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ワルツを踊れ  作者: 脱獄王
10/20

ユーテロの揺籠#10

 時刻は夜の十時を過ぎたところだ。

 寮内は、騒がしい喧騒から凪いだ海のように静けさを取り戻す。十時は寮にとっての完全就寝時間であり、寮内にあるあらゆる施設が使用不可となる。カフェテリアは勿論であるが、自動販売機の使用や廊下を出歩く事さえも禁止される。

 エントランスのフロアは非常灯の明かりが付いているだけで、がらんとした静寂に包まれている。この時間帯になると、エレベーターは二階から下には降りられない決まりとなっているので、警備員も配置されない。加えて、入り口には鉄格子によって檻のように閉じられ、内部からも外部からもセキュリティーキーを使用しなければ入れない仕組みになっている。警備員は寮の一階に併設されている警備室で常時待機しており、二時間ごとにエレベーター専用のキーを使用し、寮内の見回りを行っている。常時二十四時間体制の監視カメラで全ての通路を網羅しているというのだから、念の入りは凄まじい。更に、各寮には寮監が生徒達と同様の部屋に住んでおり、ランダムに見回りを行なっている。騒いだり、他の生徒の部屋に入り浸るなど校則に違反する行為を行った場合、即刻謹慎処分と膨大な反省文が待っていのだ。生徒達もその罰則の重さを重々承知しているので、違反にならない程度に行動を弁えている。違反をした生徒は内申に大きく影響する。そこまでのリスクを取る生徒は流石にいないらしい。

 光理は警備室で他の警備員と共に待機していた。光理が潜入捜査をしているという事実を知っているのは、校内ではほぼ居ないと言ってよい。校長と教頭、そして、星宮女子高等学校と契約している警備会社の社長だけだ。この警備会社の社長は『世界機関』に所属しており、警備員を『世界機関』の捜査部隊のエージェントと入れ替える作業は、容易く進んだ。今、寮内に配置されている警備員は、全員フェアレータが手配した光理の協力者だ。光理はいつでも犯人を突き止められるよう、目を皿にして部屋一面に広がる監視モニターを見詰めている。

 光理は改めて犯人の標的とされるであろう『広幡亜衣』の略歴が記載された書類に目を通す。

 彼女が妊娠した理由は既に『世界機関』が突き止めていた。

 彼女の相手は何処にでもいる普通の男だった。

 名前は古谷圭一(ふるやけいいち)。十九歳。地元の小さな町工場で技師として働いている。母子家庭で母と妹の三人暮らしで、経済的には貧しい点を除けば、何の変哲もない普通の男だ。亜衣が休日に通っていた市の図書館で古谷に出会ったのが、切っ掛けとなったらしい。彼等は意気投合しそのまま交際へと発展。男女の仲になるのにはそう時間は掛からなかったようだ。亜衣は妊娠した事を打ち明けようと一人悩んでいた矢先に、学校での『事件』に発展した。

 相変わらず恐ろしい情報収集能力だな・・・・・

 光理は『世界機関』の情報網の広さに感心すると同時に、恐怖さえ覚える。機関の協力者、工作員、間諜は世界中に影のように散らばっていると聞いている。光理を匿っている司が日本支部の幹部だとフェアレータから聞かされた時も驚かされたものだ。現場の指揮は光理であるが、実質的な捜査責任者は司なのだ。

 緩やかに時が過ぎ、時刻は既に深夜一時を回っていた。

 監視カメラの映像に異常は見当たらない。見回りをしている警備員からも不審な目撃情報は上がっていない。二階から一〇階までの生徒は全員自室の中にいるのを確認されている。一人一部屋というのは、状況を判別し易い。光理は腕組みをしながら考える。

