんで今日は早目に切り上げたんですよ」

 足下に置かれた使い込まれたボストンバッグのファスナーの間からは黒帯がはみ出ている。

「そうか。今年も優勝すれば全国二連覇だよねぇ」

 司が感心するように頷くと、

「バッチリ任せてください!絶対優勝しますから!二連覇しますっ!!」

 鈴香は勝利のVサインで優勝宣言をする。鈴香には優勝する自信とその実力がある。それは、光理もよく知っている。

 噂話によると、鈴香は高校に入ってから一度も公式戦で負けていないらしい。超高校級という肩書きは伊達では無い。最近では、雑誌やテレビのインタビューも受けており、その筋では『小さな巨人』と呼ばれるくらいに有名になっている。男性ファンも割といるようだ。

「その時はまた苺のホールケーキを作ってあげるね」

 去年鈴香が全国優勝を果たした際、司は店を貸し切りにしお祝いパーティーを催した。その時に巨大な苺のホールケーキを鈴香にプレゼントしたのだ。

「ありがとうございます!ひかりも今年は私にプレゼント用意しといてよね?」

 鈴香の視線に光理は淡々と返答する。

「去年のあのホールケーキ作るのを手伝いましたから、今年もプレゼントは司さんと同じです」

「だーめ!ちゃんとプレゼント用意しなさい!花の高校生にプレゼント出来るものなら一杯あるでしょ?指輪とかイヤリングとかネックレスとか!!」

 鈴香が指折り数えているものは全て同じだ。要するに、何らかのアクセサリー類をプレゼントしろと分かり易く要求しているのだ。強引な我が儘は子供の頃から全く変っていない。それに振り回される光理もまた変っていないとも言えるかもしれない。光理はその強引さに少しだけ巣に戻る。

「・・・・分かったよ。お前が優勝したら考えてやるから」

「絶対だよ!」

 鈴香は椅子から腰を上げ前のめりで顔を光理の前に突き出す。その眼は期待にメラメラと燃えている。

「分か-------------」

「絶対だ・か・ら・ね!!」

 鼻先まで顔を近付け鈴香はずいと物申した。光理はその迫力に完全に気圧された。

「・・・・・分かった。約束する」

「よろしい。余は満足じゃ♪」

 光理から色好い返答を聞き、鈴香は椅子に座り直すと、ケーキを頬張り始める。

「安心してよ。リーズナブルなお店いっぱい知ってるから」

 司が光理の耳元で呟く。光理は少し口をへの字に曲げながらも、「ありがとうございます」と返答する。司が耳元から顔を離すと、

「それから、あの子の注文聞いてきてくれるかな?」

 司がアイコンタクトで指した方向には、メニューを手に持ち、ちらりちらりと此方を窺っている女性が座っている。先ほどから熱心にメニューを眺めていた女性だ。

 今年に入り週に一度、土曜日の午後に必ず来る女性だ。制服を見ると、それは全国でも有名なお嬢様学校で知られている私立星宮女子高等学校のものだ。腰まで伸びた髪と落ち着いた雰囲気。鈴香とは正反対の印象を受ける。司目的で来ている一人だと思っているので、本当は司に注文に行って欲しいが、致し方なく光理は伝票を持ち彼女の方へと向かう。鈴香はケーキを口に運びながら、その姿を探偵のようにじっとりと追い掛ける。

 司はその一部始終を眺めながら苦笑する。

 本当に鈍いのは、光理くんなんだけどなぁ。まあ、これは黙っておこう・・・

 司は鈴香と女性客から意図的に眼を離し、珈琲豆を挽き始める。

 光理が女性客へと近付くと、女性客はメニューから顔を上げた。御丁寧に身体まで向けるのは何時もの事だ。

「ご注文はいかがなさいますか?」

 店員の常套句に、女性客はメニューを指差すと、

「えっと、ケーキセットを一つ。ケーキは・・・」

「ガトーショコラでよろしかったでしょうか?それと、珈琲にはミルクと、砂糖は一つですよね?」

 女性客は眼を見開き、驚いたように光理に問う。

「どうしてそこまで分かるんですか?」

 光理は当然のように答える。

「お客様はもう常連さまですからね。これくらい把握して当然です。ケーキはチョコ系を注文される事が多いですし、珈琲は何時も砂糖を一つ残していましたから。もしかして好みを勘違いしていましたか?」

