231話目 幾多の死
何度死んだら気が済むのだろう。
自分でも呆れかえってしまう程に、負けた。そして、冒険者にとって負けとは死を意味する。
蒼の体はもはや幾度とない死を体験し、その痛みすら痛みだと感じない程に、死を体験した。
死ねども死ねども、敵は変わらない。そして、死ねども死ねども、敵に勝てない。
加えて、敵に無慈悲に殺されている仲間。
ジストバーンに殺されるのは千鶴、ユリウス、レナ。
氷龍エクスキュースに殺されるのはレシア。
その先。
暴虐との獅子に翻弄され、敗北を期し、ワイズに弄ばれるヴェル、フルヴィオの怨みによって殺されるギラファ。
その先。
ギリガンに連れ去られ、殺され、凌辱をされるエルフィーナ。
どれだけ仲間が死んだだろう。
何度違う世界線で仲間の死、自分の死を経験して来ただろう。
「涙は……枯れたよ……」
数百回の死の後、涙は出なくなった。
「村雨も、擦り切れる程撫でた……」
自分の冷静さを保つために、何度も村雨に縋るようにして、ルーティーンを繰り返した。
「師匠、言ってたもんな。時間が欲しいって。若さが欲しいって」
桃太郎は常日頃に言っていた。
若さとは力であると。老いた体を悔やむように、時間の流れを悔やんでいた。
「そういう事だよな……師匠」
蒼は己の刀を強く握りしめる。
覚悟を決めた。
負ける覚悟を決めた。
自分は勝てない。この空間で二度と勝てない。負けだ。敗北だ。
だからこそ、逆手に取る。
「師匠は……諦めないもんな。それに、みんな……諦めないもんな……」
仲間はどのような死を遂げようと、諦めなかった。だからこそ蒼の悲しみを誘う。必死に足掻こうとする姿を蒼に見せる。だが、すべてが無に帰し死を遂げる。
だからこそ、その死を見て悲しむ。と同時に、蒼は仲間に恥じない戦いをしなければならない。諦めない仲間のために、自分も諦めてはならない。
それが燃果の羽翼の団長である蒼の務め。
「足掻くよ。俺は……」
その想いが確立されたのは、蒼が死を経験してから一万回を超えたあたり。
時間で言えば、現実の時間で、蒼がギリガンに【永久の悪夢】を掛けられてから二週間。
死という恐怖は克服できない。
だが、死しても生き返るという状況は、蒼にとっては好機と見えた。
「できないことが……できる……」
己の弱さを克服する場。
技の完成度を高める場。
できないことができる。死を以てして、昇華させる。
「後悔しろよ……師匠」
この状況に叩き落とした師匠という存在に、火を灯す。
師匠という高みを経験して、一層燃え上がる。
この心さえ折れてしまいそうな環境で、蒼は立ち上がる。仲間の死を超え、己の死を超え、立ち上がる。体を真っ二つにされる痛みを味わい、牙に胸を貫かれる痛みを味わい、暴虐の獅子に喰われ、悪夢にたぶらかされ、師匠に敗北する。
だが、これは現実ではない。そう脳が認識した瞬間に、蒼の胸には闘争心が宿らないわけがなかった。
「次は……勝つからな……」
蒼は村雨をゆっくりと抜刀する。
これに到達するまでの時間は、二週間。
起きるまで、足掻く。
◆◇◇ ◇◇◆
レシア達は、ヨルゲンとホロによって動けるまでに回復をしてもらう。
その後、転移結晶によってレイサンへと帰還するのだった。
およそ一年という期間、禁忌と呼ばれる海底都市アトランティスを攻略し、期間する際それぞれが何を思ったのかは話さなかった。
とても辛く、厳しい戦いだったのは言わずもがな。
最初の難関は何といってもオピーオーンだろう。
肉体的に圧倒的有利を誇っていた燃果の羽翼の面々において、目にも止まらぬ速さというものを初めて体験した戦いだった。
エルフィーナにおいては強く印象に残っているだろう。
己の精神の脆弱さによって仲間を危険に陥れた。だが、その経験が己の精神を高め、強く跳ね上げた。仲間という存在をさらに強くすることで、女神戦においての最後の盾として動けた。
燃果の羽翼の仲間、全員が何かを感じた。
終わって思う成長。終わって思う己の不甲斐なさ。
「……」