 犯人・・今日は未だ動き無しか?今日は犯人が動く日の筈なのに・・・・

 広幡亜衣が中絶手術を終えてから今日で三日目だ。日付が変更されているのを鑑みると、既に四日目に突入している。しかしながら、犯人が必ずしも同様の行動に出るとは限らない。光理は犯人が現れるのを、ただ待つしかない。

「今日は動かないつもりですかね、犯人は?」

 光理の傍らに立っている警備員が緊張した面持ちで呟く。

「簡単に断定は出来ません。気を引き締めて待ちましょう」

「はい。こういう時こそ忍耐で---------------」

 警備員が溌剌として発した言葉が突然途切れた。その直後、光理の頭の中に狂気に惑う叫び声が反響する。

 この耳鳴りは・・!?

 光理は歯を食い縛り、それに耐えてみせる。

 傍らを見ると警備員が脱力したように光理に向かい倒れ込んで来た。光理は彼を受け止め支えると、直ぐに首筋に指を当て脈を確認する。血の脈動は滞り無く活動している。どうやら気を失っただけらしい。光理はその反応に直ぐ合点がいった。

「まさか、犯人が『VIS(ヴァイス)』を使ったのか・・!!」

 『VIS』は、『ミニステルアリス』に対抗し得る唯一の特殊能力である。その力を所有しているからこそ、光理は『世界機関』への一員として働くのを許されているのだ。

 光理は警備室を飛び出し、エントランスへと駆け足で向かう。エントランス内は非常灯の明かりのみで見え辛いが、巡回から戻って来ていた警備員二人がその場に倒れ込んでいる。

 くそっ!これじゃ上の階で見回りをしている人達も・・・・

 光理は打って返し再び警備室へと戻り、監視カメラのモニターを隙間なくチェックしていく。全員は確認出来ないが、数人の警備員が廊下に倒れているのが見て取れる。光理はこの誤算に苛立つように舌打ちをする。

「ここまで力を持った能力者って事かよ!!」

 光理は理解している。

 『VIS』の発動は普通の人間には耐えられない特殊な波長を発している。気絶するだけで済むのが幸いであるが、より強力な能力者が発す波はより広い範囲の人間を昏倒させる。気絶した人間は自分が気絶したのをただの居眠り程度にしか思わないからこそ、それを根拠に捜査を進めるのは難しい。その波長は鍛錬によって操作出来るが、今能力を使用している者はそれを知らないか、それを知っていながら能力を発動させている。それも、タワーマンションの一階から十階まで及ぶ力の持ち主だ。光理は歯を食い縛る。

「このままじゃ、広幡亜衣が危ない!!」

 彼女の部屋は九階の九〇八号室だ。

 光理は部屋のスペアキーとエレベーターキーを持ち出すと、再びエントランスのエレベーターホールへと向かう。到着すると、昇降ボタン脇にあるキーホールに鍵を差し込み、エレベーターを稼働させる。ゆっくりと下降してきたエレベーターに駆け込むと、そのまま九階へと直行する。光理は内心で歯嚙みしながら、何とか焦る気持ちを抑え入り口前で扉が開くのを待つ。間も無く九階を知らせる音声が流れると、扉がゆっくりと開かれた。光理は半開きの扉から身体を半身にして抜けると、迷いなく広幡亜衣の部屋へと向かった。予め寮内の見取り図を頭に入れていた事が功を奏した。

 瞬く間に光理は彼女の扉の前へ到着した。扉には破壊された痕跡は無い。鍵穴を凝視しても無理矢理抉じ開けた痕跡は見当たらない。

 犯人は未だ此処に到着していないのか・・・?

