29話目 これ鬼人と化す
「がはっ!!」
蒼が気がついたと同時に紫色の液体を吐き出す。若干血の味がしたのは、喉に溜まっていた血が、注ぎ込まれたであろう青色の液体と混ざったため。
地面からゴツゴツとした石の触感に加え、先ほど蒼が流したであろう血の冷たさが伝わってくる。
喉からは乾いた空気が喉を通り、肺へと新鮮な空気を送り込む。
それと同時に、心臓がドクンと大きく脈打ち、体全体へと意識が広がり、脳が起きる。
「気がつきましたか?」
声の主を見ていると先ほどのレイピアの女性だった。
たぶん、あの黒い甲冑を何とか倒し、倒れていた蒼を快方してくれていたのだろう。
「アイツは……倒せたんですか?」
だが、予想と結果はだいぶかけ離れているようだった。
「私なんかでは太刀打ちできませんでした。実力もさながら、私の剣ではあの鎧に傷一つさえ付ける事が出来なかった」
そう言って、蒼の胸に乗る手はガクガクと震えていた。
思えば、彼女が身に着けているのは、防具との摩擦を減らすインナーのみ。
身に着けている装備と呼べるものは腰に何とか巻きついているアイテムポーチに、隣に置いてあるレイピアだけだろう。
「えっ、じゃあ……」
ヤツは一体何をしているのか。
蒼は体を起こして周囲の様子を確かめる。
「……」
その瞬間、蒼は言葉を失った。
地面に無数に転がる人間の部位。地面の土を覆いかぶすような、大量の血液。
そして、大斧に無残に切り裂かれるルシア。
なぜ彼女がここにいるのかとは疑問に思わなかった。
それ以上に、彼女が切り裂かれた光景が視界一杯に広がる。距離はまだあるはずだ。それなに、その光景をすぐ隣で見ているようだった。
ルシアの血が着いている白い肌に、大斧の黒い刃が落ちる。切断。真っ赤な血を撒き散らしながら、切断された部位が宙を舞う。
地面に倒れこんでいる彼女は起き上がることも、叫び声を上げることもなく、ただ地面に横たわっていた。
「あっ……あぁ……」
蒼は、喉から嗚咽が漏れていることに気づいていた。それは、驚きも混じっていた。
彼女の切断された部位から、奇妙にも肉がうねり始めもとの形状へと変貌を遂げる。
「彼女は高い再生能力を持っているんでしょう。あなたが起きるまで、ずっと斬られ続けています」
言葉を失った。
この周囲に散らばっている全ての四肢や臓器は全て彼女のものだというのだろうか。
「最初は声も聞こえていましたが、今は意識があるのかどうか……」
腕一本の切断。どれほどの苦痛が伴うだろうか。
腹から真っ二つにされたらどれだけの痛みだろうか。
蒼にはそれが考えられなかった。
「彼女は言っていました。あなたならこの状況を打開できるかもしれないと」
蒼が、この状況を打開する。
「私たちの後ろには、まだ百人ほどという冒険者達が非難しています」
百人の避難者。
「だからお願いします。どうか―――」
彼女の首が大斧によって持ち上げられる。血に汚れた綺麗な造形物の体には、もう生命を感じさせないほどにだらりと垂れ下がっている。まるで、アイツは死体を掴んでいるようだった。だが、蒼の視界には、その胸がゆっくりと動き、呼吸しているのが見えた。
いや、蒼の脳がそれを見せたのかもしれない。
動けと。戦えと。立ち向かえと。
そんな事は分かっている。
困っている人がいたら手を差し伸べるのが、師の教え。
「――――助けてください」
「――――蒼」
あぁ、言われなくても分かっている。
そんなの、言われなくても見れば一瞬で分かる。
行動は早かった。
隣に置いてある村雨と取ると、すぐさま走る。一秒でも、一瞬でも、すぐさま彼女の元へと駆けるため、全力で走る。
蒼とヤツとの距離、約四十メートルを踏破。
蒼は、村雨を持つ手に力を込める。
背後からの完全な一撃。
「甲斐流、斬鉄ッ!!」
刀で鉄を切ること自体は可能である。名刀と呼ばれた刀ならば、その程度のことは簡単だろう。
だが、蒼たちの国にある一枚の鉄板が持ち込まれた。その鉄板には、物理強化の付与魔法がかかっていたのだ。
その鉄板を前にして、名刀と名人達は敗れていった。これが蒼たちの国で、魔法という概念に一歩遅れを取った瞬間だった。
それから、敗れた名人達は魔法という概念に負けないように修練を積んだ。
いつしか刀は魔法にも打ち勝てるようになった。そして、その技は様々である。
蒼が継承している甲斐流は、他の流派とは異なった魔法の切断方法をする。
大抵が魔力の反転。魔法の抵抗を使用するのに対して、甲斐流は魔法という概念を一切使用しない。魔力を関せず、鉄そのものを斬る技術。
付与している魔法と、付与された物質を、別として切断する技。
だが、その習得難度は異常なほどに高い。一生かかって覚えられない門下生もいたほどだ。
だが、蒼はそれを習得した。
その甲斐あってか、ヤツがルシアを掴んでいる黒い装甲を叩ききってみせる。
レイピアの刃が通らなかったのは、単純な性能の差か、高度な物質強化か、刺突属性無効化などの魔法付与がされていたためだろう。だが、この技は、それを完全に無視する。
「はあッ!!」
蒼はブーツの後ろにつけられたプレートに【物理強化】の付与魔法を施すと、思いっきり回し蹴りを繰り出す。腹部に蒼の蹴りが的中し、かなりの重装甲のアイツをふっとばす。
