5話目 マーシーおばあちゃん
「ちょっと蒼、大丈夫?」
「うん……大丈夫」
ユリエルたちとはしゃぎながら飲み食いしたせいで、おなかがパンパンになっている。単なる食べすぎに過ぎなかった。
子供たちなら寝静まる時間にもかかわらず喧騒の消える気配の見せない大通りは、このまま朝を迎えてしまいそうなほどに活気付いていた。こんな時間まで町を歩いたことがないためか、故郷では夜に明かりをつけるのはもったいないと言われて育ったからか、どこか不思議な気がする。
その多くは荒くれ者のような冒険者たちなのだろう。もしくは冒険者に負けない酒豪のような人か。眠ることを知らない人たちなのか。
それでも大通りから一本わき道へと入ると、喧騒はどこかに消えてしまうように静けさが主張してくる。
「それにしても今日は楽しかったね」
千鶴が楽しそうにこちらを見ながら言う。
ギルドを設立してからというもの、千鶴はさまざまな場所に働きに出て、蒼もほとんど毎日魔物を狩りに出かけ、忙しい日々が続いていたのだ。だからこそ、こういう一瞬が、普段よりも楽しく感じられたのかもしれない。
「そうだな」
蒼も心のそこからこの数時間が楽しく感じられた。それを隠すことなく、千鶴に微笑みながら返す。
「それにしても、英雄ってすごいね。まさか、こんな場所にまで話が伝わっているなんて」
「師匠は本当にすごい人だよ。ユリエルたちの話を聞いていると、俺が師匠の弟子って事が嘘みたいに感じるほどね」
「みんなが揃って、すごいすごいって言う人だから、本当に桃太郎さんはすごい人なんだよ」
「師匠には、頭が上がらないよ……」
蒼はどこか照れくさくなってしまって頬をかく。
千鶴も楽しそうに話していた。
「私、英雄なんて昔から本当に遠い存在だって思っていたけれど、蒼ならできるんじゃないかなって思うんだ」
星は静かに輝いているだけ。それをどこか遠くの存在としてみつめる千鶴。
「英雄は、類まれなる才能と、人を超えた力を持つもの。そんな風に言われて誇張するけど、私にとっても英雄は蒼だし、蒼ならやっちゃいそうだよね」
「そんなことはないって」
蒼もそんなことを言われて、嬉しくないはずがない。どこか足取りも軽くなる。
「師匠はいつも言ってた。英雄は血や才能でなれるものじゃない。日々、死地を潜り抜け、自分を超えたものが英雄に近づき、やがて人に認められたときに英雄になる。ってさ」
「ふぅ~ん」
「だから、俺も千鶴もユリウスだって、英雄になれる可能性はあるんだ。誰だって、高みは目指せる。やめない限り成長は続くってね」
師匠の一言一言は、蒼にとっても名言だ。いつだって聞き逃すまいと聞いていた。師匠に言われたこと、教えられたことは忘れないように何回も覚えなおした。
「蒼は、本当に師匠に一途というか、なんというか」
「師匠は本当にすごい人だから。その背中を追っても追っても届かないくらいに。でも、いつか師匠を越えてやるってね」
自分でもわかるほどに、口からすらすらと言葉が出る事を認識した。
「その意気だよ蒼!!」
「それじゃあ明日も早いし、早く帰って寝ようかな」
「なんだか疲れたよね」
「一睡は万力の元、って師匠言ってたしな」
蒼はそういうと、自然と足取りが軽くなっていた。
◆◇◇ ◇◇◆
ユリウスたちは自身の身長の倍はあろうかという門の前に立っていた。
石柱がいくつにも立ち並んでおり、ひとつの屋敷を囲うように配置されている。その一本一本の太さが大の大人が腕を回しても手が届かないほど。巨石の門は、敵を一歩も通さないといわんばかりに、重厚感あふれる作りになっており、右の扉には羊の角、左の扉には鳩が荒々しく彫られている。彫りなどした事の無いギルドマスターの初めての作品である。なんとか判別できるレベルの出来栄えである。