 犯人が広幡亜衣の部屋に到達出来る手段は二つ。

 一つは非常階段を利用する事。

 もう一つは、警備員が持つエレベーターキーを使用し、エレベーターで移動する事。

 しかしながら、非常階段内も監視カメラで監視されているし、エレベーターは光理が使用したもの以外は稼働すらしていない。だが、それを可能にする能力があっても何ら不思議ではない。自身の持つ能力同様に、犯人の能力も常軌を逸した力であるに違いないからだ。

 光理は警戒をしつつも、スペアキーを取り出し扉をそっと開いた。扉を盾にしながら顔を少しずつずらし、部屋の内部を覗き込む。中は殆ど真っ暗で何も見えない。部屋の構造はワンルームだから、廊下を抜けると直ぐに部屋が待っている。廊下にはキッチン、横に入ればバスルームとレストルームがある。

 光理はバスルームとレストルームに人の気配がないのを確認すると、警戒をしつつ廊下を抜き足で進んでいく。小型の冷蔵庫の稼働音と、バスルームの換気扇の音が無機質に鳴っているだけで、それ以外は何も聞こえてこないし、犯人の気配すら感じない。部屋へと抜ける扉の前に差し掛かると、光理はドアノブに手を掛け音を立てないよう慎重に扉を開いていく。少し開いた扉から中を覗く。部屋内はサブライトが付けられているのか、廊下よりもずっと部屋の中を鮮明に伺えた。人の影らしいものは見当たらない。可愛らしいキャビネットの脇にベットらしきものを見付けたところで、光理は部屋の中へと侵入した。部屋の中には怪しい人間は誰も居ない。そのままベットへと近付いていくと、広幡亜衣は此方の心配を余所に、静かに寝息を立てていた。

 どうやら無事らしい・・・・

 光理は安心したようにほっと一息付くと、改めて部屋の中を見渡す。人が隠れられるスペースは見受けられない。ベットの下も収納スペースになっているが、人が隠れるスペースはない。バルコニーまで近付きカーテンの隙間から外を覗いても影すら見当たらない。光理はそこで再び疑問に打ち当たる。

 俺達の推測が間違っている・・・犯人の標的は広幡亜衣じゃないのか・・・?

 確かに広幡亜衣が標的というのは、あくまでも世界期間と光理の推測に過ぎない。しかし、校内の生徒は勿論、女性教員も含めて、人工妊娠中絶経験者は広幡亜衣一人だけだ。機関が調査した情報が誤っているとも思えない。そもそも犯人は特定の病院で手術を受けた人間しか標的にしていないのだ。それ以外は対象外と考える方が正しい。

 虱潰しに全員の部屋を調べるしかないか・・いや、でも・・・・・

 部屋の数は一学年の生徒数と同じくらい存在する。能力発動による昏倒状態は早くとも十五分、遅くとも三十分程度で解けてしまうのを考慮すれば、全ての部屋を捜査するには余りにも時間が掛かり過ぎる。厄介な事に、警備員は生徒が違反をしない限りは部屋内は不可侵とされている。素行調査として部屋の中に入る場合は、事前に許可を取得する必要があるのだ。この深夜に迂闊に部屋を調べようとするものなら、直ぐに生徒達の両親へ連絡が飛んでしまう。そうなれば、逆に此方は身動きが取り辛くなってしまうだろう。機関の協力者が居たとしても、事実を全て隠蔽出来るわけではない。不信感を齎すリスクは限りなく低くしておきたいのが本音だ。

 光理が思案している内に、能力発動を確認してから既に十五分がが経過していた。これ以上、広幡亜衣の部屋どころか、このフロアに警備員以外の人間がいる事自体が不味い状況だ。光理は特殊なスプレーで足跡を消しながら速やかに部屋を後にし、エレベーターで一階へと戻った。入り口近くに居た二人の警備員は既に覚醒していたようで、光理の方へと駆け寄って来る。

「神永さん、この状況は一体・・・?」

「どうやら私達は気絶していたようで・・・」

 機関の人間といえど、『VIS』という特殊能力の存在は秘匿されている。その存在を知っているものは、末端には存在しない。

「私にも理由は分かりません。ですが、広幡亜衣の無事は確認済みです」

 光理は話題を誤摩化しつつ注意を逸らす。

「犯人は未だ捕らえられていませんが、先ずは警備室へ戻りましょう。何か手掛りが見付かるかもしれません」

 光理の言葉に警備員達は頷くと、直ぐさま光理達は警備室へと戻った。警備室内で気絶していた警備員も目覚めていたようで、トランシーバーを用いて他の警備員に連絡を取っていた。光理達が部屋に入ると、

