表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ワルツを踊れ  作者: 脱獄王
13/20

ユーテロの揺籠#13

 祥子の元から飛び出し、光理が向かった先は、亜衣の実家だった。光理は先ず、犯人と向き合うよりも先に亜衣と向き合い、彼女の本当の『痛み』を知らなければならないと考えていた。『ミニステルアリス』が好む人間の負の感情。その中でも、心の『痛み』は『ミニステルアリス』にとって最上の御馳走だ。光理はそれと正面から向き合い、自分ではない亜衣から見えているものを理解しなければならない。

 正直に言えば、光理は未だ犯人の目星すら付いていない。星宮女子校の生徒であるという事実は分かっているのに、それ以上はどんなに調査しても確固たる証拠は見付けられていない。調べている過程で、特定の病院のデータを流用している事から、その病院の関係者という線で捜査を進めているが、それだけでは犯人の特定までは到底至らない。そもそもデータを引き出す作業も『VIS』を使用している可能性が高い。クラッキングのログすら見付かっていないのだ。砂の中から一粒の砂金を探し出す為には、決定的な証拠かヒントを探し出さなければならない。

 幸いにも、亜衣との面会は司からあっさりと許可が下りた。司は電話越しで「光理くんの思う通りにしてみればいいよ」と言ってくれた。司は光理が亜衣との面会を希望するのを何となく予期していたらしい。

 亜衣の実家でもある広幡家の家は代々受け継がれて来た由緒正しい場所だ。数寄屋造りの家屋と、手入れの行き届いた広大な庭園。入り口の荘厳な門から家屋までは徒歩で五分も掛かる。明治時代から築き上げてきた権威をそのまま現在でも尚持ち続けており、『ただの』金持ちでは到底手に入れられない富を所有している。屋内にも数多くの調度品が所狭しと並べられており、中には指定文化財に匹敵するものもあるらしい。光理は家の使用人に案内される中で、それらの由来を延々と聞かされうんざりした。

 だが、光理が亜衣の部屋に通され中に入ると、違う意味で驚かされた。亜衣の私室はその権威とは正反対のように伽藍としていて、目に入るのは勉強机と粗末な本棚くらいだ。此処までの道程で幾つか部屋を無理矢理見せ付けられたが、その室内には素人目でも高価そうな壺が飾られ、襖絵には安土桃山時代に象徴される濃絵が描かれていた。だが、亜衣の部屋の襖は絵が描かれているどころか、まるで安アパートのように陽に晒され黄ばんでしまっている。亜衣の空間だけが広幡家の屋敷の中で異質だった。

 亜衣は星宮女子の制服ではなく、和装をしていた。広幡家では和装をするのが習わしらしい。正座している亜衣の姿は、まるで影を帯びた人形ののようだった。亜衣の正面には一枚座布団が敷かれていた。

「どうぞ、御座りになって下さい」

 亜衣は手を座布団に向け光理を促す。光理は「はい」と返答しそこに正座をする。

「足は崩していただいて構いませんよ」

「広幡さんが正座しているのにそういうわけには・・」

 光理が亜衣の申し出を断ると、

「・・・そうですか。なら、このままで」

 あっさりと引き、それ以上言葉を発しようとはしなかった。

 光理は淡々としている亜衣に、先ず一礼する。

「今回はご不幸の中、お時間をいただいて有り難う御座います」

 亜衣は「いえ」と小声で答える。

 面会の時間は三十分しかない。光理は早速本題に入った。

「俺が広幡さんに聞かせていただきたいのは一つです。広幡さんの御両親と御祖父母が殺害された動機について聞かせていただきたい」

 そう切り出すと、光理は自身の見解を述べ始めた。

「今回の事件だけでなく、一連の事件については、もう既にお聞きになっていると思いますが、今回の犯人の標的は広幡亜衣さん・・俺は貴女だと考えていました。犯人は今までに貴女の御両親を含めて十一人を殺害している。この三ヶ月で殺害した数としては異常です。でも、そこは問題じゃない。問題なのは、貴女の御両親と御祖父母だけが犯人の対象としている『条件から逸脱』しているという点です。その条件の一つは、『人工妊娠中絶経験者』という点です」

