339話目 神の戦い
開けたドーム内に漂う桃太郎の殺気。じっとりと空気が重くなり、肌に纏わりつく。
「ふふっ。悲願成就……。それは、僕を殺すという事かい?」
「そのために、頑張ってきたからな」
桃太郎が笑みを浮かべてみせた。
「桃太郎ッ!! 裏切るというのッ!!」
桃太郎の笑みを見たネロが激昂し、声を荒げる。
「あぁ。その通り。最初、お前に近づいたのも、お前が来るように仕向けたのも、全ては邪神を殺すため。アレフレドの英雄を叩き切ったのも、親友の大事な島を襲ったのも、俺の仲間をお前の前で殺したのも……邪神を殺すため。全てをそのために捧げてきた」
その言葉の全てから、桃太郎の言う覚悟が感じられた。
何をきっかけに桃太郎が邪神討伐へと赴いたのかは蒼には分からない。だが、邪神を復活させ、自分の手で殺すために、つぎ込んできた悪事の数々。
「封印された状態じゃ満足できねぇ。お前を絶対に殺し、この世界から消滅させる。……じゃねぇと平和ってやつは来ねぇ。俺が信じる、正義の世界は訪れねぇ。託されたものを、守り切る」
それらの覚悟のために、桃太郎は悪行を重ねた。
「いいね。桃太郎。君も気に入ったよ」
ネロが満面の笑みを浮かべる。
「欲と欲がぶつかった時、そこに生まれるのは闘争。それこそ、僕が望む世界」
ネロが蒼と対峙するときとは違い、ネロが明確に構えを取って見せた。蒼の時は本気ではなく、桃太郎に対して初めて敵と見なした。
「僕の望む、自由な世界。君が望む、守りたいものが平和に暮らす世界。どっちが欲張りかな?」
桃太郎も五月雨を下段に構えながら、セシルの問いに答えてみせる。
「俺の方が、欲張りだ」
桃太郎の殺気がさらにぶわっと増える。
桃太郎は元来より魔力というものをほとんど持たない。蒼のように、膨大な魔力を持っているが魔法が使えないとは違う。魔力量は初級冒険者に比べても劣るほどに、魔力がない。唯一使える物理強化魔法も、一分と継続して使う事ができない。
そんな桃太郎がここまで上り詰めたのには、信頼のおける三人の仲間と、親友である浦島、そして師匠の鬼綱にしか話していない、二つの秘密が存在した。
「八振りの技――――」
誰も知り得ない桃太郎流の真実。
「八握剣」
桃太郎が文言を述べた瞬間、地面に描かれるのは八つの剣と、呪文のような文字列。それが一瞬の輝きに包まれると、桃太郎の中に収束する。
桃太郎が唯一使える固有スキル『八握剣』。
その効果は単純明快、自分が編み出した技を八つ覚え、絶対に繰り出せることが出来るというもの。
「桃太郎流ッ!! 鉄扇幽泉ッ!!」
桃太郎の体が揺らいだと思った瞬間、殺気で満たされていた空間の空気が、突如として不可思議な突風にでも吹かれたかのように、揺らぎを生む。
それと同時に桃太郎の体が消え失せる。
「っ!?」
セシルが何かに気付いて反射的に体を動かした時には、その金髪が数本断ち切られていた。その感覚を頼りにして、体を向け反撃の一打を加えるため、顔を動かした時見える鬼の形相。
絶対に殺すという覚悟がひしひしと伝わってくる。その形相を見た瞬間、セシルは反撃の一打よりも、思わず大きく距離を取ってしまう。
そんな甘えた回避を桃太郎が見逃すはずがない。
振り下ろした五月雨をすぐさま、逆手で切り上げる。真正面からの攻撃にセシルも、神の能力を使わざるを得ず、瞬間移動のような
「……面白い技を使うね」
セシルは今の一撃で何かを見抜いたのだろうか、更に警戒の意を示す。
「多分、避けられる気がしないなぁ……」
「良く分かったな」
桃太郎が思わず感嘆の声を漏らす。
「スキルでありながら、世の理に触れるられるという、俺も良く分かんねぇ奴なんだがな」
「禁忌の魔法道具を食べた……いや、取り込んだに近いね。……人間って不思議だ」
桃太郎が持つ『八握剣』は、スキルという側面を持ちながら、その能力はスキルの範疇を大きく逸脱する。
「僕の予想は、絶対に効果が優先されるって感じかな?」
「よく分かるな」
「もちろん神だからね。この世界の摂理に則ったものは大体分かる。……分かるけど、どこか摂理を捻じ曲げる感じが……スキルという概念を逸脱している」
「俺がお前を殺す切り札に成り得るってことが分かるだろ?」
「うん……。確かにこれはまずいね」
桃太郎の『八握剣』。
その効果はセシルが見破った通り。桃太郎が編み出した八つの技を、絶対に繰り出せるという事。加えて言うならば、繰り出した技は必中であるという事。
必中の名は伊達ではなく、禁忌の魔法道具同様に、世界の法則を捻じ曲げ、世の理に触れることが出来る。つまり、発動させたら相手の一部を必ず切り取る、または影響を与える事を意味する。
「絶対の剣技。それが桃太郎流だ」
蒼が見てきて、蒼が使っている桃太郎流とは、一線を画す。
蒼が扱う桃太郎流はスキルの加護がない、絶対の裏付けが行われていない、純粋な武術として成立させられただけの技。
だが桃太郎は違う。
スキルの加護によって、世の理に触れる事が許された剣技を放つことが出来る。