「神永さん!他の警備員の無事確認しました」

 と、報告を受けた。

「報告ありがとうございます。監視カメラの映像に異常は?」

 光理は警備室の正面にあるモニターに視線を映す。

「これから確認するところですが、どの部屋の扉も閉まったままのようです」

 緊迫した面持ちでモニターを凝視する警備員の報告の通り、どの部屋を見ても扉は閉じたままだ。外部モニターを使用し、直近三十分の映像を早送りで確認してみる。だが、どの映像も代わり映えはなく、警備員が倒れている異常以外は何も変化は無い。光理はもう一度状況を確認する。

 先ずは犯人の移動経路だ。これは非常階段を使用するか、エレベーターを使用するしかない。普通の人間ならこの二つだ。しかし、犯人は『VIS』を使用している可能性が高い。『VIS』発動時、身体的能力も飛躍的に上昇する。仮にではあるが、窓から侵入というのも手段としてはあり得る。しかしながら、窓から侵入したとしても、合点がいかない事が多くある。広幡亜衣の部屋の窓には傷一つなかったし、バルコニーにも人影は見当たらなかった。注意深く隣のバルコニーも覗いたが、それもただの杞憂で終わっている。その上、広幡亜衣自身にも被害は一切ない。その状況証拠で導き出される結論は一つしかない。

 犯人は此方を警戒して撤退したのか・・・・?

 光理が犯人の『VIS』の発動反応を近辺で完治している以上、能力者は必ず周辺一〇〇メートル以内には存在する筈だ。だが、一向に此方に仕掛けてくる気配はない。既に、周辺で『VIS』を使用している反応は存在しない。それらから判断すれば、犯人は逃走したと考えるのが普通だろう。そうなれば、ここの警備を任せて、光理は犯人を追うという手段に移行するしかない。

 警戒するに越した事はないけど、犯人は未だこの周辺にいる筈だ。俺がその犯人を撃退すれば、全てが片付く・・・

 光理が拳を握り締め判断を決めた時、ポケットに入れていた携帯が震えだした。応答先は、念の為に配置していた広幡家の監視員だ。

「神永さん!大変です!犯人らしき人物がこっちに・・・うぁああああああああああ・・・・・」

 恐怖と焦りに満ちた叫びが光理の脳内を駆け巡る。そして、電話先でぐしゃりと何かが拉げる音がしたと同時に、音声は途切れた。彼の命は、もう既にこの世に亡くなってしまった。

 光理は唇を噛み締めると、

「皆さんは此方で引き続き監視をお願いします。俺は広幡亜衣の家に向かいます!」

 警備員達は状況が掴めていないようであるが、光理の迫力に圧され首を縦に振った。光理は警備室を飛び出し、エントランスの入り口へと向かった。急いで近くにいた警備員に鉄格子のロックを外して貰う。

 広幡亜衣の実家は、幸い寮からはそれほど離れてはいない。車では三十分程度であるが、光理が『VIS』を使用すれば五分で到着出来る。扉の鉄格子が外れ入口が開くと、光理は勢いよく出し外へと足を踏み込んだ。


「ダメだよ・・・・」


 その瞬間、視界が急に歪曲し、入り口から見える景色が一変した。寮の外に広がる通りや並木道はなくなり、廃墟と化し崩れ落ちたビルが瓦礫と成り積み上がっている景色へと変貌した。空に月はなく、代わりに足下に空が広がり、真ん丸の黄金の月が見開いた眼を向けるように浮かんでいる。湖の水面のように広がる地面は、鏡のように星々の光を映し出している。

 光理はこの世界を既に何度も体験している。

 入り口に出た瞬間、俺を引き摺り込むように罠を仕掛けていたのか。こんな事出来るのは『アイツ』しかいない・・・!!

