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桃太郎の弟子は英雄を目指すようです  作者: 藻塩 綾香
第1章 桃の花が咲く頃に
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25話目 罷る時間

 体から鮮血が流れ出しているのが自分でも分かった。地面にうな垂れている腕がその生暖かな血の温度を伝えてくる。それとは逆に体内の温度は逃げていっているようで、足先、指先と体の先端から死体へと変るように冷えていく。


 どこかに大きな損傷でも負ってしまったのだろうか。自分で確認しようとしても、右腕が正常な位置とは真逆に折れ曲がり、左腕は神経が切れたのか、はたまた存在しないのかピクリとさえ動かない。両足も、先ほどまでは激痛が走っていたというのに、今は付いているのかさえ不思議に思ってしまうほど感覚が途切れてしまっている。


「あぁ……がっ……」


 吐息と共に口から血が漏れる。激痛が脳の許容を超えてしまったからか、今はむしろ冷たさだけが体を支配していくのが感じられた。


 意思もなく開かれたまぶたのおかげで、眼球は目の前の状況を脳へと伝える。

 悲惨だった。惨劇だった。地獄だった。

 旋風により持ち上げられた範囲の箇所には何も残っていなかった。その半径は二十メートルほどにも及ぶかもしれない。持ち上げられた家屋は凶器と化し、巻き込まれた冒険者の命を奪った。逆に、冒険者の四肢が冒険者の四肢を奪うこともあっただろう。


 周囲には誰の血かもわからない液体が付着しており、誰かも分からない腕が落ちており、近くには内臓がぶちまけられていた。

 自分は幸運だっただろうか。四肢がある。まだ意識もある。だが、流れ出す血の量からして、多分死んでしまうことが確実だという事実を。


 千鶴は無事だろうか。


 そんな考えが思い浮かび、首を動かそうにも頭と首には稼動部が無いかのようにぴくりとして動かない。定点カメラのように、ただ視界の中央に異様な黒い甲冑を捉えているだけだ。


 村人は無事だろうか。


 巻き込まれた冒険者は何人も見た。生前笑っていたであろう顔を、荷運びを手伝ってくれた腕を、共に地をかけた脚を、ただの肉塊へと変化させていったのは見えている。地に転がる木片が刺さった肉塊がその証拠である。


 自分は、先ほどの時間稼ぎで誰かを守れたのだろうか。


 時間にして何秒耐え切れただろうか。一分は稼げただろうか。流れ出すアドレナリンが自分の体内の感覚を敏感にさせていたから長く感じられただけかもしれない。だが、終わってしまった今となっては一秒にも感じられるほどに感じる。


 視界にレイピアを持つ女性が大斧に向かい飛び込んでいった。


 銀色の幾筋にもわたる連撃を繰り返す。思考の途絶えた頭では、そのスピードを目に捉えることが出来ず、同時に針が黒い甲冑を襲うように見えた。

 だが、一瞬黒色がぼやけたかと思うと、レイピアの女性が思いっきり横殴りにされ視界から消える。


 再度視界に戻ってきたときには、左腕のプレートが剥がれているようで、白い肌が露出していた。そして、強く握りしめているレイピアが再び大斧に向けられる。微かに聞こえる雄たけび。

 そして再び黒い甲冑がぼやけたかと思うと、レイピアの女性は視界から退場する。


 その光景はまるで喜劇、蒼自身が観客で、レイピアの女性と黒い甲冑が主演の喜劇であるかのようだった。人形のような女性が袖幕の横から登場し、中央の敵へと攻撃を仕掛ける。だが、それが瞬間的に終わってしまい、人形は風に吹かれたように袖幕の中へと引き戻される。

 再びレイピアの女性が袖幕から現れたかと思うと、すぐに甲冑に追い出されてしまい、袖幕へと引き下がる。


 それは昔に見た侍の活劇の一場面に似ていた。


 その侍は、自分では敵わない存在へと立ち向かう。だが、その力量の差は歴然であり、敵の刀を抜かせるどころか、敵は笑って刀の柄でそのすべての攻撃を迎撃してみせ、爪弾きするように侍を吹き飛ばすのだ。

