288話目 脳喰らいの蛆
「千鶴様」
「えぇ……」
千鶴は突如として神樹ザーディレインが揺れた事に対して、驚愕の表情を浮かべながらも、どこか落ち付いた様子を見せる。
隣で千鶴に声をかけてくるバールに対して、冷静に返事をして見せる。
「邪神教の襲来は予想の範疇だから。来るとは思っていたけど、本当に来ると思うとちょっと気後れしちゃうね」
「どうされますか?」
「そうね……」
蒼達が修行に行っている一年間、千鶴はヴェルと共に邪神教の情報を集めていた。そして、食糧庫マイニルゲン襲撃を受けて、千鶴の頭の中では邪神復活がほぼ間近ではないかという推測が立っていた。その中で、復活という言葉に引っかかりそうなアイテムの一つとして、サスティエナに存在する黄金の林檎の存在はまさに該当する。
その果実を灰に変えて、土地に撒けば、その土地は他の追随を許さない豊作をもたらすというのだ。それだけの繁栄の効果を蓄えた果実が、該当しないとは考えていない。
「サスティエナの堅牢さは異常とも言えるし。あまり口を出さず、この後指示があるでしょうから、それに従う方が良いと思う。あくまで、私達はこの国の関係者とは違うし」
「畏まりました」
冷静な態度をしているが、握られた拳が震えているのを見て、バールはあえてくつろぐ様子でワイングラスを手に持ち、一口飲む。
「ベリアル、どうかなさいましたか?」
バールがふと気になったかのように、ベリアルに話を振る。
ベリアルは、どこか神妙な様子で顎に手を当てて考えているようだった。
「いえ、少し昔の事を思い出していただけよ……」
「昔?」
「ソロモン七十二柱は、かつてサスティエナを襲撃したことがあるわ。その時に召喚されたのは、私、サブノック、バルバトスの三人。この周囲は森ばかりだから、騎馬での戦いが厳しいからこの三人が厳選されたわけなのだけど……。この国の魔法障壁結界は異常なの」
千鶴が疑問の視線を向けるのに対して、ベリアルはあえて千鶴にも分かりやすいように説明をする。
「まず一つに、強度がおかしいわ。障壁の強度は恐らく世界で一番堅いわ。これは私の経験で言えば、アレフレドを上回る。私の全力の魔法でも壊せないし、お嬢様の魔法でもおそらく不可能ね。二つ目に、障壁に干渉することができないっていうのが厄介だわ。魔術術式への干渉が一切不可能。一応、私も術式を破壊しようと思って、色々と考えては見たけれど、不可能だったわ」
「ソロモン最強の魔術師の名が泣くな」
「うるさいわねバール」
「でも、ベリアルはさっきから何を気にしているの?」
「私はこの国の魔法障壁結界の強度については、おそらく破られないという自信があるわ。さすがの邪神教であっても、破れない。絶対に。例え他の誰であろうと、この障壁を破る事は不可能に近いわ。でも、襲撃してきた」
「つまり?」
「どこに勝算があるのだろうかと……疑問にならざるを得ません。外部からの阻害行為の一切が不可能であろうというのに、どう突破するのだろうかと……」
「それって」
千鶴はベリアルの話を聞いて、どこか一抹の不安が過る。
ベリアルが言うには、魔法障壁結界は外部からの干渉が一切できないと断言している。ソロモンの中で魔術において彼女程詳しい人間はいない。おそらく、今の世を見渡しても、彼女と魔術に対して肩を並べられる人間は五本指にも満たないだろう。
そんな彼女が言い切ったのだ。
外部からできなければどこから干渉するのか?
「もしかして……サスティエナ内部に敵が紛れ込んでいる?」
「その可能性もございます」
「でも不思議じゃない? 結界を壊すくらいなら内部に全員を侵入させて、内部から攻撃すれば済む話じゃないの?」
「それも良い案かもしれませんが、相手としては実行は不可能でしょう。サスティエナに存在する二つのアイテム。パンドラの箱に限っては、結界外部への持ち出しが不可能となっています。結界外部に運ばれた瞬間に、即座に爆破される仕組みとなっています」
「なるほど……なかなかにややこしいわね」
千鶴は少し頭を整理する。
外部からの襲撃が現在来ており、おそらくだがもうすぐ結界が破壊される恐れがあるだろう。
パンドラの箱を奪取する最低条件として、外部の結界の破壊が優先される。結界が破壊されれば、外部にいる敵も流れ込んでくる。
つまり、今千鶴達がやるべきなのは。
「バール。ベリアル。市民の避難を促しながら、内部にいる敵を叩くわよ」
「御意」
「ご命令とあらば――――っ!?」
そう言うと、三人は立ち上がった瞬間、部屋が大きく揺れ、魔石灯が消えてしまう。
「まさか……ッ!?」
「ベリアル?」
「恐らくですが、サスティエナに魔力を流す装置が破壊されたのでしょう。そうなると……大盤上闘技場にいる蒼様達は拘束されてしまう……戦力が……」
ベリアルの脳内で、最悪の事態が過っていく。
魔力というエネルギーが全てを管理するサスティエナにおいて、その供給が止まったら何が起きるか。すべての魔力によって動く装置の停止。では、それが何を引き起こすのかと言えば、防衛装置、魔法障壁結界の消失、加えて大盤上闘技場の戦力が無くなってしまう事である。