 この退廃に満ちた世界の名は『フェルヌス』。『ミニステルアリス』が住む人の世界と異とする世界だ。何処までも続く廃墟は、人間の心を写し取ったものだ。どこまでも果てしない欲望を貪り、どうしようもなくなってしまった人間の心だと『彼女』は言っていた。その『彼女』がまたも光理の前に立ち塞がる。

 光理は瓦礫の上に立つ人物を鋭い眼光で睨み付けた。

「これは全部お前が仕組んだ事か、アルカ!!」

 アルカと呼ばれた人物は、光理の怒りに満ちた叫びに眉一つ動かさない。

「私はただあの子の願いを叶えているだけ・・・・」

 平坦な口調で淡々と言葉を返す。その問い自体が無意味だと思わせるかのように。

 アルカは一見すると十二、三歳の小柄な少女にしか見えない。伏し目がちな目の下には薄らと隈が出来ており、肌は白というよりは青白く、まるで血の通っていない人形のようだ。純白のフリルドレスの袖から伸びる細い手足は、とても何百という人間を殺めてきたものには思えないだろう。

 アルカは瓦礫の上から飛び降りると、ゆっくりと光理に向かい近付いて来る。

「でも、未だあの子の願いは成就していない。だから、邪魔はさせない。それは、ヒカリでもダメ・・・・」

 アルカは光理の正面へ達すると、その細い指先で光理の頬に触れる。

「だから、今は私とここにいて。私はヒカリとは戦いたくないの」

 光理は乱暴にその腕を振り払う。

「だったら、こんな事はもう止めろ!お前の所為でどれだけの人が死んだと思ってるんだ!」

 叫ぶと同時に、容赦なく光理はアルカに拳を振るう。

 が、その拳は虚空を切る。


「ヒトが死ぬのは、私の所為じゃない。ヒトが死ぬのは、ヒトが死にたがっているから」


 アルカは何時の間にか背後にある瓦礫の山に腰掛けている。

 光理はアルカの方へと振り返る。

「それはお前達の理屈だろ!人は死を望んでない!」

 アルカは小さく首を横に振る。

「それは貴方達の理屈。私『達』はヒトの心の内をヒトよりも理解している。ヒカリにはこの世界の成り立ちを説明した。それでも同じ事を言い続けるのはオカシイ・・・・」

 光理はアルカの言葉を振り払うように大きく腕を振り下ろす。

「いいか!俺は何度だって言ってやる!この世界が人間の負の感情で作られた世界だとしても・・・お前がその負の感情から生まれた存在だとしても・・・・人間はそれだけじゃないんだ!!」

 光理は大きく息を吸い、正面に拳を掲げる。すると、その拳は黄金の輝きを纏い、やがてその輝きは光理の全身に広がっていった。アルカはその光を瞳に映し、体の内に迸る嘶きを聞いていた。

 ヒカリの『VIS』である『GROLIA(グローリア)』・・・私達を殺す浄化の光・・・・・ヒカリは私達を殺す存在なのに・・・ヒトなのに・・・どうしてヒカリを欲しいと思ってしまうのだろう・・・・でも・・・今は・・・ダメ・・・