 一撃を加えることも出来ない侍だったが、諦めるということをしなかった。


 何度も斬り付けた。何度も攻撃を仕掛けた。だが、敵はそれを「滑稽だ、滑稽だ」と笑いながら全て爪弾きするのだった。侍が袖幕から敵を斬りつけにかかるが、それを敵が弾き、侍は袖幕に引き戻される。だが、侍はそれでも諦めるということはしなかった。


 その攻防は、三年も続いたという。侍は倒れることなく、三年という期間もその敵を切り続けたという。敵は、三年間その侍を嘲笑することは叶わなかった。


 侍は三年という期間、休むことなくただ無心に敵を切り続けたうちに、敵の弱点を見つけたという。そして、最後は打ち倒したという。

 言葉では簡単だろう。だが、三年間も生死を彷徨うような戦いを繰り広げ、集中力を切らすことなく刀を握った侍は人間離れしている。


 これを嘘だという人間もいる。喜劇へと見せるために、話を盛ったのだという人間もいる。だが、その光景を蒼は嘘だとは思わなかった。それは単純に、昔の自分は憧れていたから否定したくなかったという思いがある。


 そして、その喜劇は目の前に広がっていた。


 一枚、一枚と装備が剥がれていき、純白の肌が露になったかと思うと、知らぬ間にその肌が紫色へと打撲なのか内出血なのか分からない損傷を受けている。鈍ることの無いその剣の煌きだが、先端から徐々に切れ味の落ちていくレイピアに加えて、煌きさえも失っていく。女性が最初飛び込んできたときの速さと、今の速さを比べれば一目瞭然だといわんばかりに落ちている。


 だが、変らないものがあった。

 女性の表情だ。


 最初から気の篭った表情は、何度視界の端から現れても変わることは無かった。苦痛で顔をしかめる事さえなかった。その表情、視線は、ただ一点、黒い甲冑へと注がれていた。


 その姿を喜劇だと、この光景を喜劇だといった。

 どこか喜劇だろうか。笑えない。この努力のどこが笑えるだろう。喜劇として表現されるのは、勝てないものに、何度も無謀にも立ち向かう様。逃げれば生きられるかもしれないという思考があるから。


 だが、この状況でそんなことが可能だろうか。

 彼女は上級冒険者の一人だったはずだ。そんな彼女が、まだ生きているかもしれない村人達を逃すために、懸命に立ち向かっている。その光景を見て、自分はどう思っただろうか。


 力の無い頃の蒼は、その光景に憧れを抱いた。

 今の蒼は、助けなければと感じた。


「がはっ……」


 喉に溜まった血を吐き出す。肺へと空気を送り込む。そして、少ない血液が体に酸素を循環させていく。それと同時に、脳が温まっていくような感覚。意識の糸を紡ぎ、太い意識の糸へと形を成す。


 徐々に体に意識が取り戻されていく。それと同時に、再び体を襲ってくる激痛。


「がっ、ああああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


 叫び声と同時に、体全体に力が込められ折れた四肢の筋肉が悲鳴を上げる。骨は無事には繋がっていないだろう。動かない体をどう酷使して、彼女を救い出すというのか。

 足りない血液が体中を駆け巡り、脳を暖めて、思考の速度を上げていく。考える。考える。


 自分は今何が出来る。

 四肢は骨が折れ、筋肉が断裂している可能性だってある。その証拠にピクリとも動くことが無い。頭はしっかりと動いている。激痛が再び戻ってきたことで、その痛みが目覚ましとなっているためか、意識ははっきりとしている。

 

 この死体一歩手前の状態で何が出来るだろうか。

 もし、体を動かすことが出来れば、何かが変るだろうか。

 もし、手を動かすことが出来れば、何かが変るだろうか。

 もし、脚を動かすことが出来れば、何かが変るだろうか。


 もし……。


「彼方を、死なせたりしません」


 視界に黒い影が映ったかと思うと、唇に何かが触れた感触がした。

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