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ワルツを踊れ  作者: 脱獄王
12/20

ユーテロの揺籠#12

 すっかりもう夏ね・・・・・

 祥子は油蝉が忙しく鳴いている音を聞くのが久方振りのように感じていた。星宮女子校の校内は冷暖房が当然のように完備されている。窓を開けられるのは、精々換気と掃除の時間くらいのもので、防音性に優れているため外部の音は殆ど聞こえてこない。平日は殆どの時間を快適な校内の施設で過ごす祥子にとって、空から降ってくるような蝉時雨をそう聞く時はない。勉強や生徒会活動で忙しい毎日を送っているのも、そういった夏の風物詩から遠ざかっている理由かもしれない。子供の頃から勉強と習い事に埋め尽くされてきた祥子にとって、このように何もせずただ時間を過ごすのはとても珍しい出来事だ。だが、何よりも今までと違うのは、男の子と二人きりで時間を過ごしているという点だ。それも、好きな男の子と一緒で、尚且つ、その好きな男の子は何故か自分に甘えてくれて、今は自分の膝の上で静かに寝息を立てている。

 澄み切った雲一つない青空。

 二人だけの夏のひと時。

 膝から伝わってくる体温。

 それを意識するだけで祥子は、今の時間が夢のように思えた。しかし、膝から伝わってくる人の温もりは本物だ。祥子はそっと起こさないように光理の髪に触れてみる。

 ごわごわしてる・・・やっぱり髪染めると痛むものなんだな・・・・

 手持ち無沙汰を持て余している手は、どうしても好きな人に触れたくなるものなのだと思い知る。

 膝枕なんて初めてしたな・・・何か色んなものを飛び越し過ぎな気はするけど・・・どうしてこんなに胸の中が一杯なんだろ・・・これが好きな人と過ごす幸せってやつなのかな・・・?

 祥子にとって、今のこの状況は想定外の更に想定外だ。

 光理が祥子の胸に顔を預けてきてから、光理は何も話さずそのまま顔を上げなかった。胸に顔が触れているのは正直大分恥ずかしかったが、自分の胸で好きな人が甘えてくれているというのは、母性本能をくすぐられるからなのか、段々と居心地が良くなっていった。祥子は光理に何も聞かず、ただ光理が甘えるのを受け入れるだけだった。暫く経つと、光理が静かに寝息を立てているのに気が付いた。祥子は光理が起きないようにそっと体を動かし、自分の膝の上に光理の頭を移動させるのに成功した。光理はぐっすりと眠っているのか、微動にせずに寝入っている。光理には夕食の仕込みという仕事もあるわけだが、それは何故か二人を発見した厨房のおばさん達によってご容赦して貰っている。おばさん達の表情を見れば、今の二人の様子は食堂内の厨房の全員に知れ渡っているに違いない。あの生暖かいにやついた眼を見れば安易に想像は付く。

「ねえ、光理くん。私達・・・このまま『恋人』同士になっちゃおうか?」

 穏やかな寝息を立てる光理に、祥子は冗談めいて訊ねてみる。光理に聞こえていないのは分かっている。しかし、回りに囃し立てられてその気になり、そういった関係になるのもいいかもしれない。色々と聞きたい事はあるが、少なくとも無防備な姿を見せてくれるくらいには、祥子の事を信頼してくれているだろう。祥子は、それがとても嬉しかった。

 でも、本当に何があったんだろう?

