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ダンジョンと魔法と、頼りない幼馴染み  作者: 東西 遥
第八幕 決心は揺るがない
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三十七、魔法

 冷や水を浴びせられたように固まる三人。しかしリルが沈黙を破った。

「魔物を発狂させるなんておかしいよ! どんな理由があったって許されるはずがない!」

「そうだよ、なぜそんなことをしなきゃならないんだ!」

 イリアもそれに同調した。しかし俺たちはまだイーゼスがなぜそんなことをしたのか、その理由を知らない。

「なぜ!? なぜとな!? 少年たちよ、ずいぶんとおもしろいことを言うな。わけもわからずあの魔法陣を破壊しようとしているのか」

 男はそう言って笑うと、急にその笑顔を消した。

「あの魔法陣は街の生命線だ。あれを破壊しようとするなら私は阻止しなくてはならない」

「あー、その前になんで魔物を発狂させてるのか聞かせてくれませんかね?」

 なんとなく話が変な方向に流れている気がした。まずは正確な情報が必要だと思って問う。

「魔法のためだ」

「魔法?」

 飛び出した言葉は予想外で、発狂と魔法の間にはなんのつながりもないように思えた。

「そうだ。魔物、ひいてはダンジョンそのものまで、すべてはひとつの目的の下に用意されたものだ。その目的とはこの街の魔法力の強化。つまり適合者の増加、効果の増幅、変換の円滑化」

 男の発する言葉は俺の理解の範疇を超え、俺にとってはちんぷんかんぷんだった。しかし隣でリルが顔を青ざめ、息を飲んだ。

「……激情」

 かすれた声でリルがささやく。

「その通り。わかってるじゃないか」

「おいなんだよリル、どういうことなんだよ?」

 たまらず俺はリルに詰め寄った。まったくわけがわからない。

「トナンさんから教えてもらったんだ、僕が魔法を使えるようになった理由。それが理性を超える激情なんだよ」

「そう、激情――より正確に言えば理性を掻き消すほどの憎悪と殺意――それこそが魔法の発動に欠かせないものなのだ。時の流れの中で人は次第にその感情を失った。そしてそれとともに魔法も失われた」

 良いとも悪いとも受け取れるような微妙な口調で男は言った。

「しかしダンジョンが生産する負の感情は、この街全体に影響を及ぼす。そうやってこの街には恩恵がもたらされるのだ」

「そんなものっ……」

「必要ない、と? 君は魔法を使えるんだろう? 今さら魔法を捨てられるというのか?」

 その言葉は、リルから声を奪ってしまったかのようだった。

「ダンジョンがなければ、ほとんどの人間の魔法はまじないほどにしか働かん。この街から魔法を取り去れば、一体何が残るのかね」

 街には魔法があふれている。至る所に魔法はあり、あって当たり前だった。そのすべてが働かなくなれば混乱は免れない。いくら魔法使いは珍しいとはいえ、魔法陣を動作させることを含めれば魔法を使ったことのない人間は数えるほどだろう。それだけ魔法は生活に根ざしていた。

「でもっ! それでもこんなのは間違ってる!」

 リルが叫んだ。

「僕たちの便利とか幸せとか、それを何かの犠牲の上に打ち立てちゃいけないんだ!」

 その声はもはや絶叫に近く、部屋の中で幾度も反響した。再び静寂が訪れたとき、男は言った。

「そうか、それが結論か」

 何の感情も感じさせない声だった。

「たとえそれが困難であっても、それがみずからを危機にさらすことになろうとも、君たちはその道を選ぶのだな」

「ああ、俺たちはやっていけるさ。人間にはどんな困難にだって立ち向かえるだけの力がある。魔法なんかなくたって大丈夫だ」

「ふん、いつの日にも若き命は夢ばかり見るものだな。ならばもう私に言えることはない。願わくはその夢が叶わんことを」

 そこまで言うと、男はすっといなくなり、部屋には俺たちだけが残された。

 しばらく呆然としていたが、おもむろにリルが部屋の中心を指さした。

「……たぶん、あれが修復の魔法陣だと思う」

 床の上に描かれた小ぶりの魔法陣。赤い線で記述されたそれは波打つように明暗を繰り返している。月並みな魔法陣なら発動した瞬間にほんのり光るくらいであり、その明るさが扱われている魔力の膨大さを示唆していた。

「これは修復だけじゃなさそうだね。うーんと、力をいったん集約、平均化して再分配、かなぁ」

「じゃあこれを無効化すれば――」

「おそらく発狂の方も止まるだろうね」

 それを聞いて俺は剣を抜いた。魔法陣は傷つけるだけで使えなくなる。リルがこくんとうなずいたのを見て、俺は魔法陣を剣でひっかいた。

 その瞬間、ずん、と重たい衝撃が来た。まったく予想していなかった俺は、ぐらっとよろめいてしまう。しかしその衝撃は俺にだけ来たのではなかった。

「あっ……」

「なんだよリル」

「やばい、動作中の魔法陣を破壊すると行き場をなくした力が暴走するんだった」

 衝撃は周囲を揺らし、天井からはぱらぱらと破片が落下してきている。

「お、おい! やばいんじゃないのか!?」

 イリアが出口を指し示す。振動はますます大きくなり、崩れてきた岩石で埋もれかけている。急いで駆け寄るが、非情にも俺たちの目前で通路は完全にふさがれてしまう。

 このままでは生き埋めだ。砂が降り注ぐ中、俺は必死に考えをめぐらせた。何か、何かないか。

 ぱっとひらめいて懐に手を突っ込む。初めての冒険のときにもらった、全速力で逃げるための道具。取り出したその黒っぽい円盤を握りしめる。

「リル、イリア、これをつかんで名乗れ!」

 あの冒険者は一体何者なのだろう。渡されたものの中に、転送魔法陣の劣化版と書かれたものがあった。一回きりの使い捨てで難点も多いらしいが、その価値は計り知れない。

「レイス・ソラ!」

「フラトル・イリア!」

「アーキア・リル!」

 転送される感覚にはこの半年ですっかり慣れたはずだった。しかしさすがは劣化版。ぐるんぐるんと振り回され、俺はたまらず気を失った。


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