70話目 母からの手紙
粉雪を撒き散らして倒れこんだ氷龍の体は、立ち上がることも、腕を動かすこともなく、ピクリとさえ動かなくなった。
蒼は折れた右腕を見る。
羅刹によって強化された体でも、まだ桃太郎流で使える技と使えない技があることを再認識させられ、まだ師匠には届かないことを実感する。
「蒼ッ!!」
「ん? おわっ!!」
そう言って蒼の胸に飛び込んできたのは千鶴だった。
千鶴の勢いによって、押し倒されるようにして蒼が後ろに転がると、折れた右腕が激痛を訴えてくる。羅刹を解いて、戦いが終わったことによって安堵した気持ちからなのか、脳が急に折れた右腕の痛みを訴えてきたのだ。
「ほ、骨折れてるじゃない!?」
「あぁ……。ちょっと無理したかもしれない……」
「すぐ治療するから待ってて!!」
「いや、千鶴その前に……」
蒼は立ち上がると、氷龍の亡骸の前に座るレシアの元へと歩みを進める。
「レシア……」
蒼が小さく声をかけると、レシアは無言でただ氷龍の亡骸に視線を送っていた。ただただ、見つめていた。必死に唇を噛み締めて、目を真っ赤にしながら、その姿を目に焼き付けているようだった。
全身の鱗は爆ぜているかのようにめくれ上がり、右手の欠損、両翼は失われて、尾は根元から切断されている。そして、その胸には大きな穴が開けられている。これが肉親の姿だと思うと、言葉も出てこないだろう。
「ごめん……」
蒼は小さくレシアに謝罪する。
もしかしたら他に良い手段があったのかもしれない。氷龍の命を奪わずに正気に戻す手段が存在したかも知れない。レミやユリウスに意見を仰いでいれば何か変わったかもしれない。そんなもしも話が、蒼に罪悪感が巡る。
「私、泣かないから……」
レシアは亡骸に向かって言葉を漏らす。
「私は龍……。母さんの子……。強いから……私は……強いから……泣かない……」
レシアはそういうと、立ち上がる。そして、強いまなざしで蒼を見て言った。
「蒼……ありがとう。お母さんを……止めてくれて」
レシアはその時、殺したとは言わなかった。その言葉選びだけで、蒼の罪悪感がどれだけ安らいだ事か。
「もし、俺にもっと力があれば、他に手段があったかも知れないのに」
「ううん。大丈夫だから……」
そういうと、レシアは氷龍が来た方向へと視線を向ける。
「蒼はそこに居て。私……レミさんたちの所に戻るから。骨……折れてるでしょ?」
「いや、俺もっ!!」
そういった瞬間、蒼の頭に振り下ろされる拳骨。
「蒼はここで治療しなさい。腕が使えなきゃ、どうせ足手まといになるだけよ」
千鶴はそういう。だが、もし蒼が行かなくて、レミやユリウス、氷鬼族に何かあったら、その時蒼は行動できなかった自分を酷く憎むだろう。手を尽くすことが出来たのに、手を尽くさないのは理念に反するから。
「蒼さん、その必要はございません」
「えっ!?」
そう言って声の方向を見ると、ラーヴァナがいた。その背後にはレミやユリウスと何人かの氷鬼族の姿があった。
「蒼さん、ご無事でしたか!?」
レミが蒼に駆け寄ってきて、体をパシパシと叩いて調べているとき、右腕に触れる。その瞬間に走る激痛で声を上げてしまう。
「あわわっ!! も、申し訳ありません!!」
「べ、別に大丈夫ですから」
骨折は大丈夫ではないのだが、レミがペコペコと頭を下げる姿を見ると、そういわざる終えなかった。
「蒼、こっちは全て収まった。操られていた氷鬼族も全員倒して、今、ラーヴァナの部下達が弔いの準備をしているところだ」
「ありがとう、ユリウス」
氷鬼族たちにも大きな被害が出ただろう。蒼はアンデット化したゴザークを倒せる者があの場に居ないため、心配をしていたが何とかなったようだ。
「……」
「ん? どうかされましたか蒼さん?」
「い、いや……」
気のせいだろうか。ラーヴァナの身長が伸びて、体格が良くなっている気がするのは。それに、どことなく雰囲気も変わっている。蒼に対する態度であったりは謙っているが、堂々としているような姿。
「あぁ、この度の戦いで進化しました。きっと、これも兄さんの恩恵なのだと思います」
「そうか……」
多分、感覚だがラーヴァナはAランクの魔物相当、いやそれよりも強いのではないだろうか。下手したらSランクに入るのでは無いかと思うほどだ。羅刹を使わないと勝てないかもしれないくらい強いと直感で悟ってしまうほど。
これによって全ての案件は片付いたわけだ。
氷鬼族と氷龍との戦い。謎の介入はあったが、無事に終わった。
「あ、あれ……」
安堵した瞬間、視界が揺らぎ始める。
やばい、飛ぶ……。
皆の声が聞こえる中、蒼は羅刹による魔力の使いすぎの反動で意識を失うのだった。
◆◇◇ ◇◇◆