 アルカは瓦礫から腰を上げると、掌を上に向け正面に差し出す。

「・・・・ヒカリと遊んであげて。決して食べてはダメ」

 掌の上で小さな黒い渦が巻き上がると、その中からまるで狼のような形をした影が次から次へと飛び出して来る。それらは躾けられた飼い犬のように、アルカの正面に並び立つ。

 一方、光理は足を開き半身に構え臨戦態勢に入っていた。黄金の輝きはオーラのように光理の全身に行き渡っている。その輝きは光理の気合いに呼応するように猛りを上げる。

「そんな雑魚では俺は止められないぞ、アルカ!!」

 アルカは小さく頷くと、

「知ってる」

 と、当たり前のように応えた。そのまま、アルカは背後に飛び上がり、瓦礫の山の上に立つ。

「でも、あの子の為の時間を稼ぐには充分だから・・・・」

「上等っ!!」

 光理は勢いよく地面を蹴り上げ、一気に影の群れに突っ込んでいく。一方、影達も雄叫びを上げ光理の方へと駆け出す。光理は走りながら右腕を引き狙いを定めると、

「はぁあああああああっ!!」

 拳を銃弾のように正面に繰り出した。光理の拳からは全身に纏った黄金のオーラが衝撃波と成り、一気に弾き出される。影達はそのオーラに為す術なく掻き消されていく。光理は速度を落とさずに飛び上がり、今度はアルカへと狙いを定める。それに相対するように、アルカは正面へ右腕を掲げる。刹那の瞬間、光理とアルカの視線が交錯した。だが、光理は一切躊躇わず、その拳はアルカの掌へと叩き込まれた。拳と掌が接触すると、力が軋み合い、拮抗するように、黄金のオーラが火柱を上げる。

「はぁあぁあああああああっ!!」

 光理は右腕に全ての力を集中させる。歯を食い縛る光理とは対照的に、アルカは眉一つ動かずただ光理の攻撃を受け止めている。光理はアルカの力が自分よりも強いというのは自覚している。自覚していても、それでも戦わずにはいられない。アルカを、『ミニステルアリス』を倒さなければまた次の犠牲者が増えるからだ。『ミニステルアリス』は人間の負の感情と欲望を利用し、その願いを叶える事によって、世界を破滅へと導く。放っておけば、弱い人間は次々と『ミニステルアリス』に浸食されていくだろう。それだけは絶対にさせてはいけない。弱いモノだから強いモノに喰い物にされてはいけない。強いモノは弱いモノを守る存在でなければならない。しかし、その気持ちとは裏腹に、光理の拳はアルカに届かない。

 くそっ・・!!このままじゃっ・・・!!

「・・・・ダメ。今のヒカリじゃ私を倒せない」

 アルカは光理の拳を難なく押し返してみせた。光理は後方に吹き飛ばされながらも、何とか地面へと無事着地する。態勢を立て直し、再び攻撃へと転じようと試みる。が、迂闊に飛び込むだけでは光理に勝ち目はない。先程と同じように攻撃を受け止められ、そのまま弾き返されるだけだ。

