1話目 駆け出す
青空の下、さわやかな風が心地よく吹く草原。一本立つ木からは、小さな小鳥の鳴き声が聞こえてきそうなほど安らかな空間。そんな空間に、騒々しいほどの足音が響いていた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
肩で息をして、ずっと走ってきて疲れた足を止めたくなる気持ちを殺し、ただひたすらに逃げる。今、足を止めたら死んでしまうかも知れないから。いや、死ぬことが分かっているから。
後ろを振り返ると、十体のゴブリンの群れが後ろから走ってくるのが見える。
どうしてこうなったかを考えてみる。
草原でいつものように一人で魔物を倒していた。すると、大勢の足音が聞こえたので近寄ってみると、多くの冒険者がゴブリンと対峙していた。師匠の教えである『困っている人には必ず手を貸し、泣くものにはそれ以上に尽くせ』という教えを守り加勢をしたはいいが、他の冒険者となぜだか孤立してしまい、なくなく逃げ回っている。
いつもこうだ。
師匠の教えに習って人助けをすると、なぜだか自分がいつもピンチに陥っている気がして仕方が無い。むしろ、陥っている。
災難なんていくらでもある。ナンパに遭っている女性を助けたら、路地裏につれていかれてボコボコにされ、挙句の果てには数少ないお金を持っていかれた。もっと言えば、迷子になっている子供と親を探していたら、親から誘拐犯だと言われる事だってあった。
今の状況は、一体でも簡単に倒せないゴブリンが十体も群れを成して、こちらを追いかけてくるのだ。自分ひとりでは、どうしようもない状況に焦りが募っていく。
後ろを振り向くと、足の速いゴブリンがもうすぐ後ろまでに迫っていた。
「うわっ!!」
そのゴブリンが長く鋭い爪を振りかざす。それを転ぶようにして回避する。回避というよりは、転ぶに近いかもしれない。だが、何とか無傷で避けることができた。
だが、状況は一転悪くなった。
今の一瞬のうちに、ゴブリンたちに囲まれてしまう。こちらを取り囲むように円を成し、様子を伺うように視線を送り続けている。さらに、じりじりと距離を詰めてきている。
凶悪な表情に、緑色の肌を持ち、その手には服なんてものはすぐに切り裂いてしまいそうな鋭い爪が備わっている。
頭がしっかりとこの状況を理解する。詰みなのかも知れないと。
自然と顎はガクガクと振るえ、心臓はいつもよりも早く鼓動を打ち鳴らし、背中には気持ちの悪い冷たい汗が流れていく。
「こうなったら仕方が無い……」
腰から刀を引き抜く。
その名を『村雨』という。
白銀に輝く刃は雪のように白く太陽の光によってその輝きを一層強める。柄には、黒い紐で美しい装飾が施されており、その中でも鍔に彫られている桃の文様は一段と刀の存在感を高める。
この刀は師匠から受け継いだもので、師匠よりずっと昔の代から受け継いだ名刀らしいのだ。そんな刀を自分が持つだけで手が震えるが、今の震えは恐怖によるものだと自分でも自覚している。
小さく息をつくと、目の前のゴブリンを鋭い目で睨む。
「かかって来いッ!!」
自分の命が懸かっているのだ。甘く見ている隙は無いし、妥協なんて言葉を抱くことなんて許されない。この時間を必死に生き延びるのだ。そして、帰るのだ。
「うおおおおおぉぉぉぉ!!」
大きく一歩を踏み出しゴブリンに向けて刀を大きく振り下ろす。
◆◇◇ ◇◇◆
「お疲れ様でした。四百ぺリカになりますね」
そういうと、窓口の換金所の職員である女性は小さな袋に入ったお金を渡してくれる。
「ありがとうございます」
小さくお礼をしながらそれを受け取り、袋の中を見ると丁度四百ぺリカ分の貨幣は入っている。なんと軽い袋なのだろうか、そう思わざる終えないほど軽い。しかし、このお金はとても大切なお金だと分かっているだけに、質量とは違う重さを感じてとても重たく感じる。
その袋をなくさないように、腰につけてあるポーチへとしまい込む。もしこの小袋をなくしてしまったら、明日の夜ご飯は塩水になってしうかもしれない。それほどに重要なお金なのだ。絶対に落とせない。
市壁と繋がっている換金所を抜けると、夕暮れに染まった活気付く町並みが視界一杯に広がっていく。
大都市アレフルドはこの地域では大きい都市だ。遠方からの移住者も多く、住民の数は周囲の都市を圧倒するほど。それが故に産業も発展しており、魔石の輸出入に関しては世界一と言っても過言ではないほどだ。その無限に沸き続ける資源を持つアレフレドは、魔石を入手してくる冒険者とともに進展していったといっても過言ではない。
そんな大都市アレフレドといえば冒険者の集う町であり、冒険者とともに歩む町なのだ。都市の中心には、城にも似たギルド本部が建っており、その隣には今まで偉大な功績を残した冒険者を称えるための石碑がある。そこに名を刻まれた者は英雄として尊敬され、いつの世でも賛美の声があげられるのだ。