そして、まるで神殿を思わせるその建物と建造物は、アレフレドの中でも南に位置する高級住宅街の中に堂々と他を圧倒する敷地を持ちながら佇んでいた。
ユリウスが扉に手を沿え、目を瞑り、ギルド構成員のみに伝えられる合言葉を紡ぐ。
「羊の角は創造の種、鳩は種を運びし神獣、創造の果てに発展あれ」
暗闇の中、ユリウスの口から発せられた言葉が光り輝く文字となり扉へと吸い込まれていく。
光る文字がすべて扉に吸い込まれると、巨大な石の扉がまるで質量がないかのように開く。音など一切せず、誰も動かすことなく、扉が勝手に開くのだ。
ユリウスたちはどこか慣れた様子で、扉の奥へと入っていく。すると、芝生の生え、石が綺麗に敷き詰められた道を歩いていく。ライトも何もないはずの道の脇から、青白い光が淡く光る。
まるで幻想世界に迷い込んだようなこの場所は、ユリウスたちのギルドのホームである。
「でも、毎回不思議に思うよな」
「何がであるか?」
アールは歩きながら、石柱に視線を向ける。
「あの柱と柱の間を、ギルド構成員以外が通ると魔法が発動して焼けるんだぜ? 信じられないよな」
「うむ。確かにそうであるな」
濃く生えた髭をさすりながらゲブハルトが答える。
確かに、石柱と石柱の間には何もない。そこを通過したら人が焼け死ぬなど、考えても思いつくわけがないであろう。
「あの止めませんか? そんなギルドマスターを疑うような事」
「そうだぞ。俺たちがホームでスヤスヤ寝られるのも、アールがベッドから落ちても安心して寝ていられるのもギルドマスターの張った結界のおかげなんだからな」
「分かってるよ。でも、俺はそんな大仰な魔法は見たことないから、信じられないんだよ」
「はぁ……」
小首をかしげ、手をヒラヒラと振るアールに対し、ユリウスは小さくため息をつく。
ギルドマスターの侮辱と考えればそうなのかも知れないが、実際にユリウスもそんな魔法は見たことがない。だからと言っては何だが、確かに不思議なものと捉えてしまっている。
巨大な屋敷の玄関まで来ると、再び扉が自動で開いてみせる。ギルドマスター曰く、門から玄関までを遠くするのは、防衛のためだとか。
「おや、お帰り。ユリウス、アール、ゲブハルト、ペトル」
玄関の前には、白髪の頭に、彫の深いしわが入っており、全身にピンク色のパジャマを着て、ニコリと微笑む老女が座っていた。身長はユリウスの半分もあるだろうかというほど小さいが、その手には体の大きさとは似合わない使い古された木の杖が握られていた。
「ギ、ギルドマスター!?」
ユリウスが驚きの声を上げる。
目の前にいる老人、すなわちユリエルたちにとってのギルドマスターは、笑みを崩すことなく優しく微笑んだままだ。
「それよりユリウス」
「は、はいっ!!」
ユリウスがピシっと構える。他の三人にも緊張が走る。
ギルドマスターは微笑んだまま、その口を開く。
「いつも言っておるじゃろう。わしのことはギルドマスターじゃなくて、マーシーおばあちゃんと呼ぶようにとな」
「えっ、あ、はぁ……」
ユリウスの口から間抜けな言葉が抜ける。目の前にいる人物こそ、Bランクの中堅ギルドの中でも上位に食い込み、多くの冒険者を輩出し、貿易によって多額の収益を得ている、猛者の中の猛者である人間なのだ。それを、マーシーおばあちゃんと呼べというのだ。変な息が抜けても仕方がないのかもしれない。
「それより、今日は楽しかったかい?」
「それはもちろんです!!」
「そりゃあ良かった良かった。子供たちが、こんな夜遅くまで出歩くなんて、うちの酒臭い馬鹿息子達を見習ったんじゃないかって不安になってしまってのぅ」
