179話目 哀哭の異端児
玉手箱が奉納された祠の周囲には木々が一切栄えず、草原のように開けている。まるで戦場となった時のために、空間を開けているかのようであった。
エルフィーナは静かに目を閉じながら意識を整える。
小さく息を吸うと、長い時間をかけて吐き出す。生きているときに、自分の騎士団の上官から教わった、緊張をほぐす呼吸法。亡骸種というアンデッドとなった今では、呼吸さえ最悪必要がないため、呼吸法に意味があるとは思えないが、それでも生前の記憶が引き継がれているのか魂にその効力が刻まれているのかわからないが、自分の中に冷静な思考が宿る。
そして、静かに呼吸を整えるアンデッドとは裏腹に、騒がしくガチャガチャと装備を揺らしながら近づいてくる集団が居た。
「妙に静かだと思ったら、一人か?」
エルフィーナが目を開くと、真っ赤な司祭服に包み、自分と同じアンデッドかと見間違うように痩せ細った男性。どうにも戦闘ができるような体躯ではないし、鍛えているよとは思えないひ弱な雰囲気を醸し出している。どうにも生者とは思えないような外見に、嫌悪感を抱くものの、むしろ死者であるならば親近感を抱くのだろうと、エルフィーナは自嘲気味に思う。
「それも、まさか噂に聞く『災屍の騎士』とは恐れ入る」
「私も『断罪卿』が来るなんて思ってもいましたよ」
『断罪卿』は西方の都市では有名な大罪人である。
西方で信仰されている宗教として『アルメシア教』があった。
主神であり、世界の創造主かつ世界の神であるアルメシアを中心に、大地の神アバラン、海の神アベルン、空の神アビレンの三柱が存在し、それぞれが均衡を保っているからこの世界が上手く循環しているという考えである。
主神と三柱は世界が世界たる根源を創造した神である。そして、三柱は世界の循環をよりよくするために人間という種を生み出した。人間の目的は神が制御しえない細々とした循環を整えるのが役目。
その世界の循環の中には魂という考えがある。循環の環から外れた悪しき魂は神に仕える聖職者によって断罪されることで正しい循環へと還ることができるという教えが存在する。
そんな宗教の聖職者として、悪名を轟かせたのが『断罪卿』と恐れられた人物である。
聖職者としての権力を振りかざして、人々を断罪と称し殺害していった人物。その殺害した人間の数は二桁に収まらない。
その悪行が教会に露呈し、今度は逆に断罪される側に回った時、断罪卿は逃亡。邪神に魅せられたと、アルメシア教の中では噂になる。
西方の人間であれば噂には聞いたことのある話だ。
つまり、西方出身であるエルフィーナからしたら、悪い意味での有名人に出会ったというわけだ。
「西方の悪者が、邪神教に入信しているなんてね。噂が本当だとは思いませんでしたよ。断罪は止めたのですか?」
「この世には世の環から外れた人間が多くいるが、それを断罪するのは私ではないと気付いたまでの話。断罪をしてくださるのは邪神様なのです。人間単位ではなく、この世界すべてが悪であり、環から外れている。この世を無に帰す事こそ断罪。それを行える力を保有する邪神様こそ断罪者である」
恍惚の笑みを浮かべながらエルフィーナに信仰を説くギリガンに対して、エルフィーナは嫌悪の表情を浮かべる。
「神がいるのならば、人間に害をなす魔物などという存在が生まれるはずがない。人を襲う魔物大氾濫などという事象を起こすはずがない。……こんな苦悩をさせるはずがない」
「全救済の思考は信仰の敵だ。我々人間の役割は環を正すこと。魔物大氾濫こそ環を正す現象。環を乱そうとする人間を粛正する邪神様のご意思。波に呑まれて死んだ人間は、環を乱す悪人であるというだけの話」
「罪のない人間も粛正する神を、正義だというのですかッ!!」
「魔物大氾濫にて死した人間は、罪があったという証拠。その死が罪を保有していたという証ではないのか? まるでお門違いな考えをしているな」
ギリガンはエルフィーナの問いを嘲笑して見せる。
それと同時に、エルフィーナはこれだから宗教など嫌いなのだと嫌悪した。