 祥子は改めて考えてみる。

 光理は昨日会った時とは別人のように疲弊した様子だった。その様子は、とても一日違う環境に身を置いただけとは到底思えない変わりようだった。よく見ると、目の下には薄らと隈が出来ている。昨日から一睡もしていない証拠だ。夕食の時点まではいつも通りだったのは覚えている。とすれば、光理を此処まで追い詰めた何かが昨晩起こったとみて間違いないだろう。その出来事が何かは祥子には分からない。だが、光理をこれほどまでに追い詰めている重大なものが何かは検討も付かなかった。

 光理くんが起きたら聞いてみようかな。少しでも話を聞いて楽になってくれれば・・・・・

 全てや全部を助けられるなどただの傲慢だ、と祥子は考えている。

 どんなに他人が助けようとしても、本人がその痛みや悲しみを乗り越えようとしなければ、そこからは一生抜け出す事は出来ない。それは何事に於いても変らない。しかし、少しの支えがあるだけで、人は立派に自分の足でその一歩を踏み出す事が出来る。嘗て祥子が大切な友達にそうしてもらったように、祥子も光理の為になりたいと心の底から願っている。それは身体を支える為の松葉杖か、若しくは傷を包む包帯かもしれない。光理の為なら、祥子はどちらにでもなれる気がした。


「こちらですよ」

「ありがとうございます」


 祥子の耳に建物の角の先から聞き覚えのある声が入って来た。声は二人分聞こえてくる。もう一人は聞き覚えの無い声だ。声と共に、足音が此方へと近付いて来る。角から現れたのは、祥子のよく知る顔だった。その内の一人が目を細め此方の様子を窺うと、突然目を見開き走って来た。祥子はその様子に驚きこそしたが、光理が起きないように冷静になるよう努める。内心では分かっている。光理に『鈴香』と呼ばれている彼女は、祥子に対して明らかに嫉妬と義憤を抱いている、と。

 鈴香は大きなボストンバッグを肩から担いだまま祥子達の前に仁王立ちすると、

「こんにちは。こんな所で『コイツ』は何をしているんでしょうかね?」

 額に青筋を立てながら質問する。鈴香のいう『コイツ』はその般若のような形相に気付く事もなく、すやすやと寝息を立てている。

 祥子は指先を口元に当てると、

「静かにしてください。ぐっすり眠ってるんですから」

 と、鈴香に最低限度の音量で注意を促す。鈴香は祥子の余裕ある振る舞いに一瞬だけムッとしたが、握り拳を納め、その場に座り込み光理の顔を窺う。じっと光理を数秒見た後、鈴香は祥子に視線を移す。

「こうなったら、少しくらい五月蝿くても一時間は絶対起きないですよ」

「えっ・・・?」

 鈴香は肩からボストンバッグを下ろすと、そのバックの上に腰掛ける。

「ほんとに膝枕してるなんてビックリだよ」

 遅れて此方にやって来たのは遥だ。祥子が恨めしくじっとりとした視線を遥に向けると、

「カフェテリアで休憩しようとしたら『たまたま』正木さんに声を掛けられてね。何でも昨日からウチの寮で働いている神永さんに用があるって聞いたものだから此処まで案内したのよ。用件を聞けば、彼の着替えを持って来たと大きな鞄も持っていたし。------------私の『親切心』にケチを付ける気かしら?」

「・・・・・別に。そんなんじゃないよ」

 祥子は不貞腐れたように愚痴を零す。大方食堂のおばさん達から情報収集して此処まで辿り着いたのだろう。それも親切心半分、面白半分だ。

 鈴香は膝を立てると、その上に両腕を乗せ、更にその上に怠そうに顎を乗せる。

「まーた、一人で何か抱え込んでぐるぐると頭を回して・・・・・昔から全然成長しないんだから」

 口を尖らせて鈴香は眠っている光理に文句を零す。

「ただ寝ているだけを見てそんな事まで分かるなんて・・・・正木さんは神永さんとどのような関係なんですか?」

 遥は『さり気なく』鈴香に質問する。祥子が鈴香に聞いてみたかった質問の一つだ。

「・・・・関係ってほどじゃないですけど、家が近所で子供の頃からの幼馴染です。遊ぶ時も喧嘩する時もご飯を食べる時も一緒だったから、兄妹っていった方がいいかもしれないですね。同じ空手道場にも通ってたから同門でもありますし・・・」