淡い日光によって蒼の意識は覚まされた。
「あぁ……朝かぁ……」
倒れる前の記憶を辿り、今の状況を確認する。
ふと右手に握られている手の感触に気がつく。
「千鶴……」
蒼の布団にもたれかかるように寝ていたのは千鶴だった。目の下には隈が出来ており、少し頬がこけているような気がする。
そんな頬を蒼は優しく撫でる。
「んぅ……」
「おはよう千鶴」
「あ、蒼ッ!?」
目覚めから元気な声で驚きの声を上げる千鶴。その反応を見るだけで、元気が出てくる。いつもどおりの千鶴だ。
「もう、大丈夫なの?」
「そうだな……大丈夫そうだな」
右腕に力を込めて手を閉じたり開いたりする。しっかりと感覚もあるし、腕の痛みも完全に引いている。こんな超回復が出来たのも、きっとこの村のポーションのおかげだろう。村を出る際にいくつか買っていこうと考える。
「何日くらい俺って寝てた?」
「丸五日くらいかな? ユリウスさんは先に帰ってるよ」
「そっか」
蒼は立ち上がる。丸五日も眠っていたせいか、体が鈍重に感じるのは、単に筋肉量が減ったからだろうか。それとも、まだ魔力が回復しきっていないからなのか。
そんな事を思いつつ、村長宅のリビングへと向かう。
「あ、蒼さん!! もう、大丈夫なんですか?」
「なんとかね。ありがとうエーラ」
「い、いえ……。私今回何も出来なかったので……」
そういったエーラの頭の上に蒼は優しく手を乗せる。
「そんなことは無いよ。氷龍が襲ってきたとき、必死に村人を誘導している姿、ちゃんと見てたんだからな」
蒼が到着して戦闘をしている間、エーラは結界がないことやブレスなどを警戒して必死に村人を戦場から離そうと尽力していたのだ。
「い、いえぇ……」
語尾が緩くなって、顔がどこかとろけるエーラ。
それを見た千鶴のとこか冷たい視線。そして、もう一つ。
「蒼さん、ご無事で何よりです」
「レミさんも、ありがとうございました」
「いえ。私は別に……」
上級冒険者のレミがいなかったら、ラーヴァナたちの戦場はどうなっていたか分からない。
「そういえば、レシアは?」
蒼が聞くとレミさんは蒼に見えないくらい小さく悲しい顔をしたが、すぐに表情を戻して答える。
◆◇◇ ◇◇◆
「ここに居たのか? レシア」
「あっ……蒼……」
レシアも気がついたようで、こちらを振り返る。
レシアが居るのは村長宅の屋根の上だ。とても傾斜が強い屋根なのは、積もった雪が自然に落雪するようになっている雪国に住む人々の知恵だ。そして、万が一に多く積もってしまった場合に雪かきが出来るように、キルス村の家は屋根に上れるようになっている。
近頃は雪が降ることがなかったようで、屋根には雪が積もっていない。
「もう怪我は……大丈夫なの?」
「バッチリね」
そう言って、蒼は笑ってみせる。
「ねぇ……蒼……。私、間違っていなかったんだよね……」
それは氷龍を討伐した事のことだろうか。
蒼はその回答にしばし悩んでから答える。
「俺が言うのも違うと思うが、間違っていないと思う」
「どうして?」
「冒険者として言うなら、あの状態の氷龍はとても危険だった。近くには村人が大勢いた。そんな状態であの氷龍を止めなかったら何人の犠牲者が出たか分からないから」
「冒険者としてじゃなくて……蒼の意見は?」
「俺は氷龍と話して少しは理解したつもりなんだ。だから言わせて貰うと、氷龍はあんなこと望んじゃいないと思う。村人に危害を加えたり、無益な争いを起こしたり。だから、氷龍がこれ以上間違いを犯さないように、意識がなくても尊厳を守るために、止めるべきだったと思う」
氷龍はレシアを守るために戦った。
だが、実際はレシアを戦に巻き込むような事態に陥ってしまった。アンデット化によって理性を失っていたにせよ、操られていたにせよ、氷龍はそんなことを望むわけが無い。
だから、氷龍の意思を守るためにも、氷龍は身を張って止めるべきだと蒼は思ったのだ。
「そう……」
レシアは抱えいた膝をギュッとしめたかと思うと急に立ち上がる。
「蒼。そう言えばだけど、母さん言ってた……。『私が死んでも、ちゃんと一度は帰ってきなさい』って……」
「帰ったのか?」
「ううん。まだ。出来たら……蒼と一緒に行きたいと思って……」
「そうか、それじゃあ早速行くか」
「怪我は……本当に良いの?」
「あぁ、この通りだ」
そう言って蒼が腕を大きく回すと、レシアは小さく微笑んだ。
そして、蒼とレシアは氷龍のいた巣へと向かうのだった。
◆◇◇ ◇◇◆
氷龍の巣の前へと辿りつく。魔物に出くわすこともなく、安全な道のりだった。
巣の中を見た蒼はどこか物寂しげな気持ちになってしまう。
最初来たときはあれほど中から強い威圧と重圧が漂っていたというのに、今は何も入っていない箱を覗いたような虚無感がする。