それが、なぜセシルに通用する技なのか。
「僕の自由が書き換えられちゃうのか……」
地面に落ちる自分の切断された頭髪を見ながら呟く。
セシルの司る『自由』は、セシル自身の全てを自由に操ることが出来るという事。その権能は、自分の存在する場所を移動させたり、体を瞬間的に体勢を変化させる事が出来る。
具体的に言えば、瞬間移動と、一瞬で体勢を変えることが出来る、能力だと言える。
自分の存在位置がそこではないと思えば、自分の移動できる位置に自由に飛ぶ事が出来る。
一瞬にして自分の立ち位置を変化させる、瞬間移動としての使い方。
立っている自分が違うと思えば、座っている自分へ自由に変えることが出来る。
例えるならば、立っている姿勢から筋肉を一切動かす事無く、瞬間的に座りの姿勢へ移行する事が出来る。
その体を変幻自在に操る事は神の権能故に、誰にも阻止する事はできない。例え魔法で阻害魔法を掛けたとしても、世の理に触れる神の権能はその効果を上回り発動されてしまう。
しかし、桃太郎のスキル『八握剣』は世の理に触れる事が出来るスキル。つまり、セシルの神の権能に対して割り込むことができる。
瞬間移動しようとしても、スキルの『絶対に当たる』という側面とが競合する。
「僕に対する対抗策って所かな」
「いいや。純粋にただお前を殺したい。それだけだ」
桃太郎が地面を蹴り、セシルに接近する。
競合するとは言え、純粋な戦いの側面を削ぐことはできない。
桃太郎が人間的な動きで、筋肉を稼働させて、五月雨を持つ手、それに繋がる腕、胴との接合部である肩。人間でありながら、その常軌を逸した速度で筋肉を稼働させて、五月雨を薙ぐ。
ただの横薙ぎの動きなれど、その五月雨から伝わる、即座に軌道が跳ねんとするような、フェイントの気配。
対してセシルは、非人間的な動きで、体が一瞬ぐにゃりと動いたかと思えば、その位置が半歩後ろに下がっており、体をほぼ動かす事無く回避している。
ただの回避のために一歩下がるのではなく、大きく踏み出した右足が強く地面を掴むと、引き絞られた握り拳が、桃太郎の顔面を狙う。
「ふっ!!」
セシルが自分の体を自在に操るのならば、桃太郎は自分の五月雨を自在に操ると言わんばかりに、握りしめていた柄が手のうちでくるりと反転。刃が正面から突っ込んでくるセシルに向いた瞬間に、桃太郎の全身の筋肉が唸り、甲斐流の燕返しに負けない切り返し速度を見せる。
「ちッ!!」
思わぬ挙動の反撃にセシルは思わず舌打ち。
舌打ちをした瞬間に、セシルの体が再び消失。と同時に、桃太郎の完全に背後に出現。
強く引き絞った一撃ではなく、今度は素早い一撃。
「桃太郎流、霞み朧月」
背後を取ったセシルの渾身のストレートが桃太郎の頭蓋を殴る瞬間、今度は桃太郎の姿が消える。
セシルの耳に届いた情報は、自分の耳が切り落とされる音。
「がぁッ!?」
思わぬ激痛でセシルが苦悶の表情を浮かべる。だが、接近した桃太郎の姿をセシルは捉え、すぐさま権能により体位を変化させる。変化先は、左脚で地面を強く踏み込み、桃太郎の横腹から一ミリ離れた距離に右足を置き、避けるという思考が発生する前に、桃太郎を横蹴りする位置。
「ぐっ!?」
さすがの桃太郎も設置された蹴りに反応する事は出来ず、セシルの思い描くままに、腹部に右足の蹴りをもろにくらい、体勢がよろめく。
自らが生み出した隙を易々と逃すセシルではなく、権能により体位を再び変化。よろめく桃太郎の首のすぐさま隣に拳を配置。首をへし折る形へと体を変化させる。
「桃太郎流、虚影墓栄」
セシルの背中に走る人間とは思えないような恐怖。むしろ久しぶりに味わった、命が刈り取られるという絶対的な恐怖。神になったセシルであっても、死に怯えるのだと驚愕してしまうほどに、体が竦んでしまった。
『八握剣』のおかげで、神であってもその能力は絶対に届くが、セシルの自分自身を明確に形作る権能のせいで、『虚影墓栄』の効果は真には期待できない。セシルに与えたのは、五感を封じる程の恐怖ではなく、今攻撃してしまったは反撃を喰らってしまうのではないか、という一瞬の躊躇だけ。
だが、その躊躇によって桃太郎の首が飛ぶことは無く、防御には成功する。
一瞬体が硬直したセシルに対して、桃太郎は五月雨を振るうが、自由の権能を使うセシルには掠りすらしない。
「ちょこまかと厄介だなッ!!」
神という名を冠する割には、瞬間移動、体位を変化させる、二つの効果しか持たない自由の権能はなんとも貧弱に映る。神ならば、山を自在に破壊したり、海の水を全て消失させる事くらい、しても誰もが納得するだろう。
しかし、人間と人間の戦闘においてこれほどまでに厄介なものは存在しないと思わされる。刀を振れども振れども、そこにセシルの肉体は無く、一瞬でも気を抜けば攻撃が当たっている位置に四肢が存在する。
セシルの人間離れした反射神経によって生み出される、絶対的な回避と攻撃は、剣術で世界最強を名乗るに値する桃太郎を苦しめるのには十分すぎる。




