338話目 悲願成就
暗がりの通路の奥からゆっくりと歩いてくる老人。
蒼が見間違うはずのない人物。
「……師匠」
大量の煤埃を被った桃太郎が軽い笑みを浮かべながら現れる。
服の所々が鋭利な刃物で切られている所を見るに、先ほどまで壮絶な戦闘が行われていた事を物語っていた。
「確か君は……桃太郎だったかな?」
「おっ? 神セシルに名前を憶えて貰えているなんて光栄だな」
桃太郎が、骨を折られ地面にひれ伏す事しかできない蒼に近づきながら、セシルに名前を呼ばれて笑みを零す。
「そこの彼の師匠なのかい?」
「あぁ。昔色々と師事してやってな。……といっても大した事はしてやってない。実の所、師匠というのも怪しい部分はあるがな」
セシルと不可思議な距離を保ちながら、蒼に近づいてくる桃太郎。
「師匠……お前ッ!! ギルさんは……」
「今頃、地べたに這いつくばってんじゃねぇか?」
「ッ!!」
蒼の中で腹の中からマグマのように怒りが沸々と湧き上がってくる。
ギルと過ごした時間は非常に短いものだった。この討伐作戦を行うにあたって、初めて話した人に過ぎない。だが、それ以上に英雄としての背中が蒼に今後どうあるかを語っていたかのようだった。
英雄が背負うもの。
英雄が行うべき行動。
真に英雄とは何たるかをギルは見せてくれた。
「おま……えぇッ!!」
蒼が怒りに任せて村雨を握ろうとしても、その体が強張るだけで動く事が出来ない。それどころか、体の中の血管が切れているのか、体内から異様な音がして、心拍音が異常なまでの大きく聞こえる。
「まぁ、落ち着け。安静にしてろ」
桃太郎は蒼の頭に、しわくちゃになったその手を乗せる。
蒼はその時、見たくもないものを見てしまった。
「お前に、まずは謝らないといけねぇ事がある」
「やめろよッ!! ……嘘だと言えよッ!!」
桃太郎が蒼の頭に手を乗せ、言葉と共にその温度で思いを伝えんとすることに対して、蒼は心の底から拒絶する。
ここから先の文言を聞いていてしまったら、自分の信念が揺らいでしまいそうだったから。自分の信じた物を汚した事に、後悔しか残らなくなってしまうから。
「師匠として、お前には何もしてやれなかった。だが、これが俺の成したかった事なんだよ」
桃太郎が邪神教に入り、邪神復活に貢献した事は言わずもがな。
大海都市レイサン襲撃。
都市部を破壊し、浦島と水龍リヴァイアを襲撃。加えて蒼と対峙して、深い呪いの海へと誘った戦。
そして、迎えた邪神教に対する強襲作戦。
『焔狼の牙』と『円卓の騎士』といおうアレフレドきっての実力者が集った戦い。そこにおいて、桃太郎という存在が、とてつもなく大きな障壁となって立ちはだかった。桃太郎さえいなかったら、中核となるネロを殺す事が出来たと断言できるほど。
そして、追撃であるこの戦。
英雄黒騎士のギルを屠り、今この場に立っている。
アレフレドが仕掛けた英雄三人、ほぼその主力と言って良い存在を、桃太郎一人で撥ね退けている。それだけの実力がありながら、悪に加担した英雄。アレフレドという冒険者の国が、その勢力を以てしても敗北したかのような状況。
桃太郎さえいなければ、邪神は復活しなかった。そう断言できるほどに、桃太郎は邪神教に貢献し、アレフレドの作戦をことごとく阻んできた。
そんな蒼の師匠が今、優しい笑みを浮かべながら、蒼に言葉を届ける。
「邪神の復活は、俺の悲願だった。……俺のお師匠との誓いだ」
蒼の師匠である桃太郎、その桃太郎の師匠である蒼の父親の鬼綱。師匠が弟子を作り、またその弟子が新しく師匠となり、また弟子を取る。
その関係の中で、桃太郎が成したかった事。それが邪神の復活。
「迷惑をかけたと思っている。だが、お前に邪魔をされるわけにはいかなかった」
「ふざけるな……」
蒼が今更師匠として話しかけてくる桃太郎に怒りしか湧かない。
この事態を以てして、これから起こりうる未曽有の災害を生み出しておいて、優しい笑みで諭される事に怒りしか湧いてこない。
「師匠の願い……しったことじゃないッ!! 俺はッ!! 俺の仲間を守るためにここにいるッ!! あの邪神を殺して、ギルさんの意思を汲んで、世界のために戦うッ!!」
蒼が吠えると、肺が締め付けられるかのような痛みに苛まれる。
「それを、お前が望むならそうしろ。そのために、努力に励め」
桃太郎はそう笑みを浮かべると、蒼の頭をわしゃわしゃと撫でる。何年と経っただろうか、ふと脳裏に昔はこうして頭を撫でられていたような気がする。あの時の師匠と変わらない。力の入れすぎで、髪の毛が引っ張られ、どこか痛みを伴う感じ。
「師匠として、お前の親父と誓った事は曲げねぇよ。……俺にも仲間が居たからな」
それだけを言い残すと、桃太郎は立ち上がる。
なぜだかその背中に漂うのは哀愁。蒼の中で知っている桃太郎が、どこか遥か遠くへと去ってしまうかのような寂しさ。まだ制止すれば留まれるかもしれない未来に対して、変える事の出来ない現実が蒼に訴えかけてくる。
