342話目 覚悟の言葉
桃太郎を襲ったゴブリン。そして、それを撃退した鬼綱。
それを見た瞬間から、桃太郎の中で何かが芽生えた気がした。そう思った時、桃太郎は自然と鬼綱に声をかけていた。
ゴブリンを退治したお礼にと、お爺さんとお婆さんは鬼綱を一晩泊め、朝になると豪華ではないが朝食を出し、昼前程まで鬼綱と談義を交わし、いざ出立という時に鬼綱は桃太郎から突然話しかけられ驚愕した。
「お前強いなっ!! 俺を弟子にしろよっ!!」
お爺さんとお婆さんは桃太郎が何を言い出すのかを理解しているようで、驚く様子もなく、むしろ鬼綱なら任せても安心だ、と言わんばかりに歓迎の雰囲気を醸し出している。
「……待て桃太郎。お前はどうして俺に付いてくる?」
「お前が強ぇから。そして、昨日の夜に感じたんだ。強くならなきゃいけねぇ気がするって」
なんとも漠然とした理由だと、逆に鬼綱が驚いてしまった。
「お前、お爺さんとお婆さんをどうするつもりだ。これだけ老年であれば、足腰も重たくなっているだろう。二人きりで暮らせるとは思えん。お前が居てやらずしてどうする」
山を上り下りする柴刈りや山菜取りは、桃太郎が代わりに行っているし、近くの川への洗濯もそのついでに行っている。お爺さんとお婆さんは家の隣の畑の世話をする。そんな役割分担になりつつあるのだ。
だからこそ、桃太郎が居なくなった時、二人はどのようにして生活していけば良いのか。
「鬼綱さん。ご心配には及びませんよ。わしらの山に住む生活はそろそろ大変だと思っとりました。子宝には恵まれませんでしたが、近くの村の親戚がそろそろ一緒に暮らそうと言ってくれとります。そちらに御厄介になろうかと思っとります」
前々からお爺さんとお婆さんは、度々来る商人に手紙を渡していた。それが近くの村に住む親戚の所だという事は知っていたが、具体的な内容は知らなかった。そんなやり取りをしているとはつゆ知らず、桃太郎は生存確認のような手紙なのだろうと思っていた。
「……お二人は、どこか達観してらっしゃる。普通なら実の息子が、突然家を飛び出すと言っているのです。少しはお考えになってもよろしいのでは?」
「鬼綱さんはお優しい」
しかし、二人の意思は変わらなかった。
「この子を見つけた時から、何となく私達夫婦には成すべき事が見えたのです。この子が丈夫に育つように、大きな時代の波に乗る前に、健康に育ててやる事。いつかこの家を飛び出すという事は、何となく分かっとりました。この子に触れた時、そう感じたのです。そして、わしらは息子の門出を盛大に祝うために、人生を積み重ねなくては……と」
「爺ちゃん……婆ちゃん……」
桃太郎は初めて、二人の思いを聞いた。
「お前が飛び立つまでの間、わしらの役目はお前に愛を注いであげる事。もう、充分な程注いだじゃろう。あとは、わしらの思いにお前が答える番じゃ」
お爺さんは優しい笑みを浮かべてみせた。
「荷物はまとめてある」
「えっ!?」
お婆さんがどこからともなく、風呂敷に包まれた荷物を渡してくる。
「鬼綱さんが来た時、これは何かが巡っとると感じたよ。お主が飛び立つ吉兆なのじゃとな。準備は抜かりないわい」
そしてお爺さんが、強く桃太郎の手を強く握りしめる。
「お主は果たさねばならん使命がきっとある。お主を拾った時、それを強く感じた。わしらは何の力もない人間じゃ。何度も言うが、お主を拾った時、わしらには何かの巡りを感じたのじゃ。お主を育ててやらねばならぬと。……お主は、何か大きな巡りの中に生まれた気がする。じゃから、桃太郎」
細く、しわだらけで、皮越しに伝わるお爺さんの温かみ。
そんなひ弱な老人の手が、桃太郎の手を強く握りしめる。
「お主は大成せねばならん。お主はこの先、やらねばならぬ事がある。ええか、桃太郎。お主は、やらねばならぬ事がある」
お爺さんとお婆さんは、桃太郎を拾った瞬間に何を感じ取ったのだろう。まるで、使命感に突き動かされるように、桃太郎にそんな言葉を投げかけてきた。やらなければならない事が何なのか、桃太郎には分からないし、お爺さんとお婆さんにはさらに分からないだろう。
だからこそ、二人が感じた運命に、桃太郎は答えねばならない気がした。
それに、桃太郎にはそれが何か、分からないが、分かるような気がした。
「頑張るよ。俺」
桃太郎は、そう言うとお婆さんから荷物を受け取り、背中に背負い込む。
そして、鬼綱の方を見る。
「頼むぜっ!! お師匠っ!!」
桃太郎の覇気ある声に鬼綱は、なんとも言えない微妙な表情を浮かべてみせる。
「……正直に言えば、人間種と共に居るのはあまり気乗りしません。私は世界を巡る一人旅をする事が目的。あなたに何かを教えるつもりはありませんよ?」
「あぁ、それでもいい。勝手について行って、勝手に学ぶさ」
鬼綱は大きなため息をつく。