冒険者で名をはせた者は国家の主軸である王にさえ一言する権利さえ有するほどである。そんな、英雄になるため冒険者を目指すものも少なく無いという。
蒼は冒険者によって活気づく道を通っていく。酒場からは大声で叫ぶ声と笑い声が聞こえてきて、弦楽器の演奏も絶え間なく鳴り続いている。そんな音に混ざってガラスが割れる音さえしてくる始末だ。きっと、どこかの誰かがジョッキでも割ったのだろう。
そんな喧騒に飲まれつつも、家路に着く。
賑わいを見せるメインストリートから少し外れて裏路地へと入っていくと、こじんまりとした三階建ての建物が現れる。その建物内の階段を上っていく。赤錆びた階段は、歩くたびに軋む音をたてて抜けてしまうのではなかとどこか不安になってしまう。
そして、三階まで上がっていくと、なんとも古めかしい鍵が着いた重たいドアを開ける。ギィィと耳障りな音が立ちながらも、ドアはゆっくりと開いていき部屋の明かりが外へと漏れてくる。
ここが蒼の家でありギルドの拠点なのだ。
「ただいま」
言葉を吐いた瞬間にどっと疲れが溜まっているかと感じてしまうほど、急に体に倦怠感が包み込む。
「お帰りなさい。今日はずいぶん遅かったね」
「ごめん、千鶴……」
そういうと、部屋の奥からエプロンに身を包んだ女性が出てくる。
透き通るような白い肌、明るく照らされる魔石灯によって煌く黒髪をポニーテールでまとめ、整った顔立ちは美しさすら感じられる。そして、何よりも黒い瞳はとても印象的で、今にでもその瞳に吸い込まれてしまいになる。
蒼の所属する最弱ランクであるEランクギルドのギルドのマスターだ。まだ、ギルドは創設して間もないため、まだ名前は決まっていない。
「晩御飯の準備できてるから早く食べちゃおうよ」
エプロンを脱ぎながら千鶴は再び部屋の奥へと消えていく。
蒼は履いていたブーツを脱ぎ、刀や装備一式を棚へとしまうと部屋へと歩を進める。
蒼たちが所有するこの建物の三階は商業施設用の建物だが、かなり手狭になっており、三部屋あるうちの一番大きな部屋を応接間とほとんど使わない事務を行うスペースに当てており、キッチンと小さな机が置かれたリビングのような部屋、そして千鶴用の寝室がある。そのほかには一応、トイレとシャワーしかない浴室があるだけだ。
家賃は格安であり、トイレとシャワーが付いているという点がある時点で、この空間を紹介してくれた不動産屋と恩人には感謝している。
しかし、その家賃にはやはり見合っているだけにこの建物は古い。上下間では音が通り抜けるし、雨漏りがする日さえある。壁には、今は見えなくなっているだけでヒビだって入っていた程で、知らない場所にも穴でもあいているのか、たまに冷たい風が流れ込んでくる。
慣れてしまえば気にならないもので、今ではこの空間が癒しにも思えるのだ。
テーブルに着くと、そこには千鶴の手料理が広がっていた。広がっているといっても品数は少ない。いつも食卓に並ぶ古くなってしまったライ麦パンに、薄く味付けが施されたスープ、そして久々にお目にかかれる肉の入っている野菜炒め。
「久しぶりに肉を見るな……」
「今日バイトで珍しく余ったから店主が持ってもいいよって言ってくれたら、遠慮なく持って帰ってきちゃった。ただ、野菜のほうはもやしばかりだけどね」
千鶴は申し訳なささを隠すように苦笑いを浮かべる。
千鶴の言ったとおり、野菜炒めとは言ったものの、使われている食材はもやしと脂身たっぷりの豚肉だけだ。他の食材も同じようにスープには、具材は入っておらず塩とコンソメで味付けをしたものだ。パンに限っては、パン屋で一番安く売られているライ麦パンの中でも、更に最安値で売られている保存しすぎて石かと思うほど固くなってしまったもの。
節約に節約を重ねて最大限振舞える料理がこれで精一杯なのだ。今の稼ぎでは、これだけ食べられるのも珍しい。固いライ麦パンはスープに浸して食べるのが一般だが、そのスープすら出せない日だってある。
今回の稼ぎが無かったら塩水という生活もまんざらでもないのだ。下手したら、塩も高いので水になりえる可能性だって無いわけじゃない。
「今日はどうだった?」
千鶴が向かいのテーブルに腰をかける。
「散々だったし、大変だったよ。困っているパーティーを助けたら、ゴブリンが十体も釣れたから逃げるので精一杯だった。あの十体をもし倒せたら、この野菜炒めにこしょうを少しだけ欲張って振れると考えると、やっぱり俺は弱いんだなって感じるよ」
蒼はそういうと重たいため息がついつい漏れてしまう。
「蒼はそんなことないよ。自分を信じて頑張れば、きっと強くなれるって。私は毎日蒼が頑張っていること知ってるからさ」
そういうと千鶴はニコッと優しく微笑んでくれる。この笑顔にどれだけ癒されたことか。そして、どれだけ元気付けられたことか。
「ささ、早く食べないと冷めちゃうよ」
「そうだな」
蒼は固いパンをスープに浸し、かぶりつく。
やっぱりパンは固く、飲み込むまでに時間がかかってしまった。