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ワルツを踊れ  作者: 脱獄王
2/20

ユーテロの揺籠#2

炎天下という表現は、一体誰が考え出したのだろうか?

 確かに、天から注ぐ炎の下にいるようで、灼けるように身体が熱い。要するに、今日は物凄く暑い。燃え尽きてしまいそうになるくらいに。

 神永光理かみながひかりは、額に汗を溜めそんな事を思っていた。

 多くの都道府県では、本日も雲一つない青空が空一杯に広がる日本晴れだ。加えて、熱中症には御注意ときている。嘸かし、東京以外も茹だる様な暑さに嫌気がさす事だろうと想像に容易い。

 太陽の熱によって温められたアスファルトは、出来立ての目玉焼きのように、その熱気を惜しみなく歩行者達へと送り出す。例外なのは、冷房の効いた涼しい車内に居る者くらいだろう。光理が乗っている原付は、太陽とアスファルトによって発生した熱によって灼熱のサンドウィッチにされるのだ。

 本来であれば、光理は冷房が効いた涼しい空間で、快適に労働に勤しんでいる筈だった。にも関わらず、現実は全く真逆の空間で過ごしている事が腹立たしくてならない。

 これには大きな理由がある。光理の働いているバイト先に本来配達されるべき食材が配達されなかったからだ。どうやら集荷していた配達員がちょんぼをしたらしい。小さな業社という事もあり、配達員は全員出払ってしまっている。だから、配達はどんなに速くても午後だと言われてしまい、光理は仕方なく原付を飛ばし、食材を直接取りに行っていたという訳だ。配達業者をこれほど恨めしいと思った事はない。

 ヘルメットを被っている所為だろうか?額から滝のように汗が流れ止まらない。着ているシャツはべったりと肌に張り付き、追い打ちを掛けるように、車の排気口から不快なガスがこちらに目掛けて発射される。

 あの業者め・・・・次配達ミスしたらマジ〆てやる・・!!

 沸々と湧き上がる怒りを何とか押さえ付けながら、光理は淡々と目的地まで原付を走らせる。考えても仕方が無い事を何度も考えても意味が無い。どんなに怒りを募らせても、この状況は一向に変わらないのだから。

 店に着いたら、荷物を司さんに渡して速攻シャワーだな。このままじゃ、店に出られない。

 汗を掻く事は決して嫌いではない。

 だが、これは別だ。運動して掻いた汗とは感覚が違う。

 運動した後は汗を掻いていても何処かすっきりした感覚がある。勿論、身体は汗でべた付いていて気持ち悪いが、それだけはないのはきっと達成感があるからだろう。しかし、今は何一つ達成していない。単なる汗だくな状態だ。不快指数は頂点に達している。

 スクランブル交差点を越え、繁華街から少し離れると、漸く目的地の場所が見えてくる。高級な住宅が並ぶ中で、ひっそりと構えているのは、実に店主らしい店構えと言って良い。

 喫茶『方舟』。

 パリの町並みを想起させるような外観と、アンティークの家具で飾られた内装。BGMはジャズが中心で、落ち着いた雰囲気が店内を漂っている。座席数は二十席と少ないが、カウンター席とテーブル席の何方も選択可能で、一人でも気軽に入店し易い造りになっている。客層は広く、家族連れから若いカップル、老夫婦まで様々だ。自慢の一品はランチタイムに出している、『一日限定一〇〇食の昔ながらのオムライス』と『日替わり手作りケーキ』、そして『オリジナルブレンド珈琲』だ。

 光理は原付を裏のガレージに止め、裏手の入り口から店内へと入る。店内は二階建てになっており、一階は店、二階は住居スペースになっている。所謂、店舗付き住宅だ。しかし、店主である宇多川司うたがわつかさはこの住居には住まず、郊外のマンションで暮らしている。

 住居スペースに住んでいるのは光理だけだ。正確に言うと、住み込みのような形で、光理は喫茶『方舟』に居候させて貰っている。家賃は無料であるが、対価としてこの店唯一の店員として働いている。が、それは強制的にではなく、光理から望んだものだ。光理としては、三食寝床付きで給金まで貰っているのは些か甘え過ぎであると考えているが、司からの微笑み攻撃に敗北し、今の状態に収まっている。

 光理は厨房兼カウンターに繋がる扉を勢い良く開いた。

 此処は天国か!