 光理は躊躇いなくそのキーワードを敢えて使用した。案の定、亜衣は動揺するように眉をぴくりと痙攣させる。亜衣からすれば禁句なのだろうが、亜衣の閉じた激情を引き摺り出す為だ。

「今までに殺害された被害者は直近三ヶ月、且つ同じ病院で、人工妊娠中絶の手術を受けていました。しかし、調べを進めると、全員が殺害されたわけじゃありませんでした。三ヶ月の間で手術を受けたのは十六名。つまり、犯人が同じ動機で殺人を実行しているのであれば、全員が殺されてもおかしくない筈なのに、実際はそうじゃない。九名は今も無事です。広幡さんも含めて、です。---------この疑問は更に今回の件で深くなりました。どうして、人工妊娠中絶手術を受けた広幡さんではなく、受けていない貴女の御両親と御祖父母が殺害されたのか、と?」

 亜衣は膝の上で指先を弄りながら、

「そんな事・・・私には分かりません。その推測自体が間違っているじゃないですか?」

 と、俯く。

「その可能性もあります。犯人が別の動機で殺人を繰り返しているとも言えます。でも、今回のケースと他のケースは違います。無事である五名は中絶を受けていましたが、本人はご存命ですし、近しい人達も特に何も被害は受けていません。これは、広幡さんのケースだけが犯人にとっての『例外』と言ってもいいかもしれません」

「・・・・もしかして、私を疑っています?私が両親と祖父母を殺したと・・・・」

 光理は手を突き出し、

「それが断じて違います」

 と、きっぱりと否定する。

「広幡さんのアリバイは完璧です。とても御両親達をが殺害出来る状況にない。-------少し視点を変えて、今度は実際に殺害されている被害者の方々の話に移りましょう」

 光理は背筋をぴんと伸ばし、亜衣を真っ直ぐに見据える。

「殺害された被害者達の経歴様々です。学生から社会人まで、年齢、学歴、職歴関係なく殺害されています。ですが、一方で、犯人の殺害方法は一貫しています。被害者達は共通して腹に穴を開けられ殺害されているんです。異常な殺害方法であるという点は置いておいてですが、広幡さんのご両親達が殺害された方法はこれとは随分と違っていました。ご両親達は人の原型が分からなくなるほど『何か』に身体を削がれ、殺害されていた。損傷が特に酷いのは頭部でしたので、ほぼ即死と見て間違いありません。今までの被害者達はそんな殺害方法を取られていません」

 亜衣はじっと話を聞いたまま一切言葉を発しない。

「犯人が同様の方法で殺害を繰り返すのは、犯人なりの『信念』や『矜恃』がある場合が多いものです。その方法を取る事によって、犯人は自己の中にある何かを表現しようとする。今回のケースも同じと考えています。でも、犯人は広幡さんのご両親達の殺害のみ、そこから逸脱して殺人を行った。それは何故か?-------理由は簡単です。ご両親達は『人工妊娠手術をしていなかった』からです」

「それって、また話が戻っていませんか?」

 亜衣の問いに光理は小さく頷く。

「その通りです。そこで条件の二つ目が必要になります。それは犯人の『動機』です。犯人は何らかの『信念』で殺人を繰り返しています。それが何か・・俺には分かりません。でも、犯人は執拗に同じ殺害方法を取っていました。それは、その方法を取る理由があるからです。その歪んだ信念を生み出している原因を、俺は知りたいんです。そして、それは被害者七人と貴女のご両親達の殺害方法の違いを繋ぐ糸になる筈なんです」