 アルカは掲げていた右腕を下ろすと、

「でも、少しずつ強くなってる。未だ足りないけれど・・・」

 と、今度は光理へとその手を差し伸べる。

「私のところに来れば直ぐにヒカリが欲しい『力』をあげる。『あの時』に望んだ力を・・・・」

 光理の脳裏に思い浮かぶ嘗ての愚かな自分。身勝手な正義を掲げ、大切な人を守れずに全てを失った日。

 失って初めて気付いたのは、俺は俺の思っているよりも、ずっと弱い人間だという事だ。それを認められなかったから、俺はあの時・・・・

 光理は地面に突いていた膝を立て、再び構え直す。

「そんなもん、俺はもう要らない!誰かを傷付けるだけの力なんざ・・・力じゃないんだ。それは、俺が大嫌いなただの『暴力』なんだよ!」

 アルカの言葉を熨斗を付けて返すと、光理はアルカに向かい走り出す。

「・・・同じ攻撃は通用しない」

 アルカは再び正面に腕を掲げようとする。

「遅いっ!!」

 光理は高らかに咆哮を上げた。

 一瞬だった。腕を掲げようとするアルカよりも速く、光理は間合いを詰め、アルカの真っ正面に達したのだ。アルカは全くの無防備状態。攻撃には最大の好機だ。

「くらえぇえええええっ!!」

 躊躇う事なく光理はアルカに拳を叩き付けた。アルカは咄嗟に腕を正面で組み、完全に防御へと回った。先程の掌に展開していた防御壁を張る暇さえなかった。光理の拳の威力の直撃を受けたアルカは、その威力によって力無く吹き飛ばされていった。背後に並び立っていた瓦礫に叩き付けられながら、アルカは受け身を取れずに地面へと身体を放り出される。破壊された瓦礫から土煙が舞い、その威力を物語っていた。光理の拳が完全に極ったのだ。光理は額から溢れ出す大粒の汗を腕で拭う。

 オーラを利用したブーストダッシュ。やっぱり使える・・・このまま押し切れれば・・・!!

 倒れるアルカを見据えながら、光理は勝利への小さな確信を感じていた。

 光理が急激にスピードを上げた原理は至極単純なものだった。自身の能力である黄金のオーラを背後に集中し、一気に放出する。限界まで膨らませた風船の口を開くように、溜め込んだオーラを吐き出したのだ。アルカの反応速度を一瞬でも上回ったのは、正直上出来と言うしかない。

 しかし、倒れ込んだアルカは、何事もなかったようにドレスに付いた埃を払いながら立ち上がる。

「・・・とても嬉しい」

 と小さく呟く。そのまま視線を光理から、光理の攻撃を受けた両腕に移す。青白い腕は火傷を負ったように黒々と爛れている。

「ヒカリはまた強くなった・・・・」

 アルカはおもむろ焼け爛れた腕を口元に近付けると、その傷を舌を出しペロリと舐めてみせる。唾液を垂らしながら蛇が獲物を品定めするように舐めていくと、傷付いた腕は時間が遡るように元の青白い肌に戻っていく。両腕が元に戻るまでにはそう時間は掛からなかった。

「ヒカリの持つ力は私達を浄化する。でも、その痛みはとても心地良い・・・・」

 アルカの舌舐めずりする姿に、光理は全身の毛が逆立つ様な身震いを覚える。

 あの程度の攻撃じゃ駄目なのか・・・・だったら、もう一個の奥の手を・・・・

 闘志を燃やし、光理は再度攻撃に移ろうとする。

 だが、周囲に広がる景色が、突然鏡に罅が入るように割れていく。その亀裂は毛細血管のようにこの世界に遍く広がっていった。崩れ落ちる世界は、硝子の雨を降らせ、地面に溜まる水面を震わせていく。


「時間切れ・・・」


 アルカは空を見上げ呟くと、構えている光理に視線を移す。


「・・・・また遊ぼう、ヒカリ。次はもっと強くなっていてね・・・・」


 世界が破片となり花弁のように散らばっていくと同時に、アルカは霧のように姿を消した。アルカが姿を消すと、世界が散っていく速度は急速に高まっていき、瞬きを二度する間も無く、光理は元の世界へと帰還した。立っていたのは寮の正面入り口だ。時計を見ると、既に入り口に出てから一時間以上経っている。

 光理が立ち尽くしていると、携帯のバイブが鳴った。光理はそっと携帯を取った。

「もしもし、光理くんかい?」

 電話先の声は司だった。

「君がどうして『此方』に到着していないかは分かっている。だから、結果だけを話すよ」

 聞かずとも、その結果を光理は悟っていた。

「広幡亜衣の両親と同居していた祖父母、計四人が何者かに殺害された」

 玄関前を照らしている電燈に羽虫がぶつかる音だけが妙に耳の中に響く。一匹の羽虫が勢いよく電灯にぶつかり、飛び方を忘れたように、そのまま地面に落下した。足元に転がる羽虫は、痙攣した羽根を苦しそうに動かしていたが、暫くするとそのまま動かなくなってしまった。光理は瞳に映る羽虫の姿をただ見詰めているしか出来なかった。

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