師匠は馬鹿だから止められない。
「セシル。ちと頼みがあるんだがよ」
「ん? なんだい?」
「こいつは桃水蒼といって、俺の弟子なんだ。何って教えてやれてねぇが、一応は弟子だ。だからってわけじゃねぇが、こいつは見逃してくれねぇか?」
「それは……殺すなって意味?」
「そうだな。俺も一人の人間。温情をかけてやった弟子をむざむざ目の前で殺されるのは、ちとしんどい」
セシルは視線を桃太郎から、地面に転がっている蒼へと視線を移動させる。
「……ネロはどう思う?」
「正直に言えば、反乱分子となりうる芽は明確に摘んでおくべきね。ただ、桃太郎がうちに多大な利益をもたらしてくれたのは事実。それに対して、報いてあげずに、臍を曲げられても困るから……見逃してあげても良いんじゃないかしら」
ネロが悩みながら答えると、セシルは「ふぅーん」と言葉を漏らす。
「それじゃあ、良いよ。弟子はこの場では殺さないであげる。別に僕も殺しがしたい訳じゃないからね」
セシルが笑みを浮かべると、桃太郎もどこかホッとしたかのように吐息を漏らす。
「そう言えばセシル。お前に色々と聞きたい事があるんだ」
「なんだい?」
「もういらないかもしれないが、俺は一応お前を守るために雇われた。だから、お前を守らなくちゃいけない。それで聞きたいんだが、お前はどうやったら死ぬんだ?」
「……」
セシルはどこかぽかーんとした表情を浮かべる。そして、数秒固まったかと思うと、笑い始めた。
「はっはっはっ!! 桃太郎、君は面白い事を言うね」
セシルが幼い少年のように腹を抱えながら笑いだす。
「そうだね。君は面白い。すっごく面白い。多分、命の危機に瀕すような機会はアルメシアとの戦以外でないと思うけど……良いよ。教えてあげよう」
セシルは三本の指を立てる。
「神は大体三種類に分かれる。神アルメシア、信仰系の神、そして僕」
まず、一本目の指を折る。
「神の根源たる部分は、神によって違う。神アルメシア。あいつはその存在自体が神たらしめている。つまり、その存在を滅ぼせば倒せる。至ってシンプルさ」
そして、二本目。
「信仰系の神を神たらしめているのは、信仰者たち。彼らが思い描く神としての姿がある限り、神は死ぬことはあり得ない。むしろ消えることができない。だから、信仰系の神の殺し方は……信仰者たちの皆殺し。根源を断つ他にない。これは何度も試したから間違いない」
最後。
「そして僕。僕は割と歪な神の存在。正直、死んだことがないから分からないけど……信仰系とアルメシアの中間に位置する存在。僕という存在自体が神たらしめているけど、信仰者からの思いでも形作られている。だけど、元が人間の形だから、恐らく肉体が崩壊すれば死ぬと思う」
今まで数多の神を殺してきたセシルが語る神殺しの方法。
神アルメシアと自分自身は、殺せたという実績がないため分からない。しかし、神アルメシアについては深く知っているような口ぶりから、恐らく話した内容で殺せるのだろう。
「だが、お前は腕だけになって復活したじゃないか? ……不死身かと思ったぞ?」
「言っただろう。僕は、中間に位置する存在。根源たるものは肉体に宿るが、信仰者がいる限りその存在は消えない。肉体の一部さえ、あればそれを起点として復活できる」
セシルは、人間が神へと成った存在。
そのため根源たる部分はその肉体に宿るが、信仰によって変化を遂げたことで信仰系の神の側面も併せ持つ。そのため、神アルメシア戦において腕だけが残り、今その腕から復活できたのは、肉体が完全に滅んだわけではなく、残った部位から信仰者の思い描く姿でその体を形成したからである。
信仰系の神は、何もない所であっても、信仰者が居ればその思いでいつでも復活できるが、セシルはそうはいかない。
核たる部分が肉体にあるため、その全てが失われてしまった時、セシルは神としての形を保てなくなる。
「まぁ、指一本でも残ってたら何とかなるかな……。さすがに復活に時間が掛かるだろうけど」
「神は死なないもんだな」
「だから、君の弟子が僕を殺す事は不可能なのさ」
セシルは笑みを浮かべてみせる。
だが、その反対に桃太郎は神妙な面持ちになる。
「つまり、肉体全てを斬り刻めば良い訳だ」
「ッ!!」
セシルの表情がその瞬間固まった。
桃太郎から溢れる全力の殺気。その向けられた先はセシル。神であっても、鳥肌が立つほどに人間の殺気に慄く。
「桃太郎ッ!! 貴様ッ!!」
ネロが吠えるが、桃太郎の殺気に気圧されてしまう。言葉は出るが、セシルを守ろうとする一歩が踏み出せないでいた。
「悲願成就まであと一歩。ここで踏み出さない英雄は居ないだろ?」
桃太郎が腰に携えた五月雨をゆっくりと引き抜く。
本気で神殺しを行おうとしている桃太郎。その覚悟たるや、すぐ後ろで見ている蒼でさえ、人生で見たことがない程に桃太郎に対して恐怖を出だしている。師匠の本気の殺気に、弟子の蒼が怖気づいてしまう。




