142話目 レシアの願いとギルドの利益
夜が深まる中、蒼はリビングにて新聞という物を読んでいた。
新聞は、広告ギルドと呼ばれるアレフレドのギルドが運営、作成、販売しているもので、アレフレド内の事件や最新のポーションから主婦に人気の野菜の平均価格なんかの情報に加えて、近隣諸国の情勢なんかも載っていたりしている。
蒼が新聞を読もうと思ったのは、自分が最近いかに無知かという事を知ったからだ。
今までもそうだったが、蒼には知識というか、世間知らずというか、あまりそういった情報に触れようとはしなかった。それも、言ってしまえば蒼は冒険、ギルド内の仕事は千鶴、と完全に割り切った分業制をとっていたためでもある。
だが、今回のギルド抗争で思い知らされたのだ。
千鶴に任せっきりだったあまり、いざ自分がギルドの方針を決めようとしたとき、その方向を決めるだけの材料を持ち合わせていないことに。今回の場合で言えば、ギルド抗争というシステムを知らなかったし、暴虐の獅子がどのようなギルドかを知らなかった。
『無知とは罪だ。知らなきゃ何も始まらん』。
師匠はそう説いていた。それが蒼は、武術ばかりの意味として捉えていた。敵を倒すためにはどのようにすれば良いのか、どの部位が硬く攻撃が通り難いのか、など。だが、それだけでは足りないのだ。専門家になるほどではないにしろ、今世の中がどのようになっているのか程度は把握しておくべきだと思ったのだ。
「しかし……頭痛くなるな……」
「まぁ、王にしてみれば初めて触れるものでありんすから」
ヴェルレンティーは晩酌といわんばかりに千ペリカほどの安物のワインと、細く切り裂いた干し肉をつまみにして、蒼が頭を抱えながら新聞を読むのを眺めていた。
「なんていうのか……嫌いな野菜を食べた時の、うへぇって感じが今すごい」
「未知に触れる時の感じ方は二パターンありんす。興味を示すか、知らぬものだと畏怖するか。王は畏怖のほうでありんすな。知らぬものに触れ、自分では苦手だと認知してしまっているから故でありんすね」
ヴェルは蒼のそんな様子を眺めながらどこか微笑ましく思いながら、一口干し肉を口へ運ぶ。
「じゃが、素晴らしい心がけだとは思いんす。苦手を克服しようとするのは、なかなか出来ることじゃありんせん」
「開始一日目でこのザマだがな……」
「開始一日目でありんすからそのありようなのでありんしょう。二日目、三日目と積み重なれば、その努力は少なくとも無駄にはなる事はありんせん」
梅干を食べたように口をすぼめ、小さな文字を読もうとするように目を細めながら、新聞を読む蒼の姿はなんとも滑稽だった。
「ヴェル……この記事どういう事なんだ……?」
蒼が刺した先にある記事は『世界安全保障連盟』についての記事だった。
『昨日、ワルシャーワ国にて世界安全保障連盟が開催されました。その中で、宗教国家である聖オルビスタ王国が近年隣国に対して、軍隊を引き連れての遠征を執拗に行なう行為や多種族に対する排他的な演説を行い、各国から批判を受けています。
聖オルビスタ王国の外交官であるデレノーバ氏は直後の会見にて「わが国は戦争の意欲があるわけではない。ただ、我らが主である神がそのように行動せよとのお告げがあった。我々はそれに従ったに過ぎない」と述べている。
ある意、妄信的といわざる終えない国家体制に、各国からの様々な意見が集中する形となった』
「これ……何がいけないんだ。聖オルビスタ王国は、単に軍隊で遠征しただけだろ?」
「確かに遠征をしただけでありんすが、その場所がいささか問題なのでありんす」
「場所?」
「わっちらに例えるならば、わっちらのギルド拠点の前で大勢の冒険者が武器を構えながらこちらを睨んでいたらどう思いんすか?」
「そりゃ、敵意剥きだしなんだから戦うんじゃないかと思うだろ?」
「そう。その通りでありんす。それがこの一件でも言えることであるんす。聖オリンスト王国が、近隣諸国に武器を構えながら睨んでいるのでありんす。だからこそ、近隣諸国は戦争を仕掛けてくるんじゃないかと恐れているのでありんす」
「なるほど……」
「まぁ、あの国もなかなか狂っておる国でありんすから。ほんとうに、神のお告げだのなんだので戦争を引き起こしてしまいそうなものではありんすが」
「ヴェルは知ってるのか?」
ヴェルレンティーは小さくため息をつきながら「ちとばかし」と答えるのだった。
「まぁ、あまり良い国ではありんせん。邪神教を教えとする国であり、邪神の教えに妄信的に進む国家でありんす。多額の税金、最悪といわれる治安、漫然と広がる違法薬物、奴隷制度、良いことなど一つもありんせん。でも、どう言ったわけだが毎年入信者が聖オリンスト王国に向かうのでありんす。
アレフレドではないにせよ強い軍事力がありんすし、その人口、他国から多くの輸入品を購入している面を考慮して、国際的には認められているのでありんすが……あまり良い印象は受けやせん」
「……つまり?」
「どうにも信用なりんせん」
蒼は途中からヴェルレンティーの言葉の意味の半分が頭まで行かず抜けてしまっていた。
そんな一瞬フリーズしてしまった蒼達の空間に、ガチャという音を立てて扉が開く音がする。