レシア達の視界を覆い尽くす白い光が消えると同時に、迷宮で飽きという感情さえ湧かなくなるほどに見た石の壁ではない、目が焼けるのではないかと思うほどの群青の空が広がり、白い雲が空に浮かぶ。
空。そんなありふれた物を見るのもレシア達からすれば一年ぶり。
空の下に広がるのは、賑やかな城下町。
魚を売る店主の明るい掛け声、宝石をかわいい娘に売る女店主。どこか懐かしく感じてしまう、賑やかさに息が漏れる。
背後には一年前に振り返ってみた巨大な城がある。
海底都市アトランティスに向かうと覚悟して、振り返った時と城の姿形は何一つとして変わっていない。
「帰ってきた……」
「本当に、帰ってきたんですね……。レシア様……」
「えぇ……」
ありきたりだが、長かったという言葉が心を支配する。
「みんなぁぁぁぁあああああっ!!」
レシア達が視線を向けると、全力でこちらに向かってくる女性が一人。
「生きててよかったっ!! もう、帰ってこないんじゃないかって不安で不安でっ!! 蒼も起きないし、みんなも居なくなっちゃったら私……私もうっ!!」
泣きべそを掻きながら、鼻水が垂れる事を厭わずに、レシアに抱き着く。
「千鶴……落ち着いて……」
レシアが千鶴の肩を優しく抱き抱える。
千鶴はそんなレシアの顔をまた見たくなったのか、顔を上げると、レシアの肩と千鶴の鼻とに橋がかけられる。
一年ぶりの千鶴の姿を見て、一層安堵するレシアだったが、まだ胸を撫でおろすのは早い。
「千鶴……蒼は?」
「蒼は……」
千鶴の涙が引くのと同時に、別の人物がレシアに話しかける。
「王なら大丈夫でありんす。さっき、確認して来やした」
「ヴェルっ!!」
「何を驚いていんすか。悪魔は死にやせん」
そういって歩いてくるのは、女神戦で現世に留まる事の出来ない程の負傷を負ったヴェルであった。
「わっちが自由に出入りできる門を作り出せるのは、王の近くだけでありんす。魔力回復に専念して、さっき王の元で目覚めやした」
「ヴェル……蒼は?」
「生きていやす。でも、生きているだけでありんす」
「……」
思わぬ報告に黙り込んでしまうレシア。
だが、そんな肩を叩く存在がいた。
「生きていればよいのです。あなたは、そのために戦ってきたのではないのですか? そのための玉手箱です」
「……ホロ」
「そうだぞ、燃果の羽翼のみんなが頑張ってきた成果がようやく実るんだ。行って、笑顔で蒼君の目覚めさせてあげな」
「……ヨルゲン」
燃果の羽翼のために、わざわざ禁忌とまで言われる迷宮に足を運んでもらった英雄と伝説。
その二人の功績は言わずもがな。二人の存在が居なければ、今レシア達は居ないだろう。
女神に勝てたとしても、暴走状態のレシアと止めることができず、全滅していた可能性もある。それだけに、二人の存在というのは非常に大きい。
「ありがとう」
「良いってことよ。同郷の仲だ」
「ヨルゲンさん。ホロさん。この度は、本当にありがとうございました」
「千鶴ちゃんまで、良いってことよ」
「そうですよ。今は、ギルドマスターとしての硬い挨拶よりも、することがあるでしょう」
ヨルゲンとホロは笑顔を見せた。
「戦いは終わったのです。最後に、この結果を結実させてください」
「うん」
「俺たちは、アトランティス攻略祝いに酒でも飲んでくるわ。うまい魚もいるしな」
「そうですね。私達は祝杯と致しましょう」
「二人とも……ありがとう」
「えぇ。それでは、またアレフレドで会いましょう」
「またな」
そういうと、ホロとヨルゲンは城とは反対側へと歩いていく。
レシア達が竜宮城まで到達するのに一年という時間を要したのに対して、ホロとヨルゲンの部隊は半年で踏破して見せた。少しでも遅れていたら、燃果の羽翼は全滅。
その存在に、感謝してもしきれないほどだ。
「遅れてすいません」
「リヴァイア……」
「皆さん、無事に戻られたのですね。よかった……」
城から現れたのは、リヴァイアと浦島の二人であった。
「うん。戻ってこれた。リヴァイア、ありがとう」