天井の魔光石はもう反応することはなく、洞窟の中は闇に閉ざされていた。
「蒼、入ろう……」
「あぁ……」
蒼は手に持っていた魔石灯をつけると、洞窟の中へと入っていく。
洞窟内はとても静かで、蒼とレシアの足音しかなかった。外より明るかったあの洞窟内が嘘のようで、今はただ広いだけの道だった。
そして、一気に開けた場所にたどり着く。だが、中央に鎮座する巨大なドラゴンの姿はなく、もの寂しいただのドームと化していた。
「……」
レシアはもしかすると、ここに戻ってくればいつもどおり母が迎えてくれているような気がしたのかもしれない。スンスンと小さく香りを嗅ぐレシアは、氷龍の残香を辿っているのだろうか。
そして、いつも氷龍が鎮座していた地面を撫でる。そこに氷龍の温もりはもはや感じられず、ただ手には冷たい氷の感触があるだけだ。
「ん? これなんだろう?」
蒼は周囲を魔石灯で照らしているときに、あることに気がついた。
「レシア、ちょっと来てくれ」
「ん? どれ?」
それは単なる氷の壁だ。だが、気になるのはどこか他の氷に比べて色が違っているのだ。それが指し示すのは、氷の密度が違うという事。試しに叩いてみるが、冷たさなどは他の氷と同様。たんに見れば何の変哲も無い氷のようだった。
「……これほんとにただの壁なのかな」
蒼が触れてみても冷たいだけの氷に感じる。
だが、レシアが触れた瞬間奇跡は起きた。
「っ!?」
一瞬にして瓦解する氷の壁。四散したと言っていい。淡い光の粒となって消えた。その瞬間、壁一面の魔光石が反応して輝きだす。瓦解した壁の先から現れたのは、にわかには信じられないような金銀財宝、宝の山だった。
壁面の光に当てられて輝く財宝の数々。金で製作された王冠やメダル、宝石によって装飾されたペンダントやティアラ、繊細な銀細工の装飾品、オリハルコンで製作された鎧など、その品は蒼が見たことの無いような高級品。
だが、それよりも蒼たちが刮目したのは岩の壁面に掘られた文字であった。まるで尖爪で掘ったかのような荒い文字。だが、それだけでこの文字を描いたのが誰を特定するのは容易かった。
「母さん……」
小さく声を漏らすレシア。
その手紙を読んだ瞬間、蒼の目にも涙を浮かべてしまう。
「うぅ……ああぁぁ……うあぁぁぁぁぁ」
泣き崩れてしまうレシアを蒼は優しく抱きしめてあげることしか出来なかった。
そうだよな。氷龍。あなたはそういう方だった。
意志の強さ。自分の成す事に関しての意思。
その源となる力は一体なんだろうか。蒼には抽象的過ぎて言葉に表すことが出来なかった。だが、それを無理矢理言葉にするならば『母親だから』だろうか。
子を思う気持ちというのは、体が支配され、朽ちてしまい、命が尽きてしまったとしても、残り続けるのだ。消えることの無い意思として、残り続ける。
目の前の奇跡は、それを物語っていた。
「ありがとうっ!! ありがとう……お母さん!! 我がまま……言ってごめん……なさい!!」
泣き崩れるレシア。思いと言葉が止まらない。
「勝手に……出て行って……ごめんなさい!! お母さんの……言いつけ守らなくて……ごめんなさいッ!! 迷惑……かけてごめんなさいッ!!」
謝罪を繰り返すレシア。だが、最後には。
「私も、大好きだよッ!! お母さんッ!!」
その言葉が、洞窟内に何度も反響した。
きっと届いているだろう。この言葉は。死してなお龍は子に尽くしたのだ。死してなお、この言葉が届かないなんて無いだろう。きっと、届いているはずだ。
子からの手紙に返事をするように。親はちゃんと手紙を返してくれたのだから。
◆◇◇ ◇◇◆
レシアへ。
これを読んでいるという事は、私はこの世にはいないのでしょう。
寿命で尽きたのか、戦いに敗れたのかは分かりません。でも、レシアが無事でこれを読んでくれているなら、私は何よりの喜びです。
レシアが路頭に迷うことの無いように手助けをします。この財宝を持って、人間の村へ降りなさい。そして財宝を売ってお金にしなさい。
そうすれば少しは飢えを凌げるはずです。残された私に出来ることはこれくらい。
最初に信頼できる人を作りなさい。男でも女でもいい、一人信頼できる人間を作りなさい。それが、レシアにとっての一番の力になるはずです。
人間の生活を、教え尽くせてないかも知れません。人間の料理だったり、言葉だったり、礼儀だったり。まだ教え途中かも知れません。でも、レシアはこれから一人で生きていくのです。自分の道を歩んでいくのです。迷わず、ただ自分の道を進みなさい。それがレシアにとって良い人生であることを祈ってます。
こんな母親でごめんなさい。でも、私はレシアを愛しています。




