214話目 寝たきりの英雄
窓の外では太陽が煌めいており、海に光源があるのではないかと思う程にブルーライトに輝いて、ほんのりと塩味の効いた風が肌を撫でる。
城下街では海の明るさに負けじと、大工達が復興の槌の音を打ち鳴らし、復興された市場では市民のいつもの生活が取り戻されつつある。
レシアが海底神殿アトランティスへ旅立って約二ヶ月が経過した。
街の復興は順調に進んでおり、六割の機能が回復している。港を真っ先に修理し、船の往来が可能となった事で、他国からの物資や人員といった支援が受けられている。
レイサンと言う小さな島において、こういった数の支援はありがたい。
建材となる木材や石材はレイサンでは量が採れず、海がある事による漁師が多い土地柄で、大工の人員も決して多くはない。街に滞在していた冒険者達も、一時帰国をしたりで、復興に対する人員が不足していた。
そこで、リヴァイアは他国に対して復興のための人員派遣を願い出たのだ。
近隣諸国には、貿易で海産物の恩恵を受けている近隣諸国、浦島太郎という名を使い虎の威を借りている国等、様々な国からその恩恵に報いるために支援が届いた。
復興は徐々に進んでいく。
その中で、千鶴は太陽が温かく差し込み、海風の当たる窓の外を眺めて話しかける。
「ねぇ蒼、今日はすごく天気がいいよ。こういう日はやっぱり外に出かけて、のんびりベリアル達と紅茶飲むのが良いよね」
返事はない。
ベッドに寝る蒼はただ静かに目を閉じて眠るばかりだ。まるで死んでいるのではないかと錯覚するほどに浅い呼吸で、肺があるはずの胸が上下に動くのが捉えられないほど。
その体は、過去の蒼とは見間違える程に細い。寝たきり状態による筋肉の減少、食事は口から流し込む形の流動食。そんな生活を送っている蒼は、過去の温もりが損失した、骸骨のようだった。
蒼が夢に落ちてから最初の二週間は、ただ獣のように暴れた。地下の牢獄でただひたすらに暴れ、鎖が体に食い込もうとも構わず、口が裂けるのではないかと思うほどに叫び続け、食事を与えることができない程に暴れた。
たまにリヴァイアが沈静化の魔法を唱えるが、一時間とすればまた暴れ出してしまう。そんな自分で自分を苦しめる蒼を千鶴は見ていられなくなってしまい、一時ハルファスに投げ出してしまう事もあった。
だが、二週間が経過した時ピタリとやんだ。
最初は死んでしまったのではないかと思ったが違う。浅いながら呼吸をしていた。
それからというものの、時より体がピクリと筋肉が何かに反射するように動くことはあっても、ほとんど寝たきりになった。
暴れなくなった事で、蒼を地下に閉じ込めておく理由がなくなり、今は太陽が一番当たる南の小部屋を一部屋借りている。
「ちょっと動かすよ」
千鶴は蒼の体をゆっくりと動かし体勢を変える。
長期的に同じ体勢のまま寝ていると、ベッドと接する面の皮膚に圧力がかかり続けるために、血液の流れが悪くなる。それによって細胞の組織が破壊される。この症状を床ずれと言う。
通常は腰や尾骨部分、かかと、肘、殿部に生じ、症状が悪化すると感染症を起こし、血流に感染が広がる事もある。
千鶴は蒼の体勢を動かしながら、床ずれが起きていないか調べる。
これを二時間に一度。こまめに行う時は一時間に一度。それを寝たきりになってからずっと繰り返している。
ただ体勢を動かすだけではない。
寝たきりの状態では、筋肉をほとんど使用しない。そのため、関節を構成する筋肉や靱帯と腱と言った部位が硬くなる。筋肉は永久的に短縮し、関節は曲がったまま永久に伸ばせなくなる。
たとえ、レシア達が無事に戻ってきて、時を戻し、元の状態に回復するとは言え、千鶴が寝たきりの蒼を放っておくことなどできなかった。
だからこそ、蒼の体勢を動かすときに、腕、脚、指先に至るまで、関節が固まらないように動かす。また、蒼が冒険者として活躍できるように。
そんな介護生活を千鶴は続けている。
だが、到底千鶴一人でできる訳もなく、ハルファスの協力もあり、ローテーションを組みながら行っている。昼間は極力千鶴が行い、夜の間はハルファスの軍門に下る悪魔にも手伝ってもらっている。
「この前ね、レシアちゃんたちのための買い出しに行ったとき、ふと気になるお店があったの。なんか、魚の肝を磨り潰して魚醤と合わせたソース……みたいなのが売っててね。それをなんか足がいっぱいある赤い悪魔みないな食べ物と合わせて食べる料理があってね。漁師のおじさんが『これを船の上で食べると、たまらなぇんだ』ってね」
