美少女に踏まれたい
わたしはどMである。名前はあるが、そう呼んでほしい。だが強いて他の呼び方をするのなら、オス豚でもいいしゴミでもいい。というか罵倒の類ならこの際なんでもいい!
とにかく、わたしは一般的にM、マゾヒストと呼ばれる嗜好を持っている。「少々」歪んだ性癖であることは、もちろん自覚している。世間様からすれば「気持ち悪い」という評価を下されること間違いなしの人種だ。
美女、あるいは美少女……男の娘もいいな。そんな人たちにそう思われ、罵られるのは想像するだけで大変快く、そして名誉ことなのだが、あまりおおっぴらに趣味を口にすればお巡りさんにロックオンされてしまう(美人の婦警さんならご褒美だが)ため、普段は隠している。よってわたしの周りからの評価はおそらく、「寡黙で真面目な好青年」だろう。そう見えるように振舞っているし。もしかすると、面倒ごとを押し付けるのに丁度いい男、として見られている可能性もあるが、まあそれはどうでもいい。この品性下劣な被虐願望を隠す役割を果たせているのなら、どちらであれ言うことはない。
こんなことを言ってる最中にも、心の中で美少女に踏まれたい、ゴミを見るような目で見下されながら、いや「お前なんて視界に入れる価値さえない」とばかりに明後日の方向を向きながら足だけは力強く踏みにじられたい。
生足でも、ソックスでも、ストッキングでもローファーでもブーツでも、もちろんヒールなんか大歓迎だ。とにかく、美少女に踏んでもらいたい。
この内に秘めた願望を思い切り吐き出せれば一体どれほどスッキリするだろうか。
「はぁ……」
それができないから、代償行為として、万の思いを溶かしたため息を一つ。
この苦しさは実に不快だ。あらゆる苦痛を快楽と認識できるドMにとって、唯一例外となる苦しみ。
あぁ、どこかにわたしの願いを叶えてくれる加虐願望を持った美少女、あるいは美女はどこかにいないものか……広い世界、そりゃどこかには居るだろうが、わたしの近くには居ないだろうな。わたしは悲しい。そんな美少女が居ないことも、こんな変態的な性的嗜好を持ってしまったことも。
ああ! 踏まれたい! 美少女に踏みにじられ、罵られ、蔑まれたい! 「踏まれて気持ちいいのかこのオス豚!」とか「こんなので興奮するなんて変態。気持ち悪いから近寄らないで」とか言われて見たい。恐る恐る踏まれて、「もっと強く踏んでください」と懇願するのもいい。想像するだけで興奮する!
「ままー、あの人変だよ。落ち込んだと思ったら急に笑顔になってる」
「見なかったことにしなさい」
そこの奥さん、なかなかポイント高いですよ今の発言。軽蔑した視線もたまらない。ドM心をくすぐるじゃないですか。
「あの人大丈夫かなー、びくびく震えてるよ?」
「大丈夫じゃないから離れましょう。ほらおいで」
「うん!」
ああ、行ってしまった。しかし、これで少しは欲求不満も解消された。ありがとう、名も知らぬ人妻さん。願わくばあなたのこれからの人生に幸多からんことを。
「そこないかにも変態そうなお兄さん、あなたはMですか?」
「MがマゾヒストのMなら、その通りですなにか御用でしょうか?」
先の人妻へ向けた笑みをそのままに、げたを転がすような軽やかな声の主へと振り返る。
そこに居たのは、まさに美少女。艶やかな黒髪をショートボブに切りそろえ、整った眉と目を三日月に釣り上げ、赤い唇を薄く開いて笑う、わたしが言うのもなんだが、怪しい雰囲気を醸し出す少女であった。近くの学生だろうか、紺色のブレザーがよく似合って居る。
ついうっかり本性を露わにしてしまったが、警戒されている様子はない。普通、有害無害に関わらず変態を見れば先の人妻さんのように逃げ出すと思うのだが、これはこの少女が私と同じく普通ではない《アブノーマル》だという証である、と思っていいのだろうか。
いや早とちりはいけない。もし彼女がノーマルだったらどうする。通報されてしまえばわたしの人生はここでおしまい。おおゆうしゃよしんでしまうとはなさけない。
逃げに入る姿勢は確保しておいて、彼女の底なし沼のような瞳を覗き返す。
「ではドMさん。わたしは人を踏んでみたいんですが、踏ませてもらえませんか?」
「ダメだ」
さすがに人の目があるところで、そうは口にできない。人目がなければ土下座して背中を何度も何度も執拗に踏みにじって欲しいくらいだが。
「言い方が悪かったですか。踏ませろブタ」
「ありがとうございます!」
心からの感謝を述べながら、気がついたときには90度に腰を折り財布を両手で持って突き出していた。
すると彼女は、その財布に手を置いて、わたしに突き返したではないか。
「まだ踏んでもないのに、気が早い人ですね」
「下はそれほど早くありませんよ」
「どうせ粗末なものなのでしょう」
吐き捨てるように、粗末なもの扱いされて、その罵倒に再び心打たれた。
ああ、今日はなんて素晴らしい日だろうか。
「ここでは人の目がありますから、よくないですね。あなたの家はどうです?」
「それは……」
なんだろう。初対面で、こうも気を許すなんて、いくらなんでもおかしいな、と思った。しかも、こんな美少女が、こんな冴えない男に。
「ああ、そうか」
こりゃ、夢だ。こんな都合のいいことは、現実には起こりえない。だから夢だ。現実が辛いからと、現実で願いが叶わぬからと、せめて仮想世界で欲求を満たそうと。無意識に、現実で間違いを犯さぬように、夢でガス抜きをしようというのだな。
それなら、そうしよう。もう少し夢に浸……あ。今日出勤だった。夢見てる場合じゃない。
ばちり、と目が開けばそこは見知った天井。頭を動かして時計を見れば、いつも通りの時間。いつも通りに準備をして、出勤のため電車へ乗り込む。
今日も辛い1日が始まる。
蛇足
「そこないかにも生活のだらしなさそうなお兄さん」
「呼んだかい」
夢で聞いた声。私のことかと思い、声の主を見れば、夢で見た少女がそこにいた。
「夢の続き、見られないで残念でしたね」
「……見られなくてよかったよ。会社に遅れて大目玉くらうのは勘弁だ」