「戦えるのは……」
「ヨルゲン様。それに、ヘカベ様がアレフレドから入国されていると聞きます。あと、私達だけでしょう。サスティエナは個人の戦闘力に秀でた存在はあまり多くはいません」
そうなると、やはり取る手立ては一つしかない。
「もたもたしていられない。装置の事は専門外だから、私達はやっぱり内部に潜む敵を叩くよ」
改めて、千鶴が声を張って指示を飛ばすと、避難誘導をしに来たであろう職員とすれ違いになりながら、三人で部屋を飛び出す。
◆◇◇ ◇◇◆
「王よ……この状況をどう見る?」
「間違っていなければだけど、敵襲かな」
先ほどまでの天候とは打って変わって、まるで太陽という光源が、その光が極度に弱くなったかのように、世界は暗く染め上がっていた。夜とは違う、照明の焚かれていない劇のような、そんな人工的な暗さがそこにはあった。
そんな中、蒼とヴェル、そしてサブノックは大人しく状況判断に勤めていた。
「わっちの予想ではありんすが、ここからの排出がない所を見ると、サスティエナの魔力を司る装置が壊されたとみるのが妥当でありんすな」
「出れないって事か?」
「正直なんとも言えやせん。これに関しちゃ、わっちの管轄外でありんす」
今、蒼達が出来る事は非常に少ない。
大盤上闘技場に閉じ込められてしまった以上、外部からの排出を待つ他ないが、それでもただ待っていろと言うのも酷な話である。
「ヴェル。例えばの話だが、この空間全てを切り裂いたら、外に出られたりするのかな?」
「この空間は概念でありんす。概念を切り裂くというのが可能であれば、可能かもしれやせん」
「それでしたら、一つ提案いたします」
「ほぅ。サブノック申してみよ」
先ほどの戦闘体勢とは打って変わって、地面に膝をつきサブノックが提案する。
「私のスキル『侵食者』の効果を使用し、この空間に内在する魔術術式を書き換えます。そして、外界との狭間を作りだしますので、蒼様がそれを断ち切ってくだされば、ここから出られるかもしれません。……ですが、魔術術式を物理で断つという、それこそ物理的に不可能な事にはなります」
この空間は、少なくとも魔術で構築されているものだ。その魔術で作り出された架空の空間を、物理の刀を振って切り裂き、外界に行くための扉をこじ開けるというのだ。
「あぁ。やってみるよ」
「王よ、それは嘘ではありんせんよね?」
「出来るか分からない。でも、やる価値はあるだろう? おそらく外からの干渉は待っていられない」
ヴェルは、蒼がどこか自信ありげに言って見せるが、それでも疑いの心が晴れない。
魔術を扱うものとして、魔術術式を断ち切るなど、不可能という認識であるから。
「サブノック。もしそれが可能だとして、他のみんなはどうなる?」
「恐らく、他の皆さまは今、昏睡状態でどこかに格納されているのでしょう。私達が外界との穴をこじ開ければ、水風船に穴を開けるように排出されると思われます」
「無事に全員でここから出られるって事だな」
「そう考えて、間違いはないかと」
「分かった。頼めるか?」
「もちろんでございます」
サブノックは、獅子の冑の奥で誇りに満ち溢れた表情を浮かべ、即答。
蒼白のマントをはためかせながら立ち上がると、腰から剣を引き抜く。純白の刀身が、暗闇に鈍く光ると、呼吸を整えるために一つ大きく息を吐く。
失敗は許されない。
大盤上闘技場に施された術式は複雑怪奇を極めるだろう。全体を見渡した時、巨塔が緑色の理由が全て蔦であるかのような、一本一本の蔦さえ認識できないような、乱れ絡まったかのような術式が組まれている事だろう。
それを読み解き、紐解き、書き換え、結びなおす。
サブノックが初めて蒼という存在から頼まれた内容が難しすぎる。
書き換えであれば、ベリアルに任せたいが、この遮断された状態でベリアルを召喚する事は不可能。サブノックが行うしかない。
だからこそ心が湧き踊る。
頼られていると、自分しか行う事が出来ないという、気持ちの独占。蒼と、ヴェルの信頼が背中に乗る。それだけではない、敵の襲撃という状況か、いち早くこの空間に内在するレシア、ギラファ、エルフィーナと言った燃果の羽翼だけではない、その他の冒険者と言った戦力を放出する事。それが一秒遅れるたびに、市民の命が一つ奪われるような切迫した状況。
緊張。背中に嫌な汗が流れるが、不思議な高揚感。
「少しばかりお時間を頂きます」
そう言うと、手に持つ剣を地面に向けて突き刺す。
自分しかいない。やるしかない。
「我がものとせよ。仮初の主に別れを。仮初の肉体に別れを。汝の意思は潰えた。脳を喰らい、肺を満たし、新たな一歩を踏み出そう。汝の意思なく、我が。そう、この我が。【脳喰らいの蛆】」
地面が、不思議とボコボコと血管が肌から浮き上がるかのように地面に線を引いていく。
「今から、支配権を奪いますッ!!」
サブノックはそう言うと、目を閉じて意識を全て解析に集中させる。