 光理は身体を前に倒し深々と頭を下げる。

「だから、教えてもらえませんか?どうして広幡さんがご両親達の死を『喜んだ』のか、を」

 光理はただ頼むしかなかった。被害者達の家族や親族からは有力な手掛りは得られていない。精々分かったのは、被害者達は子供を産む事を望んでおらず、積極的に中絶という方法を取っていた事くらいだ。それが、星宮女子校に通うう生徒の中に潜む犯人の特定には繋がらない。だが、今回逸脱したケースが生まれてしまった。となれば、手掛りはもう亜衣だけなのだ。イレギュラーが生まれるという事は、そのイレギュラーを生み出してしまった原因が必ず存在する。それが犯人へ繋がる要因になる筈なのだ。亜衣の話を全て聞いた上で、犯人の殺人動機の在りかを知る。そうしなければ、光理はもうこれ以上前に進めない。

「私がそういった感情を持つ事の何が犯人に繋がると?」

「犯人は、広幡さんの強い想いに応えようして殺人を行った。だから、方法を曲げてでも殺害を実行した。俺はそう考えています。だからこそ、俺は知らなければならないんです。広幡さんの心の内にある本当の気持ちを・・・・」

 亜衣は光理の行動に困惑していた。今までの人生の中でここまで頭を下げられた経験がなかったというのもあるが、何よりも自分の意見に耳を傾けようとしている光理が両親達とは違う生き物に見えたからだ。亜衣の人生は血筋に縛られ、家に占有されていた。それが全てで、それ以外には何もなかった。誰かの想いに応えるなど、血筋の前では無意味だからだ。

 この人なら、私のことを分かってくれるかもしれない・・・・・・

 亜衣はいつの間にか、衝動的に口を開いていた。

「・・・・広幡家では、家長である祖父が絶対でした。祖父がそれを白だと言えば、黒であっても白となる。祖母はそれに黙って付き従い、両親はそれに服従する。私はその服従に頭を垂れてただ命令の通りに日々を過ごす。少しでも逆らえば、祖父からは平手打ちが、祖母と両親からは罵声が浴びせられる。使用人はただそれを黙して静観する。それが、広幡家です。----------私に手を差し伸べてくれる人間は誰もいませんでした」

 光理は亜衣の言葉に頭を上げ、その言葉を聞き入る。

「祖父が作り、祖母と両親が整えた道を、ただ私は進むだけ。私が一人娘というのもあって、私は広幡家の将来の為の道具でしかなかった。私はただ祖父の用意した男性と結婚し、広幡家の跡継ぎとなる男の子を産む。それ以外の道は許されない。---------そんな生き方に絶望し、自ら命を絶とうと考えていた折に、私は『圭一さん』に出逢いました。私が休日に通っていた市の図書館で圭一さんはいつも熱心に勉強していたんです。私とは違って楽しそうに勉強しているのを見掛けて、それで何となく気になっていた時に、突然声を掛けられたんです。最初の一言目で圭一さんは何て言ったと思いますか?「良かったら勉強を教えて貰えませんか?」ですって・・・・」

 亜衣の表情がその思い出の大切さを物語っていた。その幸せがとても大事なものであるのを示すように。

「圭一さん・・・・古谷圭一さんが、私に話掛けたのは、たまたま星宮の制服を着ている私を見て、自分よりも勉強が出来ると考えたからだそうです。始めは変な人だと思いましたけど、その真っ直ぐな瞳に何故か根負けして、勉強を教えるようになったんです。勉強を教えるようになると、圭一さんから色々な話を聞かせていただきました。母子家庭で育ち、経済的な事情で高校には進めず、中学校を卒業してからずっと下町の工場で働いている。お母様が身体を壊されてからは自分だけが家庭を支えている。中学生の妹がいて絶対に大学まで通わせてあげたい。将来の夢は小学校の教師になる事で、大検に合格して奨学金で大学に行くのが当面の目標・・・・・・・・」