ユリウス達にしてみれば、酒臭い馬鹿息子とは、何十年とこのギルドで働き続ける冒険者のことだ。その人たちでさえ、上級冒険者と呼ばれる精鋭のはずだ。それを、酒臭い馬鹿息子というこの老女は、ギルドマスターとしても、冒険者であるということでも、一線を画するということなのだろう。
「蒼という冒険者とずっと飲んでいたんすよ。そりゃあ、もうめちゃくちゃすごい方でした」
「そうかいそうかい。これは、私の知らない冒険者って事は、無名で活躍する上級冒険者かね」
「いえ、僕達と同じ初級冒険者です」
「ん? 同じかい? そりゃあ困ったね。私も、お前達を安く育てた覚えはないが、それに勝るとはそらすごい新人さんな」
アールがどこか誇った顔で、ギルドマスターに言い放つ。
「そりゃあもう、英雄の弟子だからな。俺達に敵うはずがないよな」
「英雄の弟子?」
少し戸惑ったような表情をすると、ギルドマスターは歯をカチカチと鳴らしながら笑って見せた。
「そら参らんわな。なんせ、英雄の弟子とあっちゃな」
ギルドマスターは、静かに笑いを収めると笑みを解き少しだけ真剣な顔つきになる。
「わしはいつも言っておるじゃろ。盗める技術は盗んで来い。他人から得られるものは多いとな。それで、その蒼とかいう冒険者からは、何を学んだんじゃ?」
「それが……」
「ん? どうしたのじゃペトル? 言ってみんしゃい」
ギルドマスターが諭すように言うと、ペトルは重たく口を開いく。
「無詠唱魔法を使用していまして……その盗むもなにもないといわざる得なくて……」
「なにぃ? 無詠唱魔法? それは本当かね?」
「は、はい……」
「それはすごいね。まさか無詠唱魔法が使える人間がいるなんて……」
「マーシーおばあちゃんよ、それってそんなすごい事なのか?」
「こらアール、魔法の基本を忘れたであるか!! この前教わったばかりであろう」
ゲブハルトがアールにそういうが、アールは何のことかよく分からずにとぼけた表情を浮かべている。
「魔法とは体内で魔力を練り、媒介を通し、詠唱を行うことで安全かつ確実な魔法が使えるのじゃよ。魔法自体は、体内で魔力を練るだけで、実際には発動するケースもある。じゃがそれでは体内で魔力が暴発し、術者が危険なケースが多いのじゃ。分かるな?」
「はい。もちろんです」
「じゃから、詠唱を行わず、安全に魔法を発動するということは、体内での魔力を練ると言う事が非常に長けているということじゃ。わしよりもな」
ギルドマスターはどこか子供に戻ったように楽しそうな表情を浮かべ、目つきはまさに冒険者のそれだ。老体になってなお衰えることのない冒険者の精神、高みを目指すことに躊躇しない心。まさに、尽きることのない頂点への願望そのものだ。
「ちなみにその英雄は誰じゃ? 魔法で通づると言うことは、マリーン辺りかの? ギルドは、大手が逃さないじゃろうな」
「それが……」
「ん? どうしたのじゃ? ほれ、迷わず言うてみ」
「英雄は桃太郎で、ギルドはまだ作りたてて無名って言ってました」
「桃太郎ということは、剣士かい? それにギルドは無名とな。ほほう、これは面白くなりそうじゃな」
ギルドマスターは楽しげな表情を浮かべたまま答えた。
「これは、楽しくなりそうじゃ。わしの余生で足りるかよぉ?」
「ははは……」
ユリウスは空笑いを浮かべてみせた。
「それじゃあ気分もいい事だし、わしが若かった時の話でもしようかね。アレは、わしがまだ冒険者―――」
「ギルドマスター!! すいませんが、明日も早いので寝ますね!!」
「お、俺も寝ようかな」
「ぼ、僕も……」
「うむ。そうであるな」
そういうと、四人いっせいに脱兎のごとく、ギルド長から逃げるように部屋へと向かう。
取り残されたギルドマスターは「元気の良さは、若者特有じゃな」と一言つぶやくと、杖を背中に背負い込むと、椅子を重たそうに持ち自室へと向かっていく。