168話目 死の襲来
世界の破滅、人生で大切なものを失う瞬間に予兆があるとすれば、どれだけ後悔をせずに済むのだろうか。そう後悔したときには世界は破滅し、自身の抱える全てが消失し、存在するのは無に帰したという事実。そして、後悔しているという事実だけだ。
そんな後悔を運ぶように、海底を死者は歩む。骸骨達は海底に足を取られながらゆっくりと進軍を開始する。重厚な鎧の重さと、水圧に自身の体が動きにくいのを言い訳にせず、他の骸骨と歩みの速度を合わせる。その数は何十万という数。溺れる心配のない、一度死んだ人間、亜人種の骨たちが、海底を歩む。その手に握る剣は魂を虚空へと帰すために振るわれる。残虐に。残酷に。
そして骸骨たちは罪の意識すら背負うことなく死を平等に撒き散らす。生まれたからには主人の望む死を献上するために、己が握る剣を振るい、死を振り撒く。
海上は、漁師が驚愕の表情を浮かべるほど波が無く、まるで海が死んでいるかの如く静かだ。そんな海に波を起こすのは幽霊船。船員はもちろん、死した骸骨。死した船乗りは財宝が待つ島へとむけて、風を受けることのない破れた帆を必死に広げ、舵を切る。その幽霊船はまるで、死を余すことなくかき集めるように、ゆっくりと進んでいく。
霧立ち込める海上をゆっくりと進んでいく。
幽霊船から小さな笑い声が一つ。
「玉手箱、楽しみね」
「……」
死を運ぶ死霊魔術師と、寡黙にこれから対峙するであろう敵がいる方向を見つめる怠惰な犯罪者。
ネロは小さく笑う。これから殺す相手が世界最強であるという事に。この峠さえ超えれば、御方へ至る機会がぐっと近づく事に。笑いが抑えきれなかった。
「さっきから黙り込んじゃって。怯えているのかしらベルフェゴール?」
ネロが斜め右で静かに海上へと視線を向けるベルフェゴールへと言葉を投げると、呼ばれた当人は「いや」と言葉を返した。
「確かに、世界最強と対峙するのは少々気が引けるのも事実だ。だが、世界最強と対峙できるからこそ、手が震える。この拳が世界最強に届くのか楽しみで、震えてやがる」
「怠惰って通り名が惜しいほどの勤勉さね」
「ネロこそ怯えてるんじゃないのか?」
「私? 私が怯える訳がないじゃない。私の中の世界最強は決まってるのよ? 御方の前では万人が弱者であり敗者よ。その御方を差し置いて、世界最強を名乗るなんて図々しいと思っていたのよ。お灸を据えなきゃね」
そういいながら、両者が不敵に笑って見せる。世界最強の名、海神の名を聞いてなお、恐れない姿勢はまさに狂気といえる。だが、その内なる自信は、己の実力を知っているからこそ。勝ち得る保証があるからこそ、笑みが込み上げる。
「ギリガン? 準備はできているかしら?」
「あぁ、もちろんだ」
ネロが名を呼ぶと、突如ベルフェゴールの背後に靄が現れたかと思うと、人の姿を取る。全身を真っ赤な司祭服を身に纏った細身の男性。どこか痩せこけたように頬骨が浮き出ており、眼球が飛び出すのではないかと思うほど、顔の皮膚が骨に引っ付いている。だが、その姿勢はどこかピシりとしており、背筋が伸びている姿勢が不健康さを打ち消している。
「島の北、東、西で骸骨騎士を配置し、牢固たる死霊騎士も余さず進軍中。指揮官に災厄の賢者を抜擢し、骸骨騎士に対して的確に指示ができる環境が整っている。玉手箱奪還に俺とお前から借りた死褪めの骸三体、骸骨騎士三十体で進軍する。采配通りに準備を進めている」
今回邪神教達の主力はネロとベルフェゴールであるのはもちろんの事だが、浦島に勝てるという保証がないため時間稼ぎに徹しつつも、機会あればその命を刈り取ることを目標としてため、浦島と直接対決の場が欲しく、横槍が入ってしまっては戦闘に集中できない。
そのための囮として島の三方向から骸骨騎士の大群を押し寄せさせる。これで、島の衛兵たちは住民を守るために島の四方へと散らばる事になるだろう。
その隙をついて、今回ネロに玉手箱の奪取を任命されたギリガンがAランクの魔物である死褪めの骸達と共に島中央へと進軍する。
島には浦島太郎という絶対守護者がいるものの、その戦力の絶対数は決して多くない。兵の質が悪いとは言わないが、あまりにも数が少ないのが特徴だ。その欠点をついた数による物量戦法を仕掛けている。動かせる駒が居ないという欠点をついた策だ。
「順調そうで何よりだわ」
「ギリガン、ミスは許されない。分かっているな」
「もちろんだ。お前らこそ馬鹿やらかすんじゃねぇぞ」
「その言葉、そっくりそのまま返すわ」
ネロ達が向ける視線の先には、ぼんやりと島の輪郭が見え始めていた。それと同時に警報の音が潮風を共に流れてくるようで、それぞれの耳に届く。
今頃、島の住民たちは思わぬ襲撃に困惑しているころだろう。
ベルフェゴールは島を視界に捉えながらこれから起きる戦いに対して、気合を入れるために小さく息を吸い込んだ。そして、吐き出す。