 開口一番叫びたい気分だった。思わずその快適な涼しさに感動すら覚える。地獄から天国とはまさにこれを指す。

「お疲れさま、光理くん」

 光理に気付いた司は何時ものように下拵えをしている最中だったらしい。手早く水道で手を洗うと、光理の方へと駆け寄って来る。光理は手に持っていた物を差し出すと、

「きっちり配達忘れた業者から持ってきましたよ」

 と、少しだけ自慢気に笑う。司はほっとしたようにそれを受け取ると、

「ありがとう。この無塩バターが無いとオムライスの味が台無しになっちゃうところだったよ」

 満面の笑みを浮かべた。目尻が下がるとやけに幼く見えるのは何故だろうか?御歳三十五歳とはとても思えない爽やかさが司にはある。

 司は無塩バターをそのまま大事そうに冷蔵庫に仕舞う。

 こういう時に業者に文句の一つも云わないのが、司さんの良い所だよな・・・

 光理は素直に感心している。司の人柄は人を惹き付ける魅力があるのだ。

 喫茶『方舟』のもう一つの看板は、ずばり司自身だろう。モデルのようにすらりとした体型に、無造作に伸ばした髪でさえ似合う端正の取れた甘いマスク。その整った顔に黒縁の眼鏡がまた堂に入っている。

 実際、司を目当てにやって来る女性客は非常に多い。女子高生からOL、主婦、はたまたお婆さんまでも、彼の魅力にすっかり御執心であったりする。

 最近では、雑誌などに取り上げられ、『イケメン店主が持て成す喫茶店』などと流布されるようになった。客が入れば、その分売り上げは増える。売り上げが増えれば、その分店は潤う。閑古鳥が鳴く店よりもずっと恵まれているのは間違いない。ただ、店が有名になっても司自身は全く変らず、女性客からのあからさまなアプローチも、『無敵の天然』で華麗に躱している。それを見る度に、光理は内心で「御愁傷様」と呟かずにはいられない。

 光理は厨房の丁度真正面にある丸時計に目を遣る。時間は開店三十分前の十時三十分を過ぎたところだ。

「司さん、シャワー浴びてきていいですか?十分で戻ってくるんで」

 シャツの首回りを手で仰ぎながら司にお願いすると、

「もっとゆっくりしてきていいよ。混むのはお昼くらいだから」

 と、にこやかに微笑んでいる。

「ありがとうございます・・急いで行ってきます!!」

 光理は小走りで風呂場へと向かった。

 司とは対照的に、光理はそんな楽観的な発想は持っていないのだ。

 司には見えていないのだろうか?

 店内の窓の外には、きのこの大群のように日傘がこれでもか並んでいる。その日傘の大群は、司を目的に集まっているのは十中八九間違い無いのだ。

 そして、もう一つ、司は忘れている。

 本日から世間的には夏休みが始まるのだ。

 客層を見れば直ぐに分かる。スマートフォンや雑誌を眺めている若い女性の客の殆どは、普段この時間帯には見る事がない中高生ばかりだ。彼女達はプレゼントを待つ子供のように店内をちらりちらりと覗いている。遮光カーテンで店外から店内は殆ど見えない。が、店内から店外は意外によく見えるのだ。見えていないのは、下拵えに余念が無い司だけだ。

 とっとと戻って来ないと・・絶対に不味いっ!!

 光理は内心で焦りを募らせていた。

 マイペースな司は、自分のペースを良い意味でも悪い意味でも崩す事はない。きっと十一時にならなければ店が開かれる事はないだろう。それは、店としては全くもって正しいが、この炎天下の中で彼女達を待たせるのは余りに酷だ。光理は本日の茹だるような暑さを体験している。光理がこの店で身に付けたサービス精神が、店を早く開けなければならないと叫んでいるのだ。

 光理は階段を駆け上がり二階へと向かう。勿論、シャワーは五分で済ませるつもりだ。開店十分前にはお客様を店内に入店させてあげなければならないのだから。

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