 鈴香は淡々と説明する。遥は頷きながら、

「へぇー、そうなんですか。神永さんがこんな様子になるのもよく知っている、と・・・・」

「それは・・・まあ。ひかりは弱虫の癖に強がるんで。そのくせ、責任感は人一倍強いんです。でも、自分の容量の限界を超えるとこうやってバタンキューってなっちゃう。昔は年に何回もありましたら。一種の知恵熱みたいなものと考えていただければ良いと思いますよ」

 鈴香はつらつらと淀みなく言い切る。

「去年も一回だけありましたけど・・・あの時は私が今のえーっと・・・・」

 考えてみれば、鈴香と祥子は互いに自己紹介をしていない。顔は知っているし、お互いに勘付いている部分があるだけで、意外と盲点だった。

「都築祥子です」

 祥子は先に名前だけを告げる。

「私は正木鈴香です。------それで話を戻しますけど、その時は私が今の都築さんのように膝枕をしてあげました。ちなみにですけど、その前も私、その前の前も私です」

 鈴香は表面上では笑っているが、内心から迸る攻撃的な姿勢はだだ漏れになっている。

「なら、幼馴染でもない私が膝枕をしているというのは、私が光理くんと幼馴染と同じくらいの『親しい間柄』というわけですね」

「それはどうでしょう?たまたま、コイツの近くにいたのが都築さんだったっていうだけじゃないですか?」

「へぇ・・・・その理屈なら、正木さんが膝枕をしていたのもたまたま傍にいただけって事ですよね?」

 祥子も笑顔を崩さないものの、負けじと鈴香に反論する。その様子を遥は眺めながら口元を抑えて必死に笑いを堪えている。二人の間に飛び交う火花はデッドヒートしていくばかりだ。

 まさか、こんなに間近で三角関係の修羅場が見れるなんて・・・これはこれで面白いけど、私は祥子の味方だから・・・ごめんなさいね、正木さん・・・

 祥子と鈴香が満面の笑顔で睨み合っていると、

「正木さん。時間も時間ですし、荷物は此方で預かっておきますのでどうぞお帰りになって構いませんよ」

 遥が半ば強引に鈴香が尻に敷いていた鞄を持ち上げる。鈴香もその強引さに困惑したのか、渋々と立ち上がる。遥は鞄を祥子の傍らに置くと、

「では、私が寮の入り口までご案内しますね。さあ、此方へ」

 鈴香がこの場から動かないと悪い様な雰囲気を演出し、来た方向へと歩き出す。鈴香は視線を遥と光理の間で右往左往させている。が、遥の親切心を無碍には出来ないと、鈴香は惜しみながらも遥に誘導されるように歩き出した。角を曲がっていくと、遥が顔だけを出しウインクし、再び見えなくなる。

 ・・・・サンキュ、遥。

 祥子がほっと一息付いていると、膝の上でむずむずと光理が動き出した。すると、光理はゆっくりと瞼を開き、怠そうに身体を起こした。状況がいまいち理解出来ていないのか、頭を無造作に掻きながら祥子の顔をじっと見詰める。