千鶴はどこかおっさん臭い漁師の声真似をしながら蒼に話しかける。
「それで食べてみたら、噛み切れないのなんのって。魚の肝の苦みと、魚醤の塩っ辛さは、たぶん漁師が好む味なんだろうけど……私からしたらやっぱり甘いスイーツだなって。また、アレフレドに戻ったら蜂蜜いっぱいのトーストが食べたいよね。溶いた卵に乳と砂糖をいっぱい入れて、パンを浸して、焼いて、そこに蜂蜜をかけたら、そりゃもうおいしいよねって」
千鶴は喉をごくりと鳴らす。
蒼達が冒険に言った後、書類仕事の合間にベリトに頼んでこっそり作ってもらう、千鶴の至福飯だ。甘さの極みのようなフレンチトーストで、ベリトが一口食べたら、甘味の暴力が口を襲う。甘味は優しさではなく、その量によっては人を苦しめるのだと、ベリトはまるで人の恐ろしさのように語っていたのを、千鶴は思い出しながら話す。
極東出身で甘味に疎かった千鶴だが、エーラに誘われ、レミにも誘われ、女子の交流の果てに、甘さの虜になってしまった千鶴が居た。
「今は、大量の蜂蜜は食べられないし、お腹に溜まっちゃうからね」
そういいながら太ってしまう事を懸念し、蜂蜜の思考を捨てる。
そんな蜂蜜の虜のような千鶴に対して声がかかる。
「千鶴様。お昼ご飯ができましたよ」
「ありがとうハルファス」
「ベリト先輩の料理に負けない味だと自負してますよっ!!」
「ほんとに。意外とハルファスは料理下手だからなぁ……」
「ベリト先輩に比べたらマシですってっ!!」
ハルファスと笑い声を交わしながら、千鶴は蒼をゆっくりとまた寝かせる。
そして、ハルファスが料理を並べてくれているテーブルまで移動する。
『早く起きないと、蒼の分のお昼ご飯ないからね』
なんて、蒼と道場で暮らしていた頃を思い出した。
春の温かな日のことだった。非番の蒼が、つい二度寝に落ちてしまった時、千鶴が蒼に話しかけた。そんな何気ない昔の一幕。
だが、今蒼にその言葉を掛けてしまったら最後。千鶴の心が持たない。
寝たきり状態という蒼を、今一度意識してしまって、脳裏にあの冒険者として活躍する蒼の姿を浮かべてしまうから。
「さっき、港を散策してたらなんとお米が手に入りましてね。ちょっと思考を凝らして、鳥と卵で丼ものを作ってみました」
ハルファスの人間の姿というのは、灰がかった桃色の髪を短く整え、ベリト同様に黒色の女性用スーツを纏った、すらりとした紳士的な女性の姿。だが、その内面はお茶面な後輩といった雰囲気。
「でも、ハルファスは鳥だから、共食いじゃない?」
「千鶴様も無粋ですね~。鳥は鳥でも、私は頂点に立つ鳥ですよ。うるさい鳥とは違いますし、食われる鳥とも格が違うのです。そう、まさに食物連鎖の王ですっ!! ……鳥の中ですが」
さりげなく燃果の羽翼のギルドを建てたマルファスや、綺麗好きなアンドレアルフスなどを貶していく。
「鳥戦争ね……」
「そうですよ。ソロモン七十二柱の中で、誰か愛される鳥かというのは重要な項目なのです」
そんなソロモンあるあるの鳥戦争の話をするハルファス。
「まぁ、早く食べないと冷めちゃうし、パパっと食べちゃおう」
「腕に海苔をかけて作りましたからおいしいですよ」
「……腕に『より』をかけたのね」
「はいっ!!」
どこかハルファスが和ませようとしてくれているのを感じ千鶴は小さく笑みを浮かべる。
きっと、こんな生活もあったのではないだろうかと。
年老いて、蒼が寝たきりのおじいちゃんになった時の生活。冒険者を続けるうえで、寝たきり老人になれる人は少ない。冒険者の墓は迷宮なのだ。運よく帰ってきても、骨だけか、装備の一端か、引き継がれた意志だけか。そんな英雄願望と、覇者への野望と、強くなり難いという切望の果てのあるのは、戦い抜いた先にある虚無の死か。
だけど、きっと蒼はそんな事は望まないだろう。
英雄、師匠である桃太郎に憧れる蒼が、そんな虚無になれるわけがない。
今の千鶴はどうだろうか。
虚無だったらどれだけよかっただろう。寝たきりの蒼を見て、隣で介護して、語り掛けて、何一つとして帰ってこない。まだ一ヶ月。まだ一ヶ月しかたっていないというのに、心にヒビが入り始め、悲しみに覆い尽くされているのは千鶴の方ではないのか。
むしろ、虚無だったらどれだけ良かった事だろうか。
そんな事をふと思いながら、千鶴はハルファスの作ってくれた親子丼に手を付ける。