「私なんて何もしてません。レシアさんが、皆さんが頑張ったから、無事に帰還できたのですよ」
リヴァイアが平静を装って話をするが、その目の端には確かに涙が浮かんでいる。
誰もが心配をしてくれていた。誰もが、無謀だと考えていた。
できないと思う心の裏に、できて欲しいと願う気持ちがあった。
だからこそ、戻ってきて疲れた顔で笑みを浮かべるレシア達を見て、こちらも笑みが浮かばないわけがなかった。
「玉手箱はお持ちですか?」
「えぇ。ここに」
ギラファが持つのは玉手箱。
この直径十五センチ程の箱のために、一年という長き時間を費やした。禁忌という迷宮に潜りながら、誰一人として欠けることなく、全員で帰還できたことが奇跡に感じる。それだけ、厳しい冒険だった。
「それでは、向かいましょう」
リヴァイアが歩き始めるのに対し、レシア達が後を追う。一番後ろに浦島が付く。
「皆さんが、玉手箱についてどのような認識なのかは分かりません。ですが、皆さんには玉手箱について、正しい知識を持っていただきたいと思います」
先頭を歩きながらリヴァイアが話す。
「どういうこと?」
「玉手箱とは元来、時を戻すという、世の理を覆すような魔法道具です。その言葉は何一つ間違っていません」
リヴァイアはレシア達の方を見ることなく、まっすぐ前を見ながら、話を進める。
「ですが、その効力はさほど強くはありません。世界の時を戻し、無に帰す。死んだ人間を生き返らせる。逆に、時を加速させる。そんな、すべてに時間の操作ができる訳ではありません」
「蒼は、助からないって言いたいの?」
「そうではありません。……説明が難しいのですが、皆さまが思っている程、玉手箱には時を操作する力はありません」
「……リヴァイア、勿体ぶらないで教えてほしい。何が言いたいの?」
リヴァイアは後ろを振り返り、レシアの目を見る。
先頭を歩く、レシアの目には複雑な感情が渦巻いていた。もしかすると、リヴァイアの一言がレシアの目に涙を浮かべる結果にもなりえるのだと思うと、リヴァイアの心が痛む。だが、レシアの目には確かな覚悟が見えた。それだけは見逃す事はなかった。
他の仲間の顔を見ても、レシアと同じく動揺の感情はあれど、覚悟は揺らぐことはなかった。
「玉手箱を使用する事で、蒼さんにかけられた呪詛を打ち払う事が出来ます。具体的に言えば、呪詛に掛る前の蒼さんに戻す事が出来ます。しかし、それは呪詛のみに対して玉手箱を使用します。
つまり……一年という寝たきりの蒼さんの肉体、精神、悪夢で蝕まれた記憶、これらは元には戻りません。もしかすると、蒼さんは悪夢によって精神を犯され、二度と目を覚まさないかもしれません。生きたまま、ずっと寝たきりの状態という事もあり得ます」
玉手箱を使用しても、絶対蒼が帰ってくるわけではない。絶対に、蒼が目覚めるとは限らない。
「時を戻すというのは……やはり幻想の産物なのです。玉手箱とて、世の理に反すのは厳しい」
もしかすると、レシア達の一年という頑張りが無に帰すかもしれない。そう、リヴァイアは言っているのだ。
「でも、大丈夫」
「蒼様ならきっと目覚めます。あのお方が、すべてにおいて諦める訳ありません」
「そうでありんす。王が精神をやられる。失笑ものでありんす」
「蒼さんは、きっと目覚めます。私達には、なんとなくわかるんです」
妄信的。蒼という存在に対して、目覚めないわけがないと、自身の幻想を押し付けている。そうとも捉えられるかもしれない。
だが、燃果の羽翼は見てきている。
蒼という人間を。その優しさと、根底にある心の強さを。
「蒼は、英雄になるんだよ。目覚めないわけないじゃない」
千鶴はきっぱりと言い張った。
蒼という存在を一番に理解している、千鶴だからこそきっぱりと言い張った。
「……すいません。言葉が過ぎたかもしれません。えぇ。きっと蒼さんなら目覚めますね」
リヴァイアは扉に手をかける。
レシアとギラファの耳には、扉の奥から小さな寝息が聞こえている。
「さぁ、こちらです」