 女性客は頬を赤らめ大きく首を横に振る。

「いえ。合っています!何も間違ってなんかいません!」

 と、積極的に返答する。光理は少し驚きながらも安堵すると、

「良かったです。では、直ぐにご用意しますね」

「はい!お願いします!」

 光理が一礼すると、女性客は嬉しそうにその後ろ姿を眼で追い掛ける。光理は全く彼女の分かり易い『好意』に気が付いていないが、鈴香のセンサーには完全に反応している。珈琲を啜りながら、鈴香は周囲に花弁を散蒔いている女性客をムッとしながら一瞥する。

 何よ・・ぶりっ子しちゃってさ。名門女子校だか何だか知らないけど、あれくらいで得意気になっちゃってさ。私の方がずっとひかりの事を・・・・・

「鈴香ちゃん、あからさまに顔に『嫉妬』が出てるよ」

 司は珈琲を挽く手を止めずに、光理に聞こえないように鈴香に苦言を呈す。

「そういった感情は鈴香ちゃんの魅力を曇らせる。空手で勝負するように、もっと正々堂々と構えていないと、本当に光理くんを盗られてしまうよ?」

「・・・・・はい」

 鈴香はバツが悪そうに身体を芋虫のように縮込ませる。

 司は天然であるが、人の感情に鈍感という訳では決して無い。光理に内緒にしているが、司は鈴香の恋愛相談にも乗っている。専らの話題は、光理に鈴香の好意をどのように気付かせるか、だ。

 しかしながら、司の助言も空しく、鈴香のアプローチは悉く失敗している。失敗している原因は、鈴香が後一歩の所で踏み込めないからではあるが、司はそれを生温かい目で見守る事にしている。結局のところ、恋愛はお互いに同じ直線上に立たなければ成り立たない。好意を向けている人がいるならば、その人に繋がる道へと脚をもう一歩踏み込むしかないのだ。

 一方、光理は黙々と女性客に珈琲を運び、ケーキの準備を整えている。鈴香はそれを横目で見ながら、自分の浅ましい考えを反省する。

 近過ぎるから気付いて貰えないって、何だかすっごくモヤモヤする。いっその事、やっぱりはっきり「好き」って言った方が早いのかな?でも、もし振られたら・・・・もう幼馴染として一緒にいられなくなる。それだけは絶対にイヤだし・・・孫子曰く、『善く闘う者は人を致して人に致されず』だもん!主導権を握る為には、先ず大きな流れを把握して臨機応変な対応をしなければならない!---------鈴香っ!!決して大局を謝っては駄目よ!必ずチャンスは巡って来る!

 鈴香は心の中で押忍と叫び、気合いを入れ直す。先ずは偵察と言わんばかりに、斜め後ろの女性客にアンテナを張り巡らせる。

 光理がケーキを女性客へと運びその場を離れようとすると、

「すみません。少しお時間いいでしょうか?」

 女性客は光理を呼び止めた。光理は不思議に思いながらも、

「はい。何か御用でしょうか?」

 女性客は小さく一礼する。

「ありがとうございます。その、えっとですね・・・・」

 胸に手を当て小さく深呼吸すると、意を決したように口を開いた。

「私は都築祥子(つづきしょうこ)といいます。星宮女子高校に通っている三年生です。実は折り入って神永さんにお願いがあります」

 光理は名前を呼ばれ驚いたが、ネームプレートをエプロンのポケットに付けているのだから名前を呼ばれても不思議な事は一つも無い。今まで名前で呼ばれた経験がないから、そこに発想が至らなかったのだ。

「えっと、僕に出来る事であれば・・・・」

 真剣に頼み込まれているのは、彼女の表情を見れば一目瞭然だ。どんな事をお願いされるか想像し難いが、光理は先ず話を聞いてみる事にした。祥子はほっとしたように胸を撫で下ろすと、

「ありがとうございます。実は、我が校の文化祭にご協力いただきたいんです」

「文化祭?」

 突然の申し出に光理は思わず司の方を振り返った。

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