「あれ、俺どうして・・?」

 祥子は解放された膝を名残惜しそうに撫でると、

「光理くんは今まで寝てたんだよ。ぐっすりね」

 祥子の言葉に光理は漸く状況を把握したのだろう。落ち込んだように頭を掌で抱える。「やっちまった・・」とバツが悪そうに呟くと、祥子に向き直り深々と頭を下げる。

「都築さんにはご迷惑を御掛けしました・・・ほんとにすみません・・・・・」

 反省と言わんばかりに頭を下げる光理に、祥子は手をばたばたとさせ否定する。

「私は全然大丈夫だよ!」

 「寧ろもっと寝ていても良かったのに・・・・」などとは口が裂けても言えない。

「でも、何かお詫びをしないと・・・・・」

 お詫びという言葉に祥子はぴんと頭の中にアイディアが浮かぶ。

「じゃあ、私の事を下の名前で呼んでよ。私は光理くんって下の名前で呼んでるじゃない?だから、私ばっかり名字で呼ばれるのは変な感じかなって」

 祥子の提案に光理はこくりと頷くと、

「分かりました。じゃあ、祥子さんと呼ばせて頂きます」

 下の名前で呼ばれるだけでこんなにも距離が縮まると思わなかった、と祥子は感心する。

「うん!そうして」

 じゃあ、本題に入ろうかな・・・

 祥子は心の中で自分の中のスイッチを切り替える。

「光理くん。良かったらでいいんだけど、私に悩んでいる事を話してみない?」

 敢えて言葉で取り繕うとはしなかった。何を聞いても答えてくれない時は答えてくれない。時間がもっと必要な待つだけだ。

 光理ははっとしたように口を開けると、少し戸惑うように俯いた。それから胡座をかき、自分の掌を見詰めると、

「・・・・分からなくなってしまったんです。何が正しくて、何が間違っているかが・・・・」

 息が止まりそうな声に祥子はただ耳を傾ける。

「俺は自分が正しいと思う事をしてきました。全部が全部正しいとは思わないですけど、間違ったつもりはなかった。でも、俺にとっての間違いが相手にとっては正しいものだったと分かった時、俺はそこから動けなくなってしまったんです。それは違うって声を出して、はっきりと言えなかった。否定出来なかった。それでも間違ってるって言えなかった・・・・」

 花が萎むように光理の言葉は消えていった。

 祥子はその抽象的な表現に、光理の中で微かに燃えている薔薇のような意志を垣間見た。

「・・・何が正しくて、何が間違っているかなんて、自分だけじゃ分からないんじゃないかな?」

 祥子は光理が見詰めていた手を取り自分の手を重ねる。

「こうやって触れただけで相手の心の中を覗けたとして、その人の全部を理解出来ると思う?」

 祥子の問いに光理は小さく首を横に振る。

「・・・いえ。それでもし理解出来ていたら、人はみんなそうしているって思います。でも実際はそうじゃないから、それじゃ駄目なんじゃないでしょうか?」

「私もそう思うよ」

 祥子は小さく頷くと光理の手を惜しむように手放す。

「自分とは違う相手の正しさや間違いは、その人を理解する事から始まると思うの。しかもそれは一方的でじゃなくて、お互いに理解しないと意味がない。どちらの正しさも間違いも知った時に、自分にとっての本当の『正しさ』が見えてくるんじゃないかな?」

 光理は面喰らったように目を真ん丸とさせる。

 祥子は恥ずかしそうに目を逸らすと、

「偉そうに言ってるけど、私もきちんと実行出来てるわけじゃないの。相手が何を言ってるか分かんないって怒る時だってあるし、自分の発言に自信が持てない時だってある。----------でもね、その苦しい場所から絶対逃げたりしないっていうのは決めてるの。そこで逃げたら、きっとそれ以上のものは見えなくなるから。人の視野なんてすっごく狭いから。でも、逃げずに相手を理解したら、その人の『目』から見えていたものが見えるようになる。その時に初めて、私は相手を理解したって言える気がしてる。あんまり上手く言えないけど、光理くんも相手の目をちゃんと見て、相手を理解すればいいと思うよ」

 祥子の言葉に、光理の中で何かが弾けた。

 俺は自分から目をそらして何も見えなくなってんだな・・・何もかもが・・・・・・

 光理は立ち上がると、深々と頭を下げる。

「ありがとうございます!お陰でモヤモヤしたものが全部無くなりました!祥子さんのアドバイス通りに、俺も相手の『目』をきちんと見てみようと思います!」

 そう言い残すと、すっきりとした顔をして、光理は全速力で駆けて行ってしまった。

 祥子はその余りの速さに呆然としながらも、

「・・・良かった。元気になってくれて」

 祥子は思い出す。

 私も他の人に同じアドバイスが出来るくらいには成長したんだな・・・・・

 嘗て自分を救ってくれた言葉。

 それを自ら口にする日が来たのを誇らしく思いながら、祥子はその場を後にした。

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