己が技術が世界最強に対してどれだけ通用するのか、それが楽しみで仕方がない。
ベルフェゴールが元々邪神教に入信した理由は強い人間と戦いたいという純粋な理由からだった。強い人間と戦い、自身の最後の一滴までの血を奮い立たせて、搾りつくしたかのように枯れ切った戦いの後、勝利をした瞬間の自分を見た高揚感といえば、この世界で得られる快楽で最高峰と思わざるを得ないほど。
戦いの最中、限界を突破したとき、また自分は強くなれる。限界を突破するためには、自身よりも強い相手と戦う必要がある。だからこそ、ベルフェゴールは邪神教に身を寄せている。
息を吐き終わったのち、覚悟を決め「よし」と言葉を口に出す。
そして、島と幽霊船との距離が五キロメートルの距離に近づいたとき、その間を軌跡が奔った。
「準備は整ったか?」
その声が聞き取れたのは武闘派であるベルフェゴールと、隣で驚愕の表情を浮かべていたネロの二人だけだろう。その理由は単純明快であり、声の主が浦島太郎である事。音速を超える速さで突っ込んできた、軌跡を描いていた本人が登場した事についてだ。
気が付いたときには、ベルフェゴールは腕を交差していた。そして、幽霊船が無残に爆散していた。
◆◇◇ ◇◇◆
蒼たちが島の警報が叩き起こされるようにして目が覚めると、自然と浦島の元へと駆け付けていた。
「浦爺っ!! 何があったっ!!」
蒼が扉をけ飛ばすようにして浦島の元へと到着したときには、とっくに浦島は窓を突き破る形で港へと飛び出しており、リヴァイアが浦島が飛び出した先を見つめていた。
「浦島様は、今島を守るために飛び出されていきました。おそらく敵は、死霊魔術師ネロ・ヴァレンタインだと思われます」
「ネロ……ヴァレンタイン」
蒼はその名前を知っていた。
新聞で幾度となく見た名前だ。幾多の命を奪った大犯罪者であり、邪神復活を願う邪神教の筆頭信者である事。そして、もしかすると師匠、桃太郎の仇である人物。
「おそらく狙いは、浦島様の命、もしくは……玉手箱」
「玉手箱!?」
この世界に存在する禁忌とされる秘宝の一つ。
世界の時間を自在に操る魔法道具。人間の老いを戻したり、逆に老いさせたり。その時間操作は存在しないものさえ適用される。世界の理に作用し、世界の時間を戻し死んだ人間でさえ生き返らせることが可能とする。
それだけではない。世界の時間を進めればこの世界を終焉へ帰着させることすら可能とする、人が触れてなならないとされる産物。破壊されるべきである、神が作り出した禁忌の秘宝。
ネロは、世界最強の浦島の命か、世界最悪の秘宝を狙っている、もしくは二つともを狙っているのだという。
もしこの戦いに参加したらどうなるのだろう。敵は英雄級冒険者でさえ勝ち目があるかわからない死霊魔術師である。それどころか、尊敬する師匠でも敗北をした可能性がある敵である。自分たちで敵うのか、勝ち目があるのか。仲間たちの命はどうな脳のだろうか。
「……止めなきゃ」
思考の自問自答が一瞬頭を過ったが、蒼は口から本音が漏れ出ていた。
「えぇ、何としても止めなければなりません」
リヴァイアも覚悟が決まったかのような、神妙な表情を浮かべる。
「蒼さん、いえ燃果の羽翼の方々にもご協力をしていただけますか? 報告によれば島を囲う形で骸骨の軍勢が海を渡って来ているようです。とても、私と浦島様、島の衛兵達では手が回りません。皆様のお力をぜひともお借りしたい」
「ぜひ、協力させてください」
蒼が振り返る。
「もちろん、やる」
「王が守りたいものは、当然わっちらが守りたいものでありんす」
「蒼様が仰るのであれば、もちろんでございます。お任せください」
「私も、燃果の羽翼のメンバーとして頑張ります。やりましょうっ!!」
レシア、ヴェル、ギラファ、エルフィーナ、全員が声を上げた。
「私も住民に避難に行ってくるね」
「千鶴、無茶だけはするなよ」
「大丈夫だって。ベリトが傍についててくれるし。むしろ……」
千鶴は口から出そうになった言葉をぐっと抑え込む。自分が何を言っても、蒼が変わらないことは理解しているし、言って蒼に雑念を抱かせてもいけない。だからこそ胸に抱いた思いと言葉を押し込める。
今回、狙われているのは浦島の命と玉手箱だが、被害はそれだけで収まらないのは分かりきっている。敵がそれだけを狙って来るはずがない。島民たちの命が無事という保証がどこにもない。蹂躙していく形で、命を奪っていく可能性が大きい。
だからこそ、蒼たちは声を上げるのだ。守るために行動を起こすのだ。
「皆様ありがとうございます。ネロの相手は私と浦島様がします。皆様は島の四方に散って、敵の殲滅にあたってください」
「わかりました」
構成員全員が固い意思を持ち頷いた。
「行こうっ!!」
その言葉を皮切りに、燃果の羽翼は島の四方へとかけていく。
胸に抱くのは『民の救済』というギルドの目的。それを成すべく、戦場へ身を投じる。