 亜衣は噛み締めるように言葉を綴る。

「圭一さんから話を聞いていく内に、私は私の生き方を恥じていくようになりました。正直、私は経済的な負担を感じた事もありませんし、祖父の命令を聞く事以外では、何不自由のない生活を送ってきました。学校に行く事も当たり前で、大学に通う事も当たり前と思っていました。---------でも、それは違っていた。私は不満や憤りを内心で抱きながらも、広幡家という籠の中から出ようともしなかった。結局それは私の甘えで、そんな生活を続けて自分自身の本物人生が歩めるわけなんてない。圭一さんは私に『人としての本物の生き方』を教えてくれたんです。そして、『女性としての幸せ』も・・・『家族としての幸せ』も・・・・・」

 ただの報告書だけでは表層の情報しか分からない。それを思い知らせてくれてるほど、亜衣の言葉は光理の中の胸の炎を駆り立てた。

「圭一さんのお母様と妹の美樹ちゃんは、私を優しく迎えてくれました。決して裕福とはいえないけれど、そこには確かに広幡家にはない人の温もりがありました。あんなに楽しい食事をしたのも生まれて初めてでした。-------私は決意したんです。広幡家を出て、圭一さんとお母様と美樹ちゃんと共に生きていこう、と。自分の人生を自分の力で生きていこう、と・・・・彼と出逢ってからずっと私は幸せだった・・・・・・・でも、その『幸せ』は粉々に壊されました。私の祖父母と両親によって・・・・」

 亜衣は膝の上で何かを押さえ込むように両手を固く握り締める。

「私が彼の子を身籠ったと分かったのはつい一ヶ月前です。いつもより遅いと思っていたので、もしかしたらと検査薬を使用したら陽性でした。-------心の底から嬉しかった。大切な人との子供を産めると考えるだけで幸せな気持ちになれました。でも、私は直ぐに圭一さんにそれを伝えられなかった。圭一さんはきっと喜んでくれると思いながらも、もしも否定されたらと頭に嫌なものが過って切り出せなかった。子供を産んで育てるという行為が、経済的な負担になる。彼には絶対に負担を掛けたくない。悩んでいる内にどんどん日が経っていて、私は自分の身体の変化に気付けなかった。だから、『あんな事』に・・・・・」

 光理は祥子から聞いた話を思い出していた。

「授業を受けている最中に、急に気分が悪くなって吐いてしまったんです。それが悪阻だと気付いた時にはもう遅かった。目敏い祖父が両親に命じたのです。私の体を調べろと。-------勿論、私に拒否権はありませんでした。私の妊娠は直ぐに調べられ、祖父からは中絶を強要されました・・・・・」

 亜衣は自身の腕で掻き毟るように両肩を抱くと、何かに懺悔するように涙を零し始めた。

「祖父は私に言ったんです。「お前は広幡家の血を絶やさない為の道具だ。何処の馬の骨か分からない子など価値がない!」と・・・・・・私はその時思いました。ああ・・この人はもう人ではない。この人に付き従う祖母や両親も人じゃない。人の皮を被った化物だってっ!!」

 亜衣は大粒の涙を流しながら目を見開いた。その瞳は真っ赤に萌え、両親達への憎悪に充ち満ちていた。

「だから・・・・アイツ等が殺されたと聞いた時、私は心の底から喜んだ!!私の大切な赤ちゃんを奪ったアイツ等は死んで当然よ!!-------私は犯人に感謝すらしているわ!きっと、犯人も私と同じ辛い経験をしているのよ。だから、私のこの想いが分かる。謂れのない理由で大切な赤ちゃんを産めないこの悲しみをっ・・・・・!!」

 大きく肩で息をしながらお腹に手を当てると、亜衣は突っ伏すように頭を垂れた。

「ごめんね・・産んで上げられなくて・・ごめんね・・・」

 壊れたオルゴールのように亜衣はただ謝り続けた。もうお腹にはいない自分の子に向かって。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