宗教は人間の考えを固執させ、自由思考を奪う。全ての事象が神によってもたらされたものであると、納得を強要されているかのように信じ込まされる。そんな、自分の頑張りさえも神のご意思と言われてしまっては嫌悪感しか覚えない。
「これだから……神は嫌いなんです」
「無宗派でも構いませんが、それでも神は存在する。無宗派の人間であっても神の掌の上にいるのですよ」
そして、ギリガンの表情に笑みが浮かぶ。
「今、世界の粛正のための私の行為に盾突くあなたは環を乱す悪人。……断罪の対象です」
「むしろ私は、私の信ずる者たちの邪魔をするあなたは敵です」
エルフィーナは右手に巨大なランスを、左手に巨大な盾を構える。
ギリガンはナイフを構える。刃渡り三十センチほどの大型のナイフ。
ギリガンが戦闘態勢に入ると同時に、背後に構える死褪めの骸三体、骸骨騎士が剣を構える。
死褪めの骸はAランクの魔物で、牢固たる死霊騎士が防御主体の骸骨種であるならば、即効攻撃主体の骸骨種であるといえる。動きやすいように軽装の装備に短剣を左右に持ち、多彩な付与魔法が使え、まるで暗殺者かのように気配を消して一撃を見舞う。
しかし、エルフィーナからしたら今の敵はギリガンや死褪めの骸ではなく、多数の骸骨騎士。
いくらエルフィーナといえど数の暴力というのは警戒するべき存在である。ランスのを振り回すだけの間合いが確保できない状態であっては成す術がない。骸骨の波に呑まれて埋もれて死ぬ未来が簡単に予想できる。
ここへと来る前に敵はネロ・ヴァレンタインの可能性があるという話をリヴァイアから聞いている。そして、ネロといえば骸骨種の召喚に長けた人物であり、今までネロの召喚する骸骨の軍団を敵にして勝利したものはいない。
それを考えると、ネロは骸骨の集団によって敵を圧殺するのに長けている、物量戦で挑むのが強みである。であれば、今回の戦でも物量戦に頼ることが予想された。
だからこそ事前に準備はしている。
「何ッ!?」
ギリガンが突然地面が輝いたのに対して驚愕の表情を浮かべる。そしてすぐさまそれが地面に描かれた魔法陣である事に気付く。
設置型魔法。
エルフィーナが仕掛けておいた魔法である。普段使用する魔法と違う点は、事前に魔法陣を描いておき詠唱を先に唱えておく事だ。
設置型魔法の利点は、防衛に関しては有効であるという事。事前作成しておくことで、戦闘直前に魔力を消費することなく発動ができ、高威力の魔法を使う事ができる。
逆に欠点は、設置した箇所にしか魔法の効力がない事。魔法陣に魔法が込められているため、魔法陣以外の場所ではその魔法は発動すらせず、発動したとしても意味がない。移動不可能であるため、その場所でしか効力を発揮しないのだ。蓄積した魔力が切れると魔法が発動しないこと。移動不可であり、発動できる時間にも限りがあるという点が欠点である。
だが、この状況においての設置型魔法は有効。
ギリガンが魔法陣の外へと退避しようとしているのを見て、エルフィーナはにやりと笑う。
遅い。
「【哀哭の異端児】」
魔法陣が起動し、魔法が発動したと同時に地面から赤子の泣き声がしたと思ったら、急に咆哮へと変化。魔法陣から漆黒の腕が伸びる。人間の腕とは思えないその腕は骸骨騎士を鷲掴みにすると握りつぶす。パラパラと骨粉が舞い散る光景が一秒。
その光景は一つに留まることを知らず、触手が魔法陣いっぱいに広がると魔法陣内に存在する生命を片っ端から握りつぶしていく。
闇の底より腕を伸ばす異端児は、ただ自分の悲しさを他人にも知ってほしいと、自身の痛みを共有したいと言わんばかりに腕を伸ばす。
魔法陣が消失した時には、その残酷な一幕は終を告げており、骸骨騎士三十体は全て骨粉に姿を変えており、死褪めの骸も無様な姿で地面を這っている。召喚された骸骨たちは無力化できたと言っても過言ではないだろう。
だが、一人笑う人物をエルフィーナは捉える。
「なかなか面白い魔法ですが……あまりにも残酷で可哀そうな魔法だ」
そういうのは無傷で佇むギリガン。