「お爺さんとお婆さん。一晩ではありましたが、お世話になりました。……本心を語るならば、私は彼のような人間があまり好きではありません。勝手にお師匠などと言っていますが、これと言って教えることはありません。ただ旅に付いてくる……そんな事になるのですが、よろしいですか?」
「えぇ、桃太郎は馬鹿ですから。勝手に、やるでしょう」
その言葉に、鬼綱は折れるしかなかった。
ここまで来たら、桃太郎は勝手に付いてくる。そう悟ってしまった。誰が何と言おうと、鬼綱の旅に付いてくる。
「分かりました。改めて、お世話になりました」
鬼綱は頭を深々と下げると、老夫婦の小屋を後にする。
桃太郎はその後に続く。
鬼綱は一歩後ろを歩くどころか、なぜか先頭を歩く桃太郎の姿に、早くも溜息が付いてしまっていた。
◆◇◇ ◇◇◆
そんな出会いがあれば、いずれ訪れる別れも存在する。
カストノール王国にて、師匠である鬼綱が死に、幼いギルと別れた後、蒼の父親である鬼綱とティアの亡骸を二人が暮らしていた家の裏手に埋葬した。
生まれたての蒼は、もう肉親が居なくなってしまった事を悟ったのだろうか、道中は雉の旨の中で喉がはち切れんばかりに泣いていたが、今は泣き疲れて眠ってしまっている。
赤ん坊の蒼が静かになってから、鬼綱の家に滞在させてもらっている桃太郎と雉。
主の居なくなった住居というのは、どうにも静寂が漂っている。ティアの優しい笑い声と、鬼綱がティアの自由奔放さに鼻を鳴らす音が聞こえないのは、心の中に何かが足りないと思わせるには十分だった。
「桃太郎。……あなたはこの先何をするつもりなのですか?」
雉はすやすやと眠る蒼を腕に抱きながら、ひたすらに考え込んだまま一言も発せずに囲炉裏の火に視線を落とす桃太郎に話しかけた。
桃太郎の事は馬鹿だという事は今までの旅で嫌だというほど理解している。だが、自分の師匠を殺したなどと、虚言を吐くような愚か者でない事も嫌というほど理解している。
「……雉。俺は師匠を尊敬していたんだ。あんな頑固親父みてぇなお師匠で、勝手にお師匠の旅に付いてきた俺を面倒見てくれて、ここまで成長させてくれた。わがままな俺を師事してくれたんだ」
桃太郎は湧き上がる涙を堪えながら、雉に溢れんばかりの今の気持ちを言葉として伝える。
「そのお師匠が、俺に……こんな馬鹿な俺に命を投げ打った子供を託した。俺は、その子を守らねぇといけねぇ。蒼を、守ってやらねぇといけねぇ。師匠の血縁は鬼族。だが、師匠は鬼族を破門された身。ティアさんの血縁もどこにいるか全く知らねぇ。……蒼には頼れる親族がいねぇ」
鬼綱は、鬼ヶ島出身の身。
鬼ヶ島の鬼種は戦が嫌いな種族。過去に大陸で迫害を受けた種族であり、その経歴故に鬼ヶ島から一歩も出ずに、島の中だけで生活をしている。そのせいで、島の外へ出る事はタブーとされる。
だからこそ、そのタブーを破った鬼綱を鬼ヶ島の人たちは良く思っていないだろう。
そんな鬼綱の子供を引き取ってもらえるとは思っていない。
ティアは、元々カストノール家の侍女として働いていた。その経緯は、親を亡くし孤児院にいたティアを、孤児院を経営する人と仲の良い侍女が引き抜いてくれたからである。
運よく職に当たれたティアはカストノール家で働くことができた。
そんなティアは、孤児院出身のためもちろん肉親などいない。
つまり、蒼は生まれながらにして唯一の肉親であった両親を失くしてしまったのだ。
「だから、俺達が育ててあげなきゃならねぇ。お師匠に託されたしな」
「それは理解しています」
雉が疑問を抱いたのはその先だ。
「あなたはこれから何をしようとしているのですか?」
桃太郎が突拍子の無い事を言い出すは良くある。突然天災級の魔物をピクニック感覚で討伐しに行く事だってある。とんだハプニングなピクニックだが、それが人のためであるからこそ、仲間達は許容してきた。
雉はそんな桃太郎の今までの頭を使わない提案ではなく、深く考え込んでいるからこそ、予想だにしない提案をするのではないかと考えてしまう。
「俺は蒼を守らねぇといけねぇ。お師匠から託されたからな」
「えぇ。もちろんです」
「……正直、昔から大分気になっていたことが一つある」
桃太郎は初めて囲炉裏ではなく、雉に視線を向けた。
「邪神の存在だ」
「っ!?」
その発言に雉は驚愕の表情を浮かべるしかなかった。
かつて存在したと言われる御伽話の存在が実在するなどと、妄言にも程がある。
「本当にいるのですね」
「あぁ。昔から肌に触れる嫌な感覚がずっとしていた。あるだろ、生理的に無理ってやつだ。俺の一番嫌いな感覚がどこかから漂ってくる。どこかくせぇ臭いがするんだ」
その感覚は雉には分からない。
だが、雉は桃太郎に対して全幅の信頼を置いている。だからこそ、ただの馬鹿な話だとは思わない。
「その覚悟あるお顔をされているのに、嘘を言っているとは思えません。……信じられませんが」
雉の感覚とはかなりかけ離れた思考。だからこそ、次に飛び出る言葉も雉には考え着かなかった。
「俺は……邪神を殺す。世界の根源の悪を断つ」
桃太郎が覚悟の言葉を示した。