「蒼、今、大丈夫?」
「ん? どうしたレシア?」
そこにいたのはパジャマ姿のレシアだった。千鶴と一緒に購入したクマの柄が描かれたパジャマなのだが、レシアの小柄な体格のせいか、どこか幼い子供の様であるが、それを意図的に千鶴は狙っているのは間違いないだろう。
「あの、しんき……なんとかについて、だけど……」
「新規加入希望冒険者についてか?」
「うん。それ。ちょっと、相談がある」
「全然大丈夫だよ。ヴェルも居て大丈夫か?」
「ヴェルも、居て」
「わっちが居ていいなら居座りやしょう。面倒事ではなさそうでありんすし」
「ありがと」
レシアはそう呟きながら、蒼と対面する形で席に座る。蒼も、新聞を折り畳むと机に置き、レシアの言葉に耳を傾ける。
「わたしは……正直新しい人を、入れたくない」
レシアが真剣な目つきでその言葉を述べる。それが、どのような意味を含んでいるのかレシアはちゃんと分かっているようだった。
「でも、これはわたしの思い。わたしは今のみんなが好き。蒼が居て、千鶴が居て、ヴェルもギラファも居る。そこに、ソロモンの人たちも居て、わたしはみんなに囲まれてる。正直、今の居場所が好き。変えたくない。
でも、ギルドとしては、ダメな考え。大勢のほうが、ギルドは強いし、そっちのほうが良い。だから、考えたの。わたしより弱い人はギルドには要らない。でも、強い人は雇う。どう?」
レシアが小首を傾げながら蒼に問う姿を見て、蒼はどこか嬉しくて微笑みそうになるのを抑える。そして、ちゃんと問う。
「だが、どうやってその強い弱いを決める?」
「わたしが、全員と戦う」
「レシア一人で大丈夫か?」
「ううん。ギラファにも、手伝ってもらう。もう話はしてある」
ギラファにはもう了承を得ているみたいだ。
正直レシアが全員と戦うなんて言った時は、焦ってしまった。レシアは確かに上級冒険者にも負けない実力があるが、それでも五百人と相手をすれば体力的面で厳しい戦いになってしまうことが目に見えていた。だが、ギラファが一緒ならば問題ないだろう。何といっても、燃果の羽翼の天災級コンビである。
そんな事を考えていたら、蒼はつい微笑みが浮かんでしまう。
「蒼、なにかおかしい?」
「違うんだ。少し嬉しくてな」
「?」
蒼は照れを隠すように、でも内心を言うのがどこか嬉しくも感じながら思いの内を語る。
「レシアが今のみんなを好きって言ってくれたこととか、一人で全部解決するんじゃなくて、みんなを頼ってくれているところとか」
「だって、わたしが言ってること、だから」
思えば、蒼がギルド抗争をするか否かで悩んでいたとき、レシアは言っていた。『もっと頼ってほしい』と。もしかすると、蒼よりもしっかりとギルドの事を考え、ギルドのみんなを信じているのはレシアなのかも知れない。そんな風にも思うのだった。
「あぁ、そうだな。それに、正直俺も新しい人を入れるのをどうしようか悩んでいたんだ」
「そうなの?」
「今の俺に、何百人という人間が指揮できるかといわれると自信がない。もちろん、みんなに頼れば良いんだが……いや、これは言い訳だな。レシアと一緒で、この環境に満足してるんだよ。新しい人が入ってきてもそれはそれで楽しいかも知れない。でも……やっぱり新しい人を迎えるのに魅力を感じなくてな」
「まぁ、わっちも正直同じ考えでありんす。ギルドとしては新しい人を迎え入れるのは吉でありんすが、今の毎日が楽しゅうありんす。迎える理由が見当たりんせん」
「蒼、ヴェル……」
「俺はレシアの考えに反対はしない。むしろ歓迎だ」
「そうでありんすね。なんなら全員倒してしまいんしても構いやせん。どう傾こうが、メリットはありんす」
「うん。ありがと」
レシアはぱぁっと顔に華が咲いたように笑顔になる。
みんながギルドの事を考えているという事に蒼はすごく嬉しく思う。
今、この燃果の羽翼は当たり前だがみんなのものなのだ。蒼と千鶴、二人で細々と運営していたあの頃とは違うのだと、蒼はそう考えれば考えるほど目に熱が篭る。
「場所はどうする? 中庭……だと万が一家に被害でちゃうか?」
「場所ならバールに任せてくんなまし。悪魔宮という固有空間を持っていんす。そこであればある程度自由の利く空間でありんすから、戦う場としてはもってこいでありんす」
「そうか。じゃあ、そうしよう」
「場所も決まりんしたし、やることもまとまっていんす。後は龍娘よ、一応千鶴様にも意見を仰いで見たらどうでありんしょう?」
「うん。そのつもり」
「そっか、じゃあもう文句ないな」
意見はまとまった。レシアはどこか勢いづきながら席を立つ。
「千鶴と話してくる」
そういうとレシアはスタスタと扉を開けリビングを去ってしまう。
「……」
蒼はどこか胸の内の温かさを感じながら、椅子に重たく腰をかけるのだった。
「ヴェル……ありがとうな」
「どうしたんでありんすか? そんな藪から棒に?」
「いや、なんかな」
蒼はどうにも形容しがたい気持ちを、感謝という気持ちで伝えると、ヴェルがワインのせいかどこか照った表情で蒼を見つめる。
「それじゃあ、今夜は優しくしてくんなまし?」
「いや……そういう意味じゃない」