黒い腕につかまれ、血が止まりかけになった真っ赤な顔をしたルシアを抱きかかえる。
薄目を開いて、小さく唇を痙攣させながら、冷たい体温を伝える彼女。その体には、力がまったく入っておらず、彼女の細い体の体重が蒼の両腕によって支えられる。
彼女が今まで、蒼のために時間稼ぎをしてくれていたと思うと、心から罪悪感が込み上げる。
「ごめん……」
つい謝ってしまう蒼だったが、蒼の頬に白い手が触れられる。
「謝らないで……ください……。間違ったのは……私で……す」
ルシアの開かれた片目からは涙が零れ、触れる手は今にも凍ってしまいそうなほどに冷たく震えていた。そんな彼女を蒼はそっと下ろす。
そして、プレートがつけられたジャケットを脱ぐと、ルシアにそっとかけてあげる。こんな彼女を放ってはおけないし、すぐ傍にいてやりたいが蒼には敵がいる。
自分の失った左手を見て、間抜けに首をかしげている敵がいる。
「蒼さん……」
背後から小さく声が聞こえた。
「最後に聞いていいですか?」
「最後なんて言わず言わないでください。なんですか?」
泣きそうになっている彼女に視線を向けていることが出来ずに、蒼は視線を敵へと向けた。
「どうして……助けに……来てくれたんですか? アイツはとても強い。もしかしたら……帰れなくなるかもしれない。もしかしたら……あなたは死んでしまうかもしれない。なのに……どうして?」
そんなこと、決まっているじゃないか。
「助けてって、聞こえたから」
師の教えもある。だが、助けてと請う人を見殺しになんて出来ない。ましてや、それを見た上で、助けもせずに今後も生きていられるほど、その罪悪感を背負ったまま生きていけるほど、自分は強くないから。そんな自分になりたくないから。
あの時、蒼へ向けられた表情は絶対に忘れられないほど、蒼を見ていた。あんな表情を見せ付けられて、黙っていられるわけがない。
蒼の返答を聞いたルシアが、地面に血ではなく、涙を垂らしながら静かに嗚咽を漏らして泣いていた。
だが、蒼の戦いはここからなのだ。
敵は、こちらを見ながら新しい敵だと認識したのだろう。失った左手ではなく、こちらを見ていた。
「絶対、生きて帰ってくるから」
千鶴にもそう約束したのだ。
背後でジャケットを握りながら、頭を地面に伏せているルシアを最後に一瞥する。
約束をした人が二人。これで、蒼が死んだら、この二人に怒られるのだ。
そんなことを考えながら、蒼は師匠と過ごした時間全てを費やして覚えた技を唱える。
師匠がこの技を教えるために言ったのは「飲まず食わずで、魔法を体内で循環させろ」と言う事だった。
詳しく言えば、食事が出来るのは二ヶ月に一度。水も飲まなず、口から摂取するものはほとんどがない環境に身をおく。いつだって空腹だった。何回も意識がぶっ飛んだ。腹は常に鳴っていた。視界は真っ白だった。手は枝のように細くなっており、筋肉なんてほとんどゼロに近かった。
空腹により、蒼は死と隣り合わせにいた。
そんな状況で蒼は二年間過ごした。
苦痛でなかったといえば嘘ではない。食料を求めて、師匠に刃物を向けたことだってあった。耐え切れずに、木の根を啜ったり、その辺の野草を食っては、下痢になって体の貴重な水分を捨てる結果となったりした。
それでも、二年間の空腹に身をおいて修行により、蒼はこの技を習得するスタートラインに立つことが可能となった。
自身の体の臓器が、自身の魔力とが反発しなくなっていた。
体外から摂取できる栄養が枯渇し、死活問題に直面した蒼の体は本能的に体内の魔力を消費して、栄養を生み出そうとしたようだ。だが、魔力から栄養を生成することは叶わず、蒼の魔力は血中に溶かし、体内を循環する結果に終わるだけだった。
そのおかげで、蒼の臓器や細胞は通常の人間と異なったものとなっている。
その状態に至ることこそが、空腹の状態で常に魔力を循環させていた目的だった。
そして、次の段階は体内の魔力を故意に血中に溶かし、臓器へ吸収させ、身体組織へ反映させることだった。
これは激痛を伴った。
血中に魔力を溶かした瞬間、魔力に触れた体とはいえ、高圧の魔力には完全に耐え切ることが出来ず、腕の血管が膨張し破裂。腕に巨大な血の塊が出来たこともあった。一歩間違えれば、心臓が破裂したり、脳が死ぬ恐れもあった。
最初は魔力量を抑え、徐々に体内に巡らせる魔力を高める。そして、いつしか体内の魔力をフルパワーで循環させられように。魔力量を高めれば高めるほど、激痛が及んだ。だが、それはいつしかしなくなっていた。
蒼の体が、高圧の魔力に耐え切れるようになったのだ。
そして、魔力に慣れた体は人を超える。
◆◇◇ ◇◇◆
かつて、桃太郎という英雄がいた。
彼には教育というものを知らなかった。それゆえか、天性からか極々に馬鹿であった。
そんな少年時代の桃太郎はある言葉を聞いた。『鬼の体内には、血ではなく魔力が流れている』と。
その言葉を信じた、桃太郎は血と魔力を混ぜ合わせた。
そして、鬼になろうとした。
◆◇◇ ◇◇◆
「桃太郎流、羅刹」
甲斐流とは別の、人が扱うべきではない技の数々。
それが、蒼が師匠から教わった剣術の流派の名前だった。




